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いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

桂子さんの挿絵

2009年10月01日 | 雑記自由帳

いつも桂子さんが会報発行の時に挿絵を協力してくださるので、
名実ともに会報「いちよう」に花を添えて下さいます。
会報の印刷はカラーコピーで刷るページは桂子さんの絵に当たるように
組んでいます。他は白黒印刷ページの方が多いのですが。
この「朝顔」は、会報に顔を出していませんでしたので
ここに登場させたいと思いました。
そして会報に現れないもうひとつの絵も、
紙面の都合上で致し方なく、申し訳ないと思っています。
「猫」が登場する場がなく、これもここ、ブログに登場戴きたいと思います。
 
これは鑁阿寺(ばんなじ)門前で長くなって気持ち良さそうに休んでいた猫です。
本当に安心して足を長くのばして、蒸し暑い6月の終わりに
ひんやりと気持ちよい場所を見つけて休んでいたのですね。

大勢の方がその脇を 通っても悠然と気持ちよさそうに
寝そべっている猫の姿勢は崩れませんでした。 

 

ちょうどその猫の写真を撮っていました。
写真は事実かも知れませんが、絵の方は描いた桂子さんの気持ちが
のせられていますので、流石だな~ただ猫の絵とはいかない、
その「絵」に魅せられます。
何せ、今回の会報には登場出来なかった絵たち二題を、
二千和会の皆さんには是非お目にかけたかった気持ちからのアップです。

  
「絵」の話題からは反れますが、芸術の秋、食欲の秋!
ちょうど足利学校へ行った頃を前後して新幹線に乗りました。
その時に東京駅で買ったお弁当が意外に美味しかったのです。
自然派の品数も多かった副食は工夫されていて、これはオススメ!
次の機会もこれを戴こうと、備忘録のために写真を撮りました。
そしてその下の写真は帰路の車窓の風景です。
そろそろ東京駅に到着という場面を切り取りました。
このページは雑談的…思いつくままに新幹線からの風景まで及びました。
旅行シーズンの秋とも言えますよね。
 
皆さま!夏風邪には気をつけてください。夏の疲れが出て弱い所に
風邪の菌が侵入します。
夏風邪は治りにくいし、昨今インフルエンザの新型ウィルスも
猛威をふるうところですので、くれぐれもお体を
おいといなさいますように…。


プラタナス

2009年04月23日 | 雑記自由帳

 
これなぁに?
タイトルが先に出ているのだからプラタナスの実!
高い木の上に見えている実です。これはもうじき朽ちてしまうのでしょうか?
 
可愛い実でしょう?
確か、Sabuちゃんがこの実を見つけて「あれ、取ってよぉ」って
お母さんにせがんだというプラタナスの実です。
20数年前、同じ文芸グループのメンバーのJunkoさんの作品にありました。
5、6歳の男の子時代のSabuちゃんを連れてJunkoさんが
参加されていました。子供の心をテーマに作品を発表したのを思い出したのです。
私も彼より2、3歳小さいFumiクンを伴って勉強会に参加していました。
5、7、5とひねっていた懐かしい時代…この実を見てふと思い出したのです。
 
樹ばかり、実ばかり見てカメラを据えたので、脇に見えている塔が斜めに…。
見難い画像でごめんなさい。
あの樹の枝にぶら下がっている実を鈴に見立てて“鈴懸けの木”とも呼ぶのです。
樹皮が剥けて斑の模様の幹も風情があるけれど、
背が高い樹にしては可愛い感じ、実を手に取って欲しくなる気持ちが分かります。
  
まだ青い実は今年のものですが、土の上に落ちて柔らかい毛で種が守られています。
種は風に乗って飛び立って行きたいのでしょうね。
でも、やがて綺麗に片づけられてしまうのでしょう。
こんな整ったところでなければお掃除されることもなく
自然のままに飛び立っていくのでしょうに。


付録:「漢方医学復興物語」(講談)

