このブログ開設していました
20年前の4月、大変でしたが幸せでした
ちょうどいいのかもしれません、終わりにするのも
最後に思うこと
やはり嫌いで別れるのはつらいですね
少なくとも私は今も思ってるのかもしれませんね
10年前ころ、喧嘩をして「もう無理」と言われました
でも子供も小さいし、何しろ好きだったので何とか解決できないかと思い、いろいろ
試しました
で、なあなあと8年が過ぎ、離婚と家の売却を突き付けられたのでした
でも私は5年前から体調に違和感を感じ、いろんな医者へ行っていました
そしてやっと数年後、確定診断されました
難病で余命宣告もされ、それでなくても荒れていました
でも、その行動に耐えられなかったのでしょうね
「もう無理、最初は楽しかったよ、でも途中から??って思った、会社も一年もつかわからないから
起業する、そのためにまとまったお金が必要だから、家を売る」
「一年半前から考えてた、そのためにも飲みに行ってた」
私が起業したいことが夢でありましたが、やめたから、自分がやると決めたと、、、
私は病気のことであきらめるしかなかったのです
それで、自分が、、、と言われショックではありましたが、「家売ってから1年くらいしたら離婚して」
と言われたのが1番のショックでした
「介護離職もしたくない」とも
正直ほとんど数か月の間に介助してくれることは少なったです(子供より)
私は家を売っても一緒にいたかったのです
子供が小さいとき、本当に忙しくて大変でした
で、子供が成長するにつれ夫婦の時間をとれると思っていました
それが難病を知り、不自由になってきて、できることも日々減ってきて、毎日がつらくなりました
元夫もよそよそしく、そのころは好き勝手に飲みに行っていました
起業仲間と飲んでいたみたいです
私には辛かったです
私は飲むことも好きだったのですが、「自分昔飲みに行きたかった」と言われた時にほとんど飲んで
ませんでしたよ?と思いました
いろんな不満がお互い蓄積していったのでしょうね
家をでてくる近くの日、「正直ぶれたよ、でも起業したかっただけなんだよ」と言われました
仕事に負けたかな、お金に負けたかな、、、
涙しかでなかったです
離婚の際、子供こともあるから苗字は変えてほしくない
これから再婚はしない、再婚したとしても同じ人(私)
これは信じていないです、難病の嫁と離婚できたのに再婚はしないですよね
私の死に際は子供だけくればいいです(来てくれれば)
元夫と出会ったとき、今までのタイプの人でもなかったけど、年齢も知らないのにすごく惹かれました
同じ学年と昔通ってた付近に住んでいたことを聞いて、なんでもっと早く出会えなかったんだろうって
思った記憶があります
付き合うのに時間もかからず、彼も、束縛してくれるほど夢中になってくれたりするのが心地よかった
のもあります
大事にされていたのがとてもうれしかったです
横浜の開港祭の帰りに激混みの電車で守ってくれたり、熱海や北海道、今はないけど晴海ふ頭に夜景を
見に行ったり、たくさんの思い出があります
大好きなカスミソウの花束をくれたり、駅で離れるのが嫌だったり
くさいですけど、恋愛中の思い出ですね(古いですね)
プロポーズも船の上でしてくれました、うれしかったです
彼の子供を産めたこともうれしかったです
その数年後、義両親や、子供のことで心身ともに疲弊してきて、今に至りました
ただ、昔の自分とは違う自分の最後を見られるのは嫌かもしれないので、別れてよかったかもしれないです
彼はがんばってほしいですね
長男とは同居してるので、この子の今後を考え残りの時間を過ごそうと思います
いつ投稿できなくなるのかもしれないので、これで終わりにしようと思います
つまらない話を見てくださった方々、どうもありがとうございました
20年前の4月、大変でしたが幸せでした
ちょうどいいのかもしれません、終わりにするのも
最後に思うこと
やはり嫌いで別れるのはつらいですね
少なくとも私は今も思ってるのかもしれませんね
10年前ころ、喧嘩をして「もう無理」と言われました
でも子供も小さいし、何しろ好きだったので何とか解決できないかと思い、いろいろ
試しました
で、なあなあと8年が過ぎ、離婚と家の売却を突き付けられたのでした
でも私は5年前から体調に違和感を感じ、いろんな医者へ行っていました
そしてやっと数年後、確定診断されました
難病で余命宣告もされ、それでなくても荒れていました
でも、その行動に耐えられなかったのでしょうね
「もう無理、最初は楽しかったよ、でも途中から??って思った、会社も一年もつかわからないから
起業する、そのためにまとまったお金が必要だから、家を売る」
「一年半前から考えてた、そのためにも飲みに行ってた」
私が起業したいことが夢でありましたが、やめたから、自分がやると決めたと、、、
私は病気のことであきらめるしかなかったのです
それで、自分が、、、と言われショックではありましたが、「家売ってから1年くらいしたら離婚して」
と言われたのが1番のショックでした
「介護離職もしたくない」とも
正直ほとんど数か月の間に介助してくれることは少なったです(子供より)
私は家を売っても一緒にいたかったのです
子供が小さいとき、本当に忙しくて大変でした
で、子供が成長するにつれ夫婦の時間をとれると思っていました
それが難病を知り、不自由になってきて、できることも日々減ってきて、毎日がつらくなりました
元夫もよそよそしく、そのころは好き勝手に飲みに行っていました
起業仲間と飲んでいたみたいです
私には辛かったです
私は飲むことも好きだったのですが、「自分昔飲みに行きたかった」と言われた時にほとんど飲んで
ませんでしたよ?と思いました
いろんな不満がお互い蓄積していったのでしょうね
家をでてくる近くの日、「正直ぶれたよ、でも起業したかっただけなんだよ」と言われました
仕事に負けたかな、お金に負けたかな、、、
涙しかでなかったです
離婚の際、子供こともあるから苗字は変えてほしくない
これから再婚はしない、再婚したとしても同じ人(私)
これは信じていないです、難病の嫁と離婚できたのに再婚はしないですよね
私の死に際は子供だけくればいいです(来てくれれば)
元夫と出会ったとき、今までのタイプの人でもなかったけど、年齢も知らないのにすごく惹かれました
同じ学年と昔通ってた付近に住んでいたことを聞いて、なんでもっと早く出会えなかったんだろうって
思った記憶があります
付き合うのに時間もかからず、彼も、束縛してくれるほど夢中になってくれたりするのが心地よかった
のもあります
大事にされていたのがとてもうれしかったです
横浜の開港祭の帰りに激混みの電車で守ってくれたり、熱海や北海道、今はないけど晴海ふ頭に夜景を
見に行ったり、たくさんの思い出があります
大好きなカスミソウの花束をくれたり、駅で離れるのが嫌だったり
くさいですけど、恋愛中の思い出ですね(古いですね)
プロポーズも船の上でしてくれました、うれしかったです
彼の子供を産めたこともうれしかったです
その数年後、義両親や、子供のことで心身ともに疲弊してきて、今に至りました
ただ、昔の自分とは違う自分の最後を見られるのは嫌かもしれないので、別れてよかったかもしれないです
彼はがんばってほしいですね
長男とは同居してるので、この子の今後を考え残りの時間を過ごそうと思います
いつ投稿できなくなるのかもしれないので、これで終わりにしようと思います
つまらない話を見てくださった方々、どうもありがとうございました