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いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

戦後64年 演劇「東京原子核クラブ」

2009年08月15日 | SO-Color

 
ちょうど、広島原爆記念日の前日に、俳優座劇場・プロデュース公演を観賞した。
演目は「東京原子核クラブ」
出演者も馴染みがないし、あまり期待してはいなかった。
観終わってから、よくこんなややこしいテーマを演劇にされた!と感心した。
そして、思い巡らすきっかけを多く作り、しばし黙考……になった。

あらすじは…昭和初期。
風変わりな住民ばかりが集う本郷の下宿屋「平和館」が舞台。
若い原子物理学者・友田晋一郎(朝永振一郎がモデル)が、
海外の研究者に論文の先を越され、自分の研究の道が閉ざされようとしていたので、
郷里の京都へ傷心の気持ちを抱え帰ろうとしていた。

青春群像コメディーに仕立てている劇の内容。確かに笑いを誘う要素を織り交ぜてはいる。
いろいろなエピソードを絡ませて……、しかしテーマは原子物理学者の苦悩だ。

 

研究はすれども、研究に掛ける国の援助費用は、海外の国と日本の場合を比べたら、
問題にならないほど、日本は貧弱だったろうと思う。
研究がいいところまで行っても大抵は海外の研究者に先を越されてしまう。
能力の差ではなく、研究費の問題…
その友田の上司・指導者の姿勢(これは後で判るが)も対応に遅れをとった。
どうにもならない日本の現状と現実を抱えていた。
“目の前真っ暗状態”は手違いが原因だと判って、東京に留まり研究を続けることになった友田。
そして徐々に戦争の気配が濃厚になって、やがて…。

ご存知、「原子爆弾」が新型爆弾として発明、完成された。
広島や長崎にこの恐ろしい爆弾が使用される結果、終戦となるのだ。
その時も友田たちの研究の方が遅れを取ったという。
日本も原子爆弾を作りだそうとしていたし、研究途上であったのだと。

そうだったのかも知れない。
友田物理学者は、その研究が例え人間を滅ぼし自然を破壊したとしても
研究に没頭して発明、発見に情熱を燃やすだろう、と吐露するのだった。
2時間50分もの長い上演だった。

科学者は自分の研究に勤しみ、追究するところに情熱を傾け、その力を実際に試してみたくなる。
ノーベルは固い岩を爆発により、トンネルや岩石採掘などに役立つように
岩石を爆破させるダイナマイトを作ったのに…。
平和に、人の役に立つと思って研究したのに人を殺す凶器になったことに研究者の罪を感じ苦悩した。
自分の研究成果が爆弾として利用されることに深い悲しみを覚えたのであった。
変な「例え」になってしまうが、オーム真理教に若い優秀な研究者達が、
「なぜ?賢い人でしょうに誰もが狂っていると思われるような、非常識な道に走ったのだろう…?」と
疑問を持たれた方も多く居られた。
自分の研究成果を実際に試す行為、どんなに危険性が考えられたとしても、
試す行為は、ある面では自然な流れだったと見る方も居られた。

今日は終戦記念日。
戦争の体験者特に上官だった人が年老いて90~100歳以上となっている訳だが、
テレビで最近、今しゃべらないと分からなくなってしまうから…と、最後の踏ん張りみたいに、
「戦争とはこういうものだ」と知らない人間に伝えてくれていた。

経験者には思い出したくもない過去、苦しい人殺し(これが戦争!)の現実を伝えようとしていた。

私の叔父も海軍兵の過去をもっている。過酷な現実には遭遇しなかったようだが、
叔父の軍隊生活の名残りとしては、子供心に感じて思ったこと…
それはご飯を掻きこむように忙しく食べていたこと。
そんな行為は軍隊の集団生活に欠かせない姿勢だったようだ。
今はそんな習慣は消えてしまったが、2、30年はそんな感じだった。

 
私が2つ、3つくらいの時の思い出を、よく話題に出される叔父。
「トンブグン、ジョウホウ、コワイヨォ(東部軍情報とラジオが言っているが恐い)」
多分異様な飛行機の音とラジオの切羽つまったアナウンサーの声が
私に感じさせたのだろう。
「防空壕は好き(美味しい甘いものが蓄えてあったから)」
私は記憶にはないが、いつも叔父は私に会うと、そう言ったと思い出しては私に話した。

今日は、昨年12月に亡くなった叔母の新盆に出かけた。
今日の夕方は送り盆であった。



何事も無し…!?

