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小型ボートで日本一周航海記

日本一周クルージング・航海記・航海・小型ボート日本一周航海・33泊6,200キロの船旅・海の旅

航海後記

2015-03-19 14:39:40 | 航海後記

 航海後記 
                           
   

平成17年7月7日   伊藤 清悟


今回の日本一周は情報収集のため、船の必要装備、気象条件、各立寄り予定港の状況、先輩達の経験談など雑誌やネットで相当資料を集めをした。
その結果日本全地区で最も波が低く霧が少なく、台風の影響が少ないのが5月から7月にかけてであることが分かった。
決行時期を決定してからは主に全国の港湾の状況、また地図に載ってないような小さい漁港までネットや地図で徹底的に調べた。

 急に波が高くなってきた時緊急避難する避難港の把握は最も大切な事である。それでも漁港空白地帯は全国に相当ある。砂浜の続く海岸には漁港は無い、又断崖絶壁に続く海岸で人気の無い地域は漁港も無くおまけに携帯電話圏外地域が多いのである。
だからこの事の把握は最も大切な準備作業であった。

 結果的にはそのような地域を航行中に限って急な風が強くなって波が高くなる事も
数多く経験した。
北海道の知床半島東部から千葉県房総半島までは最も霧の少ない時期を選んでいても、深い霧に包まれるのである。
午前中だけでなく、1日中霧の中も当たり前の海域である。GPSプロッター(現在地及び進行方向表示)だけでは全く航行不可能である。

 障害物や航行中の船舶の発見に航海用レーダーは必需品である事は身をもって体験した。ひどい時は50メートル先が見えないのである。

波が無ければ濃霧の状態で時速50キロ以上で航行するのである。
太平洋はおおむね午後になると波が高くなることも体験した。
 春から秋にかけてのきわめて穏やかな日本海の波が小さくてもうねりが必ずある太平洋とは大きな違いである。さすが太平洋、日本海とは何かにつけてレベルが違う。
漁師の皆さんも太平洋岸の出漁中止する波の基準は3メートル~4メートルである。

地元但馬は1、5メートルが1つの基準である。
常に波が高いのが太平洋、1.5メートルでは出港するときがないと言う。
民宿の奥さんでも、私が高波で躊躇していると、この程度はなぎですよ!これで出港しなければ出る時ないよとハッパをかけられる始末。
 また有名な岬と名のつくところは大方その突端では高波になる。
見事、間違いなしと言っていいくらいである。
だから大きな岬を越える日はいつも緊張し、波が低い事を祈る気持ちで出港していた。

 同乗クルーの中村さんには結構プレシャーのかかる日もたくさんあったと思う。
ビビッて待機ばかりでは前に進めない、判断の難しい日もあった。船長である私の判断を信頼しで同乗してもらったことに感謝している。
しかし、私自身も本当に危険を感じた時も2回ほどあった。波で船が空中に突き上げられスクリューが空中でカラ回り状態でエンジンがうなり、船にかぶる波がキャビンの天井上をざあざあと越して行く、ワイパーも効果無しの状態が続いた時など、色々体験した。
不安感を増幅する事無く、冷静さを保たなければならない。

2人の会話が無く無言状態が続く時は正に一生懸命のハンドル操作で操船中である。私も横波を受けないように懸命の操船で口数が少なくなる。洋上で異常な状態が続く・・・。同乗者の中村さんは舵を持つ私以上に不安感が大きかったと思う。この難関をクリアーした時は安堵感と同時どっと疲れがくる。ほっと一息お茶を飲む。一服のタバコが気持ちを落ち着かせてくれる。この時、2人の会話はいつも同じ「これでもう安心だ!」である。