2009年03月23日 | 雑記自由帳

 和田啓十郎の生涯をテーマ「漢方復興物語」と題して、講談師・神田香織さんが語る公演に、行きました。
 2000年のことでしたが、夕方からの公演で、場所はうろ覚えではありますが茅場町?だったような記憶…です。三浦於菟先生にもご挨拶させていただきましたし、神田香織さんとも記念写真を撮りましたのに、その証拠写真を今すぐには探す気持ちではなく、失礼しますがお許しください。パパンパンと香織さんの名調子を聞きまして、面映ゆい気持ちと、講談の台本は、盛り上げるところなど事実かしら?と思われるようなところもありましたが、よくできたお話だと思いました。

神田香織氏→神田 香織

ジャズ講談や一人芝居の要素を取り入れた神田香織独自の講談を次々発表し、講談の新境地を切り開く。反戦反核を訴えた『講談はだしのゲン』で日本雑学大賞受賞。2005年、講談『チェルノブイリの祈り』を発表。平和・人権、女性の生き方をテーマとした講演(講談付き)も精力的に行なう。

■経歴・芸歴
福島県立磐城女子高校卒業。1980年神田山陽に入門。
85年講談の可能性を追求する三部作として「剣舞入り講談」「JAZZ講談」「寺山修司作品」など発表し、以降も神田香織独自の講談を次々発表、講談の新境地を切り開く。
86年「講談はだしのゲン」公演で日本雑学大賞受賞。
89年真打ち昇進。
90年「講談女医レニアの物語」発表。
94年いわき市に居を移し地域に残る民話や伝説を演劇や講談で掘り起こすなど地域興しに貢献。
また全国でも珍しい定席を市内に開設。
95年いわき市のサンシャイン大使に任命される。
99年立体講談「磐城平藩主・安藤対馬守見参」発表。
2000年漢方復興講談「和田啓十郎伝」発表。
02年 立体講談「チェルノブイリの祈り」発表し、一貫して平和・人権を訴え続けている。
日本演芸家連合加盟、講談協会会員。
2005年「花も嵐も、講釈師が語ります~バツイチ子連れ、泣き笑い半生記~」(七つ森書館)を成就。自らのDV体験や女流講談師として生きてきた半世などを率直に書き記し、以後の講演では、女性差別の問題やDV問題、シングルマザーの子育てなどを語り、講談と併せて各方面から高い評価を得ている。

第3回市民のための東洋医学講座を実行して (以下も転載しました)
            日本医科大学付属病院東洋医学科 講師三浦於菟
 一昨年、昨年と東洋医学科では東洋医学の啓蒙普及のために、学内で市民のための東洋医学講座を実行し好評を博してきた。
 本年度は、より参加しやすいようにと学内から飛び出し、4月28日(金)には、北区王子駅前の"北トピア"第一研修室、5月18日(木)には足立区中央本町にある足立区庁舎ホールの2カ所で、『漢方薬の効用と副作用』と題し講演を行った。2カ所とも、午後2時から3時までは、三浦が最近話題となった漢方薬の副作用について、当科の研究成果をもとにした講演、3時10分から4時30分までは、当科非常勤講師の白石佳正が「東洋医学の得意な病気、治る病気」についての講演を行った。
 漢方薬といえども薬であり副作用は存在するが、その頻度は非常に少ない。それは副作用を少なくする工夫が凝らされているからである。また症状も軽いものが多く、中止などの処置で軽快する。専門医師によって正しく使用されれば、決して恐れるものではない。これが三浦の講演内容であった。白石講師は、漢方の適応する病気や優れた効果がある疾患について、豊富な実例と共に話された。2カ所とも、講演後には30分に及ぶ活発な質問が飛び出し、東洋医学に対する関心の高さがうかがい知れた。ただ、今回参加人員は決して多いものではなく、広報のまずさが反省させられた講演会でもあった。
 なお、本科では来る7月22日(土)1時30分から、北区滝野川会館(南北縁西ケ原駅徒歩10分)において、東洋医学と同様、日本の伝統文化である講談と漢方講演を融合した講演会の開催を予定している。これは本邦初の試みであり、市民の方により身近に東洋医学を感じ接して頂きたいという思いからである。講談師は「はだしのゲン」など数々の新作講談を手掛けた神田香織師。内容は「漢方復興物語」と題し、先達の漢方に寄せる思いを語って頂く。済生学舎も登場する予定である。

              長野市にある和田啓十郎の墓誌拓本 (中村不折・書)

