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東北大学学友会演劇部 新入生歓迎公演2008

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STAGE16 さようなら。

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2008年4月 手塚治虫の生涯

本公演もついに全日程を終了しましたね。
まだ仕事の残ってる方もいらっしゃると思いますが、関係者、手伝ってくれた方々、本当にお疲れ様でした。
御来場のお客様も、本当にありがとうございました。

何から書きましょうか。
この公演のお話を頂いたのは、1月の部会くらいだったかな。
演出澤野の告知によって、公演の存在を知りました。
その場では、一緒にやりたい人にはこれから声かけていくんで、という事でした。
澤野が演出をやるのか。私もまだ仙台に残るから観れそうだし、これは楽しみだ。
と思っていたら、部会終了直後に澤野につかまり、
「山さん、出ませんか?」との事。

私がこの公演に参加した事は、果たしてよかった事なのか。
終演した今でも、私は分からずにいます。
それはきっと数年後、現状をより冷静に振り返れる日が来るまで、分からないでしょう。
新しい世代が新しい世代を迎え、これから一緒に舞台を創っていく。
それがいい形だと思っているし、何より私自身の問題もある。
真剣に就職だけを考えて、そのための時間を取るならば、参加すべきではなかったでしょう。
でもこうして公演に参加する事を決めたのは、私がまだ役者山浦だったから。
以前書きましたが、私は自分から使ってくれとは言いません。
でも演出さんが使いたいと言ってくれるならば、全力で協力する。
私はTRUTHを最後にしようと思っていました。それなりの覚悟もしてました。
しかし、そんな演出がいる限り、そこはまだ私の死に場所ではなかったのです。
さらに、共演者がとても魅力的だったから、というのも大きな要因です。
特に澤野、三浦、羽鳥、松木あたりは客として観たことはあっても、共演したことはありませんでした。
客としての私には、彼らは非常に魅力的な役者であり、共演できるなら是非やりたい、と思いました。
そして私にとって最後の舞台が始まります。

内容については、観た方はご覧の通り。
あまり多くを語るつもりはありません。
私は一キャスト。
本公演ではキャストは何役も兼ねるので、分からなかった方もいるかもしれないですね。
主人公治虫の父、成長した治虫、司会者A、人生相談の相談者2、くじら丸船長、ワクチンでバカになった人、大人計画新党の木村、青森演劇センターの森ちゃん、鳴神法一を演じました。
バカからIQ230まで一人9役。こんなに演じたのはもちろん初めてです。
これに伴う着替え、装置の転換、小道具の移動など、裏でもかなり忙しい公演でしたね。
この歳で再びふんどし姿で舞台に立つとは・・・。いやありがたいですよ。

この公演は、良くも悪くも全てが澤野。
澤野のやりたいことを全て形にしようとした公演だったと思います。
そういう意味では、1stJetをやったときの村上さんに、非常に近いものを感じてました。
映像、スライド、稼動パネル、ダンスなど、演技以外のギミックが盛りだくさん。
音、明かりも相当数の転換。
私は正直、その全てをこなすのは不可能だと思ってました。
本当にヤバそうだったら止めようとすら思っていました。
でも結局全部できちゃいましたね。
若干無理した部分もあったかもしれませんが、それをこなせたのはスタッフ達の努力の賜物。
本当に、お疲れ様でした。
私の都合でゲネをずらしてしまったり、色々ご迷惑おかけしました。

キャストは、個人個人の持ってる力は、思った通りの良いものでした。
でも私自身が彼らにいい影響を与えられたか、そこが不安です。
公演直前になって、考えの共有、話し合いの足りなさを痛感しました。
もっと稽古以外でも時間を使って、一緒に創りあげていくべきだったと思います。
それこそが私の存在意義であったんじゃないかと。
下の学年の指導というのは、私に後輩が出来たときからの長い課題でした。
今は、同じ立場、同じ目線で、共に良いものを創っていく。
その過程で、後輩が何かを感じ取って吸収していってくれるのが、一番だと思ってます。
それだけの影響力を持った役者でありたいと思っていたのですが、どうでしょうかね。
こればかりは彼らに直接聞いてみないと分かりませんね。
そして本当に何かを伝えられたのかは、後の公演を通じて分かっていく、かも知れません。

さて、長らく書いてきた回顧録も、私の演劇人生と共にそろそろ終わります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
素晴らしい先輩方、同級生、そして後輩に恵まれた、いい6年間でした。
その誰もに、深く感謝しています。
しかし物事に余談はつきもの。・・・なんでしょうか。
これからの私が、そして東北大学学友会演劇部がどうなっていくのか。
是非暖かく見守っていただきたいと、心からお願いいたします。

はい

ほんとにおしまい

STAGE15 帰ってこいよ、必ず。

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2008年2月 TRUTH

当演劇部の公演から離れて、ちょうど1年が経とうとしていました。
そんな折、2学年下の卒業公演の話を耳にしました。
この年度末で私も大学院を修了。
そこで、ちょっと無理言って、この公演に混ぜてもらうことにしました。

この学年のカラーを一言で言うなら、職人気質。
第一ホールを一時ねぐらにしていた通称「第一ホール組」。
彼らの繊細で完成度の高いスタッフワークが特徴的でした。
役者の側では、宮本、佳織、彩巴と数は少ないものの粒ぞろい。
この3人は、私が演出をとった「天使は瞳を閉じて」でも人気投票トップ3だった気がします。
皆わりと何でもこなせるタイプの役者でした。
そんな彼らが最後に選んだ作品は、成井豊の「TRUTH」でした。

この作品、2年前の私達の世代の卒業公演の脚本候補でした。
話はわりと熱い話で、中心となるのは幕末を生きる若い武士6人。
私達の世代の男もちょうど6人だったので、全員キャストだったらこれにしよう、と言ってました。
熱い話がやりたい、と言っていた演出宮本に、私が薦めたのです。
ただ難点は、女性キャストがほとんど目立たないこと。
何せ男と男の熱い生き様の話なので、女性の立ち入る余地はほとんどナシ。
脚本決定前から、佳織をかっこよく見せたい、と言っていた宮本が取った選択は、
佳織さん、男役で。

