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お話

日々思いついた「お話」を思いついたまま書く

士師 トラ 3

2021年03月12日 | 士師のお話
 トラは追ってくる者たちの奇声が大きくなってくるのを聞いた。振り返るとさらに人数が増していた。
「あそこよ!」
「捕まえて殺せ!」
 煌々とした月明かりがトラの姿を晒している。葦や灌木がトラの走りを妨げる。
 ……駄目だ! このままでは追いつかれてしまう!
 トラは、手にしているエフォドを放り投げた。
 エフォドはハロドの井戸からの流れが作った川に水音も高く落ちた。
「エフォドが川に落ちたぞ!」
「おのれ! 罰当たりな奴!」
 追っ手たちは、エフォドを拾いに向かう者と、トラを追う者とに分かれた。
 ……ここまでか!
 トラは走るのを止め、追っ手の方へとからだを向けた。追っ手たちは足を止める。 

「愚行に走る者どもめ!」トラは叫んだ。「神はお怒りだ!」
「愚かはお前だ!」追っ手の中の年配者が一歩前に出て行った。「ギデオン様のエフォドは、神そのものなのだぞ」
「違う!」トラは言った。「真の神は『わたしは何物の偶像も良しとはしない』とおっしゃった! エフォドは偶像だ!」
「何を痴れた事を抜かしておるか!」
「お前たちは覚えてないのか? ギデオンがバアルの祭壇を壊した時のことを! 父親からエルバアル(バアルに自分で復讐させたらよかろう。その祭壇を取り壊した者がいるのだから)と呼ばれるようになったことを! 偶像自体は何もできないのだ!」
「それは異教のものだったからだ」
「では、オレが放り出したエフォドは自分で川から上がったのか? お前たちが取りに川へと入ったのではないのか?」
「神をないがしろにする者から、我らが救い申し上げたのだ。神が御自ら動かれる事など無用だ」
「オレたちの手で運ばれるのが神だと言うのか? 神はそんなに小さくて力がないのか?」
「愚かな若者よ。神は然るべき時に然るべく動かれるのだ。普段は休んでおられるのだ」
「誰が言ったんだ? 真の神がお前にそう言ったのか? それとも、お前がそう思っているだけなのか?」
「我ら全てがそう信じているのだ。そう信じるようにされたのは神の他にはあるまい」
「お前たちが勝手にそう思っているだけだ!」
「救いようのない罰当たりだ…… 皆でこやつを取り押さえるのだ!」

 追っ手たちが怒りを込めた眼差しで、ゆっくりと輪を狭めるようにしてトラに迫る。トラは観念した。
 トラはからだを押さえつけられた。身動きできなかった。横面を張り飛ばされた。腹を蹴られた。唾を吐きかけられた。女たちの嘲笑が凄まじい。
「さっさと殺してしまえ!」
「縛って川に流せ!」
 いきり立った声があちこちから上がった。
「まあ待て……」先ほどの年配者が制して言った。「……ここはハロドの井戸だ。どうだろう? この場所こそ、ギデオン様のエフォドを祀るにふさわしいと思わんか?」
「……たしかに!」
「ではここに高き所を作って、そこに供えようではないか」
「犠牲も奉げて、我らの神を喜ばせよう」
 人々は口々に言い、歓声を上げる。
「そう慌てるでない」年配者が不気味な笑みを浮かべる。「今宵は、この愚か者にエフォドを着せてやろうではないか? そうすれば改心するかもしれんて……」

 エフォドを着せられたトラは猿轡を噛まされ、手足をに縛られ、地面に転がされていた。叩かれたり蹴られたりしたところが痛む。
「どうだ? ありがたいだろうが!」
「似合っているわよ、お兄さん」
「エフォドと共に祀られて、良い気分だろう?」
 トラに向かって口々に侮辱を吐き、嘲笑する。
 ……真の神! この者たちは悔い改めの心を全く示していません!
 不意に地が揺れた。揺れは次第に大きくなっていった。
「地震だ!」
「逃げろ!」
 民はオフラへと走り出した。それを追いかけるように地に亀裂が走った。地割れだ。地割れは広がり、逃げる民を次々と飲み込んで行った。
 凄まじい悲鳴、怒号、裂けた地の縁に手をかけながら泣き叫ぶ者と力尽き落ちて行く者……
 地震の揺れのせいなのか、トラを縛っていた縄が緩んでいた。からだを揺すり縄を外し、猿轡を取る。
 揺れが止まった。トラの他に誰もいなかった。
 トラは裂けた地を覗き込んだ。底知れぬ暗黒が広がっている。
 トラはエフォドを脱いだ。それから、汚い物を捨てるようにエフォドを地割れの中へ投げ入れた。
 地割れは音もなく閉じられた。
 何事もなかったかのような静寂が訪れた。
 トラは大きな溜め息をつき、天を見上げた。

 士師トラは二十三年の間イスラエルを裁いたが、ついに死んで故郷のシャミルに葬られた。

おしまい

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