みなみかぜ

花鳥風月の写真を投稿します。 

夏の終わりに

2022-08-31 13:51:33 | 思い出の

里山の神社の風鈴飾り


猛暑日炎天下のフヨウの蕾


8月1日酷暑日のホテイアオイ


ひまわり

凛として咲いていました。


花蓮


夏の終わりは納涼花火


山鬼百合


風鈴参道

夏休みの終わり妹とたくさん出かけました
9月は忙しく過ぎて行くと思っています。

記事更新をお休みするかもです
何時もご訪問ありがとうございます。

夏の終わりに 
思い出写真を投稿させていただきました。 咲

風鈴飾り

2022-07-21 09:15:57 | 思い出の
夏の初めの風物詩は、あさがお市やほおずき市 
そして江戸風鈴飾り夏って感じです。



写真は昨年行きました小江戸川越にあります
川越氷川神社の風鈴飾りでの一枚です
昨年の今ごろで夜のアルバイトの当直明け
猛暑と蝉時雨の中で撮影をしました。


母が以前写しました、風鈴の画像がありましたのでアップをさせていただきました



下がっている短冊が和紙のようなので川越氷川神社風鈴ではなさそうです
氷川神社の風鈴の舌は薄い板だったので



何処で撮影をしたのかわかりませんけど
写真が綺麗で見た瞬間アップをしたくなりました
風鈴飾りの撮影に行ってみたいですね

先日ニュースで北関東の神社で風鈴参道という
催しがあるそうですので行ってみたいと思っています。

お祭り 風鈴 せみ時雨 夏って感じです。
ご訪問いただきありがとうございます。  咲

昨年の今ごろに

2021-07-18 19:09:20 | 思い出の

衝立越しに見た、ペチュニアアサガオです。

今日の投稿は昨年の今ごろ、母が投稿をしました記事をアップさせていただきます。


※ ※ ※ ここから昨年の記事になります。


私事で、埼玉県の旧大宮市周辺のお話です、長い文となっていますので

ご興味がありませんでしたらスルーをお願い致します。


母は何時も「来年のことを言うと鬼が笑う」と言っていました



今日の午前中に写しました、お寺さんの境内にある水鉢に咲いた蓮の花です


ここからは昨年の7月19日に 母が投稿をしました記事です。

今日の日曜日は久しぶりに朝から晴れて気温も上がってきました


先日お盆の施餓鬼会の申し込みと墓参で旧大宮市にあります菩提寺に赴きました

お寺さんと実家のある大宮市は北関東にあります自宅より車で高速を使って道路が空いていれば1時間半位で着きます

その日は早朝出発で平日なので通勤渋滞にはまらないように大きい市街地を避けて

普段は走らない道を行きました、県境の利根川橋も通勤渋滞前でスムーズに超えて埼玉県に入ります

通称大宮栗橋線で、早朝ですので皆さん走り慣れていて結構な速度で走っています

久喜市辺りのセブンで少し休憩をします、駐車場の端で我が家の僕ちゃん(ワンちゃんです)の気分転換と用足しをします





大宮栗橋線も途中で16号国道と合流するといきなり渋滞が始まって渋滞回避で16号から宮原方面の

旧中山道に入ります、こちらも渋滞がありますけど16号ほどではなくて少しずつ流れます

通勤時間帯は過ぎているけど結構交通量があって信号機もたくさんありノロノロ運転ですね

その日も雨が上がっていて青い空ものぞく時がありました旧中山道から17号に出て斜め左に折れて

旧大宮市街地に入りますと左側にステラタウンと言う大きな商業施設街が見えますこちらは昭和の初めころには

大宮競馬場だったそうで後に中島飛行機製作所で飛行機のエンジンなどを製造していたとのこと

戦後に平和産業で富士重工となりスバルの軽自動車などを製造していたと父が話していたことを思い出しました





今では広い敷地にショッピングセンター街があり衣料品や大きなホームセンターや娯楽施設があります

旧中山道を大宮駅方向に向かいますけど、信号機の多さと道路が幅が狭くてそこを自動車と自転車と歩行者

路線バスなどが走りますので自然渋滞と、そこかしこで道路の工事や建物の建設工事で渋滞です

私が生まれ育った地域ですから裏道も全部わかりますけど裏道は一方通行や、通行時間規制があるので

この道を行くしかありません、市の中心部に入るのは夜中か日曜日の早朝しか道路は空いていません

今では地方の暮らしに慣れてしまっていますから渋滞は辛いですね、実家のすぐ近くにバス停があるし駅まで10分ほど歩けば