ま、元から男キャストを多く必要とするこの脚本。
なくはない選択でした。
ただ、男女混合のこの部で、女性が男を演じることには少なからずデメリットがあります。
明らかに違和感を覚えれば、お客さんはそれを抱えたまま、観続けることになる。
これでは良い作品は生まれません。
しかし、この問題点も2つの要因によって解消されます。
一つは佳織自身の問題。
元々女性の中では比較的背が高く、声の低い佳織さん。
胸をつぶし、男らしい動作を心がけることで、違和感はかなり減らされます。
もう一つは周りの男役者。
本公演の男役者は、宮本、大場、駿二、さしょうと、小柄な人が多めでした。
この中に混じるとさらに違和感は減り、ほとんど感じなくなるほどでした。
佳織さんは本公演の「最もTRUTHを感じる人」投票第一位。
役得、という部分もあるかもですが、違和感なく受け入れられた証拠でしょう。

私はといえば、本公演ではキャスト兼音響プラン。
どういうわけか、私が音響。
長野、駿二、村上という動ける音響さんが揃って出演していたのに。
さしょうの暗躍により、このような謎の事態が引き起こされた、と私は思っています。

演じた役は、そんな話の中心6人のうちの一人。
6人のまとめ役で、最も剣の腕が立つ人物。
話半ばで、とある人物の陰謀によって暗殺されてしまいます。
私は今まで演じた役の中で、一番キレイに演じようと心がけました。
私の死というのがこの話の最も肝心な事件であり、死人は美化されると思ったからです。
この話で何より大事なのは、この暗殺の後にそれを取り巻く人々の正義が何処にあるのか、だったので、私はアクのない、ただキレイな存在でいたかったのです。
上手く演じることが出来たでしょうか。
ちなみに投票では、佳織、宮本に次ぐ3位でした。

音響については、前回音響をやったときの反省を生かし、一アーティスト縛りはやめました。
でもわりと自由にやらせてもらいました。
後に後輩の村上と話したのですが、音響にも大きく分けて2通りいるといいます。
なるべく違和感が生じないようにする音響と、ここでこの曲か!と思わせる音響。
ちなみに後輩の村上は完全な前者らしい。
役者気質な私は、主張する音響、つまり後者です。
私がやったからこそ、こうなった。と思いたい。思わせたい。
やはりオリジナリティを追求したかったのです。
時代物の本作では、やはりそれっぽい曲を持ってくるのがセオリーなのでしょう。
しかし、私はあえて大事なオープニングとエンディングで、ロックを用いました。
ガツンとくるカッコよさを追求した結果なんですけど、みなさんどうでしょう?

全体としては、特徴はやはりスタッフワーク。
今回のような時代物には、衣裳、小道具の問題はつき物です。
昔「新・幕末純情伝」をやったときには、どちらも抽象的なもので代用しました。
それが舞台演劇の利点でもあるのですが、今回は着物も刀も作っちゃいました。
着物は十数着、生地を買うところから。刀は7人分、脇差まで。
出来上がりも、近くで見ても違和感ナシの素晴らしい出来。
衣裳佳織、小道具西川の、正に集大成と言える仕事っぷりでした。

この世代とは割と仲がよかったので、彼らの卒業と同時に私も卒業しようと決めていました。
やりたい脚本でやらせてもらえたので、もう思い残すこともない。
しかし、この作品が最後になり得なかったのは、もうご存知の通り。
そしてこの回顧録も、とうとう最終話へと続いていきます。

続く

EX-STAGE3 死ニマシタ

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2007年3月 室温~夜の音楽~ (ただのタゴ)

2世代下に、多田という後輩がいました。
この時点で既に退部しており、部員ではなかったのですが。
彼女が後藤と芝居をしたい、ということで始まったのが、この劇団です。
と聞いています。
何せ私はほぼ関わってなかったので。
風の噂程度に、やるということだけ聞いていました。
しかし直前になっても一向に具体的な話が出てこない。
日付、会場ともに決まってない。当然チラシも見たことない。
おいおい大丈夫かよ、と思っていたところ、ギリギリになってチラシを目にしました。
結局トップが全然動いていないから、何も決まらなかった。
私の目にはダメな公演に見えました。
ほとんど共演の村上さんのコネで、ギリギリでなんとかしたもの。
村上さんだって、可愛がっていた後藤のために各方面に頭下げてやってました。
酷いなーと思っていたところ、本番一週間前になって、私に一本の連絡が。
「照明オペ、やりませんか?出来るって聞いたんですけど。」
・・・。
いや、やったことあるけど、一回だけだよ?
一公演じゃなくて、一ステージだけだよ?

そもそも一週間前に何故このような事態に陥ったのか。
これももちろん2トップの落ち度。キャストの数を揃えていなかったのです。
そこで直前になって照明の中村を照明プラン兼キャストにコンバート。
これに伴って照明のオペレーターがいなくなってしまったのです。
なんというアホな・・・。
とはいえこの公演、村上、高橋、嶋口と、お世話になった先輩達が勢ぞろい。
彼らが困っているとなると・・・。
ということで、一週間前になって照明オペを受けました。

初めての会場で明かりを動かして、この公演では私はミス連発でした。
そりゃ経験も知識もなかったとはいえ、受けた仕事は仕事。
もっとちゃんとやれたはずだと後悔はしています。
全体としては、評判はそんなに悪くなかった・・・んじゃないかと思います。
しかしその舞台裏。
とんでもない台所事情で動かしていたんだと、観てる側には分からないんだよなぁ。
一回の本番は、全て幾重にも重なった段取りの上に成り立ったもの。
この公演に引っ張り出された後輩達は、それを目の当たりにしたんじゃないかと思います。

続く

STAGE14 あの日私を貫いた稲妻を

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2006年10月 熱海殺人事件~売春捜査官~

ま、簡単に言えば、有園さんのわがままで発生した公演です。
「売春捜査官をやらないと卒業できない。
この公演の演出を任せられるのは五十嵐しかいない。」
と五十嵐を口説き落として、この公演は始まりました。
で、少人数とはいえ人が足りないので、私も呼ばれるわけです。
そのくらい断っても・・・と思うのですが、この有園さん、私の制作師匠なのです。
とてもお世話になった先輩なので、出来れば力になりたいと。
だからと言って、なんでもかんでもやると言った記憶はないんだけどなぁ。