 携帯電話通話不能の圏外地区の航行も不安である。
定期連絡メールを入れることが出来ない。連絡が無く電話をかけても通じない不安は実情のわからない陸上スタッフはなお一層であろう。
 陸上スタッフの責任者は㈱ユラクの伊藤修生専務である。連絡が取れない時間が続いた時、海上保安庁に連絡するかどうかの判断を専務に一任している。
携帯圏外地区は大方把握して航海に望んでいるので、その地域に入るまでにその旨を連絡する事にしているが、九州鹿児島県大隈半島の佐多岬から内之浦港までの約60キロの携帯圏外地区に入るまでにその旨を専務に連絡することを忘れてその海域に入っていた。

急に波が高くなりスピードが出せない、時間がかかる、心配してるだろう。
海上保安庁が来たらまずい、早く通話通話可能地区まで脱出したい。
今でも千葉県の犬吠埼沖の海域と同様に忘れられない海域となってしまった。
 また決して高波の海域ばかりではない。
べたなぎが続く日本海、四国沖、などゆったりとした船旅もあった。
船でしか行けない世界遺産候補地、奥知床半島にも感動した。

 全国の各港でいろんな人とのふれあい、いろいろ親切にしてくださった人達、たくさんの人々と出会った思い出、人情は忘れられない。
色んな物品の差し入れ、プレゼントも頂いた。係留場所を親切に指示頂き、手伝っていただいた方も居られた。
本当にありがたい事である。

 そして船に掲げた「ただ今日本一周中」の看板の効果も非常に大きかった。
岸壁に近づくと、どこのよそ者が来たのか?不信感を持つ人も多いのは事実!そのとき威力を発揮するのはこの看板である。
 ただ今日本一周中の看板を見るなり態度が変わるのである。
これは大変だ!係留場所でも探しているのだろう・・・協力してやろう!と言う方向に心が急に変わるのである。
ほとんどの港、漁港で看板に助けられた。
おかげで親切にしていただいた。感謝・感謝である。

 私は今回の日本一周を通じて、必ず成し遂げようと思えばできるものだと言う事を実感した。
全て本気でやろうと思うか思わないかの問題だ。
本当にやろうと思えば研究もするし努力もする。その結果益々実行する事に自信が付き実行の決断に結びつく。
 廻ってみれば日本は小さい・・・もっと大きく感じると思っていた!私の信頼して小さな小船での日本一周にに同乗していただいた中村さん有難う!あなたのお陰で私の夢も達成できた・・・。感謝・感謝!

 そして長期間留守にして迷惑をかけた㈱ユラク役員を始め社員の皆さん、家族の皆さん有難う。
特に陸上責任者の㈱ユラク伊藤修生専務にはお礼を言いたい。
日々何回と入る本日の予定から出港メール、日々5回程度の現在地通信メール、状況報告メール、そして無事入港メールまで、本当に航海状況が気になる日々であったと思う。
メールが入らなければ不安が募り電話を入れようかと思った事であろう。
本当にありがとう。
 
 そして出発当日に早朝より見送りに来て頂いた、たくさんの皆さん、そしてエンジントラブル発生時に快く対応し関係先の手配を頂き、いつもお世話になっている城崎温泉マリーナの木下さんにも心より感謝します。
皆さんの見送りと協力体制に支えられて挫折する事無く無事目標を達成することが出来ました。
本当に有難うございました。

 さてこの度の航海でトータル2.300枚以上の写真を撮りましたがこれもフィルムの要らないデジタルカメラのお陰!フィルム代の事を気にしなくてもいいのは最高!文明の利器に感謝・・・。今回は画面の都合上掲載できたのは一部に過ぎませんがお許しください。

 又、参考までにですが、今回使用の船はフォーサイクルガソリンエンジンのため燃料が
ガソリンとなる。
燃料が軽油であればガソリンスタンドのタンクローリ車や、漁協の給油船など簡単に給油が可能ですがガソリンはタンクローリーで輸送する事が法律で禁止になっている。
毎日250~300リットルのガソリンを消費する為、燃料補給が一番の大問題。
ポリ缶での輸送は10リットルまでと法律で制限され通常のガソリン輸送は鉄製携行缶に決められている。