東洋医学講演と漢方講談の集い」を実行して
             付属病院東洋医学科 三浦於菟 (東邦大昭48)

 付属病院東洋医学科では、平成10年より、市民のための東洋医学講座を実行し、本医学の啓蒙普及につとめてまいりました。本年は、東洋医学と同じく日本の伝統文化である講談と講演を融合させるという、かつてない新たな試みに挑戦する事といたしました。同窓会のご後援を戴き、開催されたのは7月22日(土)。付属第一病院の東洋医学センターが、付属病院東洋医学科として再出発をした平成9年7月より、三年を経た夏の事です。そして、済生学舎出身であり、近代漢方復興の祖として称えられた和田啓十郎先生の永遠の旅立ちも、大正5年7月8日でございました。
 以下、作文風に当日の様子を書かせて戴きます。"その日は、今年の猛暑を予想させる暑い日であった。この日、北区滝野川会館に集まったのは約250名。皆、神田香織師の漢方講談に期待する人々である。

「東洋医学で病気を治す」という私の一時間の講演の後、二時四十分より講談が始まった。語るは、「漢方復興物語-和田啓十郎伝-」。始めに講談とは何かが軽く語られる。そして、和田先生一代記へと進んで行く。
「隅田川のほとり浜町界隈は、かっての色街であった。和田啓十郎の顕彰碑は、浜町、明治座の前にある。彼はどのような思いで人々の嬌声を聞いたのであろうか…。」
 古き物が、ただそれだけで捨てられていく近代日本の幕開け時代、漢方医学の良さを訴えるが、西洋医の嘲笑と罵倒の渦。患者も来ず、髪はボサボサの薄汚さ。
 幼き頃、可愛がってくれた姉の病気を治した漢方医と、同じ身なりと成り果てていた。それではと明治43年、『医界之鉄椎」を著す。それも、数社に断られ続けた後の自費出版である。鉄椎とは、暴虐を極めた秦の始皇帝に投げ付けられた世直しの鉄棒の意味。この書物が少数の心ある西洋医の目に留まり、やがて漢方医学復興の源流となっていく。時に笑わせ、時に心に染み入るような語り。和田先生の熱き思いは、人々の思いを引き出し重なって行く。そして、関係者の胸に沸き上がったのは、先生が本学の大先輩であるという誇りであった。まさに話術の芸という日本文化の素晴らしさを堪能した、約一時間の講談であった。終了後、どこまでも澄んだ夏の青空があった。〃
 漢方医学を題材にした講談は、これまでなかったという。今回の講談は、本学と関係あるものをという我々の要望によって、神田師に新しく作って戴いた。新しい講談分野の誕生である。
 創作にあたっては、本誌掲載の和田啓十郎伝(「済生学舎の人生」39・40)が役立ったとの神田師の言である。また後日、多くのマスコミからも好評に迎えられた。一誌に曰く。「不遇と反骨は講談によく似合う」と。
 東洋医学は古くて新しく、それゆえに新たな医学の地平を開く可能性を秘めております。末筆ながら、同窓会諸先生方の、今後のご指導ご鞭捷と暖かいご声援をお願いする次第でございます。まだこ要望ご質問もございましたら、お寄せ下さるようお願い申し上げます。
 (日本医科大学 同窓会報 H12.10.25)
                                                  (インターネットからのコピー)―SO‐Color担当


漢方医学復興の地

2009年03月22日 | 雑記自由帳

SO‐Color 担当 

東京メトロ日比谷線、人形町駅下車。甘酒横丁の通りを先へ進むと浜町公園や明治座へ向かう道となります。 
 
3台のトラックは右側にある緑道の整備にやってきた車です。ちょうど小川を浚ってきれいにしていたところでした。この浜町緑道内に和田啓十郎の顕彰碑があります。(⑥漢方医学復興の地
              
                           
甘酒横丁を通り、ちょうど弁慶像があるところが目印で、左に曲がります。明治座に通ずる緑道《文化と歴史の散歩道》の切れる場所辺りに、以前会報「いちよう」にも登場した祖父、和田啓十郎の業績を示す顕彰碑が、あまり目立たない感じで建っています。

 
  
