「わたくし、宗右衛門長屋の大家を務めております桶屋宗右衛門でございます」白髪の年寄は、そう名乗ると深々と頭を下げる。「このたびはわたくしどもの長屋で、親分さんにご迷惑をお掛け致しまして……」
「まあ、堅っ苦しい挨拶は良いや」豆蔵は言う。「で、皆さんで何をしに来なすったい?」
「……親分さん、既にすべてお分かりなんでしょう?」宗右衛門が観念したように言う。「あの鉄太郎の件でございます」
「まあな」豆蔵はうなずく。「おたき婆さんが刺したんだろう?」
「……」おたき婆さんは目を丸くして豆蔵を見つめる。「……どうしてそれを……」
「鉄太郎が背中を刺されていた事だ。おてるさんの言い分じゃ、男同士が怒鳴り合っていたって事だったが、その時にかっとなって刺しゃあ、腹を刺す。だが背中だった。驚いて逃げた背中を刺したんなら、鉄太郎は木戸に向かって倒れてなくちゃいけねぇ。だが、どん突きの井戸の方に向かっていた。あれは、不意に刺された違ぇねぇ」
「親分さん……」
「まあ、聞きねぇ」話しかけたおたきを手で制して豆蔵は続ける。「刺した出刃包丁は毎日毎日研いでいたようでな、細くなっていたよ。でも、その分鋭くなっていた。毎日毎日恨み心で研いでいたんだろうな。いつか刺してやろうってな」
「……鉄の馬鹿野郎、本当に乱暴者で困ったヤツだったんだ。年寄りのわたしにまで手を上げるようなヤツだった」おたき婆さんはむっとしながら言う。「だからさ、いつ何があっても良い様にって、備えていたんだ。いつかあの包丁で一刺ししてやったら気分が良いだろうって思って毎日研いでいたよ」
「そうだったのかい…… オレも何度か野郎をとっ捕めぇたがな、一向に改まりゃしなかったな」
「お解き放しになって戻って来たら『オレを売ったのはどいつだ!』って大暴れだったよ」おてるが言う。「みんな怖がってね、死罪にでもなってくれたらって思っていたのさ」
「そこまでの罪じゃなかったからな……」
「オレたちにしたら、死罪に相当するぜ」公太が言う。「でもよ、あの乱暴者をどうこう出来る力はオレたちにはねぇ。あの腕っ節の熊五郎でも勝てねぇんだ」
「他所へ移る金も無いしさ、みんなびくびくしながら、我慢しながら暮らしてたんだ」おたき婆さんが言う。「それがさ……」
「あの日の朝、わたしが井戸へ行ったらさ」おてるが言う。「突然、鉄太郎が部屋から出て来てさ、わたしを罵り始めたんだ。いつもの事と思って知らん顔していたら、いきなり驚いた顔をして、ばったり倒れやがったんだ。背中に包丁突き立ててさ。倒れた所におたきさんが立っていたんだ」
「おてるさんが悲鳴を上げてね、長屋中が表に出た」公太が言う。「みんなは一目瞭然で事態を察した。そこで、オレが中心になって……」
「公太さんは頭が良いからさ」おてるが言う。「てきぱきとみんなに言ふくめてさ……」
「それで大入道の話をこしらえたってわけかい」豆蔵は苦笑する。「大方そんなこったろうとは思ったよ」
「悪いのはわたしだ」おたき婆さんが両手を突き出す。「どうぞ、お縄にしてくれろ」
「いや、おたきさんはわたしが何かされると思って、やっちまったんだ」おてるも両手を突き出す。「わたしのせいだよ」
「入れ知恵をしたのはオレだ。お役人を騙くらかしたんだから、一番の悪はオレだ」公太が両手を突き出す。「年寄りや子持ちをお縄にさせるのは忍びねぇ。オレが一人でやったんだ」
「いえいえ、元はと言えば、そんな乱暴者を店子にしたわたくしの責任」大家の宗右衛門も両手を突き出した。「どうか、わたくし一人をお縄に」
皆は両手を突き出しながら口々に「自分がお縄なる」と譲らない。
