深夜の高速道路は、行き交う車も僅か。
都会のビルの壁に挟まれ、縫うように一筋の光の帯の中で黒き路面を晒している。
所謂「首都高速道路」は、日本の経済成長の象徴であり、東京オリンピックの開催に合わせて建造されたと聞いたことがある。
当時都心は、既にビルが乱立し、新たに道路を建設しようにも買収にコストがかかり過ぎ、立ち退きを行っていては肝心のオリンピックに間に合わないという問題を抱え、苦肉の策で打ち出されたものが、都心を流れる川の上に建設するというアイデアだったらしい。
そういわれると確かに首都高速は、川の上を通っている印象が深い。
立ち退きを必要とせず、都内を縦横無尽に道路を建設できる素晴らしいアイデアだったと思う。
一方、江戸の昔から人工的に作られた水路、つまり川は、風の通り道にもなっていて、蒸し暑い夏には、川の上を涼風が吹きぬけていくお蔭で街はけっこう涼しかったらしく、高速道路の建設で涼風は無残にもその道程を阻まれて行き場を失い駆け抜けることを立たれてしまったのだと言う。
涼風に煽られて風鈴が鳴る風情も敢え無く消え去ってしまったのだった。
利便性を取り、人が手を加えれば自然の摂理は失われ、それとともに人の恩恵をも失われる。
人工的な利便性から自然の恩恵を差し引けば、人は大きな恩恵を被られるのだろうか。
そんな単純な引き算で割り切れるほど、人の英知と自然の恩恵と脅威は単純ではないもだろう。
数十年前に誰が地球温暖化で北極が消え去ると想像しただろうか。
想像できたとしても多くの人は、遠いまだ遠いおとぎ話のように考えていたに違いないのだ。
人はより高みを目指し止まない因果な生き物が故に、未来永劫自然破壊は続くのだろう。
このままでは・・・と思いつつも自分の先の先の子孫の時代の話だと高を括っていてはいけないのだと理解しなければならないのだ。
ミッドナイトフリーウェイ・・・人が求めた利便性の極致であり、人の英知の結集の象徴なれど、その裏で消えていった川面がもたらした恩恵を失い自然の摂理を歪曲してしまった象徴でもあるのだ。
ただひたすらにその上を駆け抜けるだけではいけない気がしてならない。
Camera : Canon EOS6D