おはようございます正吼です
本日も昨日の続きを
祭祀と祭礼
祭祀・祭典はあらゆる地域・文化・宗教において行われている。ここでは一般的な事項や特徴的な具体例について記述する。
神道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/53/5d39652430e8717367bb6cb43731db5a.jpg)
祭祀は、神社神道の根幹をなすものである。神社に鎮座する神霊、および神霊が宿る御神体に対し、儀礼が行われている。これが神社神道における祭祀である。神霊をその場に招き、神霊を饗応し、神霊を慰め、人間への加護を願うものである。 さまざまな儀礼・秘儀が伴なうこともある
日本仏教
寺院において、神仏や死者の霊、仏像・仏塔・名号本尊・曼荼羅に対して儀礼が行われている。これが仏教における祭祀である。 通常は仏事・法要・供養などと呼ぶ。 仏教には元来、祭祀の対象となるものは存在していなかったが、仏像・仏塔が登場し、仏像や仏塔に対する儀礼が成立した。
では、例えばキリスト教では?
キリスト教
キリスト教においては、毎週日曜日を始めとした教会の定める祭日に(教会暦において、日曜日は主日と呼ばれる祭日である)、主の晩餐に基づく礼拝が行われる。正教会では聖体礼儀、カトリック教会でミサ(聖体祭儀)、聖公会では聖餐式、プロテスタントでは様々な礼拝が行われている。これらはキリスト教の祭の一種であるが、キリスト教では「祭祀」という言葉は用いられない。また主の晩餐に基づく礼拝の他にも、様々な礼拝・祈祷がある。
ミサ
ただしキリスト教においても、降誕祭にはクリスマス・パーティが開かれるなど、礼拝・儀礼・祈祷だけに祭の局面は限定されない。正教においては、斎が解かれた後の祭(降誕祭や復活大祭など)に御馳走を用意してこれを皆で食べるパーティを行ったり、十字行と呼ばれる行進を街中で行ったりする習慣もある。復活祭・降誕祭などの重要な祭日名をはじめとして、司祭・聖体祭儀などの表現にも「祭」の概念・表現がみられる。
復活大祭
日本語訳聖書中においても、旧約聖書・新約聖書の両方に祭の翻訳がなされている。ただし、日本聖書協会の口語訳聖書では祭と表記されているが、新共同訳聖書においては祭りと表記されている。
正教会(ギリシャ正教)の一員たる日本正教会は、日常用語においても各種著作物においても、祭もしくはお祭りとの言葉を単独で使う事を全く避けない。祭と斎(ものいみ)、祭日(さいじつ)と斎日(ものいみび)というように、喜ばしい時(祭)と、自らを喜ばしい時に備える時(斎)とを対比させるリズムは正教会の伝統に組み込まれて日常生活の規範となっており、これを説明する際に「祭」の語・概念が多用される。代表的な例として、正教会で最大の祭である復活大祭と、それに自らを備える期間である大斎(おおものいみ)がある。
同様のリズムの伝統は正教会に限らず、西方教会(カトリック教会・聖公会など)においても復活祭と大斎の形などにみられる。しかしながら殆どのキリスト教諸教派においては、日常用語として祭という言葉は単独ではあまり用いられない傾向がある。祭の語を単独で用いる傾向が強いのは一部の例外を除き、殆ど日本正教会のみとなっている。
こう言った事を調べてると中々、面白い事が発見出来て楽しいですね( ^∀^)
これからも祭りに関わって行く中で知って良かったと思います。
あすはラスト!!
もう少しお付き合いを・・・
本日も昨日の続きを
祭祀と祭礼
祭祀・祭典はあらゆる地域・文化・宗教において行われている。ここでは一般的な事項や特徴的な具体例について記述する。
神道
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祭祀は、神社神道の根幹をなすものである。神社に鎮座する神霊、および神霊が宿る御神体に対し、儀礼が行われている。これが神社神道における祭祀である。神霊をその場に招き、神霊を饗応し、神霊を慰め、人間への加護を願うものである。 さまざまな儀礼・秘儀が伴なうこともある
日本仏教
寺院において、神仏や死者の霊、仏像・仏塔・名号本尊・曼荼羅に対して儀礼が行われている。これが仏教における祭祀である。 通常は仏事・法要・供養などと呼ぶ。 仏教には元来、祭祀の対象となるものは存在していなかったが、仏像・仏塔が登場し、仏像や仏塔に対する儀礼が成立した。
では、例えばキリスト教では?
キリスト教
キリスト教においては、毎週日曜日を始めとした教会の定める祭日に(教会暦において、日曜日は主日と呼ばれる祭日である)、主の晩餐に基づく礼拝が行われる。正教会では聖体礼儀、カトリック教会でミサ(聖体祭儀)、聖公会では聖餐式、プロテスタントでは様々な礼拝が行われている。これらはキリスト教の祭の一種であるが、キリスト教では「祭祀」という言葉は用いられない。また主の晩餐に基づく礼拝の他にも、様々な礼拝・祈祷がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a2/2365b907f7799dde245705c2b295b546.jpg)
ただしキリスト教においても、降誕祭にはクリスマス・パーティが開かれるなど、礼拝・儀礼・祈祷だけに祭の局面は限定されない。正教においては、斎が解かれた後の祭(降誕祭や復活大祭など)に御馳走を用意してこれを皆で食べるパーティを行ったり、十字行と呼ばれる行進を街中で行ったりする習慣もある。復活祭・降誕祭などの重要な祭日名をはじめとして、司祭・聖体祭儀などの表現にも「祭」の概念・表現がみられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3c/2b9de809c1220a9bb65a5cea30bc4b2d.jpg)
日本語訳聖書中においても、旧約聖書・新約聖書の両方に祭の翻訳がなされている。ただし、日本聖書協会の口語訳聖書では祭と表記されているが、新共同訳聖書においては祭りと表記されている。
正教会(ギリシャ正教)の一員たる日本正教会は、日常用語においても各種著作物においても、祭もしくはお祭りとの言葉を単独で使う事を全く避けない。祭と斎(ものいみ)、祭日(さいじつ)と斎日(ものいみび)というように、喜ばしい時(祭)と、自らを喜ばしい時に備える時(斎)とを対比させるリズムは正教会の伝統に組み込まれて日常生活の規範となっており、これを説明する際に「祭」の語・概念が多用される。代表的な例として、正教会で最大の祭である復活大祭と、それに自らを備える期間である大斎(おおものいみ)がある。
同様のリズムの伝統は正教会に限らず、西方教会(カトリック教会・聖公会など)においても復活祭と大斎の形などにみられる。しかしながら殆どのキリスト教諸教派においては、日常用語として祭という言葉は単独ではあまり用いられない傾向がある。祭の語を単独で用いる傾向が強いのは一部の例外を除き、殆ど日本正教会のみとなっている。
こう言った事を調べてると中々、面白い事が発見出来て楽しいですね( ^∀^)
これからも祭りに関わって行く中で知って良かったと思います。
あすはラスト!!
もう少しお付き合いを・・・