日々是興味深々

日々の生活の中で興味を持った光景を画像に切り出した日記帳

想い深く群青色

2009年06月30日 | Weblog
陽に照らされる海原が、翳りを見せ始める頃にその色はスカイブルーから群青色に変化する。
まだ夜が明けきらない暗闇が、やがて山の頂上に背後から微かな朝日の予感を受け始める頃、その空は、群青色に染まるのだ。


供の頃から群青色に見せられて、いつも24色のクレヨンを親にねだっていた自分の姿は、はるか彼方の過去のものだけど、群青色への愛着は未だ心に潜んでいて、その色を見れば必ず心はときめいて、夜明けの空に思いを馳せる。


群青色の情景を見たことがありますか?
群青は、誰の心にも深く静かに染み込んで己の呼吸を感じるほどの静寂と安息をもたらしますよ!







■撮影場所:神奈川県金沢八景
■Camera :au W61CA

決死の覚悟の撮影

2009年06月29日 | Weblog
「おじさぁ~~ん!デジカメ買ったんだって?じゃ、犬撮ってよ!」
「!*・・・・?**!!!」


私が犬が苦手だって知ってるだろうに!!
と口に出す前に既に目の前に犬二匹。


「ここに繋いでおくからねぇ~~~」
何だよ・・・行っちまうのか・・・。
仕方なく出来るだけ距離を置いてズームで撮影。
けっ!生意気にお前らカメラ目線かい!!


あんだってな、お前ら犬の分際で大層な暮らししているじゃねぇか。
大体犬なんてものは、番犬代わりに外で飼うのが常識だろう?
お前ら家ん中で暮らしてんだってな!
上等だよ!いいご身分だぜ・・・。


近づくなよ・・・いいな、寄ってくるんじゃねぇぞ!
何が苦手って、犬ほど苦手なものは無いなんだからな・・・。
で・・・やっとの思いで1枚撮影。


■犬種:Dachshund (Miniature) & English Springer Spaniel
■Camera :Canon EOS Kiss Digital X2



石畳の参道

2009年06月28日 | Weblog
名刹寺院の長い参道、建立は鎌倉時代に遡るらしい。
参道脇には、いくつもの法華経の別寺が並び本院まで石畳が続く真っ直ぐな道。
この道を歩みながら煩悩を振り払い解脱の覚悟で心清めるのだろうか。


私は、カメラ片手に気軽な散歩。
霊験新たかな名刹には不届き者なれど、静かに受け入れてくれたことに感謝。




■撮影場所:千葉県市川市 法華経寺
■   URL:http://www.hokekyoji.com/
■Camera :Canon EOS Kiss Digital X2

不思議な花

2009年06月27日 | Weblog
都会の只中のコンクリートの狭間に咲く不思議な花を見つけた。
葉も茎も真っ白で、まるでカビの胞子のような姿なのだけれど、花だけは鮮やかな黄色。
何だか「風の谷のナウシカ」に出てくる世界のような印象だけれど、わざわざ植え込んだのだからきっと観賞用のなのだろう。
花が無ければきっと朽ち果てたか病に冒された植物として処分してしまいそうだ。
世の中には、まだまだ見たことの無い草花があるものだなぁと感心しながら一枚撮影。



■撮影場所:東京都有明 国際展示場
■Camera :au W61CA

●series in TAKAO No,6 「不運な木立」

2009年06月26日 | Weblog
登山道脇に生えていたがために登山者によって繰り返し踏み削られてきた木の根っこ。
たまたま登山道脇に根を下ろしたがために斯様な姿になってしまった不運さを感じる。
それでも根っこは力強くそこいら中に太き根を張り巡らせて必死で養分を取ろうとする逞しさに一縷の畏敬の念を感じざるをえない。
自分もこの道を登ってきた登山者のひとり。
せめてこの根を踏みつけることは、差し控えたい。



■撮影場所:東京都高尾町高尾山 稲荷山コース登山道
■Camera :Canon PowerShot A570IS

洞窟の中のお稲荷さん

2009年06月25日 | Weblog
お見舞いの帰り道にふと立ち寄った神社の一番奥のがけ下に洞窟の中に納まったお稲荷さんを発見!
手前は、自然に出来た段違いの岩盤になっていて数段の段差を上がるとお稲荷さんが鎮守していた。


