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東北大学学友会演劇部 新入生歓迎公演2008

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STAGE4 ありがとう。

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2003年7月 TWO

前年度から始まった新入生公演。その2年目です。
この公演も色々ありましたが、何より問題になったのは会場の問題でした。

新入生公演ということで、新入生を使った公演にしようという事が何より先に決まりました。
脚本も決まり、私を含めて数人の上級生は、新入生だけでは足りない部分を補うような形で参加することになりました。
しかし私はなぜか主役。演出高橋、主役山浦体制の1本目となります。
演じたのは不思議な力を右手に宿した青年。
他人を癒す力がある代わりに、大きな対価を払わなければならない。

このとき、片平キャンパス内の施設建て替えに従って、それまで部で使用していた第一ホールが取り壊されることが分かっていました。
その代わり、現在使用している第六ホールが建設されるということでした。
しかし、第一ホールはいつ壊されるのか。第六ホールはいつから利用できるのか。
その詳しい日にちが、取り壊し及び建設の10日ほど前にならないと分からなかったのです。
当初この公演は、第六ホールこけら落とし公演、と銘打っていました。
後に第六ホール建設が間に合わないとの情報が入り、第一ホールアンコール公演、と改名します。
チラシには当時の訂正がそのまま残っています。
また、このため装置が決まらない。
さらにこれに伴って(?)、当初の装置担当者が失脚。
この状況を打開するために、直前になって急遽別の部員2人に頼むことになりました。
彼らは寝ずに夜通し装置を造ってくれて、その奇跡的な仕事のため、彼らのクレジットは当時流行っていた某番組から引用し、ヘッドライト・テールライトになっています。
結局本番前に会場は第六ホールに戻ることになりました。
初めての会場と時間不足に様々な戸惑いを感じつつ、実験的とも言える本公演は終了しました。
この会場問題によるスタッフの負担は、大変なものだったと思います。

個人的には、私は先天的に左手が震えやすいという持病を持っています。
役柄上右手は使えないため、左手だけで演技をするのですが、これが震えて震えて。
一体どっちが異常なんだお前は、と突っ込まれる事必至な振る舞いでした。
後になって思えば、なんで左右を逆にしなかったかなぁ、と反省してます。
あと、稽古中にやらなかった事を本番でやったのは、後にも先にも本公演の千秋楽だけです。
ほんっとに関係者の方々にはご迷惑かけたと反省しています。

このとき、やっぱり自分には脇役が合っているんじゃないかな。と思ったのですが。
後にもう一度だけ、当演劇部で主役を務めることになります。
それが演出高橋、主役山浦体制の2本目となるのです。

続く

STAGE3 桃の缶詰しかなかった!

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2003年4月 天使は瞳を閉じて

年度が代わって、当時演劇部主力として活躍していた先輩方は卒業し、
4年生は就職活動、3年生は全員3月の公演に専念していたため、
この4月新歓公演を担当する人がいませんでした。
だがやらねばならない、という事で立ち上がったのが、
なぜか就活をしていなかった天海さんと、2年の五十嵐くんでした。
しかしこの公演を悲しい事故が襲うことになるとは、誰も思わなかったのです。

この公演が立ち上がった当初、私は制作チーフのみとして参加していました。
上の学年がそろって抜けたことによって、制作ポストがいなくなってしまったためです。
3月公演で役者兼制作であったため、本4月公演では負担減のために制作に専念することになっていました。
しかし、時期が進むにつれて、事情によってキャストが男女1人ずつ外れてしまいます。
公演のチラシの裏に個人の写真が載っているのですが、2人分足りないのは実はそのためなのです。
そこで男役者は私が、女役者は外部の方に客演をお願いすることになりました。
こうして、隣接2公演で共に役者兼制作チーフという超ハードな仕事をこなす事になったのです。

このとき演じたのは、まぁ、訳のわからない男です。
壁を壊したい男です。というとちょっとカッコイイけど、全くカッコよくはない。
話の本筋とはほとんど関わらない、圧倒的色物出落ち脇役キャラでした。
ナース、ふんどし、原始人、鉄仮面、バナナ、主Tシャツなど、衣裳の数もメンバー1。
しかも最後はオイシイ(自分ではそう思ってた)、というまったく嬉しいキャラでした。
ちなみに本公演からキャラクター人気投票的なものをアンケートで始めました。
私はなんと2位。女子高生以外から絶大な支持を頂いたのを覚えています。
このときの役は、後に同期の郡山が「山浦はあのときが山だった」と語るくらい楽しかったです。

大変な中でもなんとかこなした2ヶ月4役でしたが、最大の悲劇は年末に待ってました。
2トップ体制の片方、五十嵐が事故って頭蓋骨が割れ、入院してしまったのです。
その日の朝の天海さんの表情は、今でも鮮明に覚えています。
後に「本気で逃げ出そうか迷った」と語るくらい、心が折れかけたと言います。
日替わりでメンバーがお見舞いに行き、千羽鶴も作りました。
その甲斐あってか、頭蓋骨骨折から復活し、なんとか間に合うように退院できました。
本当によかった。
しかし。幽体離脱まで経験したというこの事故の後、五十嵐はそれまでの人格を失ってしまいます。
伝説のエチュードと共に復帰した時には、完全な変態になっていました。

この公演はそれまでの当部の集客数を大幅に越え、知る限りでは初の3桁に乗せました。
最終回は立ち見はもちろん、舞台上にまでお客さんが座ってたくらいです。
また、長年に渡って利用してきた第一ホール、最後の公演ともなりました。
一人の男の人格と引き換えに、成功を収めたと言えると思います。
このとき結成された天海・五十嵐コンビは、この後もいくつもの公演でタッグを組んでいく事になるのです。

続く

STAGE2 真っ赤な焼きリンゴだぜ!

