今日はひなまつりですね~
桃の節句と言われていますが、女の子の節句とも言われています。
ちなみに、5月5日は端午の節句、男の子の節句と言われてます。
さて、男女の差別を声高に言われるようになりましたが、日本古来の「節句」はどうなんでしょう?
まず、桃の節句と端午の節句
祭日扱いを受けるのは端午の節句です。
祭日名は「こどもの日」
祭日名に男女差別はありませんね。
さて、僕も男女差別をする事自体には反対です。
能力のある人は、どんどん登用されるべきだと考えている一人です。
しかしながら、最近の「男女同権」を叫ぶ声には、違和感がある事も事実です。
「性差別」と「性の違い」を混同している人が多いと感じるのは、僕だけなのでしょうか?
そもそも、「子供を産む」という事は、女性にしか出来ない事であり、それは人間にとって、とても尊い事であることは否めません。
女性は妊娠が判った時点で、あるいは妊娠した時点で、親としての認識を心と身体を通じて得る事になります。
それに対して、男性はパートナーの妊娠を情報として認識することは出来ても、それは脳内に情報として認識されるだけであり、身体の中で日々成長する胎児を感じる事は出来ないので、身体の認識は女性とは違うものがあるというのは否めません。
男性と女性には「差別」とは違う、「性別」がある事を考えながら、「男女同権」を考えないと、「少子化問題」や「種の保存」という、避けては通れない問題を解決する事は不可能に思えます。
僕は学者でも、専門家でもないので、言葉を正しく使う事は出来ないのですが、お聞き苦しく思えたらごめんなさい。
まず、人間は平等であるという考え方、それは都合のいい考え方に思えます。
男女のみならず、肌の色や国の違い
色んな差別が叫ばれてきました。
もちろん、差別はあってはならないと、僕自身は考えています。
しかしながら、「人間本来の役割」に対して、「差別と平等」を武器にして、全てを平等とするのは違っているようにも思えます。
例えば、「国会議員の男女比率」や「閣僚の男女比率」、あるいは「大学の合格者の男女比率」なんてものが、マスコミで報道されると、その割合を巡って大騒ぎしたりしますよね?
そもそも、「男女比率」なんてものが報道されることが、「男女不平等」だと思いませんか?
国会議員に女性が少ないのは、女性候補に投票しないという事実があるからです。
有権者が、その個人を投票するに値しないと判断しているという事ではないでしょうか?
閣僚に女性が少なくなるのも、そういう事実があるので、元々女性議員が少ないのですから、その中から有能な人材としての「女性」を選ぶとなると、少なくなってしまうのは、ある程度仕方ないと思います。
どこかの医大みたいなに、男女の比率を最初から決めていたというのは問題があると思いますが、逆に最初から「男性5割、女性5割」と決めて合格者を決める方法も違っていると思います。
国民の象徴である「天皇」も男性直系が原則。
しかしながら、古代の天皇には女性も存在しています。
イギリスでは、現在の国王は女性です。
でも、天皇の引継ぎ問題は、秋篠宮家に男性皇族が産まれたことにより、どこかに消えてしまいました。
つまり、現代の日本社会では、「男女平等」に移り変わるスタート地点なんだと思うのです。
急激に変えようとすると、間違った方向に進む恐れも出てくるでしょうし、変化についていけない人たちからの反発も出てくるでしょう。
しかしながら、叫ばないと変わらない事も事実だと思います。
「雛人形」と「五月人形」の違いを、しっかりと噛み締めながら、我が国の「男女平等」を「性差別」ではなく「性別による違い」として歩みを進めて欲しいと思います。
何よりも、家族がみんなで、子供たちの成長を祝う
今日は楽しいひなまつり♪
がいつまでも日本の文化として続くことを願います。
我が家にも「姫」が二人いますので、今日はちょっとした贅沢をさせていただきました。
えっ?
酒が増えただけだろ?