電車でどこにでも行けますし大きな病院も商店街も雨にあたらないで行けますけど





今となっては住みにくいなと思っています 人口密度が高くてコロナ禍の今どこに行っても3密で繁華街では

コロナのクラスター発生で報道されている夜の街もすぐそばで私が旧地元民でなかったら怖いところと思うかもしれないですね

でも大宮の街は大好きですし懐かしいのでお盆やお彼岸には必ず墓参をして

実家に寄り子供たちと買い物をしたり、父母に昔話や世間話しをしてもらいます

先日墓参の帰りに聞いたお話で、50年以上前の話で大宮を東西に隔てている今のJRの高崎線や東北線や他の鉄道路線が走っていて、

旧16号国道(当時住民は岩槻新道と言っていたとのことです)が朝晩など開かずの踏切で大渋滞をして周りの道路も常に渋滞していたそうです

渋滞解消のために鉄道を超える陸橋を作って流れをスムーズにするためにできたのが大栄橋で渋滞も緩和されたようですけど

今は16号も郊外に大きなバイパスとなって岩槻新道も県道になっていますけれど今でも渋滞はしています





菩提寺が大栄橋の付近にありますのでどうしても渋滞の中を通らなくてはなりません

母の話で昔大栄橋を西口方面に向かって行くと桜木町の交差点があり交差点の歩道の角で夜になると屋台のラーメン屋さんが出ていて

仕事帰りの人や運転手さんなどで繁盛をしていたとの話でした、大栄橋付近の西口には戦後、どぶ板横丁と言われた水路の上に

簡単な小屋を建てた飲食店が並んでいたそうです、この地域は後に新幹線の開業とともに西口再開発でソニックシティやそごうなどの

近代的な商業エリアになりました、今では大宮駅東口側は旧態依然で道路幅も狭く道路も常に渋滞して経済活動も渋滞しているように感じます

大規模商業施設も西口に進出して東口も再開発が望まれているようです





大栄橋の西側の桜木町の交差点は朝夕通勤時間帯には東西南北すべての進行方向が渋滞して通過するのに未だに渋滞箇所として知られています

大宮駅の西口エリアは道路も整理されていてソニックシティビルでは毎日のように催し物があり、

娘たちが合唱コンクールでNコンの地区大会や関東大会でソニックシティには何度も応援に行きました

その時には車は郊外のニューシャトルバスの駅近くの駐車場に預けてシャトルバスで大宮駅西口まで行きます

駅西口から少し足をのばせば鴨川沿いに三橋総合公園があり春は桜で秋は紅葉が楽しめます

大きな都市で商業施設がたくさんあり住宅街も人口も多くて郊外には西口も東口も大きな公園があり季節を楽しめる良いところです

雨上がりの空 少しのぞいた青い空をみて、いろんなことを思い出しました、今年の梅雨明けは何時になるのでしょうか

コロナ感染も第二波が心配ですし、早く終息できるように願うばかりです。

写真は公園の四季の風景とアルストロメリア 綺麗ですよ。

※ ※ ※

ここまでが母が昨年の今ごろ投稿をしました記事です

母は何時も来年はとか、今度の夏にはとか、先の話をしていましたけど

「来年のことを言うと鬼が笑うからね、」と言って笑っていましたけど

今日は午前中祖母と私でお寺さんに、お盆の法事を頼んで来ました

祖母と私がお寺さんに行くようになるとは夢にも思いませんでした。

母が「梅雨が明けたら福島県にある白河の関に行って見たい」と春先に言っていましたけど

落ち着いたら妹と行って見ようと思っています。

今日の記事は私事で申し訳ありません。最後までお読みいただきありがとうございます。

次回はお花の写真をアップしますね。  咲



古刹の紫陽花

2021-07-11 11:11:25 | 思い出の
今日は数年前に母が写した写真をアップさせていただきます

茨城県桜川市にあります雨引観音さまの紫陽花を写したものです








母がファインダーの中は極彩色で極楽はこんな感じなのかなと以前話していました
普通は天国みたい、と言いそうですけど、お寺さんだから極楽なんですね。







母の好きなカットだと思います。




関東地方はそろそろ梅雨明けに近づいたようです

昨日は35度近くになって、今日も日がさすととても蒸し暑く感じます。

最後までお読みいただきありがとうございます。  咲


※ ※ ※

懐かしい記事

2021-07-03 07:50:49 | 思い出の

