昨日は、尾崎豊の20周忌だった。
会社の帰りにクロスタワーに寄った。
実は、誕生日や命日にクロスタワーに行くのは初めてだった。
MIXIコミュの人たちとお墓参りとかは一緒に行ったことあるのに
なぜか、クロスタワーには行けなかった。
なぜなら、人前で泣きたくなかったから・・・・
でも、20周忌、自分の気持ちの中でのちょっとした踏ん切りをつけるため
一人でクロスタワーに行ってみた。
老若男女様々な年齢の人が集まっていた。
何人かの人たちが集まって、ギターやバイオリンを弾いて
周りに集まっていた人たちが、彼らの音楽に合わせて一緒に熱唱していた。
私が、参加したのは、「僕が僕であるために」「シェリー」「十五の夜」「Freeze Moon」
僕が僕であるためにを歌っている途中、やっぱり泣きそうになった。
十五の夜はライブバージョンだった。私の後ろにいた女性は
ラララ♪からの歌いだしに
「なんか変な始まりかたね。違う曲みたい」っていっていた。
この頃ふと思う。尾崎の現在のファンって生前からのファンと死後のファンどっちが
多いんだろうって。
尾崎は、1983年12月1日にデビューし、1992年4月25日に亡くなった。
8年ちょっとの活動期間・・・・その中で、渡米と覚せい剤で活動をしていなかった
期間が約2年間・・・そうすると6年くらいしか活動していなかったんだよね・・・・
そんな中で2回もコンサートにいけたのは本当に幸福としかいいようがないんだけど・・・
尾崎ファンの人によく言われる「自分も尾崎のコンサートに行ってみたかった」
そして行ったことのあるファンの人はこういう
「もっと、もっとたくさんコンサートに行けばよかった。」
わかるよ。私だって、十代最後のLAST TEENAGE APPRARANCEに行って、
最後のBIRTH TOURだけだなんて淋しすぎるよ・・・・
それも同じ代々木オリンピックプール・・・・
まだまだ、時間と空間を共有できる機会たくさんあると思っていたのに・・・・
死後ファンになった方たちはどんなきっかけで、尾崎を知り、尾崎に惹かれていったんだろう・・・
でも亡くなってもまだ、なお、多くのファンに愛されている尾崎はやっぱすごいと思うな。
昨日、クロスタワーに行ってみて、みんなが合唱している姿見て
改めて思った。
学生時代は、バンドで尾崎のコピーをしたり、尾崎の曲を弾き語りして学祭で歌ったり、周りに尾崎を語れる人たちがたくさんいた。(ほとんど男性ばっかだったけど)
一緒にコンサートに行って、感動を共有したりしていた。
でも会社に入って、尾崎ファンが周りにいなくなって、一人でずっと尾崎を
愛しつづけていた。
そして、MIXIに入り、尾崎コミュのオフ会で再び尾崎ファンの人たちと交流を持つようになった。そんな中でいろいろと尾崎ファンとしての自分について考えてみた。
「尾崎豊ファン」
自分なりの尾崎豊ファン度の分析結果
あくまでも私のことだけど、同じような人もいるんじゃないかな!?
★自分が一番のファン、自分が一番豊を愛していると思っている。
★豊は今でも自分の心の中に生き続けている。
★ほかに好きなアーティストがいても豊は別格!永遠に別格!
★宝物は、2回のコンサートのパンフレットとバースツアーTシャツ♪
★果てしない旅が好きなくせに、ホワイトアルバムの存在について疑問(豊は本当にだしたかったのだろうか?)を持っている。
★アルバムCD、コンサートDVD、ビデオはすべて持っている。告白だけは持っているだけで、まだ見ていないけど(汗)
★自分だけの豊理論、豊像を持っている。そして、同じファンの人に共感してもらえるとめちゃうれしい。
★毎日、豊の曲すべてipodに入れて聴いている。
★周りが「尾崎」と呼んでいても生前はずっと「豊」と呼んでいた。(コンサートでも)
★豊をデビューアルバムの時から好きだったことに誇りをもっている。
(いや~デビュー当時、卒業がリリースされるまでは、本当に周り誰も知らなかった!)