 大方のガソリンスタンドは鉄製の20リットル携行管は数個しか所有していない。
私も危険物取扱者の免許を持っているので、あらかじめ出港時に鉄製携行缶9缶を
積載していた。

しかしスタンドに連絡してすぐに携行缶を引き取りに来てくれても約20分はかかる。
そして持って帰って20分、燃料の詰め込みに20分、スタンドから船まで配達して20分、その燃料を船に補給して30分、携行缶9本で180リットルしか運べないので再び空き缶を持ち帰って20分、補充して20分、再び配達して20分、不足分を再び船に補給して20分、以上合計何分かかるか?
あっと驚く170分。2時間30分以上の時間。
スタンドが遠くて3時間以上の時も有った。
今回一番の問題点は燃料補給でした。

 最後に、この航海記は見苦しいページがあろうかと思います。
其の点をご理解ください。
今後、長年の夢だった日本一周航海の体験を本業の仕事面に生かし、さらなる社業のユラクグループ発展に努力したいと思います。



 航海後記 
                               

平成17年7月15日   中村 信和



私が今回日本一周航海をすることになったいきさつは、昨年より55歳で定年になったら但馬銀行を退職して友人と一緒に海外旅行に行こうと話しをもちかけていたのですが、友人は但馬銀行を辞めずに残るとゆうことでした。

 
12月31日に兄と姉の所に蟹を持って行くのに気比の義姉が勤めているジャンボクラブに蟹を取りに行って帰る途中ユラクの管理課の事務所に伊藤さんの車がありました。
 
伊藤さんとは33年前但馬銀行電算部で11ヶ月一緒に仕事して以来の友人ですが(仕事とゆうより酒)最近はあまり会うことがなく事務所に車があったので年末の挨拶をして帰ろうと思い寄りました。

 事務所に寄ると但馬銀行退職された森山さんと伊藤さんが話しをしておられました。森山さんも33年前電算部で一緒に仕事をしていた友人です。二人で何の良い話をしているのだろう、僕にも聞かせてくれと話の中に入りこみました。
すると資料があり、「夢日本一周航海計画」と書いてありました。伊藤さんが小型ボートで日本一周するのに、今日、森山さんに来てもらって一緒に行こうと説明しているところだったのです。日本一周する相方を探しているとのことでした。
 森山さんは4月頃には就職しているので、この計画には参加できないとのことでした。

私は2月の誕生日で銀行を退職する予定でしたので、何で僕にも話をしてくれないのかと言いました。

 
伊藤さんはまさか私が銀行を退職するとは思ってもおられず私はまったくの対象外のようでした。退職することがわかるとすぐ、小型ボートで日本一周航海の計画書を熱心に説明してくれました。
 
私も55歳で銀行生活を区切って海外旅行等したいと思っていたので、海から日本一周なんてこれから先出来るはずは無い。計画もかなり詳しく調べてあり安心で安全航海を第一に考えて計画してある。時期も銀行退職後の5月、6月、この計画に是非乗ってみたいと思いその場でひとつ返事しました。
 
伊藤さんは大変喜ばれ、握手されました。自分の相方が出来て夢が一歩進んで行く嬉しさだったと思いました。

 
帰る道中、返事はしたものの、期間が約1ヶ月間もかかるので、家族の者に説明し納得してもらわなければならず不安でした。
 
帰ってから今日の話をして約1ヶ月間、家を留守にするけどいいかなと相談した所、娘たちはお父さんが長いこと働いてきたごほうびに行って来たらいいよ、と賛成してくれました。猛反対にあうのかと心配しましたが、家族に快く賛同してもらい、追い風に乗るよう、前向きに計画を進めることができました。

 
今年になって2月6日誕生日で退職のつもりでしたが上司から再三55歳過ぎても会社に残って欲しいと説得され、とりあえず3月31日まで会社に残る事となりました。

その後も日本一周航海は伊藤さんに頼んで来年まで待ってもらって会社に残って欲しいと説得されましたが、私も男と男の約束。今このチャンスをのがしたら後で後悔する。
 
ボートで日本一周するなんて誰でも出来ることではないと決断し、上司からのありがたい依頼を断り、3月31日で37年間の銀行生活を終えました。何でまだ若いのに銀行辞めるのですかと言われましたが、同僚、顧客にもボートで日本一周航海をするから、こんな冒険は今しかできないから、と言って来ました。

