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芹のバラ色の日々

旅好きOLのつれづれ日記

「アルゼンチンババア」を読んで

2006年10月30日 | 母の思い出
姉に借りて、よしもとばななの「アルゼンチンババア」を読みました。

母を、そして妻を亡くした家族が、人生の、というよりは生命の意味を見つめなおし、再生していく姿が描かれた話です。

電車の中で読み始めてしまったのですが、人目もはばからずボロボロ泣いてしまいました。
ストーリで泣かされたわけではありません。個人的な理由でした。主人公が、母の死んだ瞬間に立ち会ったことで、「大きな贈り物をもらった」という描写で、母の最期をあまりにも鮮明に思い出してしまったのです。

母の最期に立ち会ったのは、私一人でした。今まで、その時間について誰かに詳しく話したかどうか、覚えていません。母の死の直後、私は語ったのでしょうか。記憶がないのです。その時は、「母を亡くした」というそのこと自体の混乱も大きかったのでしょう。
「母を亡くしたこと」は、今現在にもつながる事象です。でも、「母を亡くした時間」は、あのときだけのものなのです。
あえて思い出さないように慎重に気をつかってきたそのことを思い出し、息ができないほどの胸の痛みと、溢れてくる涙によって、あの時間がどれほど強いトラウマになっているかを思い知らされました。
それは私にとって、とても「大きな贈り物をもらった」といえるものではなく、ただただ自分の無力と、深い悔恨を心に刻み付ける時間だったのです。

母が私を恨んでいないこと、私がたとえどう行動したとしても大きな形勢の違いはなかったであろうこと、私が自分を責めることが間違っているであろうこと、そういうことはわかっています。でも、後悔せずにはいられないのです。
その時間について、私は本当に鮮明に覚えています。でも今は、決して語ることができません。それでも、すでに私は笑ったり、楽しいと感じる時間をもつことができています。私に強い心を与えてくれた、母を含めた家族と、近しい人々に、感謝しています。

母への感謝

2006年08月13日 | 母の思い出
電車の中で、小学生と思しき女の子とお母さんが熱心にMOOK本を読んでいました。タイトルは「一流校に入る」!!今の子どもは小さなころから競争にさらされ、本当に大変ですね。

学習塾を営んでいただけあって、母は教育に熱心でした。でも子どもが小さなころから将来の大学のことまで考えていたとは思えません。時代も今とは違いましたが、何より小さいころの私が今よりさらに輪をかけてぼんやりした子どもだったせいでしょう。子どもの欲目もありますが、母は頭のいい人でしたので、当時の母の歯がゆさを思うと今になって胸が痛みます。
母はそんな歯がゆさを私にぶつけるわけでもなく、「あなたは本当に頭がいいわね」「あなたがあの学校で一番かわいいわ」と、言われている本人にさえお世辞と丸わかりな褒め言葉をいつもかけてくれていました。
学校で「何をやるのもクラスで2番めに遅いです」なんて言われてくる私が不憫だったのでしょうか。

当時は「嘘ばっかり言って!」と反発していましたが、どこかで心の支えになっていたような気がします。あんなに落ちこぼれていても、さしたる劣等感を持たずにいられたのは母のおかげだったのではないかと、今になって感謝しています。

写真は、波照間島です。

プリンス・エドワード島

2006年04月10日 | 母の思い出
家にかけてあるカレンダーの「4月」が、プリンス・エドワード島の写真でした。
この写真を見ていて、ふと遠い昔のことを思い出しました…。

プリンス・エドワード島といえば、いわずと知れた「赤毛のアン」の舞台です。
母はこの本が大好きで、もちろん私も姉も読みました。

実は、母に薦められる以前に、私は友達からこのお話の筋を聞いて、読んでみたいとねだったことがあります。小学校低学年くらいのことでした。
ところが、このときに私が聞いた筋というのは、「意地悪な養母に育てられるアンが、だんだん成功していくお話」というもの。
母は私の話を聞いて、「そのお友達は、子供向けに簡単にしたものを読んだのね。でもこのお話はストーリーだけを楽しむものではないから、完全なものを読めるような年になるまで待ってから読んだほうがいいよ。その方がずっと楽しめるから」
と言い、私が読んで理解できる年になるまで、読むことを許しませんでした。

母は子供向けの簡易版に否定的な人でした。そういえば、同じ理由で「秘密の花園」も、「ハイジ」も、「若草物語」も読んだのは活字の小さな本を読めるようになってからでした。

結果的には、私も「意地悪なマリラにいじめられるアン」なんてストーリーで赤毛のアンを覚えずにいてよかったと思っています。アンに惹かれて、愛しく思いながらそれを素直に出さないマリラと、愛情だだ漏れのマシュウ。この二人の対比や、ケガをして抱えられているアンを見たとき、自分がどれだけアンを愛しているかマリラが悟るシーンなど、子ども心に人の心の機微を知る、とてもよい小説だったと思っています。

そういえば母は小さいころだけでなく、私が高校、大学になってからもレンタルビデオ屋さんで、「まだあなたにはわからないだろうけれど、これもいい映画よ。もっと大人になったら観なさい」と言っていました。
きっとそろそろわかる年頃になっていると思うのですが、残念ながらどの映画だったかほとんど覚えていません。