実は稽古を進める段階で、一度脚本の変更を考えたことがありました。
主役、木村伝兵衛のイメージに、有園さんがあまりに合わない、という理由でした。
そこで、熱海の他のバージョンも検討しました。
モンテカルロ、平壌など。
しかし彼女の強い意向により、やはりこの脚本でいこうという事になりました。
それほどこの脚本は、他のバージョンと比べて魅力的でした。

私はキャスト・・・兼、音響プラン・・・。
何せ公演乱立の折でして、音響を出来る空いてる人がいなかったのです。
って私も音響プランなんて始めてですけど。

キャストに関しては、五十嵐の提案で五十嵐と私のダブルキャストに。
ダブルキャスト制度は、この5、6年くらいなかったと思います。
4年前の私たちの初舞台を除いて。
まさかあの時と同じ二人でダブルキャストをやるとは思いませんでしたよ。
片方はハゲでホモの刑事。もう片方はNO.1ホスト。
刑事とホスト。普通に考えると刑事が五十嵐、ホストが私。
しかし逆にしても公演が成り立つ、というのがすごいところですね。
これこそ汎用役者の本領発揮、というやつです。
アンケートの人気投票で、個人部門では木村部長に勝てなかったのですが、なんとベストカップル賞を受賞。
みんなネタ好きだなぁ。

さらにこのダブルキャスト、思わぬ所で威力を発揮することになります。
公演2日目の昼公演。いくら待っても五十嵐が来やしません。
メールにも電話にも反応なし。
最終手段として志保さんに家まで行ってもらったところ、爆睡してました。
こりゃ開演までに間に合うか分からん、って事で、急遽予定を変更。
私が五十嵐の代わりを演じ、あいつは最後にちょっとしか出ないホストをやらせました。
話を聞くと、眠れなかったので睡眠薬を飲んだら、起きなかったとの事。アホか。
ま、何にせよ助かってよかったですね。

さて音響ですが、私に出来ることはかなり限られています。
ということで、流れる曲全てB'zにしました。
私B'z好きでして、全曲の7割くらいは知っていると思います。
しかしこれがまた賛否両論。というかどちらかというと批判意見が多かったな。
でもま、これも私のオリジナリティって事でね。
自分ではうまくやったつもりだったんですけど、ダメっすかね。

今でこそ言いますが、この脚本はやっぱり、主演嶋口さんでやってみたかったですね。

この時期起こった他の公演は、どれもかなり下の学年が主体となった公演ばかり。
本公演を境に、私はぱったりと部内公演に呼ばれなくなります。
新しい世代が新しい部を作る。それは至極当然なこと。
私の演劇人生もこれで最後かな、と正直思っていました。
しかし後に、非常に意外な形で演劇の世界に引き戻される事になります。

続く

STAGE13 雨は降り続けている

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2006年7月 天使は瞳を閉じて(クラシックバージョン)

新歓公演「スナフキンの手紙」がまだ本番を迎えない頃、年度の公演計画について秘密裏に話し合いがもたれました。
この年度は8、9、10、11、11、12、2月と公演が目白押しでした。
しかもそのすべてがキャスト5人前後の少人数、または使用キャストがほぼ確定していたのです。
気が付けば、1年生が参加できる公演が、ほとんどない。
なので、毎年恒例新入生公演をやろうということになったのです。
しかし肝心の発起人がいない。
そこでこの仕事が回ってきたのが、たまたまこの会議の場に居合わせた私でした。
そして私と五十嵐、二人でこの公演を創っていくことになります。

この公演の課題は、私としては2つ。
ひとつは1年生をうまく活用すること。
実はここ数年恒例となっていたこの新入生公演、どれもあまりうまくいってませんでした。
存在自体を疑問視する意見もありました。
そこで、新入生を取り込んで、きちんとしたものを創ること。
もう一つは、女性キャストを多めに使うこと。
ここ数回の公演では、女性キャストに活躍の場があまりありませんでした。
よって、ある程度の女性キャストの数を確保すること。
以上の条件をクリアできる脚本として、「天使は瞳を閉じて」を選んだのです。

この作品は、私にとっては2度目の作品です。
約3年前、私が一番下っ端だった頃の新入生歓迎公演と同じ演目です。
その時の脚本は、インターナショナルバージョン。
あれから時間が経って、この脚本には別バージョンが出ていました。
3年前演出だった五十嵐と話し合い、できるだけ違うものにしようという事で、このクラシックバージョンを選択しました。

台本上のキャストは10人。
しかしキャスト候補として稽古に参加していたのは、私と五十嵐を含めて15人。
当部としてはめずらしく、オーディション的な事を行いました。
私としてもキャスティングは初めてで、これはとても悩みました。
というか、演出を五十嵐と私とどちらがやるか、それすら決まってませんでした。
計20通りくらい考えたでしょうか。
悩んだ挙句ぎりぎりまで持ち越され、深夜の千葉家会談で決定しました。
討論の結果、私は演出として、五十嵐は一役者としてこの公演を牽引していく事にしました。
仕方なくキャストを降りてもらった人もいました。
当時のキャスト候補全員と話をして、どの役なのか、何故役が付かなかったのかの説明をしました。
役が付かなかった人も、公演メンバーとして最後まで腐らずに付き合ってくれました。
その点で、特に役が付かなかった人たちには本当に感謝しています。
彼らは、この時の経験が、後にキャストとして生きればいいなと思いました。
こうして、私にとって最初で最後の演出が始まります。

長く役者をやってきた過程で、一応自分なりの演出学というのがありました。
しかしいざやってみると、そうそう思い通りにはいきません。
最初は3年前の、自分が役者として参加した時のものに、無意識のうちに近づけていました。
昔やったものが良く思えて、どうしても頭から抜けなかったのです。
しかし進んでいくにつれて、もっと違うものを作ろう、という気持ちが出来てきます。
これは多分、五十嵐がいたおかげなのではないかと思ってます。
脚本自体、このクラシックバージョンは、インターナショナルバージョンとは結構違います。
このとき創ったものは、厳密には純粋なクラシックバージョンではありません。
クラシックをベースに、インターナショナルの好きな部分を混ぜた、言わばハイブリッドバージョンです。
繋がりのおかしい部分は自分で書いたりしました。
とは言えセリフ10コくらいですけどね。
役者として学んだ、今の自分にしか出来ないこと。
自分達でしか出来ないこと。
それが出来たんじゃないかと思います。