昔この所在地近くで漢方医として開業していましたので、碑には「漢方医学復興の地」と刻まれています。裏側は車道でそちらに回ると、啓十郎の業績を讃える言葉が彫ってあります。
和田啓十郎先生は漢方医学がまさに絶滅せんとしたとき、この地において衣を薄うし食を粗にして得たる資金を以て明治四十三年、「醫界之鐵椎」を自費出版し、漢方医学の復興に起ち上った。
 今や漢方再興の気運に際会し先生の旧趾に碑を建て、その偉業を顕彰するものである。   日本東洋医学会 東亜医学協会 日本医史学会


 
    
  
実は徳島文理大学の准教授庄子昇先生が、祖父啓十郎の周辺をも、検索されているとのことで、なんでもいいので啓十郎を知っている、ゆかりの人たちに会って話を聞きたいと、夫からの知らせを通して話がありました。夫を通しての関係もあり一応お会いすると、庄子先生への信用度をアップさせて(失礼!)…の判断でした。一人では偏った話や見方になるのを恐れて、妹も呼び出しました。妹と私は、父から聞いていることなど、聞かれるままに取材を受けたわけです。
庄子氏は薬草の方のご専門がきっかけで漢方医学に関係しておられます。私たち親族の関係など、かなり詳しく調べられており、「医界之鉄槌」は大変に難しいので現代語訳に直して広く皆さんに読んでもらえるようにと思っている…とのことでした。啓十郎の直系長男(開業医)が、もっと知っているので、この取材は単なる話題と多面的に捉えようとなさる先生の姿勢によるものだと、思いました。  
 
ここ人形町日本橋界隈―甘酒横丁。
二千和会の伊藤会長が、「いちよう34号」で七福神巡りのことを載せてくださった際に、麻布十番街通りの“名物たい焼き”の元祖「浪花家総本店」を紹介されていましたが、あと、新宿の「わかば」、人形町の「柳家」が“たい焼き”の、東京での御三家だとの文章がありました。
その「柳家」も回りたかったけれど、たい焼き屋の探検は残念なことにできませんでした。
取材を受けたあと、娘から頼まれていることも気になり、時間に限りがありましたので、お昼を急いで食べたのちに慌てて帰ることにしました。
下の写真は、この近くの水天宮さま。向こう角に見えましたので、カメラを構えておさめたのみとなりました。 


春よこい 早くこい

2009年02月02日 | 雑記自由帳

 
 寒い~、さむ~い、外に出たくない。
 そんな毎日です。でも、もう明日は節分で、翌日4日は立春! いわゆる“暦の上”では「春」となるんだから、そのつもりになればいいのか! この冬は格別寒く感ずるのは年のせいなのか?

 そうこうして縮こまって居た後、いよいよ待たれる春が来たと安心しだすと、ドカッと雪が降ったりして驚かされる。
 今年は、まだ雪降り積もるという訳にはならなかった。ほんのチラチラっと降っただけ。私は惜しいことに見なかった(ニュースで知った)のだが。

 

 今日は昨日の雨も上がり気持ちよく?国道を走っていたら、トラックの屋根から道路にボタボタっと水を落としながら、曲がるときは特にビチャビチャッと道路を濡らしながら、走っているのを見た。
 ふとトラックの屋根の上を見上げると厚さ2、30センチの雪が載っていた。岩手ナンバーのトラックだった。
  
   
       
 宅急便みたいなものか? トラックの後ろには “Heart & mind” と赤い字で、それより小さな青い字で、“運んでいるのは誠意(こころ)です”……うまいキャッチフレーズ!!…ふーん、あまりスピードを出さないように制御装置が付いていると、黄色地に黒い文字で示されている。
 大事に荷物を運んでいるのだろう。おそらく岩手県の雪なのだろう。それが屋根に載ったままだ。
 雪は太陽の暖かさで少しずつ融けているから、雫を落としながらも荷物に注意して乱暴には走ってはいないのだろう。トラックの屋根に真っ白い雪を載せたまま走っているのだから。
 (影の声…いやいや、暖かくないから融けていないだけ!…なのか。 あ~ぁ、溜息が漏れてしまう…。)


2008年ありがとう

2008年12月31日 | 雑記自由帳
 行く年にありがとう…そしてさようなら!
 
