コピーライターを目指す人の日記

言葉と、人と、文章を書くことが、僕はきっと好きです。

小論文「否定」

2014-10-06 22:38:38 | 日記
小論文を書き続けて感じたことなのだけど、
「何かを主張すること」とは「別の何かを否定すること」かもしれない。

僕は限られた範囲の中で主張をしているだけだから
気楽なものだけど、
「何かを否定すること」は結構勇気のいることだ。
そして、結構疲れることだ。




就活生が面接で何社も落とされ続けると
「人間性が否定された。」と考えて、やる気を失ってしまう、
ということがある。

僕は新卒の就活で上手くいかなかった人間だ。
不採用通知を受けた数は平均より圧倒的に多いことは確かだ。

そんな人間が語る。



否定されたことは事実だ。
それは仕方ない。認めるべきだ。

ただ、否定されたのは
その人の「考え方」であって、「人間性」ではない。

「あなたの考え方はうちの会社には必要ないです。」
ということだと僕は思う。

だから存在を否定されたわけじゃないから、
勘違いしちゃいけない。


ただ、何社も落ち続けたのであれば、
真摯に受け止めなければならない。

自分の「考え方」は社会人としてやっていくには
ダメなのかもしれない。
そう考えて、「考え方」を
変化させていかなければいけないんじゃないだろうか。


メディア上では
「純真で、可哀想な若者」的扱いをされるけれど、
彼らは結構、文句を言っている。

僕がそうだった。
「何だよ、あの面接官。」と。
「俺は正しいんだよ。」と。

素直さを失っている。


自分の「人間性」と「考え方」を切り離すことができればいい。


「人間性」が幹で、「考え方」が枝葉。

否定された時、
自分が育ててきた枝葉が否定されたということ。
だから、思い切って切りとってしまえばいい。

新たにまた生やせばいい。
じゃあこんな枝はどうだろう。
こんな花はどうだろう。

枝はすぐには伸びないし、
花はすぐには咲かないから、
時間はかかるかもしれない。

就活生でいえば、
就活期間には間に合わないかもしれない。
僕のように。


けれど、人生は長い。
何があるかわからない。


だからじっくりと育てればいい。

そしていずれ幹も変わっていくだろう。
それが本当に面白い。



否定されているのは、
あなたの枝葉にすぎない。



今日も僕はりんごの木を植える。

否、りんごの枝を生やす。



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