2009年08月14日 | SO-Color

 身辺がざわついて……いました。
 何事も無しと言いたかったのですが、人力の及ばない域のこと、諦めるしかなかった事態でした。
 これは言っても仕方ないことです。

 気を取り直して、ちょっと明るい話題!
 映画の試写会を応募していました。当選しましたので、東京での試写室に友達を誘って観てきました。

 
 
 
 60代のおばさんにぴったりの映画です。
 …と言ったのですが、実は私は途中うつらうつら…半分しか観ませんでした。
 プロローグで、女の子は男の子を、いつも誤解するように躾けられてしまったのです…という下り。 
 意地悪する男の子は、その女の子に興味や関心、ひいては好きだからです…こう大人に慰められて女の子は大きくなりました。ここから、男の子に対して誤解が始まるのです。
                ~~ネ!?
 そこで、この映画の結論が見えてしまったのです。
 昨日までの疲れが少しずつ出てきていました。眠りそう…と思った途端眠ってしまったのですね。ときどき目が覚めて映画を見ました。
 友達は結構おもしろかったし、頷くことが多くて可笑しかった…との感想でした。幸いなことに捨てることも無かったし、捨てられることも感じなかったので、まあ、これで良かったのだと自分に言いわけをしました。
 観終わったあとで、お茶でも…と言いながら、同級生の二人はワインで乾杯して、映画と同調した部分など感想をお聞きしました。

  
 また、別の日。
 庭にはびこっていた草を取りました。朝少し早起きして涼しいうちに草を抜きました。3日間は我ながら良く頑張ったと感心いたしますが、蚊に刺されないように蚊帳のような被り物を購入して、それを着ていたしました。
 耳元でブンブンと蚊が鳴く音がしても刺されなかったのは幸いでしたが、気持ちの良いものではありませんでした。蚊は大っ嫌いですから。誰でも好きな人はいませんよね。

 3日目は疲れがでて、朝少し遅くなりました。終わる頃には陽が少し高くなって暑くなってきていましたので、御覧のように汗タラリ、シャツは濡れて…でも気持ちの良い汗でした。アゴの下に汗の粒、目の下にも顔中、玉の汗が…思いっきり流したという感じです。お化粧っ気もなく、ただ汗にまみれ蒸気した顔を出す勇気…随分面の皮が厚くなってきました!!
(しばらくそのままでしたが、やっぱり皆さまに不快な思いをさせては申し訳ないので、モザイクやぼかしを入れることにしました。)
 草取りの時間は、延べ5時間30分。だから、すっかり綺麗になったという訳ではありません。日頃の手抜きが祟っていますから、表面的に片づけたとしても、まだあと半分は残っています。

    
  

 孫のペット、ハムスターを預かりました。その間大きな地震があったりしても、ハムちゃんを守らなきゃ!なんて、気を使いました。
 守ってあげなければならないものがあるのは、張り合いが一層でるものです。
 私の、ガンバリストは生来のものかも…なんて、ひとり悦に入っていました。


ありがとう!風ギャラリーさん

2009年08月10日 | SO-Color

 夏休みです。
  お姉ちゃんが林間学校へ出かけてしまったので、
Saraちゃんはママと二人で、あれこれと…退屈?
 たまには、あぁちゃんが素敵な「夢がいっぱいの場所」に連れていってあげるわ!

 とんでもない~水泳やお稽古事で忙しいのよって… 
 今日もこちらへ出かけたものの、ゆっくりしては居られませんでした。

 またまた、こちらは…安孫子市の「風」ミニ・ギャラリーに参りました。

 
 赤ちゃんを寝かしつけています。
今では珍しい「蚊帳」が吊ってありますね。
 やっぱりお母さんは、浴衣でないとこの場合は絵にならない!
浴衣だから優雅に横たわれるのですよね。
 枕元には哺乳瓶。
昔は添い寝をしながらおっぱいを赤ちゃんに含ませて、若いお母さんはつい、
赤ちゃんと眠ってしまう…なんてことがありましたね。
 最悪な場合は、眠ってしまったお母さんのおっぱいで赤ちゃんの鼻が塞がれて
窒息してしまった、なんてこともあったんです。昔のことです。
 
