吹く風ネット

あまり嬉しくない後輩

2003年5月25日-26日

 以前いた会社で楽器を売っていた頃の話だ。
 ある日一人のお客さんがやってきた。坊主頭のスーツ姿、目つきが鋭く、その容姿とは不釣り合いな派手な飾り物を身につけている。どう見ても堅気には見えない。
 関わると面倒なので、ぼくは顔を合わさないようにし、売場の隅で「早く帰ってくれ」と願っていた。

 こちらの意に反して、けっこう長い時間、その人はそこに展示してある楽器類を見ていた。ゆっくり売場を一回りし、キーボードの前で足が止まった。物言わずじっとそれに見入っている。しばらくして、彼はぼくのほうを振り返り、「すいませーん」と言った。
 ぼくは「捕まった…」と思いながら、その人のところに行った。

「あのー、これ、子供でも弾けますかー?」
 言葉は普通だが、その筋の人たちの使う、独特のアクセントだった。
「おいくつですか?」
「4歳」
「ちょっと難しいと思いますが…」
「そーですか。じゃー、こっちはー?」
「あちらと比べると簡単です」
「そーですか。じゃー、これもらえますかー」

 あっさりと決まった。
 彼はポケットから財布を取り出した。財布は分厚く、おそらく100万円くらいは入っていただろう。
 当然そこからお金を取り出すかと思いきや、彼は
「あいにく、持ち合わせがありません。ローン組めますか?」と言う。
「ローンですか。いいですよ」
 ぼくはさっそくローン用紙を取り出し、彼に必要事項を書いてもらった。

「書きましたよー」
 商品の準備をしていたぼくに、彼は声をかけた。
「はい」
 ぼくはローン用紙に目を通した。
「!」
 そこには、中学時代の後輩の名前が書かれていた。しかし、関わるのがいやだったので、そのことには触れなかった。

 しばらくして、ローンの承認が下りた。
「お待たせしました」と、ぼくは彼に商品を手渡した。
 その時だった。彼はぼくの顔をのぞき込んだ。
「あのー、どこかで会ったことありませんかねー? 失礼ですが、中学どこでしたかー?」
「・・H中ですけど」
「お名前、なんと言うんですかー?」
「しんたですけど」
「ああ、しんたさん。あのー、わたしのこと覚えてませんかー?」
 ぼくはわざとその人の顔をのぞき込み、
「そういえばどこかで見たような」
 と、その時初めて気がついたような顔をした。
「やっぱり。いやー、最初からどこかで会ったような気がしてたんですよー。お久しぶりでーす」
 急に彼は饒舌になった。

「しばらくこちらを離れていたもんで、こちらの人の顔を忘れてましたよ」
「離れていた? どこにおったと?」
「いやー、ちょっと遠いところに。ははは」

 ちょっと遠いところ、こういう人たちの言う『遠いところ』といえば、相場が知れている。中学時代の後輩とはいえ、どうもこの手の人間は苦手である。おまけに『遠いところ』に行っていたなどという話を聞かされたものだから、こちらの気は乗らない。にもかかわらず、彼の話は終わらない。最後には相づちを打つだけになっていた。
 およそ30分後、彼は「じゃあ、またきまーす」 と言って帰っていった。

「あいつ今何をやっているんだろう?」
 という疑問を持ったぼくは、ローン用紙に書かれている職業欄を見た。
「やっぱり…」
 彼は自動車金融の社長をやっていた。

 それから彼は、ちょくちょく顔を見せるようになった。最初こそ一人で来ていたのだが、その後はいつも若い衆を連れていた。
 ある日、ガラの悪い兄ちゃんが、「しんたさんですか?」とやってきた。
「そうですけど」
「あの、社長が下で待ってますから、来てもらえませんか?」
「社長?」
「はい」
 とりあえず下に行ってみると、彼がいすに座っていた。
「しんたさん、忙しいところすいませんねえ。いや、今日はこの商品を買おうと思いましてね。何も言わずに帰ろうと思ったんですけど、いちおう来たことだけ報告しておこうと思いまして。ははは」
 要はまけてくれと言っているのだ。ぼくはその商品の担当者に、値引いてくれと頼んだ。

「ああ、この値段でいいらしいよ」
「しんたさん、すいませんねえ。そういうつもりじゃなかったんですけど。ははは」
 そういうつもりである。
「ところで、これ車に乗るかなあ」
「車、どこに停めとると?」
「ちょっと大きな車なんで、路上に停めてるんですけど」
 行ってみると、なるほど大きな車が停まっている。車幅の広い外車だ。
「ははは、すいませねえ。こんな車しかなくて」
「・・・」

 その後も、何度か彼は『こんな車』で登場し、そのたびにぼくを呼んだ。
 ま、考えてみると、彼は身なりこそ変だが、誰に迷惑をかけるわけではなく、来ると必ず買い物をするし、しかも金払いもいい。いわば上得意である。
 しかし、ぼくは嫌だった。
『来るのは勝手だが、ぼくを呼ばないでくれ』、と思っていた。
『来るのは勝手だが、ガラの悪い取り巻きを連れてくるな』、と思っていた。
『来るのは勝手だが、その下品な笑い声はやめてくれ』、と思っていた。

 それから2ヶ月ほどして、彼はパッタリと来なくなった。来なければ来ないで結構なことなのだが、それまで頻繁に来ていたので、なぜか彼のことが気になった。
 それから、ぼくがその会社を辞めるまで、彼は店に来ることはなかった。もしかしたら、また『遠いところ』に行ったのかもしれない。
 


 数年前、風の噂で彼が死んだと聞いた。いったいどういう最期だったのだろう。

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