連載最後の記事ですから、全文を載せてみました。
■世界日報(電子新聞)案内ページ 試読コーナーもあります。
http://www.worldtimes.co.jp/itenews/main.html
「日本軍の残虐」、メディアが発端/真実追究もメディアの使命
「井伏鱒二現象」という言葉を渡部昇一・上智大学名誉教授から初めて聞いたのは二年前の七月、都内のホテルオークラのロビーでだった。
評論家、谷沢永一氏や作家、猪瀬直樹氏らが詳しいが、文化勲章まで受章した作家、井伏鱒二の主要作品『山椒魚』『ジョン万次郎漂流記』『黒い雨』が、実は盗作だったのである。出版界はこの事実を突き付けられても、井伏の作品を回収したり、お詫(わ)びを出すということをしないため、その事実が世間に広がらない――これを渡部名誉教授は、「井伏鱒二現象」と形容したのである。
米国上院軍事外交合同委員会の場で一九五一(昭和二十六)年五月三日、マッカーサー元連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官が、日本が戦争に突入した動機は「大部分が安全保障の必要に迫られてのこと」と証言した事実も、渡部氏は「日本のメディアがなかなか紹介しようとしない点で、これも『井伏鱒二現象』だ」と指摘した。
井伏作品に盗作あり、という事実は出版界にとって売り上げダメージになるので、なかったことにする。マッカーサー証言は先の大戦の評価を変えるものであるから、これを歓迎しないメディアは、無視する。こうして、関係者にとって「不都合な真実」は、世間に広まらない。
沖縄戦における集団自決問題は、沖縄におけるタブーである。それが証拠に、徹底した検証取材を行った作家、曽野綾子氏の『ある神話の背景』は、沖縄で激しいバッシングを浴びた。その本が沖縄の書店ではなかなか購入できないという話まで残っている。
さて、六月二十八日までに、高校教科書の集団自決に関する検定意見の撤回を求める意見書が、県議会をはじめ沖縄県内四十一市町村の全議会で可決された。その検定意見を冷静に読めば、自決に関して軍の強制の度合いを和らげたものであり、一切の関与を否定したものではない。だが、地元紙だけでなく、朝日新聞、毎日新聞も検定結果を厳しく批判する論評を掲載した。
しかし、戦争当時、「敵の捕虜になるよりは名誉ある死を」と説き、サイパンなどでの婦女子の自決を大きく称賛したのはメディアにほかならなかった。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)は昭和十二年十一月から十二月にかけて四回、戦争鼓舞のために中国人「百人斬り競争」の記事を掲載した。その記事が原因で戦後、向井敏明、野田毅両少尉は、南京軍事裁判で有罪判決を言い渡され、昭和二十三年一月、銃殺刑に処せられた。昭和四十六年、本多勝一氏は朝日新聞に「中国の旅」を連載し、「百人斬り」に触れた。それがきっかけで向井さんの二女の結婚生活が破壊された。
二人の将校の名誉回復を求めた裁判の弁護を務めた稲田朋美氏(現衆院議員)は、著書『百人斬り裁判から南京へ』(文春新書)の中で、こう指摘する。
「一つの虚報が原因となり、父は殺され、懸命に戦後を生きていた娘の人生は朝日新聞の記事によって狂ってしまったのである。ジャーナリズムの怖さを感じずにはいられない」
平成十八年五月、東京高裁は「百人斬り競争」記事は、「信じることができない」「甚だ疑わしい」と認めながらも、遺族の人格侵害を認めず、同年十二月、最高裁は上告を棄却した。
南京戦と、将校の「百人斬り競争」は無関係なのだが、中国政府は「大虐殺の動かぬ証拠」に仕立て上げた。この「南京虐殺」と、八年後の沖縄戦における「自決命令」は、左翼文化人や運動家の間では、日本軍の残虐の証明として関連付けられている。
家永三郎は著書『太平洋戦争』(岩波書店、昭和四十三年)で、赤松嘉次隊長、梅澤裕隊長の自決命令説を肯定し、日本兵がスパイ容疑の住民を殺したり、洞穴に避難していた幼児が泣きだしたため、敵に発見されることを恐れて、その幼児を人前で絞め殺した、と書いて、次のような結論を導くのであった。
「同胞に対してこのような残虐行為がなされたのだから、まして敵ないし被占領地人民に対し、残虐行為のくり返されたのにふしぎはないであろう」。そして、南京市内外で日本軍が「中国人数十万人を虐殺した事実は否定することができない。女は片はしから強姦(ごうかん)され、……」と続けた。
南京軍事裁判で処刑された二人の将校も、赤松・梅澤両氏も、メディアの被害者であるという点で共通している。政治的な問題を内包する歴史の事実究明は、歴史家や政治家の責任でもあろう。だが、この二つの事件の発端は、いずれもメディアの報道が深くかかわっているという点で、メディアはこれを無視してはいけない。それは、新たな「井伏鱒二現象」をつくることになる。
法学者の間では、なかったということの証明は「悪魔の証明」と呼ばれ、非常に難しいとされる。しかし、だからと言って、軍命令の有無を曖昧(あいまい)にはできない。いかなる困難があったとしても、真実が佇(たたず)むその場所まで、取材の旅を続けていきたい。