個人的には結構好きな脚本なので、楽しんでやれました。
新入生公演としても、十分なものが創れたんじゃないかと思います。
今では、この公演がみんなの中でいい意味で生きていればいいな、と思ってます。

続く

STAGE12 あなたの語られなかった言葉を

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2006年4月 スナフキンの手紙

卒業公演が終わり、一つの時代が幕を閉じました。
すると次に待っているのは、新世代による新入生歓迎公演です。
この年の新歓公演も、2、3年生中心の若い公演でした。
しかし、紆余曲折を経て、公演自体が大きく変わっていくことになります。

本公演発足当時、私はこの公演には関わっていませんでした。
脚本も、高橋いさをによる別の作品を予定していたはずです。
しかし時期が進むにつれて、公演内での不和が顕在化してきます。
やがて事態は深刻化し、辞退者が現れてしまいました。
そして不安が全体に広がり、一人、また一人と降板していきました。
ここで降りた部員には、私は多少苛立ちを感じます。
一度受けた仕事は、よほどの事がないと、途中で投げ出してはいけませんよね。
そして一度企画を白紙に戻し、残ったメンバーを中心に立て直しを図りました。
この時に残ったメンバーこそ、私は評価されるべきだと思います。
私はその際に、演出谷津の要請により、助っ人的な感じで参加することになりました。

再出発を決めてから、本番まではあまり時間がありませんでした。
脚本候補は4、5作品あったと思います。
状況が状況だったので、最優先事項はキャストの人数及び男女比。
これ以上の人員移動のないように選びました。
公演メンバー全員で話し合った結果、この「スナフキンの手紙」が選ばれたのです。

ここまでこの回顧録をご覧の方ならお分かりかと思いますが、私にとっては2度目の「スナフキンの手紙」です。
約2年前に劇団te Quieroで上演したものと同じ作品になりました。
当時の私の役はアイドルのマネージャー。
今回は、演出があえてこの役を私にあてるのを避け、謎の男になりました。
自殺に関する商売をしている男で、実は超能力者という設定。
以前劇団te Quieroで演じた方の印象が強く、これを払拭するのが一番苦労しました。
でも同じことなんて所詮出来ない、という事に気付き、自分らしい役作りが出来たと思います。
この時の私の所作は、いまだに後輩にマネされています。
よほどおかしかったんだろうなぁ。

最初こそ危なかった本公演ですが、最終的には短時間でよく作れたと思います。
特に公演初期からいたキャストは、よく頑張っていたと思います。
私にとっては、同じ作品を2回やることの難しさを知ることの出来た公演でした。
なんて言っておきながら。
これがそのまま次回公演への布石となるんですけどね。

続く

STAGE11 座長と私の子肝臓が!

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2005年12月 寝盗られ宗介

思い入れの強い公演なので、ちょっと長く書きます。
私達02年入学世代の卒業公演です。

なんとなく分かると思いますが、大学演劇なので、各世代にカラーがあるわけです。
2つ上は、スタッフがしっかりしており、外部団体と繋がりの多い世代。
1つ上は、人数は少ないけど、とても個性的な役者が多い世代。
私の勝手な判断ですが、このように各世代にカラーがあるわけです。
そして私達の世代。
またまた勝手な判断ですが、各個人の能力が高く、団結力の強い世代だと思っています。
私達はそれぞれバラバラに活動し、演劇においては自己研鑽し、馴れ合いはなく、互いを否定し合いながらも認め合っている、良い関係にあったと思っています。
その私達が最後に一つに集まって、一本の芝居を創ったらどんなものになるんだろう。
私の知る限り、ここ数年は世代の卒業公演というのはありませんでしたが、是非やろうということだけはかなり昔から話題に上がっていました。
この公演は、全てに先駆けて「やる」、という事がまず決まった公演でした。

そんな矢先、宮学演劇部から一本の連絡が入ります。内容は、
「宮学演劇部は元々人数が少ない上に、直後に別の公演があって、卒業公演を打つだけの人が確保できない。そこで、東北大演劇部の卒業公演と合同でやりませんか。」と。
今でこそ言うと、正直ちょいと迷いました。
私達の世代は演出、舞台監督、制作、装置、音響、照明、衣裳、宣伝美術、と、ほとんどのスタッフワークにおいて、スペシャリストがいました。
キャストも全員ある程度以上のクオリティでこなせます。
そんな私達に唯一足りない部分、それは頻繁に出演できる女優さんだったのです。
しかし、そこも嶋口さんの存在によって完全にカバーされていました。
さらに何人かの後輩が、この卒業公演への出演を希望してくれていました。
つまり、東北大演劇部にとって、宮学演劇部による補強ポイントがなかったのです。
多くの脚本では、女優さんの数の方が少ないのが一般的です。
もし宮学卒業生を上手に起用できなければ、彼女達も不完全燃焼のまま卒業公演を迎えてしまう。
互いにメリットのある良い公演になるのか?
双方の考えを汲んで話し合いを行った結果、やはり合同でやろう、ということになりました。
宮学さんはこれじゃないとそもそも卒業公演ができないという事で、かなり譲歩してくれました。

さて、そこで問題は脚本。
女優さんの人数を考えなかったとしても、元々ノープランで発進したこの公演。
さらに条件が厳しくなり、その選出は困難を極めました。
最終候補として残ったのは3作品。
女優さんの数を無視して、ストーリー重視の「TRUTH」(作・成井豊)
人数をかなり柔軟に設定できる、「赤鬼」(作・野田秀樹)
そしてその中間くらいをとった、「寝盗られ宗介」(作・つかこうへい)
更なる話し合いの結果、この中から「寝盗られ宗介」が選ばれました。
やはりバランス重視で。あと熱いし。他を選んでいたらどうなっていたんだろうね。

