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怪談 松に佇む(後編)

2021年05月30日 | 怪談
 六太郎はその日は昼飯を食べた後は、ちょいと具合が悪いと言って仕事に戻らなかった。ぺろりと全部平らげたのを見た両親は、やれさぼりだ、怠け者だ、そんなんじゃ嫁は来ねぇぞなどとぬかしていた。六太郎は知らぬ顔で寝転がっていた。朝の出来事を話しても信じてもらえそうもないし、逆に変な心配をかけたくないとも思ったからだ。
 翌朝、六太郎はいつものように出掛ける。相変わらず鼾をかいて寝ている両親を起こさぬようにと家を出る。
「そうさ、見なきゃ良いんだ、話をしなきゃ良いんだ。そんな事、洟垂れ小僧でも出来るこった。そうさ、坊様の言った通りにすりゃあ大丈夫さ」
 六太郎は自分に言い聞かせる。自分の田畑に行く道は他には無い。じんわりと汗ばむ頃合いなのだが、六太郎の背筋には冷たいものが走っている。
 鎮守の松が見える所まで来た。娘の姿は見えなかった。ほっとしながら道を歩く。
 ひゅうと強い風が吹いた。土埃を舞わた。六太郎は首に巻いた手拭いで顔を覆った。風が止み、手拭いを顔から外すと、娘の姿が、昨日と同じく松の前にあった。昨日と違い、じっと六太郎を見つめている。……お坊様に言った通りになった! 六太郎の足が竦む。六太郎は目を固く閉じた。
「もし……」
 娘が声を掛けて来た。柔らかな声だった。六太郎は口も強く結ぶ。懐にしまった護符を着物の上から押さえる。
「もし……」
 娘の声が大きくなった。近付いて来ているようだ。ふわっと甘い香りが流れてくる。六太郎は息を止めた。そして、変わらず目を閉じ、口を強く結んでいる。
「どうしたんだよう? わたしを見なよう。……ほら、胸を肌蹴てやるからさぁ……」
 左の耳元で囁くような声がする。六太郎の耳たぶに甘い息がかかる。六太郎はさらにきつく目を閉じた。六太郎の左頬にひんやりとしたものが触れた。娘の手が触れたのだろう。
「ふふふ…… 何を怖がっているのさあ? わたしは名をまつって言うんだよ。お前さんは?」
 六太郎は唇が白くなるくらい口を強く結んだ。
「何かお言いよ」
 まつがじれったそうに言う。
「はっはっは!」不意に豪快な笑い声がした。坊様だ。茂みにでも隠れていたのだろう。六太郎は気がふっと緩む。それを見越した坊様の鋭い声が飛ぶ。「おい、目を開けてはならん! 口を開いてもならん!」
 六太郎は改めて目と口を固く閉じた。
「そうじゃ、そうしてじっとしておれ!」
 坊様の声がする。それに混じって獣の雄叫びのような声が聞こえる。それを叱責する坊様の声。胃袋がむかむかするような生臭いイヤな臭いが立ち込め始めた。
「怨みなど捨ててしまえ!」坊様の強い声が響く。「御仏の慈悲にすがるのじゃ。まだ間に合うぞ!」
 生臭さが増す。坊様の言葉を拒んでいるように六太郎には思えた。
 と、ずんと何かを地面に突き立てた衝撃が、六太郎の足裏に伝わった。かんかんと何かを打ち付けている音が続く。そして、低い声で唱える聞いた事の無い念仏が流れてきた。目を開けたい思いに駆られる六太郎だったが、負けじとばかりに両手で目を覆った。聞こえてくる念仏に獣の雄叫びが混じる。が、それが次第に弱くなり、念仏だけが聞こえてきた。念仏はしばらく続いて絶えた。鳥の囀りが聞こえてきた。
「……おい、もう大丈夫だぞ」
 坊様の声がして、六太郎の肩に手が置かれた。温かな感触だ。六太郎は顔から手を離し、恐る恐る目を開ける。
「ひえぇぇ!」
 六太郎は悲鳴を上げた。最初に飛び込んできたのは、目の前一杯の髭面の坊様の顔だった。