 一番星見つけた!
 足元には蚊やり。Madam.Toyokoが、小さな蚊やりに適した長さの線香を焚いてくれました。
煙が豚の口からくゆり出まして思い出の風景です。
西瓜も団扇も下駄も…あれ!西瓜を乗せているお皿は注目しませんでした。
写真では陶器に見えます。
 縁台、浴衣、帯、そしておばあちゃまの指には真珠が光っています。

   
 おじいちゃま、おばあちゃまも角度を変えると、二人の表情が違います。
 今日の訪問者はKimuraご夫妻と私たち“女三代のお邪魔虫”登場です。
 
 次のシーンは椰子の木陰でそっと抱擁する二人。雰囲気があって良いですね。
ロマンチックです。孫ちゃんはどのように見てくれたかな?
 ちょっと気になるが、気にする方が変かしら?
 私はやっぱり古くさい…と、反省しながら観賞しました。
 
 お祭り風景。
 小さな提灯をたくさん作って…
昼間はこうして訪れて来られる方をお相手になさるとしたら、
いつ制作なさるのかしら。
 頭に描いたシーンの衣装から小道具まで、
人形だって並みの登場数ではないし…、きっと大変ですよね。
 訪問者はただ、ぶらりと訪れているだけですし。驚きです。
 娘は私たちのブログで拝見させてもらってはいるものの、
想像以上の舞台やシーンだと、これもまた驚いていました。
 
 注目!人形が箸を持っています! 凄いよ!!

 なお、これは焼きそばを作りながら食べるバーベキューをしています。
向こうでは西瓜を食べて、女の子は綿菓子をおいしそうに頬張っていますねぇ。
 参ったわ。
  
  
 お顔を覆面してすみません。
「ブログに私やSaraは登場させないでね」と、娘の希望がありました。
 Akasakiさん、Kimuraさんご夫妻、申し訳ありません。
 
 今日は娘宅に寄って、Akasakiさんのギャラリーまで来て
その往復で100キロのドライブでした。 
 


本格的・夏

2009年07月30日 | SO-Color

 この5,6日は、夏やら梅雨やら判らないような日がありました。
 しのぎやすい日と大変蒸し暑い日が交互にやってきて、前日のアップの言葉がピンとこないような…。私もそんな書き方で“しまった!あまり今を表していないわ”なんて思ってしまいました。
 下に示すのが27日の雨です。この頃の雨続きが梅雨に逆戻りしたような感じでした。

  

  物干し竿に雨粒が並んで、長芋のような葉の先にも雨粒が光っていました。大雨で九州などは崖崩れで哀しくも亡くなられた被害者もでるありさまでした。
 そんな日に比べて、今日の暑かったこと! これではもう、完全に夏です。部屋に座っているだけで、背中をす~っと流れて行く、汗を感じました。暑かったですねぇ。

 
 これは一昨年の8月初めに撮ったカラスウリの花です。夜にしか見せない花。 関心の無い人、知ろうとしない人は、どうでもよいかも知れない花です。
 
 私は知りませんでした。
 10年近く前に、穴川コミュニティセンターの作品展示会で、押し花の展示があった時に初めて知りました。
 こんなに繊細な花があるとは知りませんでした。秋になると、あのどうでもよいオレンジ色のカラスウリが萎れかかった蔓にぶら下がっているのは認めておりましたが、その花だったのです。

 ぜひ自分の目で見たくなりました。昼間蕾の在り処を調べておいて、夜に観察するのです。
 翌朝の光りの中ではもう凋んでいます。

 今年はどうかな…?と、ありそうなところに行ってみました。大嫌いな藪蚊がブンブン近寄って来て…早々に網戸の中へ逃げました。
 しかし、20時ころにはもう藪蚊にはあまり刺されませんでした。
 時間が時間だったので、落ち着きがなく、あまり花は良く撮れませんでしたが、今年のお花をアップロードしてみます。

