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海をみつめながら

今と昔をつづりたい

”しょうがい”について

2016-03-23 23:27:06 | 社会
今朝の朝日新聞「声」のページにあった「どう思いますか」について私の考えを書きますね。
これは、1月22日付掲載の投稿、「「障がい」に「害」の字なぜ使う」というタイトルで
20歳の大学生が書いたものに対する意見を求めていました。

多くの反響があったそうで、紙面では4人の方の投稿が載っていました。
その中で、私と同じように重度障害者の母である方の意見に同感です。

「大切なのは言葉ではなく気持ち」のタイトルで、自分の立場から見れば「障害」でも「障がい」でも、
どちらでも同じ。大切なのは、言葉ではなく気持ちです。
私も障害者の母として、まさしくそう思います。

文字はどうでもいいのです。
それぞれに好きなように使ってください。「害」でも「がい」でも「碍」でも。
問題は、心の中。意識や気持ちにあると思っています。

実際に冷たい人たちがいると思います。
たとえば、障害者の住まいとしてグループホームを作ろうとしても、周りの反対にあうことはしばしばあります。
自分のことしか考えられない人たちです。地価が下がるとかいろいろ理由があるのでしょうね。
みんながみんな障害者に対して優しい理解を示してくれるとは限りません。

この最初の投稿者の大学生は立派です。
障がいに対しての関心の高さ、自分のできることをしたいという気持ちに嬉しくなります。
私が20歳の頃、障害者に対する意識はあったのだろうか、と考えると恥ずかしくなります。
何もなかった、その後、娘に自閉症の疑いがあると感じた時から、障害とともに歩んできましたが・・・。

紙面に掲載されたことは障害を考えるために大きなことです。
関心をもつ人が増え、「心のバリアフリー」も広がるようにと願っています。

今年亡くなった有名人から・・・

2015-12-21 23:09:16 | 社会
今年お亡くなりになった有名人はたくさんいますが、驚いたのは、スポーツ界からのお二人について。
お二人ともがんを患っていましたが、全く知らなかったので、予期せぬ訃報でした。

そのお一人は、柔道の斉藤仁さん。
現役時代は強い金メダリストということしか知りません。
少し前に、斉藤家のことをテレビで偶然見ました。

現役の時も指導者になられてからも、仁さんは厳しく、心も体も大きな人でした。
息子さんたちがその後を追っています。
奥様は元CAのとても美しい方。仁さん、押したのでしょうね。
ご主人亡き後もしっかりと生活されています。

私が本物の仁さんをお見かけしたのは、近所にあったファミリーレストランででした。
当時、全日本の監督だったか、大学の監督だったかは覚えていませんが、
金メダルをとった教え子の石井選手のお父さんと入ってきました。
石井選手はその奔放な言動でテレビ出演が多く、お父さんの顔も知っていました。

その日の数日後、石井選手が柔道を辞めてプロレスに転向するニュースが流れました。
仁さんとお父さんの話し合いはきっとシビアなものだったでしょう。

丸顔のふくよかなお顔は、闘病中にげっそりとなっていました。
すべて後から知ったことです。
まだ54歳という若さでした。ご冥福をお祈りします。

もう一人は、北の湖理事長です。
ニュース速報で亡くなったのを知り、本当にびっくりしました。

現役時代の北の湖関は本当に強かった。
勝って、反り返ったようにする態度が憎らしくて、私が熱心に相撲を見ていた頃の悪役でした。
私の好きな力士たちは勝てなくて、強い強い横綱であり、北の湖がいたから相撲がおもしろかったのです。
そんな強かった人も病には勝てなくて悔しいですね。

無口という印象の北の湖さんが、引退して役職につき、テレビで発言しているのをみて驚きました。
よく喋っています。
夫と私はしばらく日本にいなくて、その途中を知らなかったからですが。
ニッパチという昭和28年生まれ。ご冥福をお祈りします。

もう一人、書きたい方がいます。
野坂昭如さんです。ご高齢だし、病のことも知っていたので、訃報には驚きませんでした。

私が驚いたのは、「おもちゃのチャチャチャ」を作詞したのが野坂さんということ。
この曲は娘と私の入浴で必ず歌うもの。この時の娘の笑顔がすばらしい。
このかわいい詞と野坂さんのイメージが全く合わないので、驚いたのです。

私の記憶が確かなら、高校の文化祭で野坂さんが講演し、聴きにいきました。
もう40年以上も前、本当かなぁ。
野坂さん、ご冥福をお祈りします。

異物混入について

2015-01-13 22:56:46 | 社会
先週だったか、異物混入についての報道が目立った。
マクドナルドは、その対応が悪いと叩かれているようだ。
しかし、この異物混入はマクドだけにかかわらず、そこらへんに日常茶飯事にあるのではないかと思う。
というのも、我が家だけでも2回経験している。

1回目は、25年くらい前のこと。
菓子パンを食べていると、途中で違和感。ビニール片が入っている。
すぐに、袋にあったメーカーの電話番号にかける。

お詫びの言葉のあと、「そのままとっておいてください。取りに行きます」と言われる。
食べかけで、見かけも汚いけれど、かまわないそうだ。
本当にその数時間後には、取りにきた。大きな紙袋いっぱいのパンをもって。
とても我が家だけで食べられる量ではなく、社宅の人たちにおすそ分け。

2回目は、この家でだから、数年前か。
朝、夫が食パンをトーストしようとしている時に、声をあげた。
パンの表面に青い点、プラスチック?が2つ、中に入り込んでいる。6枚切りの他のパンは普通。
その目立つ青い点のパンはそのままにしておいて、夫の出勤後、一息ついた時にメーカーに電話。
こちらも回収しにきた。今度は、そのメーカーのお菓子の折をもって。

どちらも調査結果を聞く気など毛頭なかった。
たぶん工場内でのトラブルだと思ったし、その現物でメーカー側の調査ができればいいと思ったいた。
まして、それがニュースになるとは思っていないし、実際に、当時は小さな異物での騒ぎはなかった。

過剰に反応する人、ネットで言いたい人、反対に面倒な人など、異物混入があっても
対応は人それぞれだと思う。
食べ物なので、安全、衛生面が重要だが、よくある異物混入で、目くじら立てて騒ぎすぎなのでは、
と私はちょっと冷めた目で見ている。

尊い命

2013-07-09 13:07:42 | 社会
誰でも自己中心に生きていると思う。
そして、気遣いのできる人はその周りにも気を配り、人のためにも活動している。
その活動範囲は、国家レベルの大きなものから、身の回りの小さなことまで、それぞれあって、
自分の希望や意志、健康や経済面からも違って当然である。

再発してからの私は、どんどん狭い世界になっていると自分でも思う。
だからといって、あちこちに手をだす気も体力もないので、これでいいと思っている。
それでも、外国で日本で起こるニュースは、なるべく知るように努めている。
あまり興味のない内容はスルーしてしまうが。

ほほえましい話題や嬉しいニュースにはいい気分になるが、
このところ多いよくないニュースには心が痛い。

その中で、ビックリしたのはアシアナ航空機事故。
あのサンフランシスコ国際空港は、我が家が4年半滞在した家の眼下にある。
この時期はお天気がいい。いつも穏やか。そこにあの悲惨な映像。
もし住んでいたら、目を覆いたくなるような場面に出会っていた。
亡くなったのは16才の中国人女性という。これから限りない未来をもつ年齢だ。
突然の悲劇に、ご本人、ご家族のことを思うと、言葉にならない。

毎日報道されているのは、エジプトの情勢。連日多くの死亡人数が出ている。
ひとくくりに○○人とあっても、そこにはそれぞれの人生があった。
発砲で一瞬にして消えてしまうなんて、むごすぎる。

昨日も東京は落雷があり、今度は死者も。
あっという間の命。こんなに簡単に亡くなってしまうことが残念でならない。

熱中症の死者もあり、水難事故もある。
元気だった人が、ちょっとしたことで亡くなる。

東日本大震災の時にも感じたが、治療を続けて不治の病と共存している身としては、
命ははかりなく尊く、何よりも大事にしたい。
事故や事件、病で不幸にしてお亡くなりになった多くの人のご冥福を祈るとともに、
命ある私たちは、生きていることに感謝しながら、自分らしく生きていきたいと改めて思っている。

許せないテロ行為

2013-04-17 11:56:59 | 社会
昨日の朝、起きてすぐテレビをつけると、信じられない画面が目に入る。
初めは、ウソでしょ、映画か何かの映像だと思った。
でも、それは現実。

父親の応援をしていた少年が殺され、妹は片足を失い、母親は脳を傷つけられたらしい。
幸せな一家が残酷なことに巻き込まれてしまった。

スポーツは、オリンピックでもわかるように、政治とは関わりなく、人種差別もなく、
持てる力を出して、正々堂々と競うもの、または楽しむものだと思う。
そんな平和の象徴のイベントに、無差別な殺人を行うとは、これほどひどいことはない。

悲しみの地となったボストンには、3回ほど行ったことがある。
文教の街、またアメリカでは歴史のある街、比較的治安もいいと思っていた。
好きな所の1つであった。

日本で火曜日の朝に知ったので、アメリカは月曜日。
平日にマラソンが行われたので疑問だったが、ボストンは祝日だという。
ナショナルホリデーではないので、夫も私も知らなかった。
ボストンでは記念すべき祝日が悲しみの日に、言葉を失う。

自分が病と共存してから、さらに強く思っている。
家族や友人たちと過ごす平凡な日々がどれだけ大切か。
ささやかでも小さな喜びを感じる幸せ。

みんなそれぞれに生活がある。生きているのだ。大事にしないと。
人が人の生を断つなど決して許されるものではない。
今回、亡くなったり、けがをされた方のことを思うと悲しくてたまらない。