今までの自分だったら途中で断念するかもしれないと思い、今回の日本一周航海は是非ともやり遂げたいと思い有言実行と自分に言い聞かせてきました。銀行を退職してそろそろ準備に取り掛かろうと思った矢先、4月10日にぎっくり腰になり、痛くて歩けませんでした。

アトム、和田医院、川端整形外科と治療をしてもらい少し歩けるようになってきましたが5月の航海迄に直るか不安でなりません。
 
伊藤さんより4月18日連絡があり打ち合わせをしたいとのこと、説明を受けた後今日は凪だからボートに乗る練習をするとゆうことで城崎温泉マリーナへ、腰が痛いが大丈夫かなと心配しつつボートへ乗りました。

最初、円山川で波はなかったのですが、津居山港出たとたん波が高くて腰に衝撃が走りました。波は激しく、全く良くなる気配がありません。凪と聞いていましたので、これよりもっと波が高くなるのを毎日5~6時間乗っていなければと思ったら大変なことだ。

話は進んでいるし今更断るわけにはいかないし、返事するまでにボートに乗ってから承諾したほうがよかったかな、と後悔の気持ちが沸いてきました。久美浜湾に着くと波は無く30ノットで走って大変気持が良かったです。それから香住町の方まで走ったのですが、又波が高く腰は痛いし波の高さを聞くと1m位だそうです。

1.5mまでだったら出港するとのこと、今日より波が高いし痛いし長時間乗っていなければならない、初めてボートに乗って酔わないことは納得しましたが、波の怖さがだんだん現実のものとなって来ました。

翌日、前々から予定していた友人との沖縄旅行を腰痛のためキャンセルし、不安がつのるばかりです。4月23日朝2時頃電話がかかって来て病院に入院していた兄が意識不明とのこと、朝一番の汽車に乗って埼玉の病院へ向かいました。

家族の願いもむなしく、午後6時54分亡くなりました。不思議なことに葬儀の準備をしている間に腰の痛みが和らいできました。兄が亡くなる時に私の腰の痛いのを持って行ってくれたのでしょうか。

そうこうしている間に練習航海の連絡が入ってきて、隠岐島の予定が小浜に変更になりました。伊藤さんの友人の萬谷さんと小浜へ、天気は快晴、波は穏やか、だんだんと気持ちは日本一周に高ぶってきましたが、まだ少し不安が…。萬谷さんも一緒に行けたら心強いのに…。

その後バタバタしていたら、5月19日ボートの掃除、読売新聞の松田記者さんの取材、もうあとには引けないこととなりました。私はO型人間だから何とかなるか、とゆう心境になりました。

但し子供が4人いますので、安全航海第一。
しかし、船の経験のない私、「伊藤船長さん、私は頼りになりませんがよろしくお願いします。」とまかせっきり。

5月21日いよいよ出港、家族、親戚、伊藤さんの会社の方、友人たくさんの方の見送りのなか、読売新聞・神戸新聞の記者の取材を受け、いざ出港!!気持ちは嬉しい反面不安も、夢に向かって海の冒険のスタートです。

第一航海、初日波が穏やかで2日目も絶好調。私達を歓迎してくれているかのように思いました。博多湾は大きすぎて引き波が大きく小型ボートを係留するのは大変なことだと分かりました。
 
鹿児島県の佐多岬を回ってから波が高く今まで経験したことの無い波、大隈半島の地域で携帯電話のつながらない所、港は無く波が2m以上となり10ノット以下でしか走れなく、波が治まる気配がありません。
 
