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2月3日の練習。

2010-02-10 16:57:49 | Weblog
こんにちは、シノです。

先週の練習も引き続きGet Upでした。

ダラダラ歌うのでは無く、
はっきり切りながら歌いましょう!



ビブリカルゴスペルはGet Upの訳の続きでした。

彼は言った、彼女は言った、彼等は言った。
自分の意見が無いのはいけない。
しっかり自分でわからなければならない。

簡単に答えを出さずによくよく考えて、
納得してしっかり答えを出す。
人生投げやりになっては行けない。

毎日を意味をもって過ごす。
やるべき事をやり、時間を無駄にしない。
失敗してもくよくよせずに前向きに。





今週はこれの続きかな~??



今日もがんばりましょう!!

暮らしの中の音楽の効果 PART IV

2010-02-09 23:16:51 | Weblog
PART IV
ゴスペル音楽、アーティスト、そしてアイドル

 ゴスペル音楽を特徴付けるのは、音楽をそれにふさわしい位置に据えているという点です。そこでは音楽は神をたたえ、人々を救う道具であり、そしてアーティストは、人類を祝福するために選ばれた、全能なる創造者の手にある器です。
 ゴスペル音楽では、わたしたちはアーティストを偶像化しません。アーティストに与えられた天賦の才を神に感謝し、彼らが奏でる見事な音楽を楽しむのであって、彼らを神のように扱うことはしないのです。


音楽は分裂するための凶器ではない

 音楽には様々な形態やジャンルがあります。どんなジャンルの音楽を好むかは、人それぞれです。どのアーティストを気に入るかも、人によって様々です。しかしながら、ゴスペル音楽では、わたしたちは分裂を作り出しません。わたしたちは様々な才能を持つアーティストたちを尊重し、アーティストが、人類を祝福するために神の手にある器であることを忘れません。どのアーティストにも、人類の間に演奏の場が設けられているのです。
 音楽界のファンは、ミュージシャンを神に仕立て上げているばかりに、スターに異常なほどの情熱を燃やしがちです。ゴスペル音楽では、そのようなことはしません。
 ゴスペル音楽の目的は、状況に応じて、アーティストが共に動き、共に作り上げていくことにあります。

 ゴスペルアーティストは調和を生み出すものです。神と同一化されることよりも、人に仕え、謙虚さをもって演奏するのです。

 わたしがここで最も伝えたいことは、音楽の創造者は神であるということです。神を崇拝し、人類を祝福するために、神はわたしたちに音楽を授けました。
 わたしたちはアーティストをアイドル化すべきものではありません。音楽は調和の源となるべきものです。個々の音楽の好みに関係なく、人と人を結びつける力を持つ、そういった健全なるものなのです。私たちにはアーティストを神のように祭り上げるのではなく、社会での本当の役割を自覚できるよう、手助けする責任があります。神のように扱うことは、長い目で見れば彼らを破滅や堕落に追い込むことになるのです。
 そして最後に、たとえあなたが誰であろうとも、あなたの内側と響き合う音楽があります。それは、あなたという全能なる神の作品と呼応しているのです。

暮らしの中の音楽の効果 PART III

2010-02-08 01:06:48 | Weblog
音楽のアイドル

 聖書はこのように説いています。神は、像やアイドルによって表されることはなく、唯一無二の神以外に、他の神を持つべきではないと。アイドルとは、神以外にわたしたちの生活で、最も重要な位置を占めようと競い合うもの全てを言います。アイドルを神へと仕立て上げることは危険な行為であり、人々を葛藤や夢の挫折へと至らせることがあります。

 日本の音楽業界で活躍したヒデが自殺をしたとき、大勢の若者が後追い自殺をしようと考えました。
 彼らはヒデの音楽を高く評価しましたが、知らず知らずのうちに、ヒデ自身をもアイドルとして崇拝していました。神が警告していたアイドル崇拝を行っていたのです。アーティストは良い音楽を私たちに聴かせてくれますが、彼らは生活の中で最も重要な人物ではありませんし、そうあるべきでもありません。アーティストは、人間社会に対する神の恵みと愛の媒体にすぎないのです。ですから、わたしたちが音楽界のスターを崇拝しはじめ、なくてはならない存在だと思い始めるとき、私たちは自分を偽りに陥れ、悲嘆へと追い立てていることになります。彼らはあくまでもただの人間だからです。

