薔薇のかがやき、夕陽のつぶやき 2009

薔薇を中心に、花の絶えない、ちいさな庭の記録です。花を詠んだ詩や俳句の紹介や男のつぶやきも。

薔薇の俳句歳時記18  堕天使のごとくに薔薇を擁く(かいいだく)

2009年10月27日 11時20分14秒 | 薔薇の俳句歳時記
堕天使のごとくに薔薇を擁く(かいいだく)   加藤三七子

 加藤三七子は、句集「戀歌」で薔薇を十句詠んでいます。
「伊豆で薔薇園をもつ原田青児さんに請われて薔薇十句を送った」
と、後に述べています。

 貴種となる古き佳き薔薇育てをり
 戀ひにけり薔薇音たててくだつのち
 薔薇枕つくる横顔見せゐたり
 薔薇百花黒天鵞絨(くろビロウド)の夜がくる
 母屋へと薔薇咲く中を脱けて来し
 甲冑の顎かがやかす白薔薇
 薔薇の辺や少年体まげ眠る
 薔薇の園馴染みの雀きてをりぬ
 ももいろの薔薇を咲かせて墓標とす

 薔薇が好きなひとでした。
 最近、「薔薇とバーグマン」(「雪女郎」所収)という、古いエッセイを
読み返していて、こんな文章に出会いました。

「父や母や姉や兄たちにかぎりなく愛されて育った幼年期の記憶の中に、
或る中断された空白があり、その空白に渦巻く真紅の薔薇だけが としてある、
聞けば三歳の時、子に貰われて行っていた時代が少しの間だけあったらしく、
子供心に、きびしくかなしいおもいで見た薔薇だったのではないかと思う。
その薔薇は三歳のころからずっと私の心を深く捉えてはなさなかったようである」
続けて
「薔薇以外に、好きな花はあっても、やはり薔薇の気品とロマンにはくらべられない」
と。

 10年前、HPでこの人の俳句を何度か取り上げたことがあります。
お弟子さんが見つけたとのことで、喜んでいただいたことを、いまでも覚えています。
 主宰されていた俳誌「黄鐘(おうじき)」に何度か、
俳句の門外漢の拙い文章を転載していただいたこともありました。 

 2005年4月5日夜、突然の訃報が入ってきました。
 心不全でした、亨年79歳。
 まだ早いというのが、実感でした。
 もっとも好きな俳人のひとりでした。

 その後、いつしかわたしは、日々の忙しさのなかで、
 HPの更新を忘れていきました。

 薔薇は「万葉」F 京成バラ園芸 1988年   撮影 2002年6月5日7:15



 この画像は、翌日の撮影。             2002年6月6日12:15

 以下は、初めてこのひとの俳句を記した文章の再掲です。


 加藤三七子の世界  第1回

 俳句の本ばかりの父の書架のなかで、異彩を放つ本があった。
「戀歌 加藤三七子」とは、およそ俳句のイメージにほど遠い題名であったが、
収められた句は、まこと戀歌と呼ぶにふさわしい、「うた」であった。
 花鳥風月の俳句の世界に、女性のいのちの「うた」を吹きこもうとしてきた、
女流俳人たちの息吹が一気に花咲いたような、華やぎがそこにはあった。

 ためらひし一と言白き息となる   「万華鏡」 昭和50年

 この句を読むたび、わたしは橋本多佳子の「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」を
思い出す。多佳子の「息のつまりしこと」から三七子の「ためらひし一と言」の間には、
深い川が流れている。俳句は男の文学であるという深い流れである。
 三七子はいとも軽々と川を飛び越えたように見える。けれど、架け橋となったのは、
おそらく何十年もの間、多くの女流俳人によって綿々とうたい継がれてきた、
いのちの「うた」であった。

 春愁の昨日死にたく今日生きたく  「万華鏡」 
 
 不壊の愛おもふ螢のいきづかひ
 きらめきて過ぎし一語や花林檎
 たまきはるいのちなりけり白牡丹
 抱擁を解くが如くに冬の濤     「螢籠」 昭和57年
 
 花すすき袂重しと思ひけり
 汝の手の芒をいつか我が持つ
 冬夕焼人をあやむるごとき色
 修羅見せて咲くはさくらの返り花
 糸桜散りつつ夜ゝのもつれかな   「戀歌」 昭和63年

