人類猫化計画

「基本的な生き方は猫に学べ!」を提唱するイラストレーター●山下セイジの猫並みな日々雑感記

こんなふうにすぎてゆくのなら

2006年12月31日 06時20分08秒 | 猫並み日記
こん
年、師走も大つごもりとなった。まったく、あれよあれよだ。月日が過ぎ去る主観的感覚が加齢と共に加速度的に速く感じられることを真面目に考えた人がいて、それは、フランスの心理学者ポール・ジャネーという人で、「ジャネーの法則」というのを提唱した。彼の「法則」によると、生涯のある時期における時間の心理的長さは,年齢の逆数に比例し、「例えば50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は、5歳の人間にとっての1年間である」とのことだ。


るほど、そう言われればとても納得できる法則である。この法則を使って、若者とおじさんの年齢による主観的1年の長さの違いを検証すると、20代の若者の1年間は人生の(20+α)分の1、50代のおじさんの1年間は人生の(50+α)分の1、若者はおじさんのおよそ2.5倍の長さの1年があるということになるわけで、逆に言うとおじさんの1年は若者の4か月くらいか。道理で4か月くらい前、今年の正月を迎えたような気がするわけだ。若者にはせいぜい試行錯誤し、ときには非生産的に時間を費やしなさい、と言いたい。おじさんに残された時間はあまりない上に加速度的に速くなるわけだから、せいぜいやりたいことをやりましょう、と思う。


るくからの付き合いだったデザイナーY氏の訃報が届いたのが今月11日。通勤途中の電車の中での心筋梗塞、享年57才。12月15日にアンデルセンの授業終了後、埼玉蓮田駅近くの斎場までY氏の葬儀に参列。寿命を全うした老人や長く患っていた人の葬儀は、参列者は故人を惜しむ哀しさの反面、一種の安堵感のようなものを感じるが、急逝したY氏の場合は重く沈痛な雰囲気に覆われていた。式場に、Y氏がメンバーだったブルーグラス・バンドの録音音源が静かに流れていて、Y氏のギターソロや歌声も聞こえた。基本的に脳天気に聞こえるブルーグラス・ミュージックがこのときばかりは哀切に響いた。


クレレ物色ツアーは先月、神田お茶の水界隈の楽器屋を片端から巡ることで敢行したが、今月も21日、再度神田神保町出版社でイラスト仕事の打ち合わせがあったので、お茶の水「アオキ楽器」という有名なウクレレ専門店を訪ねようと思っていた。地図を片手に「アオキ楽器」を探したが、なかなか見つからず、このあたりなんだが、と上を見上げればビルの2階に地味めな看板があり、「アキオ楽器」とある。これは有名な「アオキ楽器」に店名を似せてウクレレファンを惑わす怪しからぬ店だと思いつつ、そこを訪ねると「アキオ楽器」が正しいのであった。ずっと「アオキ楽器」だと思いこんでいた。やれやれと思いつつ2階に上がるとその日は定休日、ぽろりんこ。


ほん酒を禁じ手としたわけではないが、しこたま日本酒を飲むと泥酔する傾向があり、酒席でのことをさっぱり覚えていないという経験をしたのが10年くらい前か。嫌いではないが、近年は日本酒は敢えて飲まないようにしている。基本的にビール好きだからビールオンリーでもオッケーだが、ちょっと酔いたいときはウィスキーのソーダ割り。あと、あればホッピーとか。22日はアンデルセンの2学期終業式で、関係者スタッフと飲み会@金沢文庫。この日もビールから始め、後半バーボンのソーダ割りを。元々お喋りだが、この日は特に止まらない汽車ぽっぽのごとくトークしたので帰路ちょっと反省した。お喋りに悪人はいないと思うが、偉人もいないように思う。


ペリオールという漫画雑誌のイラスト仕事をしている。「ムーンライトマイル」という宇宙物人気劇画がアニメ化されるというので、その宣材用コラムの挿絵。初回は70年大阪万博で展示された「月の石」の話題にからむイラストで、「月の石」に群がる人々の様子などを描いた。「月の石を見ようと押すな押すなの熱狂的な様子の群衆」という課題で、なにしろたくさんの顔を描くことになり、大変だった。後半、くたびれてきて、後方の群衆はフォトショップでコピーペーストという技を使い、これはこれで「ウォーリーを探せ!」みたいで面白いかな、と思っていたが、上がってみたら後方群衆部分はバッサリ切られてレイアウトされており、ちょっとがっかりだったが、ま、こんな物だ。次回は「宇宙旅行すごろく」、と言っても何のことやら、だろうが、年明け締め切り、まだ何も手を付けていない。うーん。


ょう界では、「年末進行」と言って、12月は早めに締め切り設定が設けられることが通念となっている。中日・東京新聞サンデー版のイラストパズルを担当して3年くらい経つが、今年10月から、それまでのいわゆる泰西名画を使ったまちがい探し系パズルを終え、新企画の「ペアをさがせ!」というピース組み合わせパズルを作っている。パズルを作ること自体はさして大変ではないが、編集サイドから「できれば季節感を出したテーマで」という要望、また「動物はバラバラにすると可愛そうだというクレームが来るからダメ」とか、「ピースが多すぎると難しすぎてとクレームが来る」とか、色々と「シバリ」が多い。何をテーマにするか毎回、頭を悩ませるところ。で、今月は早めに、新年早々分も含めて多めに制作した。今月制作分は、「雪だるま」、「節分の豆まき」、「バレンタインデー」、「鯛焼き」、「梅に鶯」、「ひな祭り」といったところがテーマ。もう1本、年明け早々にという締め切り仕事があって、こちらは子供向け学習本の「宇宙もの企画」のイラスト、大小合わせ10点ほど。11月初めからかかり、ラフは既にオッケーをもらったのでその仕上げ。これは昨日明け方に終わらせた。