 
 なぜか日本人…富士を見れば幸せな気分に。そして夢を見るなら「一富士、二鷹、三なすび」で富士山は、もっともよいイメージですね。
 そんな気分で眺めてください。車からの撮影で揺れていますけれど…すみません。
 
 これは中央高速道路から眺めた八ヶ岳連峰。朝の光に照らされて美しい色合いに染まっています。
  
   
   我が家近くの街の佇まい。暮れなずむひとときのスナップです。(ちなみにこのコーナーの上段はフラッシュを使わず、下段はフラッシュを焚いた。また、上段左を除いた3画像は、印象派、パステル画、油絵効果の加工を施してみた。)
 皆様どうもいろいろとお付き合いを頂きまして、ありがとうございました。
 これからも何かと皆様にお世話になると思います。さらにこのブログについて向上していきますよう努力していきたい所存です。また二千和会の散歩自体もより良い展開ができますようにと祈りつつ…どうぞ応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
 新年も良い年でありますように!!!

ブログのページデザイン

2008年12月17日 | 雑記自由帳

 ブログのテンプレートには種々あります。
 可愛い彩り、デザイン、アニメーション、ハニーな雰囲気…色々です。ときどき、この「二千和会だより」に似つかわしいテンプレートを選択して、ここに訪問の皆様をあっと言わせたいのですが、……“どっこい!そうは問屋が卸さない”のです。
 いちばんの問題は、テンプレートのサイズです。こちらとしては、「邪魔な枠取り」があるので、考えているサイズの写真を入れると無駄な空間が余分に出てきてしまったりします。過去のアップロードの記事にも差し障りがあります。
 携帯でも見ることができるのはいいのですが、携帯では多分テンプレートは関係なくだた単に見ることが出来ると言うのではないかと思います。まだ確認はしていませんが!

             
       〈ポップ>          <スペシャル>         <冬>
            
      <クリスマス>         <お正月>           <スウィート>
  などなど、テンプレートのジャンルはたくさんあります。上に示したのはほんの一例です。
  そのジャンルには「スペシャル」「シンプル」「お正月」「クリスマス」「冬」もちろん、春・夏・秋もあります。他に「ハイブリッド」「植物」「キッチン」「インテリア」・・・・・ジャンル別を無視して、全部ひっくるめると現在633枚のテンプレートのモデルがあります。
 しかし「二千和会だより」のサイズに合うのはほんのわずかです。余裕があれば、月に2回くらい選択して気分を一新したいと思っていますが、こちらでアップしたい大きなサイズの写真を、綺麗に空間を生かして載せたいとか、文字の大きさは大きいほうが良いとか、見易い文字の色とか、要求も考えもあります。
 大抵のテンプレートには小さめの「枠取り」があります。これまでの「二千和会だより」は、枠取りのない自由なデザインを楽しめるテンプレート、写真がはみださないテンプレート、文字の色やサイズがフィットする…などを選択しています。

 何度か選択して採用を試みたのですが、どうも大部分のものは気になるのです。文字も小さくて色合いも変わり、それが気になるし、読みにくいかも? 写真の配列に無駄がでてしまってつまらない…など。
 それでも、今回はタイムリーで、上記の拘りが許容範囲だと判断したテンプレートです。文字は小さいですが、文字サイズを大きくできますので、それぞれ、文字サイズ変更のカテゴリ(下の方にあります。)に移動して「大」をクリックしてみてください。 
 では、お願いします。しばらくこのテンプレートを使ってみます。 (文責SO-Color)
 


お彼岸

2008年09月24日 | 雑記自由帳


 これは平和公園よりの帰り道。お墓参りの車の行列。

比較的早い時間に行けたので、右側の往路よりは空いていて、渋滞にはならなかったのだが…。

  
桜の並木・右側の高台は墓地 ( 出口へ向かう方向)  左側高台が墓地(後方が公園入り口方向)

  
高台への階段。何んだか空へ向かっていくような…

 上って行くと視界が開けて公園墓地が整然と並んでいるから、ちっとも寂しくない。
 しかし、身内の人間が出遅れると父は寂しいかも。周りのお墓は綺麗に花が活けてある。父の墓は、以前供えた枯れた花!が一層侘しく見えた。

