シニア担当のYokoです。
私たちは必ず年をとる。
「若」という漢字は、女性が髪の毛をとかしている古代文字が語源です。
「老」という漢字は、ひげが長く杖を付き腰が曲がった人を表しているそうです。
Cさん
一昨日ぼんやりとした様子でアートの部屋にお越しになりました。
いつもと様子が違う
お部屋から自分でゆっくり歩いて、
私たちの顔を見た途端にぱっと明るく手を振るいつもの様子はありませんでした。
どこかぼんやり
先週は体調を崩してはじめて車いすでお越しになったので心配していました。
でもこの日はいつものように自分の足で杖をついて。。
よかったと思ったのはつかの間、どこかぼんやりしていて何となくいつもと様子が違う
暑さのせいもあったのでしょう。。
ご挨拶しても反応が薄い。笑顔もなく、椅子に座るとふぅ~と息をしました。
この日使う秋の景色のお写真をお見せしても、ただぼんやりとめくるだけ・・
するとぽそっと
「体調をね・・・・崩しちゃったのよね・・・」と。
それは誰に伝える訳でなく、独り言のようでした。
私たちは変わらずにゆっくり静かに話しかけながらしばらく見守っていました。
「先生の。。そう。。先生の時間よね。」ぽそり・・・
ここがどこなのかが時間を経て少しずつ思い出されたようでした。
一人また一人とお仲間が部屋に来て賑やかになって来ました。
最後にいつも会う方が着席されると、やっと笑顔が・・・
Cさんとの出会いはもう5年位前になるでしょうか・・・
あの日はCさんがご家族と一緒に施設見学をされていた日でした。
ぜひアートセラピーにと急遽参加。
パステルを粉にして夢中で手を動かして色や形を楽しんでいました。
ご入居後はいつもいつもアートワークを楽しみにいの一番でお越しになってくださっていました。
明るくて、笑顔が素敵で、お孫さんが大好きで
作品を作ると「おまごちゃんにあげるのよ」と大事に抱えて持って帰りました。
「ひとつ階段を降りる」
私たちの間ではこう表現します。
子ども達が何かを学び成長する 右肩上がり それが一つ階段を登るのであれば
高齢者の方が体力が落ちる 認識が落ちてくる 右肩下がり そう階段を降りるようです。
Cさんは階段をひとつ降りたのだなと感じます。
この階段をまた再び登る事は、降りる事よりも難しい。
長い間高齢の皆様とお付き合いしていて私がわかった事です。
体力だけでなく、意識の中の点と点が繋がるのに時間がかかってきます。
私たちはそこを焦らせる事なく、ただ静かに そしていつもと変わらぬように 寄り添い続けます。
ただ何事もなく、安心を感じてもらえるように私たち自身が環境となるのです。
無視をするのではなく、だからといって過剰な声かけをするのでもなく
ただ森の木々のように、ただ風のように、ただ空のように
そう、「自然である事」
人間は感情の生き物
だからといってCさんの様子を見て、寂しい気持ちがなかったわけではありません。
ワークの帰りの電車の中、私自身どこかぼんやりとしていました。
そうしてあんな事やこんな事 Cさんと過ごした時間を思い出していました。
お元気ではつらつとしていたあの頃
そしてこの日の様子
快速に乗れば早いのに、少しゆっくりとした電車に乗って帰りました。
ただ訳もなく、Cさんとの思い出を味わいたかったのかもしれません。
そうして少しずつ少しずつ寂しさをとかしていったのかもしれません。
寂しいという気持ちを塊にしておくのではなく
体に十分行き渡らせて、私自身がCさんやお会いするシニアの皆さんの
ただ安心を感じていただける「木」で「風」で「空」であり続けるために、
この感情を私自身のこころの栄養に変えていく時間だったのかもしれません。
また一つ 生きて行く上で大切な事を私は学ばせて頂いたように思います。
私たちは必ず年をとる。
「若」という漢字は、女性が髪の毛をとかしている古代文字が語源です。
