ジェシルが三階までエレベーターで降りると、通路には出場者たちが集まっていた。厳ついからだをピンクのユニホームで包んだ集団は異様な光景だ。さらに、むわっとむせ返るような熱気と突き刺さるような殺気が通路全体を包んでいる。
「おう、ジェシル……」
声の方を見ると、ケレスが壁に凭れかかって立っていた。昨日の陽気さは全く無かった。瞳には残忍さが露骨に浮かんでいる。口角は上がっているが、獲物を襲い喰い殺そうと舌なめずりをしている猛獣のようだった。ケレスにとっての獲物はジェシルだった。
「あら、気合入りまくりじゃないの」ジェシルは平然と応じる。「今からそんなに気合を入れていたら、本番にはくたくたになっちゃうわよ」
「そんな事は無いさ……」ケレスはにやりと笑う。残忍さが増す。「あの『姫様』が見ているんだぜ。イヤでも気合が入るだろうが」
「あら、あなたも『姫様』ファンなの?」ジェシルは小馬鹿にしたように言う。「そんな風には全く見えないけど? あなたは、自分が一番って感じがするわ」
「ふん、何とでも言いな!」ケレスは鼻を鳴らす。「『姫様』が女性の活躍を推進してくれたおかげで、わたしみたいなのが傭兵として働けるんだから感謝だよ」
「あら、『姫様』は平和を求めているって聞いていたけど?」
「平和と正義のために戦っているんだから、別に問題じゃないだろう?」
「でも傭兵でしょ? 本当の平和と正義からは遠いんじゃない?」
「わたしには、給料の額が平和と正義なのさ!」
ジェシルが、豪快に笑うケレスに言い返そうと思った時、重々しいテルテス鉱製の大きな赤銅色の扉が開いた。会場内の照明の眩しさが漏れてくる。会場の係が恐る恐ると言った感じで皆を会場内へと誘導する。皆は足並みを揃える事も無く、ぞろぞろと入場する。
昨日は静かだった会場に派手な音楽が鳴り響いている。大観衆で客席は埋め尽くされていた。歓声が上がっており、すでに興奮状態だった。
「これじゃ、お客も試合が始まるまでに疲れちゃうんじゃない?」ジェシルは大きな声でケレスに言う。それでもやっと伝わるくらいだった。「こんなんじゃ、わたしまで疲れちゃうわよ!」
「何だよ、情けない!」ケレスは笑う。「知っているか? 今日の客の大半はな、ジェシル、お前を見に来ているんだぜ」
「まあ、わたしってやっぱり人気者なのね!」
「そうじゃない。お前がやられるところを見たがっているんだよ」ケレスがにやりと笑う。「わたしにやられるところをさ」
「あら、そうなの?」
「お前、人気があるんじゃ無くて、恨みを買い過ぎているんじゃないのか?」
「そんな事はどうでも良いわ」ジェシルは答える。「……それにしても大人数ねぇ」
「去年の倍以上は居るな」
「あら、去年も出場したの?」ジェシルは意地悪そうな顔をケレスに向ける。「……で、優勝したの?」
「惜しい所まで行ったのさ」
「ふ~ん……」
「何だ、疑っているのか?」ケレスはジェシルを睨む。それから、ふと視線を和らげた。「まあ、わたしと闘えばはっきりとするだろうさ。昨日の警備員との闘いで、お前の癖は見切っているからな。ジェシル、お前は相当不利だぞ」
「そう? それじゃ、楽しみにしているわね」
ジェシルはそう言うと、貴賓席を見た。ジョウンズの横の席に老婦人が座っている。小柄で痩せてはいるが品の良さそうな雰囲気だ。白髪を後ろで低い位置に束ねたシニヨンにしている。ジョウンズのピンク色よりも光沢のあるピンク色の生地で出来た飾りのないロングドレスを着ている。皺の多い顔の化粧は薄い。ただ、眼光には鋭いものがあった。何も見落とさないと言った雰囲気があった。
……あの人が『姫様』のリタ・ヴェルドヴィックね。ジェシルは思う。確かに活動家に相応しいし、カリスマ性も持ち合わせている。しかし、ジェシルが気にしているのは、その隣に座っている、つんと長い耳を立てたミュウミュウだった。ミュウミュウは常に『姫様』を見守り、気遣っている。
「ねえ、ケレス……」ジェシルが言う。「あの、ジョウンズの隣のおばあちゃんが『姫様』で良いのよね?」
「おい、言葉を慎めよ!」ケレスは語気を強める。「おばあちゃんは無いぜ。まあ、わたしも実物を見るのは初めてだけどな」
「やっぱり、おばあちゃんだなって思うでしょ?」
ケレスは答えなかった。ジェシルは不満そうに頬を膨らませる。