この脚本を選択した時点で、一つの問題が出てきます。
男役者の不足です。
当時、一世代下の学年がほぼ総動員で、「新訳神曲」という公演をやってました。
2年生はそれぞれに分裂。それでも足りなく、話は1年生にまで及びました。
十数人いた1年生達に2つの公演、好きな方を選びなさい、と言ったところ、私達卒業公演チームを選んだのはたった一人。
その一人が後の卒業公演請負人、大場です。
本公演は、彼に一つ助けられたと言っても過言ではないでしょう。

さて、ようやく動き出した本公演。
私は役者。・・・兼、小道具・・・。
上にスクロールして確認していただくと分かるのですが、私達の世代に小道具だけはいなかったのです。
なぜか、誰も、一度もやったことがありませんでした。
そこで白羽の矢が立ったのが、キャストだけで他に仕事のなかった、私。
まさか、卒業公演で初めての役職を任されるとは思ってなかったよ。

演じた役はホモで露出狂の役者。
さらにこの脚本には劇中劇が頻繁に出てきまして、そちらでは二枚目女たらし歌舞伎役者。
つまり、「二枚目女たらし歌舞伎役者を演じる、ホモで露出狂の役者」を演じたわけです。
演出五十嵐曰く、「二枚目と三枚目を同時に出来るのはお前しかいない」だそうで。
これはかなり嬉しかったのですが、ただ私が脱ぎキャラだからってだけかも。
この大きくかけ離れた2役を演じるというのは、初めてだけど楽しかったです。
二枚目女たらしも、ホモで露出狂も、割と得意分野ですが、同時にやることはなかったので。
12月にふんどし一丁で袖で待機、というのはなかなかに辛かったですけどね。
本番中に寝てた、というスーパーミスを犯す以外は、非常に良かったと思います。

さて、問題の小道具。
といっても幸いな事に、小道具の非常に少ない脚本でした。
唯一命をかけて作ったのは、「刀」
将来は刀匠になりたいという夢を少年時代に抱いていた私は、これだけは命をかけて作りました。
条件は、「鞘があって抜刀納刀でき、納刀時に“キンッ”と鳴る刀」でした。
殺陣があるために刀身は硬くて軽い木材から切り出し、鞘はこれにあわせて中身をくりぬいて二枚あわせて針金で留め、鍔はアルミ板を切り出して作成。
小道具の仕事の8割は、これに費やしました。
そして一振りの刀が完成。「ゆうじ」と名前までつけました。
条件も全てクリアし、私的には大満足の一品でした。
この2年後に西川が素晴らしい刀を量産することになるのですが、そのプロトタイプになったとか、ならないとか。

公演自体は、当初考えられていたような合同公演の弊害もなく、成功に終わったと思います。
主演五十嵐が喉を潰した事にご立腹の共演者もいましたが、そーゆう役だしな、と私は思ってました。
いや、ホントはよくないんですけどね。
そういえば、トイレ事件が起こったのもこの公演でしたね。
そう考えると、学年内での言い争いが多かった公演でした。
まぁ、そうゆうのを言い合えるところがいい世代だった、ということで。
感動のフィナーレも涙を誘い、無事終了。
大倉、郡山の二人はこの作品で引退。
野村、千葉志保にとっても最後の作品となりました。
しかし私は、この後もまだまだ演劇人としての寿命が残っていたのでした。

続く

STAGE10 四星球拾っちゃったよ

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2005年9月 広くてすてきな宇宙じゃないか

この年の2年生が中心となって行った公演です。
キャスト、スタッフ、ほぼ全員が2年生で構成されています。
上の学年からの参加は、私とN木のみ。
私はキャストでしたが、起用してくれたことについては本当に感謝しています。

話は少しズレますが、私は基本的に自分を使ってくれ、とは言いません。
部内だと断りにくいだろうし、演出プランが崩れることもあると思うからです。
その代わり、演出さんが私を使いたいと思ってくれた時には、全力をもって参加、協力することに決めています。
演出に使いたいと思わせる役者であり続ける事が私の目標であり、そうでなくなったとき、自然と私は演劇の舞台から姿を消すことになるであろうと思っています。
なので、この公演のオファーを受けたときも、快諾いたしました。

今回の役はニュースキャスター。にして3児の父。にしてシングルファザー。
まったく無茶苦茶な設定だ!
年齢などを考えても明らかに当時の自分自身とかけ離れていたので、そのまま演じるのはやめました。
考え方、振る舞いなどを若く設定し、20代に見えるくらいの役作りで演じました。
まぁ正直3児の親には見えない、などの厳しい意見もいただきました。
しかし、他の人ではやらないだろう、私のオリジナリティで作り上げた役です。
その点では決して後ろ向きではなく、自信を持って演じたつもりです。
人気投票では11人中5位くらいだったかな。

この頃の公演は、2時間前後のものが多かったのですが、本公演は1時間でした。
なので1日3ステージ。この試みは私にとっても初めてでした。
無料公演ということもあってか、色々と遊びも多い公演でした。
カーテンコールが毎回違う、とか。
酔って帰宅した私のお土産が毎回違う、とか。
今回の題名の四星球や、過去の公演で使ったハンドルを使ったりしましたね。

全体的には、この学年のよいところが生きた公演だったと思います。
N木が作ったパステルカラーの舞台が目に痛い感じもしましたが、
他のスタッフワークがなかなか良く、1年生もうまく使っていましたね。
この流れは、そのまま彼らの世代の卒業公演へと続いていきます。

