2008年4月 手塚治虫の生涯
本公演もついに全日程を終了しましたね。
まだ仕事の残ってる方もいらっしゃると思いますが、関係者、手伝ってくれた方々、本当にお疲れ様でした。
御来場のお客様も、本当にありがとうございました。
何から書きましょうか。
この公演のお話を頂いたのは、1月の部会くらいだったかな。
演出澤野の告知によって、公演の存在を知りました。
その場では、一緒にやりたい人にはこれから声かけていくんで、という事でした。
澤野が演出をやるのか。私もまだ仙台に残るから観れそうだし、これは楽しみだ。
と思っていたら、部会終了直後に澤野につかまり、
「山さん、出ませんか?」との事。
私がこの公演に参加した事は、果たしてよかった事なのか。
終演した今でも、私は分からずにいます。
それはきっと数年後、現状をより冷静に振り返れる日が来るまで、分からないでしょう。
新しい世代が新しい世代を迎え、これから一緒に舞台を創っていく。
それがいい形だと思っているし、何より私自身の問題もある。
真剣に就職だけを考えて、そのための時間を取るならば、参加すべきではなかったでしょう。
でもこうして公演に参加する事を決めたのは、私がまだ役者山浦だったから。
以前書きましたが、私は自分から使ってくれとは言いません。
でも演出さんが使いたいと言ってくれるならば、全力で協力する。
私はTRUTHを最後にしようと思っていました。それなりの覚悟もしてました。
しかし、そんな演出がいる限り、そこはまだ私の死に場所ではなかったのです。
さらに、共演者がとても魅力的だったから、というのも大きな要因です。
特に澤野、三浦、羽鳥、松木あたりは客として観たことはあっても、共演したことはありませんでした。
客としての私には、彼らは非常に魅力的な役者であり、共演できるなら是非やりたい、と思いました。
そして私にとって最後の舞台が始まります。
内容については、観た方はご覧の通り。
あまり多くを語るつもりはありません。
私は一キャスト。
本公演ではキャストは何役も兼ねるので、分からなかった方もいるかもしれないですね。
主人公治虫の父、成長した治虫、司会者A、人生相談の相談者2、くじら丸船長、ワクチンでバカになった人、大人計画新党の木村、青森演劇センターの森ちゃん、鳴神法一を演じました。
バカからIQ230まで一人9役。こんなに演じたのはもちろん初めてです。
これに伴う着替え、装置の転換、小道具の移動など、裏でもかなり忙しい公演でしたね。
この歳で再びふんどし姿で舞台に立つとは・・・。いやありがたいですよ。
この公演は、良くも悪くも全てが澤野。
澤野のやりたいことを全て形にしようとした公演だったと思います。
そういう意味では、1stJetをやったときの村上さんに、非常に近いものを感じてました。
映像、スライド、稼動パネル、ダンスなど、演技以外のギミックが盛りだくさん。
音、明かりも相当数の転換。
私は正直、その全てをこなすのは不可能だと思ってました。
本当にヤバそうだったら止めようとすら思っていました。
でも結局全部できちゃいましたね。
若干無理した部分もあったかもしれませんが、それをこなせたのはスタッフ達の努力の賜物。
本当に、お疲れ様でした。
私の都合でゲネをずらしてしまったり、色々ご迷惑おかけしました。
キャストは、個人個人の持ってる力は、思った通りの良いものでした。
でも私自身が彼らにいい影響を与えられたか、そこが不安です。
公演直前になって、考えの共有、話し合いの足りなさを痛感しました。
もっと稽古以外でも時間を使って、一緒に創りあげていくべきだったと思います。
それこそが私の存在意義であったんじゃないかと。
下の学年の指導というのは、私に後輩が出来たときからの長い課題でした。
今は、同じ立場、同じ目線で、共に良いものを創っていく。
その過程で、後輩が何かを感じ取って吸収していってくれるのが、一番だと思ってます。
それだけの影響力を持った役者でありたいと思っていたのですが、どうでしょうかね。
こればかりは彼らに直接聞いてみないと分かりませんね。
そして本当に何かを伝えられたのかは、後の公演を通じて分かっていく、かも知れません。
さて、長らく書いてきた回顧録も、私の演劇人生と共にそろそろ終わります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
素晴らしい先輩方、同級生、そして後輩に恵まれた、いい6年間でした。
その誰もに、深く感謝しています。
しかし物事に余談はつきもの。・・・なんでしょうか。
これからの私が、そして東北大学学友会演劇部がどうなっていくのか。
是非暖かく見守っていただきたいと、心からお願いいたします。
はい
ほんとにおしまい