★自分はシェリーみたいな女性になりたいと思っている。
(だからハンネもシェリーなんだけどネ!)
★カラオケでは、絶対豊を歌う。でも大人数の時は、メジャーな曲で、少人数だと
ドーナツショップや彼を歌ってしまう。(でもまだ、一度も人前で米軍キャンプは歌ったことがない)
★自分の生き方は、豊に出会って変わったと思う。
★豊のいう心の財産を増やすこと、真実の愛を見つけることを今もしつづけている。
★おざきゆたかと、だれかが口にだしただけで(第三者が)過剰に反応してしまう。
★TVやラジオで「I LOVE YOU」等豊の曲が流れると、瞬間反応をする!
★ベスト版は嫌い(自分で作るのは、好きだけど、基本、アルバムを年代順に聴いて欲しいと思っているので)
★結婚するなら尾崎性!!という理由で結婚した(笑)←旦那にはさんざん言ってます(^^; 自分が「尾崎」だから豊と言ってしまうのもあるんだけどね・・・・
★豊の悪口を聞くのが大嫌い
★豊のやってきたことはすべてなぜか許せてしまう。(薬も斎藤由貴との報道も)
以上
完全なる私見なので賛否両論あると思いますが・・・
そして、20周忌の昨日、「尾崎ハウス」が閉鎖した。
私は、結局一度も訪れなかった。
何度か訪れようとも思った・・・・けど・・・・
最初は、なかなか「尾崎の死」を受け入れられなくて・・・・
尾崎の病院に搬送されたときの写真を写真週刊誌で見てしまってから
余計にいけなくなってしまった。
今年から、また、少しずつ、尾崎ファンの人たちと交流してりして
想い出を共有していけたらいいな・・・・・
********************以下ニュースより************
若者の孤独と挫折をうたい、26歳で夭折(ようせつ)したロック歌手の尾崎豊さん。ファンが集う場所として知られてきた東京都足立区の「尾崎ハウス」が、20周忌となる25日、最後の公開を迎えた。小峰忠雄さん(71)が自宅の6畳間を開放してきたが、今年中にも家を改築するつもりだ。ほこりまみれのポスターや絵に囲まれて、ファンたちは別れを惜しんだ。
小さな町工場などが立ち並ぶ一角。都内の会社員大井輝さん(34)は昨年に続いて、2回目の訪問だという。「高校生のころから、束縛されない尾崎の生きざまにあこがれていた。サラリーマンになっても気持ちは同じです」
何とか残してもらえないか――。今年2月、小峰さんがテレビで閉鎖の意向を明かすと、区役所からもお願いされた。「でも孫と一緒に住もうと言われていて。尾崎ファンなら俺の気持ちを分かってくれるよ」。木造2階建ての自宅は築65年ほど。以前も建て替えを検討したが、ファンのために延ばしていた。
1992年4月25日。
自宅脇の敷地にフラフラになった若い裸の男が倒れていた。尾崎だった。死後、ファンが次々と花束を置いていく。泣いていた子を家に入れてあげたのが、「尾崎ハウス」誕生のきっかけだった。
きまじめそうな女性ファン、不登校の高校生、拘置所を出てきたばかりだという男……。約20年の間に様々な人がやってきた。小峰さんは、彼らの悩みを受け止め、ギターに耳を傾けた。「別に頑張ってそうしたわけじゃない。でもお金もとらずによくやるって、人には言われたよ」。かつて高校生だった女性が最近、突然来た。すし屋さんにお嫁に行ったと聞いていた。しばらくだなあと声をかけると「おじさんが元気で良かった」と泣かれた。
部屋には、ファンの感想ノートが山積みになっている。しかしここ数年、記述はまばらだ。妻の豊子さん(70)は「みんな羽ばたいていったんだよ」と言う。「ここで私たちに話をして、でも本当は自分に語っている。そして明日から頑張る。そういう場所だったんじゃないかな」(谷津憲郎)
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会社の帰りにクロスタワーに寄った。