  
              青いカラスウリは夕方見つけたので、撮ってみました。

 会報36号で、子供のころのラジオドラマについて書いたところです。
 今、暗くなってカメラを持ってウロウロしましたので、子供時代、夏休みに子供同士連れだって虫取りをしたことを思い出しました。
 あの頃、夏休みの子供の娯楽のなかに虫取りがありました。
 普通は夜に友達と連れ立って出かけることは許されませんが、ホタル狩りや、キリギリス、馬追い、鈴虫などの虫取りには、大目に見て許されました。
 笹の棒やタモを持って近所の5,6人が集まって、これも近くの藪の中に出かけて、声をひそめて虫を探したことがありました。

 

 その日の昼間は大きめの茄子をくりぬく遊びから始まります。その茄子に小さな蝋燭を立てて灯りを点けて…。大きなものは西瓜を使って提灯の代わりとしましたっけ。「藪は古井戸があるからね」なんて脅かされたりして、スリリングで、それも楽しさになったり…足元に気をつけながら潜んでいる虫の声をたよりに耳を澄ませてそろり、そろり…。

 今思うと随分風流な遊びです。中学生くらいのお兄さんが護衛についてきてくれましたっけ。お兄さんは護衛ではなく、先頭に立って年下の子供を連れてくれていたのでした。
 そうです! その頃の中学生くらいって、ちょうどAsadaさんや、Itohさん、Tabutiさんくらいの年頃ということですね。今思い出すと、かなり頼もしかった~……です。
 今も、そのお年頃のお兄さんは頼もしいと思わなくては、バチが当たりますね!
 (すみません。日頃はその気持ちは棚に上げていました。お兄さん、お姉さんたちが見守って下さるから、二千和会が安泰で続けられているんですね。改めて、ありがとう、感謝します。)
      ※ついでですが!
 ありがとうございました、Yokoさん! 昨日の今日に、早速作品が届いているなんて思いも依りませんでした。流石、長年のコンビです。ドン・ピシャっとスペースに嵌め込むことが出来ました! ここにお礼申し上げます。


いろいろ、ありがとう!

2009年07月29日 | SO-Color

 暑中お見舞い申し上げます。
 梅雨明けと思っていましたら、戻り梅雨…とか。はっきりしない天候が続きます。せめて清涼感のある絵(前にアップしたもの?かも…)を載せましょう。
 どうぞこの天候に振り回されないで御身お大切に。そして元気な姿で、また散歩でお目にかかれますように。



 会報「いちよう」36号の編集を、ボチボチ纏め始めていると、少し前お知らせしました。
 その時に、足利のパンフレットを紛失してしまったと、その資料が欲しいと、この欄に書きました。するとすぐに Asakoさんから「それはおこまりですね。」と、資料一式が郵送されてきました。
 また、毎号皆さんが楽しみになさっている、Keikoさんの絵のことも、ばったり道で出会ってお願いできましたら、何日か後に素敵な夏の風物詩となる涼しげな…、また、暑いねぇ…とふと聞こえるような絵が、メール添付されて参りました。

  

 役員のYoshikoさんからも投稿記事が、早速送信されてきておりますので、お楽しみに…。
 そしてAyakoさん、「足利その後」のお便りをありがとうございました。ちょうど皆さんの声の欄に文書差し込みできました。

 まだまだ、いろいろ…皆さんのご協力がありました。 ありがとうございます。

 この暑さのなかでは散歩も一大決心しなくては出来ないところですが、せめて気持ちのつながりに一役買いたいとの、会員“皆さんの想い”が詰まった会報です。



 9月1日号ですが、今回は少し早目の発行となりそうな気配の編集状況です。一応8月20日過ぎを目指してはいますが…、肝心要のいつも“どっしり構えておられるお方”の原稿はまだ届きません……。
 
 ところで、スポーツクラブで、特に編集に力強い味方のYokoさんに会えました。クラブに“出戻られた”とおっしゃっても同クラブで一度もお会いできませんでしたのに…。この時も“会えたら良いな”と考えていたからでしょうか? 年を重ねたせいか、最近心で思っていると偶然出会ったりすることが多くなりました。
 最も私は、日頃はサボりながらのスイミングですから(多方面で忙しがっていたし、ようやく夏休みになって…)、そうそうは会えるはずが無かったのです。