続く

STAGE9 いやぁ。まいった、まいった。

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2005年4月 贋作・桜の森の満開の下

前回も書きましたが、本公演は、ここ数年では異例の大きな企画でした。
本公演がこれだけ大きな公演になった事には、主に2つの理由があります。
一つは新入生に対する反応を見ること。
学外の会場、大きな公演によって新入生は多く集まるのか、という実験的意味合い。
そしてもう一つが、学外公演をこなせる後進の育成です。
学外の会場で公演を行う上で必要なのは、明らかにスタッフの技量、経験です。
当時、学外で十分に働けるスタッフは、ほぼ野村、大倉の2人のみでした。
その彼らもこの年から4年生。
卒業してしまえば、誰もいなくなってしまいます。
そして教える人間がいなくなれば、暫く学外公演はやりたくても出来なくなってしまう。
そんな状況を打開するべく、舞台監督に野村くんを迎えて本公演はスタートしました。
仕掛け人は演出、高橋。
演劇を創る上では、演出、舞台監督、制作は非常に大事な3役です。
そこで残る制作を探していたところ、この大きな公演の制作を任せる人間として、適任であると判断されたのが、何を隠そうこの山浦でした。
いやこれは絶対買かぶりだったんだけどね。

役者としても参加することが決まっていた私は、こうして制作チーフに就任しました。
今考えると、この制作チーフの仕事だけでも私のキャパを超えていたと思います。
勝手知ったる第六ホール以外で公演を行う事が、これほど大変だとは。
さらに脚本は、私の人生、最初で最後の野田秀樹作品。
野田さんの作品は、観るものであってやるものではないと思っていました。
だって、ぶっちゃけ一回観ただけじゃよくわからないんだもん。
配役次第では死ねるな、と思っていた矢先、配役の決定が下されます。

最初この公演の配役は、実際に当時演じたものとはかなり異なっていました。
主演は谷津。私は赤鬼。高橋がオオアマ。他は忘れたけど。
とにかくこりゃ酷い!って話を同じ役者同士で話し、高橋を説得。
その後キャストの変更が行われて、最終決定しました。
ま、ある程度収まるところに収まったかな。と思ったら。
ん?自分、主役じゃん!
主役兼制作チーフじゃん!やばいなコレは!
ってことで、演出高橋、主演山浦体制の2本目となったのです。

私の役は、だから主役です。耳のデカイ男。
役作りにおいて、これほど悩んだ役はありませんでした。
予感はしてたのですが、実際読んでみて、やっぱりよく分からなかったのです。
飲み会をサボって居残りで台本読んだり大事なところを書き出したりしていました。
考えすぎて崩壊しそうになっていたところに助言をくれたのは、ナベさんでした。
あ、かなり上のOBですね。
最終的には納得の上で演じられて、これほど脚本解釈で満足した作品もありません。

じゃあ気持ちよく本番を迎えられたのか?
もちろんそんなことはありません。もう一つ、制作仕事が残っています。
チラシ撒き、当日お手伝いの募集といったいつもの仕事に加え、
学外ならではの後援の申請、大量の協賛確保、まかないの用意・・・。
仕事に追われて夜中発狂したりしてました。ぶっ壊れてましたな。
でも本番近くではみんなサポートしてくれて、制作仕事もなんとかこなせました。
制作仕事で一番楽しかったのは、パンフの裏表紙に桜の花を貼れたこと。
なんとなくできたら面白いなーって言ってたら、佳織さんが用意してくれてて。
今では色あせてしまったけど、当時は本当にきれいでした。

個人的には本当に大変で、一番精神的負担が大きかった公演ですが、やはりその分大きなものを得られた公演でした。
だけどこの公演の真の目的、後進の育成については、当時のスタッフさんは結局外部で公演をすることなく、ほとんどが卒業していってしまいましたね。
今後外で公演を行う事が出来るのか。後輩の成長に期待したいと思います。

続く

STAGE8 ヒヒーンであります

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2005年3月 熱海殺人事件 ~傷だらけのジョニー~

この時期多発していた、卒業生サヨナラ公演の一つです。
この公演は主演の天海さんを送るため、演出五十嵐が動いた公演です。
脚本の候補は自然と絞られてきて、つかこうへい作品になりました。

本公演については、私は何でもありません。
キャストでもスタッフでもありません。
この直後、4月の新歓公演の方が忙しかった、というのが一番の原因でしょうか。
でもお世話になった天海さんの最後ということで、たまに稽古を見に行ってました。
それがあんなことになるなんて・・・。

後に出てきますが、この直後の新歓公演は、かなり大きなプロジェクトとして動いてます。
そのため、本公演は少ないキャスト、スタッフで回していました。
珍しいスタッフ起用もありました。
その一例が、照明の大倉でした。
とはいえ、十分に照明として機能していたと思います。
問題は、大倉が就職活動中だったということです。
なんと、本番当日にとあるTV局の最終面接が入ってしまったのです。
審査通過の報せが来たのが確か土曜日。面接は日曜日。
苦肉の策として、面接中の1ステージだけオペレーターに代役を立てることになりました。
テクリハを経験していない人では、いくら照明の専門家でもきっかけが分かりません。
作品全体の流れを把握している人物。それが私だったのです。
そんなこんなで、照明なんて全然縁がなかった私が、前日になっていきなり照明のオペをやることになったのです。

しかしやるからにはやらなければ。
ということで、当日は他のメンバーより2時間前に入って自主練習。
なんと、ノーミスで任された1ステージをこなせました。
この時ばかりは演劇経験が生きたかなぁと思いました。

私個人としてはそんな楽しい思い出の公演ですが、キャストは皆それぞれ。
主演天海さんは初日にして声を潰し、ヒロイン千葉志保はインフルが発病。
五十嵐は頭剃髪。宮本は本物の変人として開眼。
と様々です。

何度もバージョンが変わって様々な団体によって上演されている熱海殺人事件。
さすがに脚本は面白いなーと思って見ていました。
天海さんの木村伝兵衛は、とても良かった。
ただ、このとき1ステージだけ照明オペをやったことが、後に更なる厄介事に巻き込まれる引き金になります。
やめりゃいいのにねぇ。

続く

STAGE7 光の筋肉粒子だ!