 どの作品からも、映画のワンシーンのような情景が浮かびあがってくる。
 ことばの背後の果てしない宇宙で、ひときわ鮮やかに煌いているのは、叙情性と物語性という、
華やかで、妖しい光である。
 足すものも引くものもない。すぐれた俳句は、それ自体で完結している。
 これらの句もまた然りである。けれども、これらのひとつひとつをいわばモチーフとして、
短編小説を書きたいというのが、わたしのひそかな夢である。    

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薔薇の俳句歳時記17  もう何もするなと死出の薔薇持たす

2009年10月13日 09時56分51秒 | 薔薇の俳句歳時記
もう何もするなと死出の薔薇持たす 平畑静塔

俳人・西東三鬼が亡くなったときの追悼句。

三匹の鬼という俳号もユニークですが、
昭和10年代、新興俳句の旗手として活躍したひと。
戦争一色の時代、新興俳句は弾圧を受け、
京大俳句事件で、三鬼もまた検挙されました。
平畑静塔とは、このころからの友人。
戦後は、山口誓子の『天狼』創刊に参加、現代俳句協会設立に尽力。

代表作に、

おそるべき君らの乳房夏来る
中年や遠くみのれる夜の桃
水枕ガバリと寒い海がある
秋の暮大魚の骨を海が引く

まだほかにもあるでしょうが、
わたしが暗誦できる句はこれだけです。

角川書店の「俳句」編集長になったり、俳人協会の設立に関わるなど、
俳人としてこれからという昭和36年夏、胃癌の宣告を受ける。
すでに、末期癌だった。

秋の暮、海にひかれていく大魚の骨とは、三鬼自身でなかったでしょうか。

翌年4月、62歳で死去。



俳句に前衛的であった三鬼は、
女性との関わりにおいてもそうであったようです

もう何もするなというのは、三鬼を知りつくした静塔の、
三十年近い友情が言わしめたことばです。
それは、俳人としての三鬼に対しでだけでなく、
あるいは、多くの女性を遍歴した、
ひとりの男としての三鬼に手向けた言葉でもあったかも知れません。

  ***    ***

薔薇はパスカリとラブ、
パスカリはまだ庭にありますが、
ラブは枯れてしまって、いまはありません。
赤い薔薇を探していて、
古いデータに残っている画像を見つけました。

プロパティをみると、
パスカリは2001年5月15日08:17:25
ラブは2001年6月1日12:14:47 、
いずれもEPSON CP-800 1600*1200とあります。
当時としては、まずまずの200万画素。
1999年、ホームページを始めた当時、
発売間もないこの機種を購入しました。
ググってみると、メーカー小売価格は99,800円とあります。
いくらで購入したか記憶は曖昧ですが、
7万前後だったのではないでしょうか?

いまでは1000万画素が2万円台、
わずか10年前なのに、
パソコンにしろ、デジカメにしろ、
隔世の感がありますね。

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薔薇の俳句歳時記16 ひたすらに赤し颱風前の薔薇  

2009年10月07日 11時35分51秒 | 薔薇の俳句歳時記


ひたすらに赤し颱風前の薔薇  桂信子

台風18号は、7日午前9時現在、
種子島の南 270 Kmの海上を、北北東に 35 km/hで進んでるとのこと。
風はなく、雨もまだ弱く、まさに台風前の静けさです。

「非常に強い勢力の台風18号は7日、南大東島の近海を北上し、
同日昼までに鹿児島県奄美大島の一部が風速25メートル以上の暴風域に入った。
今後は進路を北東に変え、8日午前には暴風域を伴ったまま紀伊半島周辺に上陸し、
列島を縦断するとみられる」
台風18号、奄美大島の一部が暴風域に(朝日新聞) - goo ニュース

直撃コースです。
コースや大きさが、平成2年9月の台風第19号に似ているようです。
わたしの住む町でも、
最大瞬間風速が50 m/sを超えた記憶があります。

「風が騒ぐ、
時折横殴りの雨が激しく降る。
南の海上を台風が北上している。
あと何時間かの間に、
暴風域に入るだろう。
庭の薔薇が揺れている。
やがてくる嵐の予感に震えながら、
薔薇は
けれどひたすら赤く燃えている。
まるで美の頂点で
嵐に身を投じるために、
いまを生きているかのように」