 昨日も偶然でした。
 こちらのクラブはパウダールームと言いたいですが、小さいので“パウダーコーナー”と言うべきか…で、ばったり!
 美しい(?)ふたりは、体にバスタオルを巻いて血圧など測りながら寸時おしゃべりとなりました。
 そのあとロビーで待ち合い、編集途中の「いちよう」の紙面を渡せました。今回は、編集部員Yokoさんも“どっしり構え”組になりましたので、そろそろ原稿を下さい…なんて。
 こんな処にアップして請求するのは、イケないね。 予定よりエッセイは短くてもOKとなるはずです。お願い!します。


競い合い

2009年07月24日 | SO-Color

  今日はお留守番です。
 SeiちゃんはA5の紙を持ってきました。
 「あ~ちゃん、お絵描きしようよ!」というので、「よしよし、じゃそうしましょう」
  
「もにゃもにゃ…」何か言いながらお絵描きです。
 「あら、お目めにキラキラ入れなくちゃ! あ~ちゃんもそうするといいよ」
 
 「え!? もう、私の目は眼鏡でキラキラしているし …」
 
うむ、うむ、じゃ、キラキラと絵の中に入れてしまおう!
 と、描いているうちに、とっても可笑しくなってしまいました。

 

思いがけずに、よく似て描けてしまった気がしました。
 さらに、背景にキラキラ入れたら楽しくなりました。

 お腹の底から笑いだしてしまいました。
ひとり悦に入るってこういうことね。

 「なぁに?あ~ちゃん!何を笑っているの。私は虹を描くわ」

 「さあ、できた!採点してよ。」「何点になったかな?」

子供の絵は豊かです。傘もあります。
お天気になって虹が出ます。だから傘はすぼめています。
あの面白いかたちの物はなにかしら?
靴下にも模様が入っています。
「Seiちゃん、なかなかだぞぉ~!」
「いいねぇ!!!」
大人は、Seiちゃんに負けました。

 


コンサートと天体ショー

2009年07月23日 | SO-Color

  
 ちょっと遠出してソロ・コンサートに出かけました。
 「あぁちゃん、聞きに来てください。あぁちゃんが傍にいると本当に安心できるの。」
 「ほんとう~?」
 その言葉には、忙しいと思っても出かけて行ってしまうのです。

  
 ここは水に関する区の名前があるホールです。その壁画のタイルもステンドグラスも水玉の煌めき。
 みんな気持ちよく輪になろう…とでも言いたげな感じです。
  
 開場までのひとときと、開演までのひととき。
               
 この画像は、発表会が終わり親も子供も、寛ぎタイム。大きなお兄さん、お姉さんから、幼児まで。日頃の精進の発表が出来たので、本当にホッとしているようです。笑顔も柔和にほころんでいます。


 そして今日22日は46年ぶりに日本の地でも見られるという皆既日食です。
 雨が降りだしたり、雲が分厚い感じだったりして、テレビで欠ける太陽を見つめることにしました。
  
 雲が厚かったり気象条件が悪いと、ここは画像が乱れ美しい画像でなくなりますが、そんなことを言っちゃいられません。
 次の機会には、私は90歳を少し回るので、それまで生きていられるかわかりません。きちんと皆既日食を見てあげなければ、勿体ないことです。

  
 コロナ、プロミネンスなど、とてもはっきりと見えています。
 テレビで見るからこその映像です。硫黄島からとか、太平洋の船の上での映像です。この大事な時…5,6分の太陽を細かに捉えてくれます。
  
 この赤く見えるのがプロミネンス。太陽から少し離れて、でも宇宙には落ちないでいるのだそうで、なぜ落ちないのかまだはっきりしていないのだとか?
 引力が太陽にあるかどうかは判っていないのだそうです。
 しかし、太陽の温かさは改めて凄いと思いました。太陽が見えなくなる一瞬から、暗くなるばかりかひんやりと温度が下がってきます。
 たかが?月が太陽を隠したほんの5,6分で、ひや~っとするのだそうです。
 あ~太陽がチラッと見えています。ダイヤモンドリングと呼ばれるほんの一瞬の映像です。
  
 直にツアーで見ている人の中にはこの世に生まれてきて良かった!
 太陽が無かったら、決して自分は生まれなかったろうと、思ったら涙が出そうになったとか!
 その船に乗って、その太陽の軌道に合わせていたら、今このテレビからの情報でもかなりなのに、もっと感激するだろうね。