私は無言でテスリを持って神様に波が治まるように祈るだけ、伊藤船長も無言でハンドルを握って運転。

3時間の格闘でした。横に座っていて何もしてないのですが緊張のあまり大変疲れました。私は初めて海の怖さを知り、これから先、日本一周することが出来るかなと不安ばかり。
「伊藤船長さん、何も出来ませんがよろしくお願いします。」

 その後は波が穏やかで難関の四国の足摺岬、室戸岬も無事に通過し第一航海を
終えました。

毎晩宿に着くとすぐ生ビール、酒の飲めない私でも 大変美味しく疲れをとってくれて生ビールの飲まない日はありませんでした。美味しいビールを飲んで美味しい物を食べて2時間程人生等について語り明日は又頑張ろうと楽しい毎日でした。

私はナビゲーターなのですが、余り仕事が無く、3月に初めて携帯電話を買って銀行の職員の方にメールアドレスを登録して頂いていたので、航海中にメールの交換が出来ました。大変楽しい時間を過ごさしていただき、勇気づけられ、感謝!感謝!

第一航海を終え帰ってくると、神戸新聞、読売新聞に大きく掲載されたので一躍時の人!会う人に声をかけられ、
「あれ、もう帰ってきたん!?」「これから又第二航海に行くんや」「頑張って、気をつけて。」と励ましの言葉を掛けられ、大変勇気づけられました。

妻の墓参り、金光教へ参拝をし、兄の49日の法要も済ましていよいよ第二航海。長旅になるので波が穏やかで、無事帰って来れますようにとお願いしていざ出港。


第二航海は台風が発生したため当初の予定を変更して太平洋を北上するのをやめて、日本海を北上することとなりました。伊藤さんの決断がよくて波が穏やかで予定より順調に進みました。このままの状態が続けば有難いことです。

津軽半島も無事通過し北海道、積丹半島の景色はさすが国定公園、感動の連続です。利尻島、宗谷岬、知床半島、山も海も大変美しく感動の連続です。

知床半島はもう直ぐ世界自然遺産、誰でも行ける所ではありません。
 
知床半島の突端に無人の港があり上陸し、自衛隊の非常食の缶詰、鳥メシを頂いて熊が出て来ないうちに記念撮影、今回の日本一周航海だからこそ行けるのであって、誰でも出来ることではない。ヤッター!!!とゆう感じでした。

計画している時から北海道は霧が深くレーダーなしでは走れないと聞いていましたが、オホーツク海を通過する頃から徐々に霧が深く特に午前中はほとんど見えません。
 
羅臼港辺りから気温が低く寒いし前は霧が深くレーダーを注意深く見て定置網が無いか、船が来ないか緊張の連続です。しかし不思議と見たい地域に来ると霧が無くなり晴れて来るのです。

知床半島、納沙布岬、襟裳岬、も通過する時には霧が無くなりました。国後島、貝殻島も見えました。
 
納沙布岬も通過する30分前から晴れてきて、伊藤さんが灯台の所に根室海上保安部のライブカメラで私達のボートを見てもらうので今から専務と会社に電話して実況生中継するとのこと、まさかそんな事が出来るなんて信じられません。

伊藤さんが携帯電話で指示をして、専務、会社の職員さんもパソコンで納沙布岬の私達の船を確認、顔は見えないので座布団を振ったら見えますとのこと、こんなことが現実に!感動の連続です。

伊藤さんは携帯電話、パソコン等何においても最先端をいって色々な事を良く知っておられ感心しました。
 
逆に私は何も知らない、もっと新しい事に進んで取り組んで行かなければならないと思いました。北海道はさすがにでっかく11日間かけて回りました。いよいよ本州。

霧とお別れと思っていましたが依然と霧が深くレーダーとにらめっこ。三陸海岸も波が高いが港が沢山あるので少し安心して走れました。

 太平洋も順調に進んで来ましたが千葉県銚子の犬吠崎を回ろうとした所。岬の所はいつも波が高くなるのですが、今回の岬は特に波が高くて半端ではありません。2.5mいや3mもの波が襲ってきます。