こう書いたのは、2002年のこと。



作者紹介 
1914年(大正3年)大阪市生まれ。結婚後二年にして、夫と死別。
秋天は常のごとあり夫逝くに
秋雨の昼のつめたき掌をかさね
夫恋へば落葉音なくわが前に    1941年

そのころの、句です。

好きな俳人のひとりです。

やはらかき身を月光の中に容れ  
ふたりづつふたりづつ花の中に入る
衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く
窓の雪女体にて湯をあふれしむ
いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす
月光に踏み入るふくらはぎ太し
猛る鵙この身このまま老いゆくか  

このひとについては、
後日また。

画像は、メリナ Melina(HT) ドイツ タンタウ 1973年 です。
メリナの過去の記事は、こちらから

台風に備えて、鉢やプランターを移動、いくつかの塊にまとめましたが、
まだ一か所残ってます。

台風にご注意ください。

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中秋の名月を愛でる   なばなの里にて

2009年10月04日 01時26分25秒 | 薔薇の俳句歳時記
夕方、「なばなの里」にいってきました。
夕陽が沈むころでした。



菜の花の季節ではありませんが、
蕪村を真似て口ずさみたくなりました。
そう、菜の花ならず
「秋桜や月は東に日は西に」と。



十五夜、望月、明月、今日の月と、さまざまな言葉があります。
月の秋、良夜とも。
良夜とは、美しい日本語ですね。

古くから、俳句に詠まれ、

名月や池をめぐりて夜もすがら  芭蕉
名月を取ってくれろと泣く子かな  一茶
四五人に月落ちかかるおどりかな  蕪村

の、名句が。
 


園内はいたるところで、ライトアップ。
そのせいか、夜になってもひとが途絶えることがないようです。


月を詠んだ近代・現代俳句にはすぐれたものが多いのですが、
名月に限定すると、芭蕉や一茶、蕪村にまさる句を、
まだ作ってないように感じます。

満月やたたかふ猫はのびあがり  加藤楸邨
足音のわれにつきくる良夜かな  星野立子
子守唄ながす良夜の愛の鐘  古賀まり子
山山を統べて富士在る良夜かな  松本たかし
我庭の良夜の薄湧く如し  松本たかし
ガラス窓深く良夜の女写す  八木三日女




名月が雲に隠れて見えないことを「無月」といい、
雨が降ると「雨月」と呼びます。

曼珠沙華無月の客に踏まれけり  前田普羅
笛の音の美しかりし無月かな  高野素十
塩田のどこか光れる無月かな  加藤三七子
月の雨ふるだけふると降りにけり  久保田万太郎
坊の傘借りてさまよふ雨月かな  大橋桜坡子

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薔薇の俳句歳時記15  秋薔薇や彩を尽して艶ならず

2009年09月30日 13時12分05秒 | 薔薇の俳句歳時記
南太平洋のサモア南方沖で今朝(日本時間30日午前2時48分ごろ)起きた、
マグニチュード8・0の強い地震の影響で、
太平洋沿岸部に津波注意報がでています。

この地方も、すでに津波の予想到着時刻を過ぎていますが、
まだ観測されていないようです。

サモアでの死者は100人を超えたとか、心配です。


秋薔薇や彩(いろ)を尽して艶(えん)ならず 松根東洋城

秋薔薇の季節です。

秋薔薇の季語で、必ず登場するのがこの句です。
「色はよく出てるが、艶やかではないな」
といったところでしょうか。

どんなに華麗で、色がよくでていても、
夏の光のなかで輝き、燃えあがる薔薇とは違い、
秋薔薇にはやはり、秋の静けさが似合いますね。

初夏と秋の、薔薇そのものの違いもあるのでしょうが、
わたしたちが五感で感じる、
光や空気の違いが大きいのでしょうね。

因みに、俳句では薔薇は夏の季語、秋に咲く薔薇を秋薔薇、
冬に咲く薔薇を冬薔薇、あるいは寒薔薇と呼びます。
春薔薇という季語はありません。

また、俳句や短歌では、「ばら」でなく、好んで「そうび」と詠まれます。
「あきそうび」「かんそうび」という風に。

夢ゑがき臥す夜を匂ふ冬薔薇(ふゆそうび) 古賀まり子

はかなくも、いい響きです。

薔薇は、今朝のパット・オースチンです。
曇り空での、パットです。
9月27日の記事にある、
輝くパットとは、また違った印象です。


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薔薇の俳句歳時記14  栞はさみあるふみをひらく白薔薇に 