霊験新たかなお稲荷さんではあるけれど、祀られている洞穴の不気味さを感じれば、その昔中国よりわたってきて那須の国で討ち取られ殺生石となった「九尾の狐」の棲みかではないかと勘ぐってしまう。
そう思うと近寄りがたく、臆病風に吹かれて正面切ってのお参りと撮影が出来ずに、ちょっと斜に構えて植草越しに撮影してきた。


同じ狐なれど、人の見方、解釈の違いで善と悪に象徴されては、狐も立つ瀬がないだろう。
未だ長く言い伝えられて、祀られる風習が延々継承されてきた原動力は、人の偏った心の信仰心に他ならない。
口伝と風習により、きっと長く稲荷信仰は続いていくのだろうと感じた瞬間だった。


■撮影場所:神奈川県金沢区 瀬戸神社
■   URL: http://www1.seaple.icc.ne.jp/setojinja/index.html
■Camera :au W61CA

全部ヒメジョオンに見える頓珍漢

2009年06月23日 | Weblog
この手の花、春から初夏にかけて白き細かい花びらに中心が黄色の野草花を見ると全部ヒメジョオンだと思ってしまう私。
もちろん調べれば簡単にその素性は分かるのだけれど、敢えてそんなことはしないのだ。

♪ヒメジョオンに埋もれて くちづけをした
土手と空のあいだを風が渡った ♪

かの荒井由美の楽曲「ハルジョオン・ヒメジョオン」の一節。


条件反射のようにヒメジョオンを連想するとこのメロディーが脳裏に浮かぶ。
夏の夕暮れをとぼとぼ帰る情景のようなちょっとノスタルジックでけだるさを感じるメロディーは、歌詞にあるヒメジョオンに象徴されて私の心に宿っているのだ。


かつて幼きころ、時を忘れて野を駆け巡り、心配で迎えに来た父親に背負われた背中の上で転寝をしてしまった自分の姿が蘇る。
幼きころの些細な出来事は、成長するにつれ忘却の彼方に押しやってしまってはいたものの、心に刻まれし郷愁の思いは、払拭されずに我が心根に宿っていたのだと安堵する瞬間でもある。


生まれて早五十数年、すでに今まで生きてきた年月ほど生きてはいられない歳になって、今更忘却のかけらを拾い集めて何するわけでもないけれど、駆け足で見過ごしてきたものの中に、ささやかではあるけれど幸せだった記憶を自分の中に確固たる事実として只々残しておきたいだけなのかもしれない。






●series in TAKAO No,5 「宿場の趣の参道」

2009年06月22日 | Weblog
木曾路 ( きそじ ) はすべて山の中である。あるところは 岨 ( そば ) づたいに行く 崖 ( がけ ) の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口で ...
の件で始まる島崎藤村「夜明け前」の小説を母の勧めで読んだのは、私が15歳の夏休みだった。


一応読破してはみたものの、どんな内容だったかあらすじさえも頭に残っていなかったが、最初のこの木曾路はすべて山の中にある。の一説は、私の脳裏に行ったことのない木曾の山間のひなびた宿場の情景だけが焼きついた。


未だ木曾を訪れたことは無いのだけれど、テレビ番組などで木曾の様子を垣間見てもどうしても頭の中の自分だけの情景を払拭しきれず、画面に映る現実を飲み込めないまま今日に至ってしまった。


高尾の参道を降りてきて、この情景を目の当たりにしたときに妙に自分の木曾路のイメージと符合してしまい、「木曽路はすべて山の中にある」の一説が浮かんだ。


水抜きされた田んぼ

2009年06月21日 | Weblog
水抜きされた田んぼの土に青々と稲が植わっている。
ひびの入り始めた土が、これから成長していく稲の逞しさを支える土壌なのだ。
ここは南魚沼市、超ブランド米「魚沼産コシヒカリ」の産地だ。
きっとここに実る米は、滅多に口にはできないおいしい米になるに違いない。


見れば、田んぼのなかには雑草の芽ひとつ見当たらない。
相当手入れの行き届いた様子から、ブランド米を生み出す農民の熱意も伝わってくる。
そう簡単においしい米は、作れないのだという真実を垣間見ることができた瞬間だった。