写真は以前母が写した雨引観音さまのスイレンの鉢に映った塔の九輪です。


梅雨の真っただ中で毎日雨が降っていて関東地方でも海沿いは豪雨となっています
大雨での被害がありませんように
来週も梅雨空とのことでしばらくは雨模様です

今日のブログは、母が昨年7月3日に投稿をした記事をアップします





昨年の今頃 茨城県にある淡水湖で琵琶湖に次いで国内第二位の大きさの

霞ヶ浦とその、ほとりにあります予科練平和記念館を団体さん、

引率のお手伝いで訪れました時のお話です

参加者さんは年配の方がほとんどなので落ち着いた雰囲気で見学することができました

当日は梅雨の最中でしたけど陽も差してとても蒸し暑い日でしたが湖面を渡る風は涼しくて

辺りを散策するには良いお天気でした





霞ヶ浦の周辺は、ほぼ平地で付近には大きい河川がなく高山もないので水の流入量が少なくて

毎年夏になると大量のアオコが発生して処理に大変な労力が必要とのことです

水深は大きな湖ですけど最大で7m位なので水温が上がり透明度が低いようです

それでも広大な広さですから鯉の養殖やワカサギ漁などで賑わいを見せています

夕暮れ時には筑波山を背景に湖面と夕焼けが見事で知られています





平地と広い湖ですから  1939年(昭和14年)からは霞ヶ浦に土浦航空隊が発足して、

飛行場があり霞ヶ浦ではカッターボートや水泳の厳しい訓練が行われていました

少年航空兵の増員にあたり、 やがて戦局が急迫してくると多くの若鷲が飛び立ち

全国で飛行予科練習生と称した。およそ24万人の若鷲が飛行予科練習生として入隊し

卒業生の約8割、1万8564名が桜花と散ったとありました

今で言うエリートの青少年が大変厳しい訓練と教育を受けて自身の名誉や欲ではなく

一心に国のため家族のため、己を犠牲にした行為で現在でも行為そのものは戦争ですから

人の思想ではわかりませんが 今でも世界で称賛されています 

私が一番印象に残ったのは、特攻隊員の笑顔の写真で、なぜ彼らは笑顔で旅立って行ったのか

機会があれば一度足を運んでみてください、きっとその笑顔の意味が分かります


若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦に でかい希望の雲が湧く

途中略で申し訳ありません、  生命惜しまぬ予科練の 意気の翼は勝利の翼  


若鷲の歌 作詩は西城八十さんで童謡から軍歌までたくさん作詩されて偉大な方です

今の平和ボケした日本、 平和で良いのでしょうけど今の平和も尊い命の礎があってのことです。





当日、湖面の遠くには歌詞の中にありますように、 見上げた南の空に大きな雲が湧き上がっていました。

その日は土浦駅から霞ヶ浦を時計回りとは反対回りでほぼ、一周して帰路は海沿いを通り水戸駅まで

マイクロバスでの巡行となりました。 早くコロナ感染が終息しなければ

世の中が疲弊してしまいます、良からぬところを徘徊していると感染は治まりません

第二波の感染拡大が心配されます

日本人なら団結して終息できるように協力しましょう、日本人にしか分からない

大和魂に敵は無い、と若鷲の歌にもありました、  技術は多々、盗めても大和魂や職人魂は盗めませんよね 

霞ヶ浦と予科練記念館を訪ねてのお話でした。

写真の飛行機は 「零戦」 と説明書きがありました、

この飛行機で体当たり攻撃したのです、思っていたより小型で驚きました

2枚の写真は当時は滑走路と運動場で一面が現在はたくさんの草花で広々としています

終わりの写真は「少年と平和」のオブジェで少年が霞ヶ浦で魚釣りをしている様子です

拙句  西浦の 霞を超える あかとんぼ

長い記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。



※ ※ ※


アジサイを拡大してみました。


このブログは母が昨年の今日書いたもので内容は一昨年の仕事で出かけた時の話です

今はコロナ感染の第5波の拡大が心配されます

この頃は母のブログを読んで自分も行って

写真を撮ってみたいと言う思いが強くなってきました

時間と都合がつけば遠くでない限り出かけて見ようと思っています

今日もオンライン授業で一日家で過ごします

最後までお読みいただきありがとうございます。 咲