2009年09月22日 08時26分10秒 | 薔薇の俳句歳時記
栞はさみあるふみをひらく白薔薇に 鈴木しづ子

真紅の薔薇が情熱の象徴とすれば、
白薔薇は深い内省と奥に秘めた情熱でしょう。

栞をはさむとあるから、ふみは書物でしょう。

どんなふみなのでしょうか?

好きなものは瑠璃薔薇雨駅指春雷

との句も。

ひととの出会いということでは、不幸なひとです。
将来を誓い合った婚約者は戦死、
戦後、職場の同僚と結婚するも、わずか半年で破綻。

昭和二十五年、朝鮮戦争勃発、彼女の姿は岐阜県に現れます。
やがて、進駐軍相手の酒場で、黒人軍曹ケリー・クラッケと出会うことに。

花の夜や異国の兵と指睦び
黒人と踊る手さきやさくら散る

けれど、朝鮮に派兵された男は、麻薬常習者となって帰還、
まもなく帰国してしまいます。
そして、死。

霧五千海里ケリー・クラッケへだたり死す

二十七年、第二句集『指輪』出版。
その後、忽然と俳壇から姿を消しました。

夏みかん酸っぱしいまさら純潔など

その後どこで、どんな生をいきたのでしょうか、
いま生きてるとしたら、九十歳を超えています。

その俳句からは、戦後の混乱のなかで生きる女性の
ぎりぎりの生のあえぎと、決意が聞こえてきます。


薔薇はフィオッコ・ビアンコ(Fiocco Bianco)
イタリア 1988年作出
撮影場所 岐阜県・花フェスタ記念公園
どんな花なのか、ネットで検索しても、情報はありません。
英語のHPの記述では、
an important variety whose large, double flowers of pure white have perfect form
翻訳ソフトでは、
重要な様々なを持つ大規模な、純白の完璧なフォームがある二重の花
と、なります。
なんとなく、わかるような…。
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薔薇の俳句歳時記13  薔薇崩る激しきことの起こる如

2009年09月15日 08時54分17秒 | 薔薇の俳句歳時記
薔薇崩る激しきことの起こる如 橋本多佳子

大輪の薔薇の滅びのさまです。
そのとき、多佳子の胸のなかでも、
激しきことが起きたのでしょう。
崩れたあとの、大地のふるえのなかで、
彼女のたましいもまた、ふるえています。

このひとは、わたしの最も好きな俳人のひとりです。
以下、HPから、10年ほど前の記事を再掲します。


「雪のうた 橋本多佳子の世界」

 雪が降り続く。時折、枝から雪の落ちる音がする。

  箸とるときはたとひとりや雪ふり来る  橋本多佳子
  雪墜(づ)る音髪を洗ひて眼つむれば

 橋本多佳子の「紅絲」が発刊されたのは昭和26年(1951)である。
 多佳子五十二歳、
「この『紅絲』の三年間は私にとって実に多難な年でしたが、ことにニ人の娘の夫に逝かれたことがー番私を悲しませ弱らせました。幸ひその悲しみの穴も日々に埋められてゆきます」
と、あとがきに記しているように、悲しみに堪える日々の感情の迸りが全編を貫いている。

  生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣
  堪ゆることばかり朝顔日々に紺
  泣きたけれど朝顔の紺破ぶるべし 