(編集委員・鴨野 守)(第一部終わり)
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「日本軍の残虐」、メディアが発端/真実追究もメディアの使命
「井伏鱒二現象」という言葉を渡部昇一・上智大学名誉教授から初めて聞いたのは二年前の七月、都内のホテルオークラのロビーでだった。
評論家、谷沢永一氏や作家、猪瀬直樹氏らが詳しいが、文化勲章まで受章した作家、井伏鱒二の主要作品『山椒魚』『ジョン万次郎漂流記』『黒い雨』が、実は盗作だったのである。出版界はこの事実を突き付けられても、井伏の作品を回収したり、お詫(わ)びを出すということをしないため、その事実が世間に広がらない――これを渡部名誉教授は、「井伏鱒二現象」と形容したのである。
米国上院軍事外交合同委員会の場で一九五一(昭和二十六)年五月三日、マッカーサー元連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官が、日本が戦争に突入した動機は「大部分が安全保障の必要に迫られてのこと」と証言した事実も、渡部氏は「日本のメディアがなかなか紹介しようとしない点で、これも『井伏鱒二現象』だ」と指摘した。
井伏作品に盗作あり、という事実は出版界にとって売り上げダメージになるので、なかったことにする。マッカーサー証言は先の大戦の評価を変えるものであるから、これを歓迎しないメディアは、無視する。こうして、関係者にとって「不都合な真実」は、世間に広まらない。
沖縄戦における集団自決問題は、沖縄におけるタブーである。それが証拠に、徹底した検証取材を行った作家、曽野綾子氏の『ある神話の背景』は、沖縄で激しいバッシングを浴びた。その本が沖縄の書店ではなかなか購入できないという話まで残っている。
さて、六月二十八日までに、高校教科書の集団自決に関する検定意見の撤回を求める意見書が、県議会をはじめ沖縄県内四十一市町村の全議会で可決された。その検定意見を冷静に読めば、自決に関して軍の強制の度合いを和らげたものであり、一切の関与を否定したものではない。だが、地元紙だけでなく、朝日新聞、毎日新聞も検定結果を厳しく批判する論評を掲載した。
しかし、戦争当時、「敵の捕虜になるよりは名誉ある死を」と説き、サイパンなどでの婦女子の自決を大きく称賛したのはメディアにほかならなかった。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)は昭和十二年十一月から十二月にかけて四回、戦争鼓舞のために中国人「百人斬り競争」の記事を掲載した。その記事が原因で戦後、向井敏明、野田毅両少尉は、南京軍事裁判で有罪判決を言い渡され、昭和二十三年一月、銃殺刑に処せられた。昭和四十六年、本多勝一氏は朝日新聞に「中国の旅」を連載し、「百人斬り」に触れた。それがきっかけで向井さんの二女の結婚生活が破壊された。
二人の将校の名誉回復を求めた裁判の弁護を務めた稲田朋美氏(現衆院議員)は、著書『百人斬り裁判から南京へ』(文春新書)の中で、こう指摘する。
「一つの虚報が原因となり、父は殺され、懸命に戦後を生きていた娘の人生は朝日新聞の記事によって狂ってしまったのである。ジャーナリズムの怖さを感じずにはいられない」
平成十八年五月、東京高裁は「百人斬り競争」記事は、「信じることができない」「甚だ疑わしい」と認めながらも、遺族の人格侵害を認めず、同年十二月、最高裁は上告を棄却した。
南京戦と、将校の「百人斬り競争」は無関係なのだが、中国政府は「大虐殺の動かぬ証拠」に仕立て上げた。この「南京虐殺」と、八年後の沖縄戦における「自決命令」は、左翼文化人や運動家の間では、日本軍の残虐の証明として関連付けられている。
家永三郎は著書『太平洋戦争』(岩波書店、昭和四十三年)で、赤松嘉次隊長、梅澤裕隊長の自決命令説を肯定し、日本兵がスパイ容疑の住民を殺したり、洞穴に避難していた幼児が泣きだしたため、敵に発見されることを恐れて、その幼児を人前で絞め殺した、と書いて、次のような結論を導くのであった。
「同胞に対してこのような残虐行為がなされたのだから、まして敵ないし被占領地人民に対し、残虐行為のくり返されたのにふしぎはないであろう」。そして、南京市内外で日本軍が「中国人数十万人を虐殺した事実は否定することができない。女は片はしから強姦(ごうかん)され、……」と続けた。
南京軍事裁判で処刑された二人の将校も、赤松・梅澤両氏も、メディアの被害者であるという点で共通している。政治的な問題を内包する歴史の事実究明は、歴史家や政治家の責任でもあろう。だが、この二つの事件の発端は、いずれもメディアの報道が深くかかわっているという点で、メディアはこれを無視してはいけない。それは、新たな「井伏鱒二現象」をつくることになる。
法学者の間では、なかったということの証明は「悪魔の証明」と呼ばれ、非常に難しいとされる。しかし、だからと言って、軍命令の有無を曖昧(あいまい)にはできない。いかなる困難があったとしても、真実が佇(たたず)むその場所まで、取材の旅を続けていきたい。
(編集委員・鴨野 守)(第一部終わり)