タッチMTG義援金お届け隊
SEA SIDE SUN in 福島県南相馬市へ
早朝4:50自宅を出発。今回はタンデム♪
朝方の寒さにやられて集合場所で腹痛に苦しむ。
みなさん集合して朝ごはんも食べて
いざ 福島へ出発!
出発早々、風圧で首がつらいw
私…大丈夫だろうかと不安がよぎる。
あと何キロ?あと何時間…?w
それでもみなさんと一緒に走ってる喜びは格別♪
ツーリングーー!うれしぃ~!
休憩
元気充電!
福島の表示が出始めるとテンション復活
風圧の攻略をあれこれしてる間に福島にINしてました。
福島暑~い!!
完璧な誘導のおかげで
あっという間に会場に到着!
義援金を主催の方へ手渡してきました♪
無事に任務完了!
会場では、色々食べて呑んで
みなさんと楽しい時間を共有☆
お届け隊とはここでお別れし
1度南下して福島原発の近くまで行きました。
またUターンして北上し、最終目的地の石巻市へ!
長い道のりを経て
やっとやっと到着!
念願の【三幸】さんでご飯♪
あ~ どれもこれも美味しかった~☆
三幸のマスターは、初めてお会いしたとは思えないぐらい
笑って色んな話をしてくれて
私達に気を遣ってくれつつも
震災のお話しも聞かせてくれました。
夜の街をうろうろしながらホテルへ。
ホテルの中もたくさんの原画が飾ってありました。
翌朝 石巻駅前から港周辺を歩きました。
石巻のお土産を少し買って
さて 長野に向かって帰りましょ。
休憩のたびに名産を食べましたよ。
明るいうちに帰る予定だったのに・・・
新潟市でこの夕焼け
長岡で高速を降りるパパ
なんでー?!
パパ「もう高速飽きた~。」
山を超えて下道で長野県へIN
真っ暗だし、トンネル怖い…。
早くかえろーよー!
「帰るとツーリング終わっちゃうからかえりたくなーい。」と謎の発言のパパ。
時刻は夜9時!
やっと家路に着きました♪
初タンデム長旅。 おしりが超痛い!
パパも運転お疲れ様でした。また行こうね♪
(帰りのルート)
快く【お届け隊】に迎え入れてくれた皆さんありがとうございました。
本当にいい経験ができました。これからも末永くよろしくお願いします。
この先は、震災で被災された地域の写真と私自身の勝手なお話しになります。
気分を害する方がいましたら、本当にごめんなさい。
高速道路を降りて福島県飯館村を走る道は、【除染作業中】の旗だらけ。
多くの作業員の方が、民家・道路・グランド・庭の草に至るまで除染作業をしていました。
黒い大きな袋はそこら中に積みあがり、時間と共に劣化し破れてる所もありました。
行き場のない汚染物質は、繰り返し町を汚染しているように感じます。
イベントスタッフの方がお話しを聞かせてくれました。
「3年半が経っても何も変わっていない。再建はおろか何十年も家に帰れない状況で除染が終わっても、町に戻る人口は4分の1以下だろう。
税収もなく、新政権からは『震災』の言葉も聞けず、南相馬市の未来はとても難しい。現状を色んな人に見て知って欲しい。被災してから何も変わっていないことを伝えて欲しい。」と。
その気持ちに甘えて町を回りましたが…言葉を失う光景しかありませんでした。
人で賑わうイベント会場から10分南下するだけで、浪江町付近で風景は急変します。
『町が死んでいる』『ゴーストタウン』 この言葉を行く前に記事で読みました。
再建もできない。誰もいない町。大切な土地が荒れています。
アスファルトは草に割られ、壁が剥がれ落ち、手入れのできない家が朽ちていくのが誰の目にもわかります。
行ってみて初めて実感した大きな疑問。
この地を見て、なぜ【原発の再稼動を…】と言えるのかと。
立ち入り禁止の看板
警備の人
午後3時…町を出る準備を始めるように放送が流れました。
復興も再建も届かない場所。
日本中がこの場所を忘れてしまって、ここが地図から消えてしまうような怖さがそこにはありました。
南相馬市から6号線を北上し、宮城県を目指します。
海から2㎞~3㎞離れたこの道を隔てて、くっきりと被害の痕がみえます。
内陸は見事な稲穂が実っています。
海側は塩害を受け、剥き出しの荒れた土地が遠くの海まで広がっていました。
津波の被害が大きかった石巻市では、このようなアプリを利用して町を歩きました。
浸水のレベルを正確に後世に伝え、もしもの被害に備えるためのツールとして作られたようです。
(スマホを町でかざすと、連動して見える画面です)
この道路からは海も見えず、津波の危険を感じることができませんが、当時はここまで浸水したのがわかります。
まち歩きマップは、震災直後の被害と現状を透過して知ることができます。
(アプリで透過)
(SHEが立っている場所の景色)
(アプリ起動)
(現在地と震災後の画像を透過できます)
福島に入ってすぐの高速道路の看板や、町にはこういったメッセージを数多く見ることができます。
私は何もできなかったな…と思うばかりです。
石巻市では、津波の被害が残る中、日常を取り戻しつつある印象を受けました。
失礼かもしれませんが、浪江町を見た後では、人が町を歩き、お店が開いてるのを見ただけで嬉しかったんです。
海に面した門脇の地で、手を合せてきました。
この一帯は住宅街が広がっていた場所ですが、今は何もありません。
津波の浸水レベルがここまで達した目印です。
周辺は再開発のために重機が忙しく動き回っていました。
石巻市で聞いたお話しです。
「もう、町はボランティアの方の力を借りなくてもいいぐらいになり、これからは町興しになっていくと思う。
被災した町に訪れることを躊躇する人もいるだろうし、感情の温度差を後ろめたく思うかもしれないが、この場所まで来るということは『何かを感じよう』と思っている人だから、それは嬉しいよ。」 と言ってくれました。
三幸のマスターが笑顔でかけてくれた言葉です。
「あ~ 楽しかった~! って帰ってもらわないとね。 そうじゃなきゃ、みーんな2度と来なくなっちゃうよ~!だから呑んで食べて楽しんでって♪」
行く前は妙な緊張感が数日続き、どんな振る舞いが正解か、何を思って行けばいいか…無駄に頭がいっぱいでした。
【来てよかった】と思ってもいいよ! と言われたようでした。
今回は、義援金を届けるという事があったからこそ被災地へ行くことができましたが、そんな名目がなくても、もっと早くに行けばよかったです。
また必ず行きます! みなさんもぜひ、自分の足で行って、見て、多くの事を感じてきてください。
そうですね、来年は大勢ののお届け隊で行けるともっともっといいですね!!