 夜更けの雪は、ひとをひどく孤独にさせる。
 激しい雪に駆られるかのように、ひとは、激しくひとを求め、あるいは遠い回想へと身を滑りこませる。

  雪はげし抱かれて息のつまりしこと 
  雪はげし夫(つま)の手のほか知らず死す

 夫と死別して十年、

  夫(つま)恋へば吾に死ねよと青葉木菟
 
と多佳子はうたう。

  かじかみて脚抱き寝るか毛もの等も

 夢と現実のまどろみのなかで、ひとは降りしきる雪のなか、ゆっくりこちらに向かってくるなにものかを見る。
 多佳子のそれは、雄鹿の姿をしていた。
 
  息あらき雄鹿が立つは切なけれ
  背を地にすりて妻恋ふ鹿なりけり
  雄鹿の前吾もあらあらしき息す
  寝姿の夫(つま)恋ふ鹿か後肢抱き

 みずからを「女(め)の鹿」に擬したような一連の句が、多佳子の高揚したいのちの、荒い息づかいを、自己陶酔に陥るギリギリのところで表現している。
『紅絲』のなかで、もっとも張りつめた章である。

  雪はげし抱かれて息のつまりしこと

 これほど愛をうたった句は、多佳子の前にはなかった。
 この句は「俳句は男の文学である」という戦前からの大河に、楔を打ち込んだうたであった。多佳子を導いたのは杉田久女であり、山口誓子だったが、後押ししたのはまぎれもなく「戦後」という時代であった。

  みぞれ雪涙にかぎりありにけり
  暮れてゆく樹々よこの雪は積もらむ
  泣きしあとわが白息の豊かなる
  許したししづかに静かに白息吐く
  死ぬ日いつか在りいま牡丹雪降る

「『紅絲』の次の世界は明るい平淡なものが待ってゐるやうに思はれます」と自ら記したように、これ以降、多佳子の俳句に高まりも、その迸りもない。
 
  
 昭和38年(1963)、多佳子は六十五歳で逝った。癌だった。

  この雪嶺(ゆきね)わが命終(みょうじゅう)に顕ちて来よ
  雪の日の浴身一指一趾愛(かな)し  
  雪はげし書き遺すこと何ぞ多き

 多佳子最晩年の句は、いのちが燃やした最後の炎であるかのように、哀惜で激しいものだった。

* * *
薔薇は、フラウ・カール・ドルシュキ Frau karl druschki Hybrid Perpetual ドイツ 1901年。


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薔薇の俳句歳時記12 薔薇熟れて空は茜の濃かりけり

2009年09月09日 08時00分04秒 | 薔薇の俳句歳時記
薔薇熟れて空は茜の濃かりけり           山口誓子
 
咲き切った薔薇の背後に、夕映えが広がっています。
呼応しあうかのように、
薔薇が空の茜を燃え上がらせ、夕焼けが薔薇の赤をさらに濃くしていく。
どちらも、極みに到達した瞬間の、
充足して耽美な美のなかに
身を投げ出しています。

美の極みから滅びへは、ただの一歩です。

やがて、薔薇は崩れ、濁った空は、いつか闇につつまれていくでしょう。

滅びが美しいのではない。
いのちの最後の燃え上がりの、
崩れずに、
かろうじて立ち尽くしている、
ぎりぎりのあやうさが美しいのである。

そう、言いたいものです。
あるいは、いつしか、そういう「とき」を迎えていた、
ということかも知れません。

薔薇は、フィッシャーマンズ・フレンドの二年前の画像。 
間もなく、秋の花が咲きそうです。 

<過去の記事> 2009年6月12日

フィッシャーマンズ・フレンド  暗褐色というべき、深い赤

フィッシャーマンズ・フレンド Fisherman's Friend (ER) イギリス トーマス 1987年
暗褐色というべき、深い赤です。カップ咲きから、ロゼット咲きになります。



庭のほぼ中央に植えて7年、深いみどりのなかの、深い赤です。
毎年、イングリッシュローズのなかでは一番に咲く花です。
今年も5月上旬に、蕾をたくさんつけましたが、
虫と雨にやられて、思ったようには咲いてくれませんでした。
写真は、いずれもここ数日の姿です。



「恵まれない子供のための慈善運動”チルドレン・イン・ニード”のためのオークションでこのように命名された」(「イングリッシュ・ローズ」オースチン、産調出版)
因みに、棘の多さは、イングリッシュローズになかで、一、二を争うでしょうね。

