航海後記
平成17年7月7日 伊藤 清悟 |
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航海後記
平成17年7月15日 中村 信和 |
私が今回日本一周航海をすることになったいきさつは、昨年より55歳で定年になったら但馬銀行を退職して友人と一緒に海外旅行に行こうと話しをもちかけていたのですが、友人は但馬銀行を辞めずに残るとゆうことでした。 その後も日本一周航海は伊藤さんに頼んで来年まで待ってもらって会社に残って欲しいと説得されましたが、私も男と男の約束。今このチャンスをのがしたら後で後悔する。 今までの自分だったら途中で断念するかもしれないと思い、今回の日本一周航海は是非ともやり遂げたいと思い有言実行と自分に言い聞かせてきました。銀行を退職してそろそろ準備に取り掛かろうと思った矢先、4月10日にぎっくり腰になり、痛くて歩けませんでした。 アトム、和田医院、川端整形外科と治療をしてもらい少し歩けるようになってきましたが5月の航海迄に直るか不安でなりません。 最初、円山川で波はなかったのですが、津居山港出たとたん波が高くて腰に衝撃が走りました。波は激しく、全く良くなる気配がありません。凪と聞いていましたので、これよりもっと波が高くなるのを毎日5~6時間乗っていなければと思ったら大変なことだ。 話は進んでいるし今更断るわけにはいかないし、返事するまでにボートに乗ってから承諾したほうがよかったかな、と後悔の気持ちが沸いてきました。久美浜湾に着くと波は無く30ノットで走って大変気持が良かったです。それから香住町の方まで走ったのですが、又波が高く腰は痛いし波の高さを聞くと1m位だそうです。 1.5mまでだったら出港するとのこと、今日より波が高いし痛いし長時間乗っていなければならない、初めてボートに乗って酔わないことは納得しましたが、波の怖さがだんだん現実のものとなって来ました。 翌日、前々から予定していた友人との沖縄旅行を腰痛のためキャンセルし、不安がつのるばかりです。4月23日朝2時頃電話がかかって来て病院に入院していた兄が意識不明とのこと、朝一番の汽車に乗って埼玉の病院へ向かいました。 家族の願いもむなしく、午後6時54分亡くなりました。不思議なことに葬儀の準備をしている間に腰の痛みが和らいできました。兄が亡くなる時に私の腰の痛いのを持って行ってくれたのでしょうか。 そうこうしている間に練習航海の連絡が入ってきて、隠岐島の予定が小浜に変更になりました。伊藤さんの友人の萬谷さんと小浜へ、天気は快晴、波は穏やか、だんだんと気持ちは日本一周に高ぶってきましたが、まだ少し不安が…。萬谷さんも一緒に行けたら心強いのに…。 その後バタバタしていたら、5月19日ボートの掃除、読売新聞の松田記者さんの取材、もうあとには引けないこととなりました。私はO型人間だから何とかなるか、とゆう心境になりました。 但し子供が4人いますので、安全航海第一。 5月21日いよいよ出港、家族、親戚、伊藤さんの会社の方、友人たくさんの方の見送りのなか、読売新聞・神戸新聞の記者の取材を受け、いざ出港!!気持ちは嬉しい反面不安も、夢に向かって海の冒険のスタートです。 第一航海、初日波が穏やかで2日目も絶好調。私達を歓迎してくれているかのように思いました。博多湾は大きすぎて引き波が大きく小型ボートを係留するのは大変なことだと分かりました。 3時間の格闘でした。横に座っていて何もしてないのですが緊張のあまり大変疲れました。私は初めて海の怖さを知り、これから先、日本一周することが出来るかなと不安ばかり。 その後は波が穏やかで難関の四国の足摺岬、室戸岬も無事に通過し第一航海を 毎晩宿に着くとすぐ生ビール、酒の飲めない私でも 大変美味しく疲れをとってくれて生ビールの飲まない日はありませんでした。美味しいビールを飲んで美味しい物を食べて2時間程人生等について語り明日は又頑張ろうと楽しい毎日でした。 私はナビゲーターなのですが、余り仕事が無く、3月に初めて携帯電話を買って銀行の職員の方にメールアドレスを登録して頂いていたので、航海中にメールの交換が出来ました。大変楽しい時間を過ごさしていただき、勇気づけられ、感謝!感謝! 第一航海を終え帰ってくると、神戸新聞、読売新聞に大きく掲載されたので一躍時の人!