「老」という漢字は、ひげが長く杖を付き腰が曲がった人を表しているそうです。
Cさん
一昨日ぼんやりとした様子でアートの部屋にお越しになりました。
いつもと様子が違う
お部屋から自分でゆっくり歩いて、
私たちの顔を見た途端にぱっと明るく手を振るいつもの様子はありませんでした。
どこかぼんやり
先週は体調を崩してはじめて車いすでお越しになったので心配していました。
でもこの日はいつものように自分の足で杖をついて。。
よかったと思ったのはつかの間、どこかぼんやりしていて何となくいつもと様子が違う
暑さのせいもあったのでしょう。。
ご挨拶しても反応が薄い。笑顔もなく、椅子に座るとふぅ~と息をしました。
この日使う秋の景色のお写真をお見せしても、ただぼんやりとめくるだけ・・
するとぽそっと
「体調をね・・・・崩しちゃったのよね・・・」と。
それは誰に伝える訳でなく、独り言のようでした。
私たちは変わらずにゆっくり静かに話しかけながらしばらく見守っていました。
「先生の。。そう。。先生の時間よね。」ぽそり・・・
ここがどこなのかが時間を経て少しずつ思い出されたようでした。
一人また一人とお仲間が部屋に来て賑やかになって来ました。
最後にいつも会う方が着席されると、やっと笑顔が・・・
Cさんとの出会いはもう5年位前になるでしょうか・・・
あの日はCさんがご家族と一緒に施設見学をされていた日でした。
ぜひアートセラピーにと急遽参加。
パステルを粉にして夢中で手を動かして色や形を楽しんでいました。
ご入居後はいつもいつもアートワークを楽しみにいの一番でお越しになってくださっていました。
明るくて、笑顔が素敵で、お孫さんが大好きで
作品を作ると「おまごちゃんにあげるのよ」と大事に抱えて持って帰りました。
「ひとつ階段を降りる」
私たちの間ではこう表現します。
子ども達が何かを学び成長する 右肩上がり それが一つ階段を登るのであれば
高齢者の方が体力が落ちる 認識が落ちてくる 右肩下がり そう階段を降りるようです。
Cさんは階段をひとつ降りたのだなと感じます。
この階段をまた再び登る事は、降りる事よりも難しい。
長い間高齢の皆様とお付き合いしていて私がわかった事です。
体力だけでなく、意識の中の点と点が繋がるのに時間がかかってきます。
私たちはそこを焦らせる事なく、ただ静かに そしていつもと変わらぬように 寄り添い続けます。
ただ何事もなく、安心を感じてもらえるように私たち自身が環境となるのです。
無視をするのではなく、だからといって過剰な声かけをするのでもなく
ただ森の木々のように、ただ風のように、ただ空のように
そう、「自然である事」
人間は感情の生き物
だからといってCさんの様子を見て、寂しい気持ちがなかったわけではありません。
ワークの帰りの電車の中、私自身どこかぼんやりとしていました。
そうしてあんな事やこんな事 Cさんと過ごした時間を思い出していました。
お元気ではつらつとしていたあの頃
そしてこの日の様子
快速に乗れば早いのに、少しゆっくりとした電車に乗って帰りました。
ただ訳もなく、Cさんとの思い出を味わいたかったのかもしれません。
そうして少しずつ少しずつ寂しさをとかしていったのかもしれません。
寂しいという気持ちを塊にしておくのではなく
体に十分行き渡らせて、私自身がCさんやお会いするシニアの皆さんの
ただ安心を感じていただける「木」で「風」で「空」であり続けるために、
この感情を私自身のこころの栄養に変えていく時間だったのかもしれません。
また一つ 生きて行く上で大切な事を私は学ばせて頂いたように思います。
涙腺が。。
自然であること。
大事ですね。
自然であること・・・とても難しい
だからこそ
そうあろうと思うかもしれません。。
久しぶりの合宿で味わおうと思います。