コーイチ物語 ２ 「秘密の消しゴム」 79

　黙々と走り続ける。両方の葉で耳たぶにしがみついている花も口を開かない。
　コーイチの足が止まった。
「きゃっ！」
　急に止まったものだから、花はコーイチの肩から滑り落ちてしまった。
「……危ないじゃない！」花はコーイチの顔の前にふわふわと浮かび上がってきた。葉先で鼻をつんつんと突く。「調子良く走っていたって言うのに、落ちちゃったじゃない！」
「え？　ああ、ごめん……」今初めて気がついたらしい。しかし、視線は前方に向いたままだ。「……ちょっと聞きたいんだけど……」
「なによ！　私にこんなことしておいて！」
「丘を二十くらい超えたらお城が見えるって言ってただろう？」視線を顔の前の花に向けた。少し寄り目になった。「覚えているだろう？」
「そんなこと言ったかしら？」花は右の葉先で黄色い花の上部をコツコツと突いている。思い出そうとしているようだ。しばらくして葉の動きが止まった。期待に満ちたコーイチに顔に花を向ける。「……覚えてないわ」
「そんなぁ……！」コーイチは泣き出した。「僕は……　僕は君の言葉を信じて走ったんだ！　丘を数えながら超えたんだ！　ちょうど二十個目を超えたのに、城が見えないじゃないか！　……ああ、どうしたらいいんだ！」
「まあ、そんなことで泣き出すの？」花は笑い出した。「図体ばかり大きくなって子供なのね！　ああ、おかしい！」
「大きくなったのは、君がきのこを食べさせたからだろう？」茎をよじって笑い続ける花を憮然とした顔で睨み付けた。しかし、迫力は全くない。「笑ってないで、ちゃんと答えてよ。覚えてない、なんて冗談だろ？」
「そう、冗談よ」笑うのを止めて、茎を真っ直ぐにし、コーイチに顔に花の正面を向ける。「本当のことを言うわね」
「ああ、本当のことを言ってくれよ」
「……実は、あと百くらい丘を越えるのよ……」
「えええええええっ！」
　コーイチは力が抜け、がっくりと膝をついた。そのまま前のめりになり、地に手を着こうとしたが、足だけが長くなっていたのを思い出し、倒れかけたからだを戻すため、両腕をぐるぐる回してバランスを取り始めた。その様子を見て花がきゃっきゃと笑い出した。
「あなたって、本当に、面白いわね」花はコーイチの真似をしているのか、両方の葉をぐるぐる回しながら言った。「ますます、気に入ったわ！」
「……」何とかバランスを整えたコーイチは、膝をついたままでため息をついた。「あのねぇ、僕は真剣なんだよ。一刻も早く芳川さんと逸子さんを助けたいんだよ。君のおもちゃになるのは、みんなを助けた後だ」
「わかった、わかったわよ」花は茎をコーイチ向かって曲げた。頭を下げて謝っているように見えた。「ごめんなさい」
「……いや、あの、その……」花の素直な態度にコーイチの方があわてた。「僕は、別に、そんなつもりじゃ……　怒っているわけじゃなくて……」
「いいの、私が悪かったわ。あなたの真剣な想いをからかっちゃって……」
「……いや、あの、その……」急にしおらしくなった花に、コーイチは戸惑っていた。「ま、とにかく、先を急ごう！」
　コーイチは「よっこらしょっと」と掛け声をかけて立ち上がった。花はからかう言葉をかけてこなかった。安心したような、物足りないような、そんなコーイチだった。立ち上がったコーイチの肩に花は座った。
「さ、行くよ！」コーイチは前方に続く丘を見つめた。「あと百くらい、あっという間さ！」
「ねえ……」花が声をかけて浮き上がり、コーイチの顔の前で漂った。「本気で百の丘を越えるの？」
「もちろんさ！」決然とした表情を花に向ける。「さ、行くよ！」
「ちょっと待って！」
　花は両方の葉を左右に大きく広げた。コーイチの足が止まる。
　花は右の葉をコーイチの肩越しに向けてつんつんと動かした。
　コーイチは振り返った。
「えええええええええっ！」
　コーイチは叫んだ。
　丘のすぐ脇に立派な西洋風の城があった。一番高い塔の上に、黒字に白い線で意地悪そうな顔をした中年の女の人の横顔の描かれた大きな旗が、風にバタバタとはためいていた。
「ここが……」
「そう」花は大きく頷いた。「ここがベリーヌ女王の城よ」
「だって、あと百くらい丘を越えるって……」
「あらあら、前ばっかり気にして、後ろに全く注意を払わないんだもの、からかいたくもなるじゃない！」花は楽しそうに笑った。「やっぱり、あなたは私がいないと何もできないわねぇ」
「……はい、はい……」
　楽しそうな花を見て、コーイチはため息をついた。