伊藤船長さんに聞くともう少し走れば波が治まるからと言われますがなかなか治まりません。鹿児島県の大隈半島の波どころではありません。
 
私は手すりをぎゅっと握ってただただ神様に波が治まるように、船が転覆しませんように、なんとか助けて下さいと祈るばかりです。

 波が治まらない、この先に港が無い、これ以上無理をしないとゆう伊藤船長さんの冷静な判断で無事銚子港へ入港。

何もしない私ですが疲れがどっと出てきて、なんとか助かってよかったとゆう想いでいっぱいでした。太平洋はうねりも大きく波も大きく大変です。漁師の人に聞いて朝早く出れば風が無いから走りやすいとの事なので、伊藤船長さんの判断で午前5時30分銚子港出港、うねりは大きかったですが無事犬吠崎を通過しました。

ところが昼過ぎより風が吹いて波が高くなり房総半島が回れません。
 
明日、明後日と波が高くなるとの事。翌日午前4時30分鴨川港出港。前日と同様うねりは大きかったですが無事野島崎を通過やっと房総半島が回れました。 

ところが伊藤船長さんの予想どおり風が吹いて波が高くなり、午前10時真鶴港へ着くなり台風なみの突風です。太平洋は波が大きくて怖いです。その後石廊崎、御前崎、無事通過し浜松で森山さんと合流。

元電算部の3人がそろってスナックへ、昔の歌を歌って楽しい夜を過ごし、後2日いよいよラストスパート。森山さんが合流して3人でにぎやかな船旅となり、最後の難所潮岬も波が高かったのですが、3人だと不安が和らぎました。

そして相生港へ大勢のお出迎えのなか無事到着。伊藤さんの家族の方、ユラク管理課の職員の方、読売新聞の松田記者、神戸新聞の記者の方、お忙しい所お出迎えありがとうございました。

小型ボートで日本一周航海、夢のようなことが達成できたと思う反面これで終わりかと寂しい面もあります。

夢が達成出来たのは、家族の理解があったこと、伊藤さんが優秀な船長さんだった事、専務さん始め沢山の親戚や友人の方の協力があり、又各地の港で多くの人の親切があって日本一周航海が達成出来ました。

本当にありがとうございました。

第一航海8日、第二航海25日、合計33日6200キロの旅。
 あっという間の日本一周航海でした。
 
伊藤さんありがとうございました。

12月31日、もし私がユラク管理課に寄っていなければ、私は今回の夢に参加出来ていません。何か神様がそうさせたのでしょうか。今でも不思議に思います。

伊藤さんから聞いた事なのですが、これからは夢を持ってその夢に向かって行動すれば必ず夢は叶うとゆうことです。

これからの第二の人生、夢を沢山持ってその夢に向かって頑張って行動して行きたいと思います。

                                                    

  気が気でなかった日本一周   
                          伊藤 幸子 

 

 小型ボートで日本一周の夢、叶って本当におめでとうございます。何事もなく無事に予定通り帰って下さり、本当に嬉しく思います。

 昨年の11月頃からでしょうか。主人は夕食が終わると毎日パソコンの前で寝るまで何か調べごとに熱中している日々でした。小型ボートで日本一周したいという強い思いを持っている事は私も知っていましたが、なにしろ危険を伴う海の旅なので自分の口から確認する事が恐くて、あまり口出しはしませんでした。そしてその頃は夢のままで終わってほしいとさえ思っていました。

 昨年の夏は希望されます社員を対象に瀬戸内海クルージングも行われました。海の怖い私は絶対無理と思っていたのですが、瀬戸内海はあまり波がないと聞いたり、主人の強い誘いもあって、ついに覚悟を決めて参加をしましたのに、なぜかその日がいちばん波が高く出航したにもかかわらず途中で引き返しました。