会う人に声をかけられ、 妻の墓参り、金光教へ参拝をし、兄の49日の法要も済ましていよいよ第二航海。長旅になるので波が穏やかで、無事帰って来れますようにとお願いしていざ出港。 第二航海は台風が発生したため当初の予定を変更して太平洋を北上するのをやめて、日本海を北上することとなりました。伊藤さんの決断がよくて波が穏やかで予定より順調に進みました。このままの状態が続けば有難いことです。 津軽半島も無事通過し北海道、積丹半島の景色はさすが国定公園、感動の連続です。利尻島、宗谷岬、知床半島、山も海も大変美しく感動の連続です。 知床半島はもう直ぐ世界自然遺産、誰でも行ける所ではありません。 計画している時から北海道は霧が深くレーダーなしでは走れないと聞いていましたが、オホーツク海を通過する頃から徐々に霧が深く特に午前中はほとんど見えません。 知床半島、納沙布岬、襟裳岬、も通過する時には霧が無くなりました。国後島、貝殻島も見えました。 伊藤さんが携帯電話で指示をして、専務、会社の職員さんもパソコンで納沙布岬の私達の船を確認、顔は見えないので座布団を振ったら見えますとのこと、こんなことが現実に!感動の連続です。 伊藤さんは携帯電話、パソコン等何においても最先端をいって色々な事を良く知っておられ感心しました。 霧とお別れと思っていましたが依然と霧が深くレーダーとにらめっこ。三陸海岸も波が高いが港が沢山あるので少し安心して走れました。 太平洋も順調に進んで来ましたが千葉県銚子の犬吠崎を回ろうとした所。岬の所はいつも波が高くなるのですが、今回の岬は特に波が高くて半端ではありません。2.5mいや3mもの波が襲ってきます。 伊藤船長さんに聞くともう少し走れば波が治まるからと言われますがなかなか治まりません。鹿児島県の大隈半島の波どころではありません。 波が治まらない、この先に港が無い、これ以上無理をしないとゆう伊藤船長さんの冷静な判断で無事銚子港へ入港。 何もしない私ですが疲れがどっと出てきて、なんとか助かってよかったとゆう想いでいっぱいでした。太平洋はうねりも大きく波も大きく大変です。漁師の人に聞いて朝早く出れば風が無いから走りやすいとの事なので、伊藤船長さんの判断で午前5時30分銚子港出港、うねりは大きかったですが無事犬吠崎を通過しました。 ところが昼過ぎより風が吹いて波が高くなり房総半島が回れません。 ところが伊藤船長さんの予想どおり風が吹いて波が高くなり、午前10時真鶴港へ着くなり台風なみの突風です。太平洋は波が大きくて怖いです。その後石廊崎、御前崎、無事通過し浜松で森山さんと合流。 元電算部の3人がそろってスナックへ、昔の歌を歌って楽しい夜を過ごし、後2日いよいよラストスパート。森山さんが合流して3人でにぎやかな船旅となり、最後の難所潮岬も波が高かったのですが、3人だと不安が和らぎました。 そして相生港へ大勢のお出迎えのなか無事到着。伊藤さんの家族の方、ユラク管理課の職員の方、読売新聞の松田記者、神戸新聞の記者の方、お忙しい所お出迎えありがとうございました。 小型ボートで日本一周航海、夢のようなことが達成できたと思う反面これで終わりかと寂しい面もあります。 夢が達成出来たのは、家族の理解があったこと、伊藤さんが優秀な船長さんだった事、専務さん始め沢山の親戚や友人の方の協力があり、又各地の港で多くの人の親切があって日本一周航海が達成出来ました。 本当にありがとうございました。 第一航海8日、第二航海25日、合計33日6200キロの旅。 12月31日、もし私がユラク管理課に寄っていなければ、私は今回の夢に参加出来ていません。何か神様がそうさせたのでしょうか。今でも不思議に思います。 伊藤さんから聞いた事なのですが、これからは夢を持ってその夢に向かって行動すれば必ず夢は叶うとゆうことです。 これからの第二の人生、夢を沢山持ってその夢に向かって頑張って行動して行きたいと思います。 |
気が気でなかった日本一周 | ![]() |
伊藤 幸子 |