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

2003年3月 The Jet Fuckers

私の一世代上は、全部で3人と非常に人数の少ない学年でした。
さらにこの内の一人、村上さんは専門学校生だったのです。
卒業が一年早く、国家試験で忙しくなるとの理由から、この時期に彼の卒業公演をやることになりました。
キャストは村上さんと同じ学年の3人+なぜか山浦。
その上、直後に新歓公演が控えているということもあって、そっちに影響がないように最小限の人数でやろう、ということになったら、1年4人と2年3人、男だらけの7人になってしまったのでした。

演じた役は、元暴走族切り込み隊長の高校生。
仙台市立マッスルスクワット高校の文芸部になぜか集まった4人の部員。
卒業を前にして、それぞれの現実と向き合わなければならなくなる。
悩み、苛立ち、ぶつかり合う彼ら。
バカばかりやっていればいい時間は、終わろうとしていた。

この公演は、ダンス、組み体操、オープニングムービーなど、演出村上のやりたいことをやたら詰め込んだ作品でした。
その証拠に、脚本、演出、宣伝美術、装置、映像、音響など、ほぼ全ての役職に村上さんが関わっています。
このためか、一部のお客様からは非常に辛辣な批判意見を頂きました。
しかしまた、一部のお客様からは熱烈なお褒めの言葉も頂きました。
どちらも大切な意見で、深く考えさせられたのを覚えています。
例によって波乱も多々ありました。
せっかく用意した映像が、流れない回もありました。
さらに●日前に台本の全とっかえを要求してくる。
ゲネの袖でセリフの変更を言い渡される。
本番3回目くらいから見たことないことやりだす、など村上さんの暴挙全開。
あらゆる意味で、若さと勢いでやりぬいた公演と言えるでしょう。

しかし、この役は私の中でお気に入りの一つで、当時の小道具(ハンドル)は家に持ち帰って飾ったほどです。
無茶苦茶だったけど村上さんの感性にも非常に感服し、これで卒業となるのかと思うと、とても残念でした。
だが。
ここでの感傷を返せと言わんばかりに後に再演が決定することなど、当時誰も予想できなかったのでした。

続く。

STAGE1 グレープのウェルチ。

2008年03月07日 | 山浦氏、過去公演を語る!

以前告知したコーナー内コーナー、山浦回顧録です。
その昔、当演劇部に私のリスペクトする役者さんがいました。
彼が去り際に遺したものと、同じことをしようというのがこのコーナーです。
私が入学以来関わってきた公演を、順に振り返っていこうと思いますので、よろしかったらお付き合いください。

2002年6月 詩人と幽霊/花飾りも帯もない氷山よ

入学当時の部内は、主流派率いる8月公演と、新入生を使う6月公演に分かれてました。
新入生公演という考え方が出来たのは、この年からだそうです。
私が参加することにしたのは6月公演。
なぜなら8月は実家に帰りたかったから。
しかしこの公演、二本立ての上にダブルキャスト、スタッフ含め半分は1年生、その上製作期間は1ヵ月半と、今考えると恐ろしく無謀なチャレンジでした。

私が出演したのは「花飾りも帯もない氷山よ」という男女2人芝居。
清水邦夫さん脚本の、いわゆるアングラってヤツです。
演じたのは中年のサラリーマン。
ある日部屋で見つけたセーター。そこから思い出される記憶。やがて鮮明になっていく過去。そして今・・・。

この時共演したのは4年生のどこか独特な先輩で、しかもアングラだし、当時10代の私が中年サラリーマンって一体どうしたものやら。と、最初かなり不安でした。
しかし、先輩の手助けもあって、最終的にはやって良かったと思っています。
この先輩の助言は、今でも役者山浦を形成する上でとても重要なポイントになっています。
打ち上げで聞いた、「私は卒業するから、私なりに何かを残さなければいけない」という言葉。
当時は言葉の意味しか分からなかったけど、今はその気持ちがよく分かりますよ。

さらにこの公演、今思えばかなり色々ありました。
ダブルキャストで僕と同じ役を演じたのが五十嵐くん。
これと同じ状況が数年後にやってくるなど、誰が予想したでしょうか。
あと、今はなき第一ホールで暗転中に誰もいない方から腕を引っ張られた嶋口さん。
暗幕の中から声を聞いた人達、と幽霊騒ぎが頻発。
脚本の内容的に、お払いしとけばよかったなぁ、と思いました。
そして、ちょっとしたきっかけから五十嵐、郡山、山浦の1年生3人が異常に仲良しに。
ま、きっかけなんてちょっとしたことですよね。
後にこの3人が演劇部三役に就任し、本格的に演劇部の中心として活動することになるとは、まだ誰も知らないのでした。

続く。