がみを書かなくなった。それはもう見事に。言うまでもなくメールを使うようになったからだ。元々、お喋りな割りには筆無精で、それは書き出すと長々とした文章になり、書き終わるとぐったりと疲れてしまうことが多いから。メールにしても長文になる傾向があって、読む人が疲れる。で、簡潔ですっきりした文章を心がけようとするのだがそれはそれで結構難しい。だから「メール無精」でもある。ひと月ほど前に、ロサンゼルス時代の旧友から久々にメールをもらったが、なかなか返事が書けずにいたら(相手はアメリカ人だし、英語力は日増しに衰えているので)、彼からクリスマスカードが届いた。ずっと気にかかっていたので、24日、クリスマスメールを送った。ついでに、と言うと語弊があるが、何人かの在米友人にメールを送った。その内の一人から早速写真貼付付きの返信メールが届いた。太平洋を隔ててのその同時性が有り難いやら、有り難くないやら。


きこそ降らないが、暖冬もここにきてそこそこ寒くなってきた。温暖化の影響からか、近年、全体的に暖冬傾向にありながら、短期間の寒暖の差が激しいように思う。冬だというのに大雨が降ったのは26日だったか。その日、雨の中、予約を入れていたため歯医者に行かねばならず、適当に理由付け、「雨が降ってるので」はちょっとなんなんで、「ぎっくり腰で歩けなくて」とか、「飼ってる猫が死にそうで」とかのっぴきならない理由をでっち上げ、キャンセルしようかと思ったが、根が真面目で嘘をつくことが嫌い、と言うか、いったん嘘をついてしまったら、まことしやかな真っ赤な嘘を割と上手にこなしてしまうのではないか、という自分が凄く嫌なので、嘘は余りつかない方だと思う。差し障りのない嘘は割とよく言う方かもしれない。とにかく、まあ、激しい雨脚の中、徒歩15分の歯医者に行ったのだった。


リスマスがとても好きだった。幼稚園がカトリック系の幼稚園で、クリスマスに恒例の「キリスト降誕」の劇をやったことを覚えている。キリスト誕生に際し、お祝いのブツを届ける「東方三博士」の一人を演じ、人生最初のステージフライトを経験したが、今思うとあまりたいした役ではなかったようだ。キリストの父、ヨゼフを演じたのは近所の洋品店の息子の和田クンという子だった。マリアは名字は忘れたが、ゆきちゃんというちょっとかわいい女の子。何故こんなことを覚えているかというと、つまり二人に対してこれも人生最初のジェラシーを感じたからだ。近頃はクリスマスを楽しもうという心持ちはほとんどなくなったが、今年のクリスマス25日は、日頃お世話になっている音楽評論家にして編集者H氏と某大手出版社の若手編集者F氏との飲み会。来年早々から着手予定の面白そうな企画案がつぎつぎと出てきて、イラスト依頼もあり、有り難いことだが、これはちょっと頑張らねばなあ、しばらく「猫なみ」には暮らせないなあ、と。


う天気パワー満載のアンデルセン学院だが、20日に中3の男の子Y君がクラスに混ざり体験入学。お母さんは午前中、授業見学というシチュエーションで授業を行った。あの子達のいいところはそういう状況でも普段と全く変わらないこと。こちらもそれなりの授業展開を少しは考えたりはするが、基本的に普段の授業と変わりなくやる。この日は国語、理科、算数などの教科授業中心だったが、生徒達が「工作がやりたい」と言うので、急遽、本来別の曜日の工作を1時間やることに。段ボールで恐竜などを作るプロジェクトを今学期延々とやっており、着彩し、あと少しで完成というところまで来ていた。Y君には取り置きのペーパークラフト(スーパーマリオ)を作らせた。良かったことに、Y君は教科授業では今ひとつ生彩が欠けていたが、工作になると嬉々として作ってくれた。母親に聞けば「工作は大好き」ということ。長年の経験から、彼は来春、アンデルセンに入学すると思う。「一人、ゲット!」と心中で。


つ以来、伸ばしっぱなしだった髪を切ったのが昨日30日。昨年来、何というのかちょっとレゲエ風な髪型にしており、似合ってるかどうかわからないが(「お茶の水博士」と言われたことも)、自分ではまあいいんじゃないかなと思っている。いい歳をして髪型にこだわるのは女々しい気もするが、以前、「男らしく」お任せで切らせたら、見事に七三短髪リーマン風にされ、アイデンティティが崩壊しそうになったことがある。本当は内田裕也並のロン毛にしてみたいのだが、伸びてくるとシャンプーやら何やら面倒になることと、はっきりと「フツーの人ではない」と思われるのは嫌なので微妙なところでとどめている、というところでの「レゲエ風ヘア」なのだった。


い年は、さてさてどう展開するのか。随分長い間、成り行きで生きてきたから、そのあたりの基本スタンスは変わらないと思うが、この文章の冒頭に書いたように「ジャネーの法則」によれば、来年は今年よりさらに短くなる(53分の1から54分の1に)わけだから、その辺を心してかかろうと思う。ちょっと色々と頑張らねばなあ、という心境。


というわけで、本年締めくくりに長々と書いてしまいました。ここまで読んで下さった方、ご苦労様でした。皆様、良いお年を。



画像は今年も兄のところから届いたチョコレート・ボックス。箱を開けて眺めているだけでも幸せな気持ちになれる。

「人生はチョコレートの箱のようなもの。中身を食べてみるまでは分からない」
(映画『フォレストガンプ』)

来年のことも分からないなあ。