大本営海軍部・大東亜戦争開戦経緯(防衛庁防衛研修所戦史部、1979年)
1940年6月にフランスがドイツに降伏すると、日本軍は援蒋ルートの封鎖を狙い、9月に北部仏印に進駐した。当時のイギリスは対独戦で手一杯の状況にあり、北部仏印進駐に対する英米の反発は弱かった。この経験もあり、陸海軍は南部仏印にも大きな軋轢なく進駐できるのではないかと考えるようになった。
1941年4月に南方視察を行った前田軍令部第三(情報)部長は次のように述懐している。「南部仏印進駐は対米英戦生起の場合の準備であり、南方の戦略要点を先制的に占拠しようとするものであった。当時は日米海軍力の比率が最も我が方に有利な時であり、四、五年もするとその比率は一対七とか一体八とかになるということで今や戦争のチャンスであると考えた。南部仏印進駐にはこのほかにも、大東亜共栄圏の基盤として仏印・泰を確保する、米国の対独参戦態度の濃化に対処する、米英の先制占領は日本にとって致命的打撃である、陸軍を南方にけん引する、などの理由又は狙いがあった。」「米国の動きは考えずに、主としてシンガポールの動静に関心を払った。すなわち日本が南部仏印に進駐した場合、英国の武力反発があるかどうか、武力衝突を惹起するかどうかを見極めることがこの現地検討の重点であった。結論は英国のシンガポールにおける戦備は不十分であり、武力反発の動きはないだろう。すなわち英はたたない、米ももとより立たないと判断した。しかし禁油ぐらいはやるかもしれぬと考えた。そして南部仏印進駐をやるとするならば、なるべく早い方がよろしいということであった。このことはのちに首相官邸の日本間で近衛首相にも報告した。」
フランスはドイツ占領下にあったが、ドイツを経由してフランスに圧力をかける外交交渉は成功しなかった。6月18日に到着した大島駐独大使の報告電では、リッベントロップ外相は「出来得る限り日本側の希望達成にご援助致すべきことは勿論なるも、目下独仏間にはシリア、アフリカ問題等機微なる案件あるを以て、今日ドイツとしてはヴィシー政府に対し手荒き措置を採ることは得策にあらずと考えあり」と回答している。その後もリッベントロップ外相のこの問題に対する態度はきわめて煮え切らないものであった。それとともに、松岡外相の態度もまた消極的で、軍部の要望に対し抵抗を示し続けた。武藤・岡両軍務局長は松岡外相の説得に努めた。松岡外相説得のために陸海軍が作成した「軍事上の見地より絶対必要なる理由に就て」では「約半か年後、攻略作戦は極めて困難となり、英米戦争に勝算たち難し、今日南部仏印に軍事基地を獲得すれば、シンガポール作戦は比較的容易になる」との説明が付けられていた。
6月22日に独ソ戦が始まると、陸軍の一部、そして松岡外相はドイツと共にソ連と戦うべきと強硬に主張した。
6月30日の第36回連絡懇談会では、松岡が独ソ戦に「帝国は参戦を決意せざるべからず、南に火をつけるのを止めては如何、北に出るためには南仏進駐を中止しては如何、約六月延期しては如何」「南仏に進駐せば、石油、ゴム、錫、米等皆入手困難となる」「英雄は頭を転向する、吾輩は先般南進論を述べたるも今度は北方に転向する次第なり」と発言したが、「近衛首相は統帥部がやられるならばやると述べ、外相は然らばやるが、その他の大臣は異存なきやと問い、各大臣も異存なしと発言し、結局原案通り実行することと」なった。
近衛には迷いと躊躇があった。「近衛文麿(下)」では「牛場(牛場友彦総理秘書)によると、当時陸軍及び海軍一部の空気として、北進か南進か、少なくともその何れかを到底抑制できない勢いであった。近衛がその何れをも断乎として抑止したら、結局殺されるか辞めさせられるかの他なく、しかもその結果は極端な形で北進か南進かが実現されるだけで、事態は悪化するだけと思われた。だから近衛として為しうる最善は、せめてこの両者を同時にやらせないことであった。当時、北進勢いは急迫していたので、これを抑止するため、その代わりの『コンプロマイズとして』‐近衛自身が淋しそうにそう言った‐、とりあえず軍の勢いを南方に向けざるを得なかったのである。」
南部仏印進駐は、陸軍に対ソ戦を行わせないための国内政治的な「コンプロマイズ」として使われた。
「富田(富田健治書記官長)によると、南部仏印進駐が、米国をして『遂に起つ』と思わしめるような、強硬な措置をとらしめることになるとは、実は海軍でも予想していなかった。当時近衛も富田も、そのことで海軍と懇談を重ねたが、皆それほど重大な結果を予想していなかった。近衛も心配はしていたけれども、かくまで強い反対結果を見るとは思わず、しかも上述の如き情勢のため、一応これに合意したのである。」
対ソ戦を回避するために軍部との取引材料として使われた南部仏印進駐はアメリカの対日石油禁輸の原因となり、太平洋戦争の開戦に直接的につながっていく。