実は、誕生日や命日にクロスタワーに行くのは初めてだった。
MIXIコミュの人たちとお墓参りとかは一緒に行ったことあるのに
なぜか、クロスタワーには行けなかった。
なぜなら、人前で泣きたくなかったから・・・・
でも、20周忌、自分の気持ちの中でのちょっとした踏ん切りをつけるため
一人でクロスタワーに行ってみた。
老若男女様々な年齢の人が集まっていた。
何人かの人たちが集まって、ギターやバイオリンを弾いて
周りに集まっていた人たちが、彼らの音楽に合わせて一緒に熱唱していた。
私が、参加したのは、「僕が僕であるために」「シェリー」「十五の夜」「Freeze Moon」
僕が僕であるためにを歌っている途中、やっぱり泣きそうになった。
十五の夜はライブバージョンだった。私の後ろにいた女性は
ラララ♪からの歌いだしに
「なんか変な始まりかたね。違う曲みたい」っていっていた。
この頃ふと思う。尾崎の現在のファンって生前からのファンと死後のファンどっちが
多いんだろうって。
尾崎は、1983年12月1日にデビューし、1992年4月25日に亡くなった。
8年ちょっとの活動期間・・・・その中で、渡米と覚せい剤で活動をしていなかった
期間が約2年間・・・そうすると6年くらいしか活動していなかったんだよね・・・・
そんな中で2回もコンサートにいけたのは本当に幸福としかいいようがないんだけど・・・
尾崎ファンの人によく言われる「自分も尾崎のコンサートに行ってみたかった」
そして行ったことのあるファンの人はこういう
「もっと、もっとたくさんコンサートに行けばよかった。」
わかるよ。私だって、十代最後のLAST TEENAGE APPRARANCEに行って、
最後のBIRTH TOURだけだなんて淋しすぎるよ・・・・
それも同じ代々木オリンピックプール・・・・
まだまだ、時間と空間を共有できる機会たくさんあると思っていたのに・・・・
死後ファンになった方たちはどんなきっかけで、尾崎を知り、尾崎に惹かれていったんだろう・・・
でも亡くなってもまだ、なお、多くのファンに愛されている尾崎はやっぱすごいと思うな。
昨日、クロスタワーに行ってみて、みんなが合唱している姿見て
改めて思った。
学生時代は、バンドで尾崎のコピーをしたり、尾崎の曲を弾き語りして学祭で歌ったり、周りに尾崎を語れる人たちがたくさんいた。(ほとんど男性ばっかだったけど)
一緒にコンサートに行って、感動を共有したりしていた。
でも会社に入って、尾崎ファンが周りにいなくなって、一人でずっと尾崎を
愛しつづけていた。
そして、MIXIに入り、尾崎コミュのオフ会で再び尾崎ファンの人たちと交流を持つようになった。そんな中でいろいろと尾崎ファンとしての自分について考えてみた。
「尾崎豊ファン」
自分なりの尾崎豊ファン度の分析結果
あくまでも私のことだけど、同じような人もいるんじゃないかな!?
★自分が一番のファン、自分が一番豊を愛していると思っている。
★豊は今でも自分の心の中に生き続けている。
★ほかに好きなアーティストがいても豊は別格!永遠に別格!
★宝物は、2回のコンサートのパンフレットとバースツアーTシャツ♪
★果てしない旅が好きなくせに、ホワイトアルバムの存在について疑問(豊は本当にだしたかったのだろうか?)を持っている。
★アルバムCD、コンサートDVD、ビデオはすべて持っている。告白だけは持っているだけで、まだ見ていないけど(汗)
★自分だけの豊理論、豊像を持っている。そして、同じファンの人に共感してもらえるとめちゃうれしい。
★毎日、豊の曲すべてipodに入れて聴いている。
★周りが「尾崎」と呼んでいても生前はずっと「豊」と呼んでいた。(コンサートでも)
★豊をデビューアルバムの時から好きだったことに誇りをもっている。
(いや~デビュー当時、卒業がリリースされるまでは、本当に周り誰も知らなかった!)
