前回、『古事記』の冒頭の「天地開闢」について、原文を丁寧に読み込んでみました。(といっても上滑りの観はありますが)
そこで、今回はその続きの記述を読んで行こうと思います。
前回読み残した最後の3列の部分と、

今回新たに読み始める最初の5列と2文字を見ていきます。

横書きにして、訳してみるとだいたい次のような意味に解釈できると思います。
於是(そこで) 天神諸命(高天原にいらっしゃる別天神(ことあまつがみ)や神代七世(かみよななよ)の神々は) 以詔 伊邪那岐命 伊邪那美命 二柱神(つぎのように、伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神にみことのりしました。)
修理(おさめつくり) 固成(かためなせ、と。) 是(この) 多陀用幣流之國(ただよえるの国=浮いた脂(あぶら)のように(形も整っておらず)、久羅下(くらげ)のように(ふわふわと)漂っている国を。)
賜 天沼矛(立派な槍のような長い武器を下さって) 而 言依賜也(そのように「ことより」即ち天の命令として一任されました。)
故(そんな訳で) 二柱神(伊邪那岐命と伊邪那美命は) 立 天浮橋(高天原から突き出た浮橋に立って)
而 指下其沼矛(そこから賜ったぬぼこを指し下して) 以畫(画)物(それをかきまわすものとして使って)
鹽(塩)許袁呂許袁呂邇 畫(画)鳴(「シオコオロコオロ」と音を立てながらかき回して、)
而 引上時(沼矛を引き上げた時に) 自其矛末(その先端から) 埀(垂)落之鹽(塩)(塩がこぼれ落ちて) 累積成嶋(累積して島になりました。)
是 淤能碁呂嶋(この島を、おのごろ島といいます。)
於 其嶋(そこで、その島に) 天降(伊邪那岐命と伊邪那美命が高天原から降りて)坐(います=いらっしゃって)
而 見立天之御柱(天の御柱=聖なる柱を選んでお立てになって、) 見立八尋殿(立派な御殿をお建てになりました。)
【現代語訳】
そこで、高天原(たかまのはら)にいらっしゃる別天神(ことあまつがみ)や神代七世(かみよななよ)の神々は、伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)に次のようにお命じになりました。
『この国はまだ形も整っておらず、くらげのようにふわふわと漂っているので、あなたがたが協力して、しっかりした国に作り直しなさい。』と。
そのために、高天原の神々は立派な槍のような長い武器を二柱の神に下さって、国作りを天の命令として一任されました。
そんな訳で、伊邪那岐命と伊邪那美命は高天原から突き出た浮橋に立って、賜った沼矛(ぬぼこ)を海中に指し下して、「シオ(塩)コオロコオロ」と音を立てながらかき回しました。
そうして、沼矛を引き上げると、その先端から塩が次々にこぼれ落ちて、島ができました。
その島を「淤能碁呂嶋」(おのごろ島)といいます。
それから、伊邪那岐命と伊邪那美命のカップルの神は高天原からその島に降りていらっしゃって、天の御柱(聖なる柱)を選んでお立てになり、立派な御殿をお建てになりました。
と、こんな理解でしょうか。
以上の部分でも、いろいろと不明点があるのですが、特に私が気になっているのが、「見立天之御柱 見立八尋殿」の部分です。
その点について、関連の書物を色々見てみたのですが、詳しく解説した本が見当たりませんでした。
恐らく、以後の記述にあまり関係がないのでしょう。
一般には、家を建てるまえに(それにふさわしい)柱を選ぶということが行われることはよくあります。
しかし、古事記のこの部分の記述では、柱を立てることと、立派な御殿を立てることが別々の行為のように思えてなりません。
なぜ神々のこと数えるときに「柱」という字をあてるのか、「柱を立てる」ということには特別の意味があるのではないか。
そんな素朴な疑問があります。
そこで、ネットを調べてみたら、やはり同じような疑問を持っている人がいて、関連する記事がいくつか見つかりました。
まだ詳しく読んで整理できていないので、ここではこれ以上は書きませんが、今後、研究して行きたいと思います。
【参考情報】
天の御柱を見立て
諏訪の御柱
ウィキペディア「諏訪大社」
天之御柱とは