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2004年10月 疾走舞散 The Jet Fuckers

この時期、公演が比較的多くなっています。
演劇部を卒業しようかという先輩たちが、最後に1本やりたい、とみんなして言い出したからです。
嶋口さん演出の「鉄コンキンクリート」
村上さん演出の「疾走舞散 The Jet Fuckers」
東さん演出の「FIVE」
と全てそのような趣旨でした。
そうなんです。
1年半前に卒業公演をやったはずの村上さんが、卒業してなかったのです。

この公演に対するモチベーションは、スタッフ一同非常に高かったです。
村上さんの感性に惚れ込んでいた、というのもありますが、前回のJetメンバーにはまた違った思いもありました。
1年半前、前回Jetは、ほぼ全てが村上さん一人の作品でした。
右も左も分からない1年生だった私たちは、言われたことをこなすので精一杯でした。
しかし今は違う。
あのとき村上さんがやりたくても出来なかった事を、今の自分たちなら出来る。
村上作品をもっと面白く、魅力的に作ることが出来る。
驕りもあったかもしれないけど、むしろ前回Jetで何も出来なかった自分たちが悔しかった、というのが一番大きかったんじゃないかと思います。

当時村上さんはかなり忙しく、前回Jetの良かった部分を削ってでも公演の実現を優先していたような感がありました。
しかしスタッフで会議をしたとき、私たちはこんな趣旨の事を村上さんに言いました。
「やりたい事、とりあえず全部言ってみろ。
出来ることは全部俺たちが全力でやってやる。
この公演は、村上一人の公演じゃないんだ。」って。

そしてこの公演は動き始めました。
出来ないことも当然ありました。
けどダンス、映像、装置、衣裳など、他では出来ない事を色々盛り込めました。
畳や掛け軸など、ほぼ完全な和室。間接照明。化粧回し。新しい試みも非常に多かった。
装置の中に生物(金魚)が入っていたのはこのときだけです。
チラシのインパクトも超強烈。
限られた条件の中で、一同やりきった達成感は、過去の公演随一でした。

キャストは西田さんが後藤にチェンジ。
理由は、村上さんなりに下の世代に何かを伝えたいと思った結果だそうです。
他は前回同様なので、今回もまた私は元暴走族切り込み隊長の高校生。
家に飾ってあったハンドルを復活させて使いました。
そういえばタバコを吸うシーンがあって、普段吸わない私は結構苦労しました。

例によって本公演も賛否両論。これはもう宿命でしょうか。
しかし本公演は打ち上げが大盛り上がり。
映像のディレクターズカットあり。踊りまくるみんな。
泣き始めるスタッフ。涙ながらに別れを告げる村上。それを見送る後藤と高橋。
・・・だったそうです。
その頃私は踊りつかれて爆睡してました。
打ち上げで寝る癖は、この辺りからついたような気がします。

続く

STAGE6 今なら分かる。

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2004年6月 MOON

東京での公演で若干凹んで帰ってきた私は、演劇部内に居場所を探していました。
演劇部では何か力になれるんじゃないかと思っていたからです。
どんな形でもいいから公演に参加したい。
そんな折にあった公演が、この年の新入生公演、「MOON」でした。

本公演では私は制作のみでの参加です。
初めてのスタッフのみでの参加作品となりました。
例によって新入生をキャストで使い、足りない部分に上級生を当てた結果です。
キャストではなかったとしてもこの仕事を受けたのは、上記の様な理由からでした。

内容は、結構難しい感じです。不思議空間的な感じでしょうか。
ある男の家、仕事、名前などが別の男に奪われていく、という内容でした。
脇役のキャスティングが面白く、今考えるとかなりあり得ない配役です。
自分がキャストだったら、と考えるとまた面白い。
まぁ、それをやらなかった辺りが、演出南木、だと私は思っています。

何より自分の力が必要とされているのが嬉しくて、二つ返事で参加を決めました。
しかし、後からよくよく考えて、正直ちょっとだけ反省しました。
なぜならこの脚本、実はあまり私好みのタイプじゃなかったんです。
私は分かりやすく、笑いあり涙あり、後味すっきりな脚本が好きなんです。
でもこの話、私にはワケが分からなかったんですよ。
もっと読み込めばよかったのでしょうけど、それもしない内に終わってしまって。
そこもまた後悔すべきところですね。
制作は自分の公演を自信を持って他人に勧めなければいけません。
公演愛。が必要だな、と制作4回目にして強く思ったのです。

続く

Ex-STAGE2 ビオランテ?

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2004年3月 遠ざかる風景(劇団 逆べくとる)

当時、東北大学学友会演劇部では、04年度新歓公演「恋愛戯曲」をやってました。
しかし私は参加していません。数少ない、オファーを断った公演の一つです。
その理由が、この遠ざかる風景です。
実は、元々私は大学で初舞台ではありませんでした。
高校時代に一度だけ板に立った事があるのです。
それが、この劇団逆べくとるの旗揚げ公演でした。
この年、当時の仲間が集まって地元東京で芝居を打とうということになりました。
私は新歓公演を断り、こちらの公演に出演することにしたのです。
そして、この公演が演劇人としての私を変えることになります。

この公演は仙台在住の方はほとんど観てないので、ちょっと説明します。
祖母の死を期に、関係の希薄だった孫たちが実家に集まって来ます。
再会を懐かしむ間もなく、遺産の整理に追われる孫達。
ほとんど会わなかった祖母、そして顔も見たことのない祖父の遺品。
遺された物に触れるたび、少しずつ祖父母の存在を近くに感じる気がしました。
そんなとき、部屋に居る一人の男の存在に気付きます。
彼の正体とは。そして孫達の想いは。

私が演じたのは孫その2。5人の孫の内たった一人の男の子です。
一番の年下で姉達のフォロー役。カメラが趣味の寡黙な青年でした。
というか、この時の公演メンバーは方向的に無茶苦茶な人が多くてですね。
自然と私はバランサーというか、フォロー役に落ち着いていきました。
オリジナル脚本の強みでもあるし怖いところでもありますね。

この公演で何より嬉しかったのは、私の演劇師匠と共演できたことです。
高校時代に初めて演劇に触れてから、師匠との共演を一つの目標としてやってきました。
それが叶ったことが本当に嬉しかった。
他のメンバーとも濃い時間を過ごせたし、始めましての人とも楽しくやれました。
あと来てくれた地元の友達、仙台からわざわざ来てくれた人、本当に有難かったです。

しかし、正直この公演はあんまり内容を覚えていません。
というか、とても大変だった、という漠然とした記憶が異常に強いのです。
慣れない環境、少ない時間の中で作りこんでいくのはとても大変でした。
それを平然とこなす他のメンバーとも、妙な隔たりを感じたのを覚えています。
この時私は演劇部のオファーも断って、正に調子に乗っている絶頂の時。
自信を持って東京に来たのに何も力になれない。
そんな空回りも、ギャップを生んでいたんだと思います。
そして一つの結論に行き着きます。
私は、まだまだ全然だと。
あまりに無力だと。

皆の努力の結果、無事公演は終了しました。
メンバーと過ごした時間も、本当に楽しかった。
しかし、演劇という点に関しては、完全に自信を失って仙台に戻ることになったのです。

続く

Ex-STAGE1 オッケー、カーット!