 午後少し波がおさまり、再び出航する事になりましたが怖くて私一人専務から借りたマイクロバスの中で皆の帰りを待つ、怖がりの私だったのです。

 でも雪も解け春になるとやはり着々と準備をしている事も察し、せっかくの“夢”を私の気ままだけで壊す事は出来ないと思い、気持ちよく協力しようと覚悟を決めました。

 ある日主人から「日本一周航海計画34泊6,200キロのクルージング」と記した冊子を渡されました。それは日程表、日本一周航海計画、各種準備、役割分担、事細かく記してありました。終わりのページに近づくにつれ、事故の対応、誓約書、そして総合保険契約申込書のコピー等がとじてありました。それを読んでいるうちに、相手が自然なだけに万が一何かあったらどうしよう・・・私は不安な気持ちで一杯になり涙が出そうになりました。

 しかし、たとえ二人だけの航海でも細かく調べ、役割分担等もきっちり決めたきめ細やかな計画書に、命がけで真剣に取り組んでいるという主人の行動に納得出来、不安は消えませんが気持ちよく送り出してあげようという気持ちに変わっていきました。

 5月21日第一航海の出発日、城崎温泉マリーナからの出航です。連中の友人、専務、伊藤常務、為則店長、管理課の皆様、朝早くからお見送りありがとうございました。多くの人々に見送られ、中村さんと主人の乗ったボートは日本一周を目指して旅立ちました。

 

 主人からのメールはしょっちゅう入り、そのメールを見ては安心したものです。そして夕方の「入港しました」のメールを見ると、やれやれと胸をなでおろしたものです。夜は電話で様子を聞いたり、細かくメールが入るので私の心配もだんだんとやわらいでいく様になりました。

 5月28日、予定より1日早く第一航海を終え無事に帰って下さり、本当に嬉しく思いました。“これでおわりだったら良いのに・・・”そんな思いもふっと頭に浮かびました。

 父の三回忌法要を終え、6月7日から再び第二航海に出発です。台風の影響で予定を日本海周りの北海道コースに変更したので、今回も城崎マリーナからの出発となり再び多くの皆様の見送りを受けながら元気に出発して行きました。

 波のない日しか出ないと約束していても携帯電話の通信不能の場所とか、鹿児島県の佐多岬では3メートル近い波に悪戦苦闘した話を聞くと、2回目とはいえ今回は長旅になるのでまたまた不安でいっぱいでした。

 でも日本海は波も穏やかで予定より少しずつ早く順調に航海している様でただただ波のない事を、事故のない事を願いながら過ごす日々でした。毎晩電話でその日の出来事や、地元の人とのふれあいとか話してくれる声を聞きながら、中村さんと二人で充実した日々を送り頑張っているんだなと実感する事が出来ました。

 なにしろ自然が相手なので波が高く出航出来ない日や、出航しても途中で波が高くなり予定を早めて近くの港に入港した日もあったのに予定通り、いえ、1日早くちゃんと帰って来て下さった事、旦那様とはいえ関心してしまいます。

 7月1日相生港入港日、遠方まで出迎えに同行して下さった管理課の皆様、本当にありがとうございました。私達5人は午後1時に入港する3人(守山さんが途中で合流されたので)の乗ったボートをドキドキしながら待ちました。ちょうど1時、これまた時間通りに3人の乗ったボートが見え、私達は両手を振って迎えました。

真っ黒に日に焼けして、口ひげも相当のび、少しほっそりした主人の姿から、長旅の疲れよりも日本一周という夢を達成したという満足感が感じられました。何事もなく無事で良かった~おめでとう!本当にそう思いました。


 

小型ボートで日本一周航海、2回も新聞に載せてもらい、時の人(少しオーバーかな?)になれて良かったネ。
 そしてなにより、主人を信頼しこの旅のパートナーになって下さった中村さんありがとうございました。



 
長年の夢をあきらめず思い続け、着々とそれを実行に移し、そして晴れて実現させた主人を賞賛したいと思います。
陸上責任者の専務、そして両常務はじめ社員の皆様、ご支援本当にありがとうございました。

P.S. 海の怖い私も近海から少しずつでもボートに乗る練習をしなくてはと思っています。


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