★自分はシェリーみたいな女性になりたいと思っている。
(だからハンネもシェリーなんだけどネ!)
★カラオケでは、絶対豊を歌う。でも大人数の時は、メジャーな曲で、少人数だと
ドーナツショップや彼を歌ってしまう。(でもまだ、一度も人前で米軍キャンプは歌ったことがない)
★自分の生き方は、豊に出会って変わったと思う。
★豊のいう心の財産を増やすこと、真実の愛を見つけることを今もしつづけている。
★おざきゆたかと、だれかが口にだしただけで(第三者が)過剰に反応してしまう。
★TVやラジオで「I LOVE YOU」等豊の曲が流れると、瞬間反応をする!
★ベスト版は嫌い(自分で作るのは、好きだけど、基本、アルバムを年代順に聴いて欲しいと思っているので)
★結婚するなら尾崎性!!という理由で結婚した(笑)←旦那にはさんざん言ってます(^^; 自分が「尾崎」だから豊と言ってしまうのもあるんだけどね・・・・
★豊の悪口を聞くのが大嫌い
★豊のやってきたことはすべてなぜか許せてしまう。(薬も斎藤由貴との報道も)
以上
完全なる私見なので賛否両論あると思いますが・・・
そして、20周忌の昨日、「尾崎ハウス」が閉鎖した。
私は、結局一度も訪れなかった。
何度か訪れようとも思った・・・・けど・・・・
最初は、なかなか「尾崎の死」を受け入れられなくて・・・・
尾崎の病院に搬送されたときの写真を写真週刊誌で見てしまってから
余計にいけなくなってしまった。
今年から、また、少しずつ、尾崎ファンの人たちと交流してりして
想い出を共有していけたらいいな・・・・・
********************以下ニュースより************
若者の孤独と挫折をうたい、26歳で夭折(ようせつ)したロック歌手の尾崎豊さん。ファンが集う場所として知られてきた東京都足立区の「尾崎ハウス」が、20周忌となる25日、最後の公開を迎えた。小峰忠雄さん(71)が自宅の6畳間を開放してきたが、今年中にも家を改築するつもりだ。ほこりまみれのポスターや絵に囲まれて、ファンたちは別れを惜しんだ。
小さな町工場などが立ち並ぶ一角。都内の会社員大井輝さん(34)は昨年に続いて、2回目の訪問だという。「高校生のころから、束縛されない尾崎の生きざまにあこがれていた。サラリーマンになっても気持ちは同じです」
何とか残してもらえないか――。今年2月、小峰さんがテレビで閉鎖の意向を明かすと、区役所からもお願いされた。「でも孫と一緒に住もうと言われていて。尾崎ファンなら俺の気持ちを分かってくれるよ」。木造2階建ての自宅は築65年ほど。以前も建て替えを検討したが、ファンのために延ばしていた。
1992年4月25日。
自宅脇の敷地にフラフラになった若い裸の男が倒れていた。尾崎だった。死後、ファンが次々と花束を置いていく。泣いていた子を家に入れてあげたのが、「尾崎ハウス」誕生のきっかけだった。
きまじめそうな女性ファン、不登校の高校生、拘置所を出てきたばかりだという男……。約20年の間に様々な人がやってきた。小峰さんは、彼らの悩みを受け止め、ギターに耳を傾けた。「別に頑張ってそうしたわけじゃない。でもお金もとらずによくやるって、人には言われたよ」。かつて高校生だった女性が最近、突然来た。すし屋さんにお嫁に行ったと聞いていた。しばらくだなあと声をかけると「おじさんが元気で良かった」と泣かれた。
部屋には、ファンの感想ノートが山積みになっている。しかしここ数年、記述はまばらだ。妻の豊子さん(70)は「みんな羽ばたいていったんだよ」と言う。「ここで私たちに話をして、でも本当は自分に語っている。そして明日から頑張る。そういう場所だったんじゃないかな」(谷津憲郎)
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