「はっはっは!」
豆蔵は笑い出した。
つづく
「まあ、堅っ苦しい挨拶は良いや」豆蔵は言う。「で、皆さんで何をしに来なすったい?」
「……親分さん、既にすべてお分かりなんでしょう?」宗右衛門が観念したように言う。「あの鉄太郎の件でございます」
「まあな」豆蔵はうなずく。「おたき婆さんが刺したんだろう?」
「……」おたき婆さんは目を丸くして豆蔵を見つめる。「……どうしてそれを……」
「鉄太郎が背中を刺されていた事だ。おてるさんの言い分じゃ、男同士が怒鳴り合っていたって事だったが、その時にかっとなって刺しゃあ、腹を刺す。だが背中だった。驚いて逃げた背中を刺したんなら、鉄太郎は木戸に向かって倒れてなくちゃいけねぇ。だが、どん突きの井戸の方に向かっていた。あれは、不意に刺された違ぇねぇ」
「親分さん……」
「まあ、聞きねぇ」話しかけたおたきを手で制して豆蔵は続ける。「刺した出刃包丁は毎日毎日研いでいたようでな、細くなっていたよ。でも、その分鋭くなっていた。毎日毎日恨み心で研いでいたんだろうな。いつか刺してやろうってな」
「……鉄の馬鹿野郎、本当に乱暴者で困ったヤツだったんだ。年寄りのわたしにまで手を上げるようなヤツだった」おたき婆さんはむっとしながら言う。「だからさ、いつ何があっても良い様にって、備えていたんだ。いつかあの包丁で一刺ししてやったら気分が良いだろうって思って毎日研いでいたよ」
「そうだったのかい…… オレも何度か野郎をとっ捕めぇたがな、一向に改まりゃしなかったな」
「お解き放しになって戻って来たら『オレを売ったのはどいつだ!』って大暴れだったよ」おてるが言う。「みんな怖がってね、死罪にでもなってくれたらって思っていたのさ」
「そこまでの罪じゃなかったからな……」
「オレたちにしたら、死罪に相当するぜ」公太が言う。「でもよ、あの乱暴者をどうこう出来る力はオレたちにはねぇ。あの腕っ節の熊五郎でも勝てねぇんだ」
「他所へ移る金も無いしさ、みんなびくびくしながら、我慢しながら暮らしてたんだ」おたき婆さんが言う。「それがさ……」
「あの日の朝、わたしが井戸へ行ったらさ」おてるが言う。「突然、鉄太郎が部屋から出て来てさ、わたしを罵り始めたんだ。いつもの事と思って知らん顔していたら、いきなり驚いた顔をして、ばったり倒れやがったんだ。背中に包丁突き立ててさ。倒れた所におたきさんが立っていたんだ」
「おてるさんが悲鳴を上げてね、長屋中が表に出た」公太が言う。「みんなは一目瞭然で事態を察した。そこで、オレが中心になって……」
「公太さんは頭が良いからさ」おてるが言う。「てきぱきとみんなに言ふくめてさ……」
「それで大入道の話をこしらえたってわけかい」豆蔵は苦笑する。「大方そんなこったろうとは思ったよ」
「悪いのはわたしだ」おたき婆さんが両手を突き出す。「どうぞ、お縄にしてくれろ」
「いや、おたきさんはわたしが何かされると思って、やっちまったんだ」おてるも両手を突き出す。「わたしのせいだよ」
「入れ知恵をしたのはオレだ。お役人を騙くらかしたんだから、一番の悪はオレだ」公太が両手を突き出す。「年寄りや子持ちをお縄にさせるのは忍びねぇ。オレが一人でやったんだ」
「いえいえ、元はと言えば、そんな乱暴者を店子にしたわたくしの責任」大家の宗右衛門も両手を突き出した。「どうか、わたくし一人をお縄に」
皆は両手を突き出しながら口々に「自分がお縄なる」と譲らない。
「はっはっは!」
豆蔵は笑い出した。
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます