今朝の朝日新聞「声」のページにあった「どう思いますか」について私の考えを書きますね。
これは、1月22日付掲載の投稿、「「障がい」に「害」の字なぜ使う」というタイトルで
20歳の大学生が書いたものに対する意見を求めていました。
多くの反響があったそうで、紙面では4人の方の投稿が載っていました。
その中で、私と同じように重度障害者の母である方の意見に同感です。
「大切なのは言葉ではなく気持ち」のタイトルで、自分の立場から見れば「障害」でも「障がい」でも、
どちらでも同じ。大切なのは、言葉ではなく気持ちです。
私も障害者の母として、まさしくそう思います。
文字はどうでもいいのです。
それぞれに好きなように使ってください。「害」でも「がい」でも「碍」でも。
問題は、心の中。意識や気持ちにあると思っています。
実際に冷たい人たちがいると思います。
たとえば、障害者の住まいとしてグループホームを作ろうとしても、周りの反対にあうことはしばしばあります。
自分のことしか考えられない人たちです。地価が下がるとかいろいろ理由があるのでしょうね。
みんながみんな障害者に対して優しい理解を示してくれるとは限りません。
この最初の投稿者の大学生は立派です。
障がいに対しての関心の高さ、自分のできることをしたいという気持ちに嬉しくなります。
私が20歳の頃、障害者に対する意識はあったのだろうか、と考えると恥ずかしくなります。
何もなかった、その後、娘に自閉症の疑いがあると感じた時から、障害とともに歩んできましたが・・・。
紙面に掲載されたことは障害を考えるために大きなことです。
関心をもつ人が増え、「心のバリアフリー」も広がるようにと願っています。
これは、1月22日付掲載の投稿、「「障がい」に「害」の字なぜ使う」というタイトルで
20歳の大学生が書いたものに対する意見を求めていました。
多くの反響があったそうで、紙面では4人の方の投稿が載っていました。
その中で、私と同じように重度障害者の母である方の意見に同感です。
「大切なのは言葉ではなく気持ち」のタイトルで、自分の立場から見れば「障害」でも「障がい」でも、
どちらでも同じ。大切なのは、言葉ではなく気持ちです。
私も障害者の母として、まさしくそう思います。
文字はどうでもいいのです。
それぞれに好きなように使ってください。「害」でも「がい」でも「碍」でも。
問題は、心の中。意識や気持ちにあると思っています。
実際に冷たい人たちがいると思います。
たとえば、障害者の住まいとしてグループホームを作ろうとしても、周りの反対にあうことはしばしばあります。
自分のことしか考えられない人たちです。地価が下がるとかいろいろ理由があるのでしょうね。
みんながみんな障害者に対して優しい理解を示してくれるとは限りません。
この最初の投稿者の大学生は立派です。
障がいに対しての関心の高さ、自分のできることをしたいという気持ちに嬉しくなります。
私が20歳の頃、障害者に対する意識はあったのだろうか、と考えると恥ずかしくなります。
何もなかった、その後、娘に自閉症の疑いがあると感じた時から、障害とともに歩んできましたが・・・。
紙面に掲載されたことは障害を考えるために大きなことです。
関心をもつ人が増え、「心のバリアフリー」も広がるようにと願っています。