 ごめんね、遅くなりました。新しい花に活け替えてお線香を焚いて、合掌。

 帰路。目前にはモノレールの線が見えている。高速道路を挟んで、こちらは一方通行の道路。 母の居る介護施設はもうすぐだ!右手が不自由になった母の昼食介護は私が受け持っている。そのときに間に合うように、計画しての今日のお彼岸。
 目標の11:45に間に合った。
 しかし母はこの頃眠る時間が時々狂ってくる。ちょうど、今ごろは昼食時間が眠たい時間。眠りながらの母に、「お父さんのお墓に行ってきましたよ」と、喋りかけながら、私は母の食事を口元に運び、眠り半分現半分ではあったが、食事を摂ってもらった。
    


夜半のカミナリ

2008年09月22日 | 雑記自由帳

 昨日は地震、そして翌日と言っても日にちが変わった夜更けのカミナリ!!
何でしょう、このお天気は! この季節に生まれた人たちは、大変穏やかに暮らしているのに~~っ と、思うと不思議である。

 興味を持ち出すと夜遅くまでになっても、止まらなくなることが悪い癖。今回は、クラフト作品ビーズ手芸に夢中。自分の創作意欲のままに彩りよくビーズを並べて紐を通してネックレスにしたり眼がねチェーンにしたり…夜中まで、ああでもない、こうでもないと、ビーズを糸に通したり外して、最初からやり直し…なんて何度でもやってしまう。
 Asadaさんの奥様のように、製図どおりに作ればプロの出来合いになるのに、それを面倒に思うからいい作品、納得いく作品ができない。ただの時間つぶしが玉に瑕。どうも私は、作品を作り出すプロセスを単純に楽しんでいることが好きのようだ。何故か完成されない魅力、不出来な作品が自分自身なのかという点がたまらないのだと思う。
 昔よく「そんな非生産的なことは止めなさい」と父から言われていたことを思い出しながらそろそろ寝なくては!と自分に言い聞かせていた。そんな中、夜半2時過ぎにカミナリが鳴り出した。ピカピカ光っているうちは雨戸も閉めているから気づかなかったが、そのうちに“ドッカ~ン”と頭上に落ちたような音。こわ~い。ラジオの深夜便が聞くとも無く鳴っていたが、雑音も入るし鳴り物は止めた。

 今朝は地震で飛び起きて、夜半はカミナリか! 昔からよく言われている“地震・カミナリ・火事・親父”と恐ろしいものの4拍子。続いて二つがやってきたぞ、と警戒する。「早く寝なさい」と親父様の怒鳴る声だったのか?
 明日23日はお彼岸のお中日、秋分の日。お墓参りをしましょう。今まで無事に来られたことの感謝とこれからも事無く過ごせますよう、手を合わせてお参りしてきましょう。
 ただ市の大きな墓苑、平和公園は町外れで、ここから順調に行っても車で35分はかかるし、時期的には大体お盆や春と秋のお彼岸にはお参りのための車が、ず~っとず~っとつながって渋滞となる。このノロノロの運びも、ご先祖様を思う時間として大事なものと思っているのだが…!? 大変なことだと思ってはいけないのね、“おとうさま”!


今朝の地震

2008年09月21日 | 雑記自由帳

 今朝の地震は怖かった! 7時17分の突然の揺れ!
 始めユサユサと、そしてズルッと大きく揺れた。 始めの揺れの時は、緊張して周りを観察、そして大揺れが来たときは、布団から飛び出して柱に摑まった。
 次は…? 寝ていたから火の恐れは無かったが、起きている時間は火のことをしなくてはならない。
 次に、テレビのスウィッチ! 情報を聞く。千葉北西部が震源、震度3という。関東一帯が大体同じ震度3だった。そして一応安心して、また布団にもぐる。日曜だしもう少し寝てよう…と、次に目覚めたのは9時であった。

  

 今朝も雨模様だったが、この写真はその前日20日の朝。夜半から台風が千葉に接近、凄い雨音がした台風で風は幸いに気にならないくらい無かったが、庭はご覧のように百日紅の花びらが散り敷いていた。あ~また草を取らなくっちゃ!