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薔薇の俳句歳時記11 言葉にて受けし傷膿む薔薇の苑

2009年08月31日 12時46分47秒 | 薔薇の俳句歳時記
薔薇の俳句歳時記11 言葉にて受けし傷膿む薔薇の苑

30日に投票が行われた第45回衆院選は、
民主党308、自民党119という、
自民の歴史的な敗北という結果に終わりました。

自民議員の3人に2人が議員でなくなった訳です。
政治への積年の不満が噴出したということでしょう。
民主党がどこまでやれるか不安だけど、
一回やらせてみよう。
それが、大方の国民の本音でしょう。

国家をどうしていくのか、
安全保障はどうするのか、
景気対策はどうするのか、

問題も山積していますが、
政権交代を
わたしたち国民が
選んだということです。

閑話休題

言葉にて受けし傷膿む薔薇の苑 寺井谷子

言葉はときに、
こころを抉る武器になります。

薔薇の刺など、
比較になりません。

悪意に満ちた言葉は、
ナイフより深く、
突き刺さります。

逆に、
他意はなくても、
何気ないひとことがひとを、
深く傷つけることもあります。 

たしかに
言葉は
むつかしいですね。

写真は花フェスタ記念公園。
2009年5月24日撮影


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薔薇の俳句歳時記10   薔薇咲かせ心の奢り失はず 

2009年08月17日 10時31分07秒 | 薔薇の俳句歳時記
薔薇咲かせ心の奢り失はず 稲畑汀子

「例年より早く、薔薇の季節がやってきた。
初夏の光、
咲き乱れる薔薇、
庭がもっとも華やぐ季節である。

こころが薔薇を愛でる余裕もないとき、
自らに言う。
こころのぜいたくを忘れるな」

昨年5月、こう書いたことがあります。

一年後のいま、ようやく、花を愛でる、余裕と奢りを
持てたように思います。
薔薇だけでなく、庭の隅でひっそり咲いている花にも。

薔薇は、フラウ・カール・ドルシュキ Frau karl druschki Hybrid Perpetual ドイツ 1901年。
5月16日に、UPしていますが、
写真はこちらのほうが、好きです。
以下は、そのときの、紹介文です。

「蕾はピンクが混じっていますが、純白の巨大輪です。
苗を二つ庭に植えて、七年、樹高はひとつは1.5mほどで、、毎年、たくさんの花を咲かせてくれます。
もうひとつは1mほど、少し弱いです。
百年前の作出ですが、やはり強い品種なのでしょう、魅力はいまも変わりありません。ドルシュキ夫人については、どんな方だったのか、伝承がありません。
日本では、富士のように白いということでしょうか、不二と呼ばれています。」

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薔薇の俳句歳時記9  薔薇の香のただなか仰臥浮くごとし

2009年08月10日 12時39分09秒 | 薔薇の俳句歳時記
薔薇の香のただなか仰臥浮くごとし 鷲谷七菜子 

いわゆる薔薇の香水に近いダマスクのほか、
上質な紅茶の香りのようなティー、
桃やオレンジに近いフルーティなど、
古来、香料として珍重されてきた薔薇には
さまざまな香りがあります。

部屋に漂う、
えも言えぬ香りのただなかで、
仰臥したひとの
たましいも
肉体も、
漂うのです。

目を閉じて、

わたしたちは、
どんな香りのなかに
漂うのでしょうか?

薔薇は バリエガタ ディ ボローニャ Variegata di Bologna  
ベルファーム・イングリッシュ・ガーデン(三重県松阪市)にて、5月撮影
 
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薔薇の俳句歳時記8 ばら剪ってすでに短命ではあらず 

2009年08月03日 12時35分37秒 | 薔薇の俳句歳時記
ばら剪ってすでに短命ではあらず 寺田京子

こう詠んだとき、このひとは40代半ばだったはずです。
どんな花でもそうですが、とりわけ薔薇は満開になる直前が美しいものです。
咲き切って、傷み始めた花に、このひとは自分自身を重ね合わせたのかもしれません。