 こうして、テレビから映像を眺めて満足し、ちょっとでも目を離すことをしたくはなかったけれど、八千代市に居られる方から連絡が入ったとか。
 「薄曇りだったし、日食を見られないだろうと思ったが、先ほど雨が降った水溜りの水面に欠けたお日様が映っていてとても美しかった!」と。
 「そうか! テレビを頼りにするばかりでなく、ちょっと外を見てみるんだったわ!」と残念に思いました。



2009年07月10日 | SO-Color

   
 久しぶりの散歩。自由人のつもりの私なんだけれど、時間に縛られている。その時間に追い回されていると感じられているこの時間は嫌いではない。
 なぜそんなに忙しいの?
 どうしてか、何をしていなければならないか…。自分で為し終えたことを振り返ってみるが必ずしも心が充実した時を過ごしたわけではない。
 空回りしていて、その重みがない時をすごしているだけ…。
 
 とにかく時間を追っていなければ納まらない状況に自分を置いては取り敢えず立っている感じ。
 落ち着いて時を過している気分もあるのに、何をしたかの実感・充実感がない。
 健康面で気にはなっている分、せっせとスイミングには通おうと努力しているのだが…あ~今日はまた一段と疲れた。

 久しぶりにその辺を歩いてみたくなった。
 この梅雨時に空に浮かぶ雲の姿。少しいつもと違う。
 そしてその白い雲が赤みを帯びた綺麗な雲に変わっていた。
 明日はきっと晴れるに違いない。
  
  久しぶりに見る夕焼けだ。
 春物を整理しなくちゃ。
 手紙を書かなくちゃ。
 電話もかけて連絡しなくちゃ。
 庭にはびこる草を抜かなきゃ…。
  
 折角の七夕逢瀬(よっちゃん、むらちゃんと逢えるはずだったのに…)も、別件で流れた。
 カラカラカラ・・・・・空回りの軽い音がしている。


心か?足か?しんかんせん。

2009年06月26日 | SO-Color

 
 子供づれの親子が今日は目立ちました。絵本の中の新幹線と実際の新幹線を見せてあげようと若いお母さんと2,3歳の子供がホームを歩きまわっています。駅のアナウンスはお子様の手をつないで見守ってください。危険です…と、何回も放送しているのが聞こえています。
 
 私がバッグからカメラを取り出す頃には、近くでふらふら、ちょこちょこしていた何組かの親子連れはもう帰ってしまいましたが、若者が3人列車を熱心に観ている姿が写っていました。
 
 これはのぞみ号700形。
 
 のぞみ号とひかり号が並びました。
 
 最後尾の乗務員が見えます。止まる位置や時計を見たり、チェックには指さしをして確認していました。もう帰ってしっまったけれど、小さい男の子は憧れの目で見つめて、さらに乗務員の行動が非日常の「指さし」を恰好よく見えたのでしょう。指を立てて真似をしていました。
 
 息子が小さかった頃に、走って来たパトカーを、高い位置で見せてあげたくて思わず抱っこしました。
 たまたまパトカーは緊急な用事ではなくパトロールしていたのか、ちょうど赤信号で止まった時だったか? ちょっと小さくサイレンを鳴らしてくれました。
 「サイレンは子供へのサービスで鳴らしたんだよ」とサインするかのように、乗務する警察官がにこやかな顔を、子供へ投げかけて行き過ぎました。私たち親子は何だかホットな心になりました。
 そんな思い出がよみがえりましたけれど、新幹線の乗務員は小さい子供には目もくれず、ただ安全第一に真剣に確認を繰り返していました。
 世の中はずいぶん変わったことを感じました。
  
  
 ちょうどこの辺は富士山が見える辺りですが、残念ながら梅雨空のどんよりと重い雲に覆われていました。
  
 
 新幹線自由席、1号車。私が乗る頃の列車はいつも適当に座席も選べるくらいに空いています。
 
 だんだん東京に近づいています。辺りの風景が違って見えます。
 
 ゴーギャンの絵ではないけれど、“我々はどこから来てどこへ行って、そして行きつくところはどこなのだろうか?”
 ここまで移動してきた私が、生きているってことは…? こんな日常を繰り返していることであり、喜ぶべきことなのだと思います。