「おいおい、人の面を見て悲鳴を上げるとは、ひどいじゃないかね?」
「はぁ…… お許しを……」六太郎は言い訳をする。「ちょいと、驚いたもんで……」
「はっはっは! 正直なヤツじゃ!」坊様は機嫌良さそうに笑う。「まあ、お前さんが、素直に拙僧に従おてくれたおかげで、全てはお終いじゃ」
「左様で……」
「実はな、お前さんが見た娘、昔この村で殺められた娘だったのさ……」
 娘はおまつと言った。ある晩、隣村の長の息子の松蔵に呼び出された。近隣でも噂の色男で、娘たちは松蔵に懸想していた。当然、おまつは、そんな松蔵に呼び出しされて舞い上がる。だが、松蔵は腹黒い男だった。おまつの美貌を聞きつけ、良からぬ事をしようと企んでいたのだ。遊び仲間数人とで待ち合わせ、やって来たおまつを弄び、最後には絞め殺してしまった。
「……それが、この松の前だったのさ……」
「鎮守の樹の前でたぁ、ひでぇ事をしやがるもんで……」坊様の話に六太郎は憤る。「もちろん、松蔵はお咎めを受けたんでやしょう?」
「村の長の息子だからな。うやむやになってお終いじゃ」
「それじゃ、おまつがかわいそうじゃ……」
「そうだな。だがな、おまつは変わってしまったのさ」
 悔しい思いを大きくしたおまつは、自分がそうであったように、疑う事もしない心根の正直な若者を虜にし、破滅させ、最後は死に至らしめると言う悪霊になってしまった。
「ひん曲がっちまったんでやすねぇ……」六太郎はおまつに同情し涙ぐむ。「あんな綺麗な娘がねぇ……」
「そう言うお前さんの様な、優しい心根の男を虜にするんじゃよ」
「さいでやしたか……」六太郎は坊様に頭を下げた。「あぶねぇ所をお救い頂きやして、何とお礼を申し上げて良いやら……」
「まあ、気にするでない」坊様は面倒臭そうに言う。「それよりも、お前さんに言うておきたい事がある……」
「へい、なんでございやしょう?」
「あれだ……」
 坊様はすっと横にずれた。目の前に松の木がある。そこには、おまつが、じっと地面を見つめたままで佇んでいた。
「ひええええっ……」六太郎は腰をぬかして、その場に座り込んでしまった。震える腕を上げ、おまつを指差す。「お坊様…… まだ、まだおまつさんが……」
「そうかい、お前さんには見えるのかい……」
「はっきりと見えております…… こう、松の樹を背にして、じっと地面を見つめておりやすよう……」
「うむ……」坊様は嘆息する。「……おまつはもう何も出来はしないのだが、どうしても御仏の慈悲に縋らなんだのじゃ。なので、姿だけが現世に残ってしまいおった……」
「それは、一体どう言う事で?」
「じっとここに佇んでおるのじゃよ」
「じゃあ、もっとご供養をして頂きませんと……」
「いいや……」坊様は頭を左右に振る。「……もう供養を受け付けぬのさ」
「じゃあ、あっしはどうしたら……」
「どうもせんで良い。お前さんは、見えているが見えていない、そこいらの風景と同じものとして捉えておれば良いのじゃ」
「そんな事をおっしゃられやしても……」
「時がお前さんを慣らしてくれようさ」
 坊様はそう言うと、地面に突き立てた錫杖を抜き取り、去って行った。次第に小さくなる後ろ姿が道の曲がり角に消えた時、六太郎は坊様の名前を聞くのを忘れていた事に気が付いた。

 それから幾年か経ち、六太郎も嫁をもらい、子も成した。
 今でも松の前を通って自分の田畑へと向かう。そこには、すっかり風景のひとつなった、六太郎にしか見えないおまつが、相変わらずじっと地面を見つめて佇んでいる。


おしまい

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