毛玉でアイマスク

猫が大好きおばちゃんのありきたりな日常
猫に学ぶ『マンネリ』って平和&小さなしあわせ

破天荒に生きた伯父

2017年08月17日 | だって人間だもの
嵐を呼ぶ男ならぬ、嵐を巻き起こす男を、
一昨日、祖父母が天国に連れて行った。

私の父は4人兄弟の長兄で、長女、次男、三男の兄弟。

祖父母はいったいどういう子育てをしたのか…と思うほど、
父の兄弟は、浮世離れしていて、
うちの従兄弟達は、世間一般の親ではない親の元に生まれたが為、
それぞれに悩み多き幼少期、思春期を過ごし、大人になった。

その中でも一番の強者が、次男の伯父である。

親、兄弟、奥さん、子供、甥っ子、姪っ子、友達…
とにかく、周囲を振り回す破壊力が半端なく、
本当に、奔放に生きた人だった。

その伯父は15年ほど前に離婚して、岡山県で一人暮らしをしていたが、
伯母が電話をした時に異変に気付き、
娘である従姉妹に連絡をとって様子を見に行って…救急搬送された。

何を食べても飲んでも吐くようになってしまっていて、体重が32キロしかなかった。

運ばれた病院で、一番強力な栄養剤を首から点滴投与し、
色々と検査したところ、胃の下の方に大きなガンが見つかった。

栄養剤でオペに耐えれる体力がついて、
切開手術したけれど、ガンの根がとても深くて取り除く事ができなかった。

その代わり、食べたり飲んだりしても吐かないように、
胃と小腸をつなげる手術がされた。

それが7月の初旬…余命は長くて半年と言われたが、
食べたり飲んだりするとガンが刺激されて痛むようになって、
結局、重湯すら満足に食べることができず、
伯父は、どんどん弱って行った。

それでも伯父は持ち前の前向きさで、
退院したら何を食べるとか、ニトリにカーテンを買いに行くとか、
カタログを観たりして、明るく過ごしていた。

私が大阪に住む伯母達とお見舞いに行った時も、
退院したら、伯母の作るカツオの煮つけが食べたいと言っていたし、
痩せてはいたけれど、目にすごく力があった。

ただ一つ、すごく変わったと思ったのは、
それまで周囲の人を思いやったり、心配したり感謝したことがなかったのに、
とても思慮深い人になっていた。

伯父にはガンの告知をしなかったのだが、
大病と患うと言う事は、人をこんなに変えるのかと驚いた。

ガンの痛みは、日増しに酷くなったが、
伯父は弱音を吐かずに、この痛みを乗り越えたら、
飯が食えるようになる、退院できると従姉妹に言っていたそうである。

送り盆の15日、伯父の容体は急変した。
酸素マスクをつけても、呼吸もままならなくなった。
従姉妹達、孫達、そして姉である伯母に見守られて、伯父は旅立った。

今日の葬儀に参列する際、
食べたがっていた「カツオの煮つけ」を棺に入れようと持参した。

伯父の顔を見たら、まるで生きているみたいに、
今にも何か話しだしそうな表情をしていた。

棺の中に紙皿に入れたカツオの煮つけと、お箸を入れて、
「おっちゃん、向こうで食べてな」って言ったら、
「うん、やっと食えるわ」って返事しそうな気がした。

向こうでいつか再会したした時は、
「お前の味付けは、あんまりうまいことないな」
そう、もう一度悪態をついて欲しい…

おっちゃん、お疲れ様、じいちゃん、ばあちゃんによろしくね。