今朝の朝日新聞から。
「キログラム原器廃止へ」
原器?
初めて聞くような言葉が目にとまった。
既に記事を読んでいる方もいるだろうから、詳しい事は省きますが、ようするに質量について世界的な基準となっている定義を見直すことになっということ。
その結果、どこぞに厳重においてあった基本となる分銅を廃止するらしい。
その理由が「他の分銅と比べてわずかに軽くなったから」
言ってみれば、重さのご本尊様の交代劇。
長さも時間も質量も、それを決める基本となる原器があるのだそう。
全ての定義は、今までにも見直されてきたらしいけど、なんだか面白い。
国際基準で、「これが重さの定義です」と言っていながら、それが変更されちゃうわけだから、そもそも「定義」って何だってことになっていく。
これを心に置き換えてみると、この定義は自分の価値観っていうことだろうか。
この価値観も子どもの頃に獲得したもので、大人になった今も役に立っているかどうかはわからない。
思い通りにいかないことや、こうしたいと思いながらうまくいかないこと、明るく考えたいのについついネガティブに考えてしまうとか、こういったどうにもならない心の癖は、そういった心の定義に基づいているってことなんですよね。
ボクたちの、この心の定義も時々見直してあげないといけない。
心の中にどっかと否定的なご本尊様が座りこんでしまっているでは、困りますからね。
そうだ、ボクのあのうまくいかないアレも、ご本尊がいるに違いない。
ちょっと話し合って、世代交代をしてもらう事にしよう。
「キログラム原器廃止へ」
原器?
初めて聞くような言葉が目にとまった。
既に記事を読んでいる方もいるだろうから、詳しい事は省きますが、ようするに質量について世界的な基準となっている定義を見直すことになっということ。
その結果、どこぞに厳重においてあった基本となる分銅を廃止するらしい。
その理由が「他の分銅と比べてわずかに軽くなったから」
言ってみれば、重さのご本尊様の交代劇。
長さも時間も質量も、それを決める基本となる原器があるのだそう。
全ての定義は、今までにも見直されてきたらしいけど、なんだか面白い。
国際基準で、「これが重さの定義です」と言っていながら、それが変更されちゃうわけだから、そもそも「定義」って何だってことになっていく。
これを心に置き換えてみると、この定義は自分の価値観っていうことだろうか。
この価値観も子どもの頃に獲得したもので、大人になった今も役に立っているかどうかはわからない。
思い通りにいかないことや、こうしたいと思いながらうまくいかないこと、明るく考えたいのについついネガティブに考えてしまうとか、こういったどうにもならない心の癖は、そういった心の定義に基づいているってことなんですよね。
ボクたちの、この心の定義も時々見直してあげないといけない。
心の中にどっかと否定的なご本尊様が座りこんでしまっているでは、困りますからね。
そうだ、ボクのあのうまくいかないアレも、ご本尊がいるに違いない。
ちょっと話し合って、世代交代をしてもらう事にしよう。
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