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怪談 青井の井戸 27

2021年10月06日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 亡き殿に殉ずる…… 一聴、美談とも聴こえましょうが、もはや打つ手無しな父の最後の手なでございましょう。わたくしも、どちらからも引き取りが無い身の上であれば、父の仰せに従うは致し方の無き事と存じます。ただ、目覚めた鬼の血を残せぬ事が何とも口惜しゅうものと、最期を前にもどかしゅう思えたのでございます。
 父が部屋を出て行かれ、一人座っておりますと、松澤様の清江様のお部屋で春画を見た時の、あの下腹部の不思議な感触が、熱く、それでいて甘い疼きが、蘇ってまいりました。
 近々、自害をいたさねばならぬとの思いが、そうさせているようでございます。白装束で身を包み、懐剣で喉を突く事になるのでございましょうや。喉からは血が流れ、白装束を赤く染めるのでございましょうや。裾が乱れぬようにと脚を縛り、そのまま前倒しになって果てるのでございましょうや。鬼が最後に殺すは我が身。そう思いますと、疼きがさらに嵩まってまいります。
 ふと、庭の花々の姿を思い出しました。花は、先代の殿が亡くなれらようが、青井の家が終わろうとしていようが、咲いております。人の営みに頓着せず、咲き誇るその姿にわたくしは鬼を見たのでございました。
 鬼が人の営みに振り回されるは笑止な事、わたくしはそう思ったのでございます。
 父も青井の血を受け継ぎながら、亡き殿に殉ずるとの言い訳で、行き場の無い身の上に態の良い人並みな結末を迎えるおつもりのです。母もばあやも、青井の家に居ながら、鬼にはなり切れなかったのでございます。
 まさに笑止。青井は鬼なのでございます。鬼が人として生き、人として死するは、笑止以外の何物でもございますまいか。
 それに、人並みの最期を迎えるなど、青井の手に掛かり骸になった数多の者たちが許そうはずがございませぬ。わたくしには、人並みの死を迎えようとしている青井に、憤怒の表情を浮かべている骸どもが見えておりました。その顔も鬼でございました。
 閉めてある部屋の外の雨戸が、音を立てました。それはお坊様が庭に入られた夜に聞こえた、手指を雨戸に当てているような音でございました。音は、あの時と同様、雨戸のあちこちから聞こえ、早打ちのようなもの、間の開いたものなどでございました。どれも力なく打ちつけている事のも同じでございます。それらの音は、わたくしの思いに、青井の手に掛かった骸どもが応じているように聞こえます。
 わたくしは違い棚に置かれた護符を入れた手文庫に目をやりました。先の時は、お坊様から頂いた護符を手にすると音が止みました。それは恐怖からでございました。
 なれど今は恐怖などございませぬ。むしろ、鬼の喜悦がございました。
 わたくしは立ち上がりませんでした。音は続いております。わたくしの下腹部の甘い疼きが、雨戸を叩く一打ち一打ち毎に背中を駈け上がっておりました。
 わたくしは護符の事も、父からの殉死の話も忘れ、駈け上がる甘い疼きに浸っていたのでございます。 


つづく

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