 大切なことは、私たちがアーティストや音楽界のスターとの関わり方を学ぶことです。ほとんどの場合、私たちは彼らをほめたたえすぎ、アイドル化してしまいます。そして、彼らの素晴らしい人柄や、道徳的な振る舞いが欠如していき、地位に酔いしれてしまうことへとつながるのです。

 私はマイケルジャクソンの新しい映画『This Is It』を観た人たちが、マイケルジャクソンは本当に神だったと明言しているのを聞いて驚きました。マイケルジャクソンに与えられた音楽という素晴らしい才能をたたえたとしても、彼を神と同等に捉えることは人間の無用な行為にすぎません。もし自身の成功を上手く扱い、賞賛や偶像化に流されずにいれていたなら、マイケルジャクソンはもっと長く生きることができていたでしょう。彼は重要な事になると、たとえ家族であっても、人の忠告に耳を貸しませんでした。このように、良い人格が才能に伴っていないと、それはまさに致命傷です。
 良い音楽は楽しまれるものであり、アーティストは尊敬されるもので、神に仕立て上げられるものではありません。

暮らしの中の音楽の効果 PART II

2010-02-06 13:49:21 | Weblog
なぜ多くのアーティストが間違いを犯すのか

人間はリズムを持ったものとして造られており、身体のあらゆる部分でリズムを刻み、そのリズムに呼応します。脳には脳独自の、心臓には心臓独自のリズムがあります。人間に備わる器官すべてはリズムを発し、その結果音楽を聴くと、それに同調するのです。(つまり、身体に刻まれた音楽が、私たちが聴いている音楽に呼応しているのです。)良い音楽を通して、わたしたちは本来の自分を見つけることができます。自分の鼓動、そして人生に合ったピッチを、見つけることができるのです。
このように、良い音楽は自分のリズムを見つける手がかりになります。そして、神を崇め、人生の抱負に向かって歩むために、神がわたしたちの最も深い部分に刻み込んだ、そのリズムに応じる指針となるのです。

 音楽の創造者は神であるため、音楽は本来神への愛情を表現する方法として創られました。しかし、この不完全な世界では音楽は違った現象を起こすこともできます。それは、人々の関心を、音楽の贈物を与えてくださった神ではなく、それを演奏する人間(アーティスト)へと移すことです。

いまでは悪魔とみなされるルシファーがまさにそうです。注目を浴びたことで自分の音楽的才能に目を留めた彼は、間違いを犯してしまいました。あり得もしない、不可能なことであるのに、自分が神になれるのではないかと考え、神の座を奪おうとしたのです。その結果ルシファーは天国を追放され、悪魔になり、人類の不幸の源、そして悩みの種になりました。そしていま、サタンという名で知られています。天国に彼の居場所はないのです。

これと同様の危機が、熱狂的なファンから喝采と注目を浴びているたくさんのアーティストにも起きています。彼らは、音楽の才能を授けてくださった神に感謝する代わりに、自身を崇拝の対象であるアイドルにしているのです。


暮らしの中の音楽の効果 PART I

2010-02-02 23:45:22 | Weblog

音楽は、わたしたちの日々の生活で本当に大切なもので、その大切さは、評価してもしきれないほどです。

音楽はわたしたちを癒し、わたしたちの気持ちを高めます。音楽はわたしたちを立て上げ、そして強くします。
音楽は、地上においても天上においても、大切なものです。音楽は元々、天国で誕生したものでした。
良い音楽は、天国の神から、わたしたち人間のところにやってきたのです。

すべての良いものは神から生じており、わたしたちに生命力を与えてくれます。そのため、音楽には私たちに安らぎを与える効果があるのです。
例えば、第二次世界大戦後、砲弾ショックという戦争神経症の一種にかかった退役兵が音楽を鑑賞した結果、血圧が下がり、エンドルフィンなどの鎮痛作用を持つホルモンが増加したという報告があります。

かつては音楽的天才で、いまはサタンと呼ばれているルシファーは、神の創造物でした。神はルシファーをとても美しく造り、見事な音楽を奏でる才能の持ち主にしました。