・・・・・・・
その通りです。
今日はほろ酔いで、このブログを更新してますので、まとまりのない、オチのない話で失礼させていただきます(笑)
桃の節句と言われていますが、女の子の節句とも言われています。
ちなみに、5月5日は端午の節句、男の子の節句と言われてます。
さて、男女の差別を声高に言われるようになりましたが、日本古来の「節句」はどうなんでしょう?
まず、桃の節句と端午の節句
祭日扱いを受けるのは端午の節句です。
祭日名は「こどもの日」
祭日名に男女差別はありませんね。
さて、僕も男女差別をする事自体には反対です。
能力のある人は、どんどん登用されるべきだと考えている一人です。
しかしながら、最近の「男女同権」を叫ぶ声には、違和感がある事も事実です。
「性差別」と「性の違い」を混同している人が多いと感じるのは、僕だけなのでしょうか?
そもそも、「子供を産む」という事は、女性にしか出来ない事であり、それは人間にとって、とても尊い事であることは否めません。
女性は妊娠が判った時点で、あるいは妊娠した時点で、親としての認識を心と身体を通じて得る事になります。
それに対して、男性はパートナーの妊娠を情報として認識することは出来ても、それは脳内に情報として認識されるだけであり、身体の中で日々成長する胎児を感じる事は出来ないので、身体の認識は女性とは違うものがあるというのは否めません。
男性と女性には「差別」とは違う、「性別」がある事を考えながら、「男女同権」を考えないと、「少子化問題」や「種の保存」という、避けては通れない問題を解決する事は不可能に思えます。
僕は学者でも、専門家でもないので、言葉を正しく使う事は出来ないのですが、お聞き苦しく思えたらごめんなさい。
まず、人間は平等であるという考え方、それは都合のいい考え方に思えます。
男女のみならず、肌の色や国の違い
色んな差別が叫ばれてきました。
もちろん、差別はあってはならないと、僕自身は考えています。
しかしながら、「人間本来の役割」に対して、「差別と平等」を武器にして、全てを平等とするのは違っているようにも思えます。
例えば、「国会議員の男女比率」や「閣僚の男女比率」、あるいは「大学の合格者の男女比率」なんてものが、マスコミで報道されると、その割合を巡って大騒ぎしたりしますよね?
そもそも、「男女比率」なんてものが報道されることが、「男女不平等」だと思いませんか?
国会議員に女性が少ないのは、女性候補に投票しないという事実があるからです。
有権者が、その個人を投票するに値しないと判断しているという事ではないでしょうか?
閣僚に女性が少なくなるのも、そういう事実があるので、元々女性議員が少ないのですから、その中から有能な人材としての「女性」を選ぶとなると、少なくなってしまうのは、ある程度仕方ないと思います。
どこかの医大みたいなに、男女の比率を最初から決めていたというのは問題があると思いますが、逆に最初から「男性5割、女性5割」と決めて合格者を決める方法も違っていると思います。
国民の象徴である「天皇」も男性直系が原則。
しかしながら、古代の天皇には女性も存在しています。
イギリスでは、現在の国王は女性です。
でも、天皇の引継ぎ問題は、秋篠宮家に男性皇族が産まれたことにより、どこかに消えてしまいました。
つまり、現代の日本社会では、「男女平等」に移り変わるスタート地点なんだと思うのです。
急激に変えようとすると、間違った方向に進む恐れも出てくるでしょうし、変化についていけない人たちからの反発も出てくるでしょう。
しかしながら、叫ばないと変わらない事も事実だと思います。
「雛人形」と「五月人形」の違いを、しっかりと噛み締めながら、我が国の「男女平等」を「性差別」ではなく「性別による違い」として歩みを進めて欲しいと思います。
何よりも、家族がみんなで、子供たちの成長を祝う
今日は楽しいひなまつり♪
がいつまでも日本の文化として続くことを願います。
我が家にも「姫」が二人いますので、今日はちょっとした贅沢をさせていただきました。
えっ?
酒が増えただけだろ?
・・・・・・・
その通りです。
今日はほろ酔いで、このブログを更新してますので、まとまりのない、オチのない話で失礼させていただきます(笑)
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