音楽が止み、ジョウンズが立ち上がった。会場内はしんとなった。……大ボスのジョウンズの面目躍如って所ね。ジェシルは小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「諸君!」ジョウンズがマイクに向かって話す。「今年もまたこの大会を催せたことを共に喜ぼう! しかし、それ以上に、我らが『姫様』リタ・ヴェルドヴィック様の御隣席に、心から感謝しようではないか!」
客席の全員は一斉に立ち上がり、一斉に『姫様』に向かって一礼した。出場者たちも礼をする。『姫様』は手を上げて礼に答えている。ジェシルは礼をしなかった。……ふん! 何よ偉そうに! 家柄ならわたしの方が格上よ! ジェシルは見えない舌を『姫様』に向けて、べえと突き出した。
「『姫様』、宜しければお言葉を頂きたいのですが……」ジョウンズは言う。「如何でしょうか?」
……ジョウンズ、朝から大騒ぎで準備した割には落ち着いているじゃない? ジェシルは思う。……まあ、裏で何人かが泣いているんでしょうけどね。
『姫様』はゆっくりと立ち上がった。ミュウミュウも立ち上がり、そっとからだを支える。ジョウンズは一礼してマイクの前から離れる。『姫様』はミュウミュウに誘われるようにしてマイクの前に立つ。マイクスタンドをミュウミュウが下げて、高さを調節する。それが終わると『姫様』が話し始めた。
「皆さん……」ゆっくりとした話し方だが、声に張りがあった。「このような大きな大会を女性だけで催すことが出来るのは、大きな喜びです。元来、女性は強いのです。男性など足元にも及ばないのです。それを、わたしたちは改めて認識するのです。出場者の方々をご覧なさい。皆、立派です。男性に負けるものではありません。わたくしは皆さんを誇りに思います。愚かな男性から全てを奪い取り、最後は女性によって平和を成し遂げるのです」
歓声が上がった。ケレスも握った右拳を高々と突き上げて雄叫びを上げている。
……何の話をしているのか、良く分かんないわねぇ。あんな人を救出して大丈夫なのかしら…… ジェシルは『姫様』を見ながら、内心不安になっていた。
しかし、ミュウミュウがバランスを崩しそうになった『姫様』を、そっと目立たないように支えたのに気付いた時、ジェシルはミュウミュウがメインであった事を思い出した。……そうよ、本当に救出するのはミュウミュウの方だったわ。
つづく
「おう、ジェシル……」
声の方を見ると、ケレスが壁に凭れかかって立っていた。昨日の陽気さは全く無かった。瞳には残忍さが露骨に浮かんでいる。口角は上がっているが、獲物を襲い喰い殺そうと舌なめずりをしている猛獣のようだった。ケレスにとっての獲物はジェシルだった。
「あら、気合入りまくりじゃないの」ジェシルは平然と応じる。「今からそんなに気合を入れていたら、本番にはくたくたになっちゃうわよ」
「そんな事は無いさ……」ケレスはにやりと笑う。残忍さが増す。「あの『姫様』が見ているんだぜ。イヤでも気合が入るだろうが」
「あら、あなたも『姫様』ファンなの?」ジェシルは小馬鹿にしたように言う。「そんな風には全く見えないけど? あなたは、自分が一番って感じがするわ」
「ふん、何とでも言いな!」ケレスは鼻を鳴らす。「『姫様』が女性の活躍を推進してくれたおかげで、わたしみたいなのが傭兵として働けるんだから感謝だよ」
「あら、『姫様』は平和を求めているって聞いていたけど?」
「平和と正義のために戦っているんだから、別に問題じゃないだろう?」
「でも傭兵でしょ? 本当の平和と正義からは遠いんじゃない?」
「わたしには、給料の額が平和と正義なのさ!」
ジェシルが、豪快に笑うケレスに言い返そうと思った時、重々しいテルテス鉱製の大きな赤銅色の扉が開いた。会場内の照明の眩しさが漏れてくる。会場の係が恐る恐ると言った感じで皆を会場内へと誘導する。皆は足並みを揃える事も無く、ぞろぞろと入場する。
昨日は静かだった会場に派手な音楽が鳴り響いている。大観衆で客席は埋め尽くされていた。歓声が上がっており、すでに興奮状態だった。
「これじゃ、お客も試合が始まるまでに疲れちゃうんじゃない?」ジェシルは大きな声でケレスに言う。それでもやっと伝わるくらいだった。「こんなんじゃ、わたしまで疲れちゃうわよ!」
「何だよ、情けない!」ケレスは笑う。「知っているか? 今日の客の大半はな、ジェシル、お前を見に来ているんだぜ」
「まあ、わたしってやっぱり人気者なのね!」
「そうじゃない。お前がやられるところを見たがっているんだよ」ケレスがにやりと笑う。「わたしにやられるところをさ」