小型ボートで日本一周の夢、叶って本当におめでとうございます。何事もなく無事に予定通り帰って下さり、本当に嬉しく思います。 昨年の11月頃からでしょうか。主人は夕食が終わると毎日パソコンの前で寝るまで何か調べごとに熱中している日々でした。小型ボートで日本一周したいという強い思いを持っている事は私も知っていましたが、なにしろ危険を伴う海の旅なので自分の口から確認する事が恐くて、あまり口出しはしませんでした。そしてその頃は夢のままで終わってほしいとさえ思っていました。 昨年の夏は希望されます社員を対象に瀬戸内海クルージングも行われました。海の怖い私は絶対無理と思っていたのですが、瀬戸内海はあまり波がないと聞いたり、主人の強い誘いもあって、ついに覚悟を決めて参加をしましたのに、なぜかその日がいちばん波が高く出航したにもかかわらず途中で引き返しました。 午後少し波がおさまり、再び出航する事になりましたが怖くて私一人専務から借りたマイクロバスの中で皆の帰りを待つ、怖がりの私だったのです。 でも雪も解け春になるとやはり着々と準備をしている事も察し、せっかくの“夢”を私の気ままだけで壊す事は出来ないと思い、気持ちよく協力しようと覚悟を決めました。 ある日主人から「日本一周航海計画34泊6,200キロのクルージング」と記した冊子を渡されました。それは日程表、日本一周航海計画、各種準備、役割分担、事細かく記してありました。終わりのページに近づくにつれ、事故の対応、誓約書、そして総合保険契約申込書のコピー等がとじてありました。それを読んでいるうちに、相手が自然なだけに万が一何かあったらどうしよう・・・私は不安な気持ちで一杯になり涙が出そうになりました。 しかし、たとえ二人だけの航海でも細かく調べ、役割分担等もきっちり決めたきめ細やかな計画書に、命がけで真剣に取り組んでいるという主人の行動に納得出来、不安は消えませんが気持ちよく送り出してあげようという気持ちに変わっていきました。 5月21日第一航海の出発日、城崎温泉マリーナからの出航です。連中の友人、専務、伊藤常務、為則店長、管理課の皆様、朝早くからお見送りありがとうございました。多くの人々に見送られ、中村さんと主人の乗ったボートは日本一周を目指して旅立ちました。
主人からのメールはしょっちゅう入り、そのメールを見ては安心したものです。そして夕方の「入港しました」のメールを見ると、やれやれと胸をなでおろしたものです。夜は電話で様子を聞いたり、細かくメールが入るので私の心配もだんだんとやわらいでいく様になりました。 5月28日、予定より1日早く第一航海を終え無事に帰って下さり、本当に嬉しく思いました。“これでおわりだったら良いのに・・・”そんな思いもふっと頭に浮かびました。 父の三回忌法要を終え、6月7日から再び第二航海に出発です。台風の影響で予定を日本海周りの北海道コースに変更したので、今回も城崎マリーナからの出発となり再び多くの皆様の見送りを受けながら元気に出発して行きました。 波のない日しか出ないと約束していても携帯電話の通信不能の場所とか、鹿児島県の佐多岬では3メートル近い波に悪戦苦闘した話を聞くと、2回目とはいえ今回は長旅になるのでまたまた不安でいっぱいでした。 でも日本海は波も穏やかで予定より少しずつ早く順調に航海している様でただただ波のない事を、事故のない事を願いながら過ごす日々でした。毎晩電話でその日の出来事や、地元の人とのふれあいとか話してくれる声を聞きながら、中村さんと二人で充実した日々を送り頑張っているんだなと実感する事が出来ました。 なにしろ自然が相手なので波が高く出航出来ない日や、出航しても途中で波が高くなり予定を早めて近くの港に入港した日もあったのに予定通り、いえ、1日早くちゃんと帰って来て下さった事、旦那様とはいえ関心してしまいます。 7月1日相生港入港日、遠方まで出迎えに同行して下さった管理課の皆様、本当にありがとうございました。私達5人は午後1時に入港する3人(守山さんが途中で合流されたので)の乗ったボートをドキドキしながら待ちました。ちょうど1時、これまた時間通りに3人の乗ったボートが見え、私達は両手を振って迎えました。 真っ黒に日に焼けして、口ひげも相当のび、少しほっそりした主人の姿から、長旅の疲れよりも日本一周という夢を達成したという満足感が感じられました。何事もなく無事で良かった~おめでとう!本当にそう思いました。
小型ボートで日本一周航海、2回も新聞に載せてもらい、時の人(少しオーバーかな?)になれて良かったネ。
P.S. 海の怖い私も近海から少しずつでもボートに乗る練習をしなくてはと思っています。 |