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2003年12月 スナフキンの手紙(劇団te Quiero)

部内の公演じゃないので書くかどうか迷いましたが、書きます。
この年の初め頃、大倉、野村両名が、舞台技術の講座に参加してました。
この講座では、確か春に発表会があり、それで全日程が終了したと記憶してます。
しかし、せっかく出来たつながりを失ってしまうのは惜しいと考えた大倉が、この時の同期受講生を中心に劇団を旗揚げすることになりました。
これによって、代表大倉を中心に出来たのが、劇団te Quieroです。
実は企画の早い段階から、五十嵐、郡山、山浦も協力することが決まってました。
劇団名も、我々同世代5人で考えたりして、5人の苗字の頭文字を取ってINOKYなんて候補もありました。
私はこっちも好きだったんですけどねぇ。やっぱ怒られますかねぇ。

演出大倉は、キャスト7人のこの芝居に、役者として3人の演劇部員を起用しました。
多分、世間の狭い我々演劇部員に、外で芝居をする事を教えてくれたんだと思います。
この時のメンバーとは非常に仲良くさせてもらい、その後も幾度かお世話になりました。
何より、役者としての私の力を欲してくれたことが、とても嬉しかった。

本公演で演じたのは、NO.1アイドルのマネージャー。
バカでオモシロ部分担当。話の本筋には関係ないという、言わば得意分野です。
演劇部から役者で呼ばれた3人は、五十嵐、前田、私でしたが、皆このポジション。
どうやら我が演劇部は、脇で光るキャラが育つ傾向が圧倒的に強いようです。

私にとって、外部団体での公演は初めてだったので、色々と新鮮でした。
稽古場が毎回違う、会場を借りられる時間がかなり限られてる、当日初めて会うスタッフの方がいる、など初体験尽くし。
私は役者だけをのほほんとやってましたが、大倉を始めスタッフさんはさぞ大変だったろうと思います。
そういえば、開演直後に大規模な装置の転換がありまして、それが特に大変そうでした。
一度目の公演では時間がかかりすぎて、私は謝って出て行きたくなるほどでした。
その後、休み時間も削って対策を講じ、なんとか短くなった記憶があります。

結局この劇団が、第二回公演をすることはありませんでした。
皆他の事で忙しくなり、時間がなくなったのが最大の原因だと思います。
それでも、ほぼゼロから一公演終えるまでやりきった大倉とその周りのメンバーは、本当にすごいと思っています。
この時の仲間は未だに仲良く、この頃の思い出は、楽しい記憶しかないのです。

続く

STAGE5 思い出せーーー!!!

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2003年10月 新・幕末純情伝

本来この時期に公演を打つ予定はありませんでした。
この年度は、演出として公演を立ち上げる人がいなかったためです。
しかし、逆にこの状況が演出五十嵐を育てることになります。
戯曲「新・幕末純情伝」。
この作品が多くの人の心を動かし、そして成立したのが本公演です。

この作品は、上演する上で不可欠な条件が二つありました。
一つは10人以上の男役者。
もう一つは。強く美しい、つかこうへい的ヒロインが出来る女優さんです。
男役者は多くの先輩と、この年の新入生達によってクリア。
そして女優さんは、3人の候補の中から嶋口さんが抜擢されました。
他の2人が悪いという訳ではなかった。
ただ、この役は嶋口さんのためにあったんじゃないかというくらい、合ってたと思います。

私はこの公演でも新歓に続いて役者兼制作です。
演じたのは、新撰組鬼の副長として有名な土方歳三。
この芝居では、愛する沖田総司(女)のために戦うが、時代の英雄、坂本龍馬に人としても男としても負けてしまいます。
それでも、負け犬だったとしても、彼女と隊士のために函館五稜郭まで生きて戦い抜く。
二枚目のようで完璧ではない。最後には主役に負ける、という役でした。
キャラクター人気投票では、12人中4位か5位だったと思います。

この頃から、私にいかに恥ずかしい格好をさせるかが、五十嵐的衣裳のポイントになっていました。
新撰組隊士は皆Tシャツの上にオリジナルの隊服を着ているのですが、私はノースリーブの隊服のみ。
前は開いており、紐で止めてあるという、裸ではないが恥ずかしい、衣裳さんこだわりの一品です。
また、深夜公演では開演直前まで寝ていて、足が痺れながら板に立ったというエピソードもあります。
スケジュール的に無理していたということもありますが、寝ちゃいかんよなぁ。

とはいえこの公演、自分の役者人生の中では、今のところベストステージです。
天海さん、嶋口さん、秋志さん、高橋、村上、五十嵐、飯沼など、
当時の演劇部で考えられる、最高のキャスティングだったと思います。
千秋楽なんか、終わって出てくるお客さん、みんなボロ泣き。
エンターテイメントとして、十分なものを提供できたと自信を持って言えます。
それ故に、最も後悔の深い公演だったとも言えます。
これだけのキャスト、スタッフ、脚本に恵まれて、なぜもっと出来なかったのか。
こんな環境で芝居をすることはないだろうと思うと、今でもビデオを見る度に悔しい思いになります。

この公演を機に、私は幕末ものに一気にハマっていきます。
折りしも翌年からの大河ドラマが新撰組!であることがこの後分かり、世の中もちょっとした幕末ブーム。
私はその先駆けだと自分で勝手に思ってました。まぁ、絶対違うんですが。
つまり、色々な達成感から、私はこの頃から調子に乗り出した訳です。
しかし所詮2年目。伸びた鼻がへし折られるのも、そう先の話ではありません。

続く