「あら、そうなの?」
「お前、人気があるんじゃ無くて、恨みを買い過ぎているんじゃないのか?」
「そんな事はどうでも良いわ」ジェシルは答える。「……それにしても大人数ねぇ」
「去年の倍以上は居るな」
「あら、去年も出場したの?」ジェシルは意地悪そうな顔をケレスに向ける。「……で、優勝したの?」
「惜しい所まで行ったのさ」
「ふ~ん……」
「何だ、疑っているのか?」ケレスはジェシルを睨む。それから、ふと視線を和らげた。「まあ、わたしと闘えばはっきりとするだろうさ。昨日の警備員との闘いで、お前の癖は見切っているからな。ジェシル、お前は相当不利だぞ」
「そう? それじゃ、楽しみにしているわね」
ジェシルはそう言うと、貴賓席を見た。ジョウンズの横の席に老婦人が座っている。小柄で痩せてはいるが品の良さそうな雰囲気だ。白髪を後ろで低い位置に束ねたシニヨンにしている。ジョウンズのピンク色よりも光沢のあるピンク色の生地で出来た飾りのないロングドレスを着ている。皺の多い顔の化粧は薄い。ただ、眼光には鋭いものがあった。何も見落とさないと言った雰囲気があった。
……あの人が『姫様』のリタ・ヴェルドヴィックね。ジェシルは思う。確かに活動家に相応しいし、カリスマ性も持ち合わせている。しかし、ジェシルが気にしているのは、その隣に座っている、つんと長い耳を立てたミュウミュウだった。ミュウミュウは常に『姫様』を見守り、気遣っている。
「ねえ、ケレス……」ジェシルが言う。「あの、ジョウンズの隣のおばあちゃんが『姫様』で良いのよね?」
「おい、言葉を慎めよ!」ケレスは語気を強める。「おばあちゃんは無いぜ。まあ、わたしも実物を見るのは初めてだけどな」
「やっぱり、おばあちゃんだなって思うでしょ?」
ケレスは答えなかった。ジェシルは不満そうに頬を膨らませる。
音楽が止み、ジョウンズが立ち上がった。会場内はしんとなった。……大ボスのジョウンズの面目躍如って所ね。ジェシルは小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「諸君!」ジョウンズがマイクに向かって話す。「今年もまたこの大会を催せたことを共に喜ぼう! しかし、それ以上に、我らが『姫様』リタ・ヴェルドヴィック様の御隣席に、心から感謝しようではないか!」
客席の全員は一斉に立ち上がり、一斉に『姫様』に向かって一礼した。出場者たちも礼をする。『姫様』は手を上げて礼に答えている。ジェシルは礼をしなかった。……ふん! 何よ偉そうに! 家柄ならわたしの方が格上よ! ジェシルは見えない舌を『姫様』に向けて、べえと突き出した。
「『姫様』、宜しければお言葉を頂きたいのですが……」ジョウンズは言う。「如何でしょうか?」
……ジョウンズ、朝から大騒ぎで準備した割には落ち着いているじゃない? ジェシルは思う。……まあ、裏で何人かが泣いているんでしょうけどね。
『姫様』はゆっくりと立ち上がった。ミュウミュウも立ち上がり、そっとからだを支える。ジョウンズは一礼してマイクの前から離れる。『姫様』はミュウミュウに誘われるようにしてマイクの前に立つ。マイクスタンドをミュウミュウが下げて、高さを調節する。それが終わると『姫様』が話し始めた。
「皆さん……」ゆっくりとした話し方だが、声に張りがあった。「このような大きな大会を女性だけで催すことが出来るのは、大きな喜びです。元来、女性は強いのです。男性など足元にも及ばないのです。それを、わたしたちは改めて認識するのです。出場者の方々をご覧なさい。皆、立派です。男性に負けるものではありません。わたくしは皆さんを誇りに思います。愚かな男性から全てを奪い取り、最後は女性によって平和を成し遂げるのです」
歓声が上がった。ケレスも握った右拳を高々と突き上げて雄叫びを上げている。
……何の話をしているのか、良く分かんないわねぇ。あんな人を救出して大丈夫なのかしら…… ジェシルは『姫様』を見ながら、内心不安になっていた。
しかし、ミュウミュウがバランスを崩しそうになった『姫様』を、そっと目立たないように支えたのに気付いた時、ジェシルはミュウミュウがメインであった事を思い出した。……そうよ、本当に救出するのはミュウミュウの方だったわ。
つづく
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