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音楽評論家、相倉久人氏の『超ジャズ論集成~ジャズは死んだか?』という本の表紙イラストを描かせて頂いた。底本は77年に出版され現在は絶版となっている『相倉久人の“ジャズは死んだか”』。
60年代にパーカー、コルトレーン、マイルスといったジャズジャイアンツを聴き込んだ世代には馴染みのある名前だろう。70年代以降はロック評論に転じ、ヤマハのイーストウェストの審査委員長をやったりして日本のロック、ポップにも関わりを持った人だ。
ジャズから転じてロックを語るようになったきっかけが、たまたまディープパープルの初来日武道館公演を見て、一気にロックの魅力に取り憑かれたということで、そのいきさつが何かカワイイという感じがする。
ジャズを熱く語るジャズ親父は、概ねロック嫌いが多い。単純に言えば、ジャズにとってロックは幼稚だということだろう。音ばかりでかくてがさつで単純な音楽であり、聴くに値しないと。
確かにジャズの黄金期における名演奏のテンションの高さ、深さに比べれば、初期ロックンロールは音楽的に薄い感じは否めない。しかし、まあ本来比べられるものではないし、グルメがたとえばカップヌードルの類の食い物をどんなに卑下しようとあれはあれで旨いわけで、B級グルメの僕としては、文句あるかと言いたい。
チャック・ベリーが、ロックンロールがグレード・スクール(小中学生)でブルースがハイスクール、ジャズがカレッジだ、というようなことを言っていたのを記憶するが、あれはチャック・ベリーなりのジャズに対する敬意を表した言葉だろうが、ロールオーバー・ベートーベンのタイトルが示すように彼自身はロックンロールが最高と思っていたのではないだろうか。
いずれにせよ、ジャズとロックとどちらがよりすぐれた音楽か、という議論が不毛であることは、今は一部の偏屈ジャズ親父以外の健全な音楽ファンはよく分かっている。
しかし、70年代あたりに既にジャズ評論家と名を成していた相倉氏が急にロックを論じるような「転身」を図ることは、当時大分軋轢があったのでは、と推測する。「ジャズは死んだか?」と問いつつ、彼としては「たぶんジャズは死んだのだろう、死んだものを論じても仕方ないのではなかろうか」と思ったのかも知れない。あくまで憶測だが。
僕としては、もはや「ジャズは死んだか?」とか「ロックは死んだか?」とかどうでも良くなって、それが累々たる屍の山であっても、今なおみずみずしいかつての名演、名曲の数々を何度も何度も聴き返しては楽しむ毎日である。つまりそれらの名曲は死して永遠となったのだろうと思うのだ。
画像左:バックは50年代後期のニューヨーク市街。ジャズが輝くばかりに「生きていた時代」。
画像右:まったく同じ構図でマンホールの蓋が開いていて、顔を覗かせるのは相倉氏というアイディア、裏表紙用。