10代に胸の病に罹ったこのひとは1976年、54歳で逝きました。
短命とはいえないとしても、その死は、未完のままの切断ともいうべき、
あまりに早いものでした。

待つのみの生涯冬菜はげしきいろ
末枯やねむりの中に生理くる
噴水や戦後の男指やさし
ひかりたんぽぽ生まれかわりも女なれ

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薔薇の俳句歳時記7   薔薇きよら美しき神こゝに棲めり

2009年07月27日 00時07分06秒 | 薔薇の俳句歳時記
薔薇きよら美しき神こゝに棲めり     中尾白雨 
      
薔薇一輪鏡に在りし美き朝
身に希ふあくがれありて薔薇を挿す
薔薇うらゝ生活の憂ぞこゝに認ざり

生涯のほとんどを病魔と闘った日野草城が
薔薇を愛したように、
白雨もまた
病床のなかで薔薇に清らかな美を見い出しています。

薔薇には、美の女神が棲んでいます。
それはニンフ(妖精)と呼んだほうがいいかもしれません。、
「美しき神」とは、
天地を創造した、
旧約聖書の世界の厳格な神でなく、
ニンフ(妖精)であり、
すべてを許してくれる、
神ではないでしょうか

マダム・アルディ Mme.Hardy、ダマスク フランス 1832年
名前はマルメゾン宮殿の、庭師の夫人に因んでいます。

純白の、息をのむ美しさです。
アルディ婦人とは
きっと、敬虔で、清楚な、美しい女性だったのでしょうね。

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薔薇の俳句歳時記6 薔薇が咲く裡なるものを調へて  

2009年07月20日 02時30分56秒 | 薔薇の俳句歳時記
薔薇が咲く裡なるものを調へて  三好潤子

薔薇の魅力は、なるほど「裡なるもの」が
調えられた美にあるかも知れませんね。
幾十枚の花弁が織り成す花のかたちは、精緻で
ありながら、あやうい均衡を保っています。

ひとの美しさも、「裡なる美しいもの」が
調えられて、輝くものなのでしょうね。


激しい昂ぶりと冷徹な目、
そこに、このひとの俳句の魅力があります。

花野にて記憶喪失したるまま
響きあふものあり吾と曼珠沙華
逢ひし夜雪の香脱けぬ黒髪よ
命得て一筋ごとに髪洗ふ
悪女かも知れず苺の紅つぶす
そのひとと別れてすぐの法師蝉
余生なし苺の紅に唇を染め
吾死なば虹を柩の通路とす

ヘリテージ Heritage (ER) イギリス オースチン 1984年

精緻にして、均衡がとれた花弁、それでいて指で触ると、砕けてしまいそうな繊細さ。
「花弁は中心部が透明感のある優しいピンクで、外側は白かと思わせるほど淡く、薄い貝殻のように繊細で美しい」(「イングリッシュ・ローズ」オースチン、産調出版)

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薔薇の俳句歳時記5 薔薇の香ありけふのいのちを眠らしむ

2009年07月13日 01時22分12秒 | 薔薇の俳句歳時記
薔薇の香ありけふのいのちを眠らしむ      日野草城

 生涯を病気とたたかい、
1956年に54歳で亡くなるまでの10年を、
ほとんど寝たきりで療養していた
草城にとって、
薔薇はこころのなぐさめの
ひとつだったようです。
 
 寝がへりて薔薇と別るるさびしけれ
 夢に入りてたわやめとなる薔薇の花
 わがいのちわれに戻りて薔薇果てぬ

 今日もまた生きることができた、
という感動。
薔薇の香に包まれ、そのいのちを眠らせる。
生きるとは生かされているということ、
大切ないのちです。

 この人には、
 生き得たる四十九年や胡瓜咲く  
という句もあります。 

 薔薇でも、百合でもない。
だれも目にとめようとはしない、
皺だらけで小さな胡瓜の花に自らを重ねた、
いわばいのちの賛歌です。

 若き日の才気にあふれた
 春の灯や女は持たぬのどぼとけ
 をみなとはかゝるものかも春の闇
 永き日や相触れし手は触れしまま
と、
 晩年の
 見えぬ目の方の眼鏡の玉も拭く
 浴後裸婦らんまんとしてけむらへり
 切干やいのちの限り妻の恩

 あなたは、どちらに惹かれるでしょうか。

 写真は、やさしい香りの ヘリテージ Heritage (ER) です。