 昔、父か母かが切り抜いた新聞記事が時々記憶に鮮やかによぎっていくことがあります。
 記事には、そのころ100歳か100歳を少し超えていた頃だったかの、清水寺のお住職、大西良慶(1875-1983)さんの言葉が記されていました。多分お経の解説をしていたような言葉だったかも知れません。
「人間が生きて行くこと、それは川の流れの水のごとく(歌詩は、ことによると、これからヒントを得て作詞されたのかも?)、一時も同じ所には留まっていない。大きな道を歩く人の流れと水の流れは同じように見えると思います。
 生きているこの一瞬一瞬が流れているのです。今の今は今しかない。全て過去へと流されているのです。永遠は“無(む)”なのです。無いのが永遠で今有る“これ”は奇跡と思えば、間違いないでしょう。」
  
 多分こんな内容だったので、般若心経を説いていたのですね。こんなことを言われるお釈迦様はやっぱりただ者では無い、偉人なんだ(当然過ぎて今さら言うのも変かと思いますが。)と、感じます。
 仏教を、特に深く学んでも居ないので、間違っているかもしれませんが…? 
 上記のようなことをいつも思いだしては気をつけたいと思うばかりで……。
 “明日があるさ!”と後へ後へと延ばしているだけの“反省”を繰り返しています。


下呂温泉 2日目

2009年06月24日 | SO-Color

 「温泉とは言うけれど、普通のお風呂につかる場合とあまり変わらないわ。私濡れるのは好きじゃないし、寝ていたいから皆さんお風呂に行って来てください。」

 私は翌日の早朝、眠っている方が好きだからと、布団にもぐっていた。でも、一緒に行こうとのお誘いに渋々布団から出てバスタオル、フェイスタオルを持って6階のロイヤルルームから2階のバスルームに降りた。

 朝風呂…面倒がりやの性質からだけでやっぱり入れば気持ちがいい。眠たいと言っていたのに、温泉つかったお陰ですっきりと目が覚めた。良かった!

 檜風呂、ジャグジーのお風呂、外気が爽やかな打たせ湯と鉱泉…全てちょっとずつ入っては出てお風呂巡りを一通りしたが、朝食には30分も間があった。1階ロビーに移り、鯉に餌をやって競って食べるところを観たり、ロビーのソファーでの小さい声でのおしゃべり…そしてやっと朝食。早起きは午前中が長い。これも日常とは違う良さ!!



ソファに座って、裏山を望む。
昨日の午後はこの中庭の崖から滝のように水が流れ落ちていた。
その下の池には大きい鯉が悠々と泳いでいた。
夜から朝の時間は滝は落とさずに鯉だけが彩りを添えるのみ。
~~静か~~。私たちの声をひそめたおしゃべりだけ。
 
お風呂にも入ったし、和食の凝った朝ご飯は食べたし…。
バスの発車時間までしばし部屋でくつろいだ。
 
顔ぶれ?モザイクをかけようとも思ったが…モザイクは何だか感じ悪いとか言われ、
でもインターネットは不測の事態があるかも知れず…
なんて初めは恐かったが、限定した方にしかこのブログは見せてはいないし…??
でも、何らかの方法で検索された場合は見知らぬ方にも見られている…場合だってあるが、
悪いことはしていないし姿を消さねばならぬ人もいないし…。
 
帰りの車窓の景色。飛騨川の水の色が翡翠色で、何とも言えない深い色。
 

 私は頑張って参加したが、これも良い思い出。なかには、逢った途端に来年もみんなで行こうね…と、言ってくれる人も居られる。
 本当に来年も行こうと、誓いあう。来年は長野とか、マロニエのホテルを巡るので、今度は内海で逢おうよ…とか。
 名古屋で遅お昼を食べて解散。
 それから、Taekoさんから戴いた切符で、名古屋ボストン美術館(金山)に立ち寄った。大勢の方が会場に集まり入場制限のなか、静岡に帰られるMisakoさんと、「ゴーギャン展」を駆け足で観賞した。
 そして私は名古屋の自宅へ、彼女は東海道線で揺られてご自宅へと向かう。Taekoさんありがとう…と言いながら二人は金山駅でお別れした。
 「ほんとうに来年も逢おうね…」と。

開催概要
 名古屋ボストン美術館 「ゴーギャン展―我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか―」