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サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎三部〜(20)

2022-02-03 00:20:00 | 兎神伝〜紅兎〜革命編其乃一
兎神伝

紅兎〜革命編其乃一〜

(20)決着

全てが遠のいて行く…
剣戟銃声の音も…
敵味方双方の張り上げる鬨の声も…
激しい戦闘そのものが、夢幻の如く現実味を失い、今そこに立つ一点だけが、世界の全てであるかのように思われる。
和幸は、真っ直ぐに奥平を見つめた。
憧れ続けてきた人…
心酔し続けてきた人…
不思議と怒りも憎しみも湧かなかった。
ただ、激しく胸が疼いていた。
脳裏には、ヘラヘラ笑いながら尿と白穂にまみれた股間を広げ、ボロボロに傷ついた参道を血塗れになる程自分で掻き回す少女の姿が脳裏を過っていった。
どんな目に遭わされてきたのだろう…
どんな事をされてきたのだろう…
赤兎の悲惨な姿は、数え切れない程目にし続けてきた。
あの子達を救う為だと言われて、数多の人々の命を奪い続けてきた。
それでも、あそこまで悲惨な姿になった赤兎を見るのは初めてであった。
しかも…
それをやったのは、他でもない…
『さあ、来るが良い。』
奥平は、二頭の龍蛇が、片方は鎌首を上げ、片方は鎌首を下げたような構えをとると…
『グフッ、グフッ、グフフフフ…』
不気味な笑い声をあげた。
和幸は、無言で立ち尽くしたまま、奥平をジッと見据えていた。構えを取る様子は見られない。
『青い巨星、第三にして最強の男…ブルー・スリー…その名を耳にする度に、狂いそうになる程、腹わたが煮えくり返ったぞ!』
奥平は、叫ぶなり、左腕当ての下から飛び出す鞭を振りかざしてきた。
耳を劈く弾かれた音が鳴り響くと、和幸は吹き飛ばされた。
『三歳の時から鬼北(おきた)道場に放り込まれ、血の滲むような訓練を強いられてきた。最強の男になれとな!
来る日も来る日も、脳幹がどうとか言って、死ぬ寸前まで打ちのめされ、地獄の日々を過ごしてきた!』
更に、鞭が連打して和幸を打ちのめした。
既に血塗れになりながら、和幸は何一つ反撃せず、黙って打ちのめされた。
ただ、真っ直ぐ奥平を見据え続けた。
その眼差しに怒りも憎しみもなく、ただ、憂に滲んでいた。
『俺は、何度も死にはぐった!殺されかけた!師匠も父も、耐え抜けなければ本気で殺しにかかってきた!
そんな地獄を、漸く這い上がって、最強の座を手に入れた!青い巨星と渾名され、鬼北(おきた)派初代館長…鬼北十三(おきたじゅうぞう)の再来とまで言われるようになった!だのに…だのに…』
どれ程、打たれ続けたであろう。
奥平と軽信に憧れて着込んだ、青に統一された着物は、既にボロボロになっていた。血に塗れていた。
それでも、痛みは全く感じなかった。
ただ…
胸だけが激しく疼き続けていた。
『だのに!やっと、鬼北(おきた)派最強の座を手にした時、鬼南派の軽信も青い巨星と呼ばれるようになった!俺と合わせて青い双星と言われるようになった。
相手は女…それも、旧敵国軍人の手垢に塗れた売女だ!それだけでも我慢できなかった!』
奥平の連打する鞭は、打ち放つ度に、苛烈さを強めた。鍛え抜かれた和幸でなければ、とうに全身の骨が砕け散ってるところであった。
『それが…今度は、見よう見まねで習い始めたお前が、一年もしないうちに、十五足らずで青い巨星と呼ばれるようになった。しかも、三人目にして最強の拳士…ブルー・スリーだと…
笑わせるな!最強は俺だ!俺だけが青い巨星だ!
立て!立って俺と立ち会え!何、寝てるんだ!
ほら!立て!立つんだ!俺に向かって来い!
お前なんか、最強なんかじゃない!ブルー・スリーなんかであるもんか!それを証明してやる!』
奥平は、一層感情を爆発させて叫ぶと、何十何百…自分でも数えきれぬ程、鞭を振り上げた。
立ち向かうどころか、倒れたまま、立ち上がりもしなくなった和幸を打ちのめし続けた。
そして…
『どうした!何故立ち上がらん!何故、向かってこん!
そうか!立てないんだな!立てないんだろう!向かってこれないんだろう!
そうとも!これが最強というものだ!相手に立ち上がらせる事も、立ち向かわせる事も出来なくさせるのが最強だ!存分に味わうと良い!
どうだ!痛いか!痛いだろう!痛くて痛くて、立つどころか、身動きする事も、呻き声を上げる事も出来ないだろう!』
更に一層激しく打ち据えようとした時…
『痛くなんかないさ…こんなの一つも痛くない…』
和幸は、振り翳される鞭を素手で掴み取ると、ゆっくり片膝をつき…
『あの廃人になる程陵辱された赤兎の痛みに比べれば…憧れ心酔していた貴方が、あの子をいたぶる姿を見せつけられて殺された平次の痛みに比べれば…
こんなの痛みでも何でもない…』
奥平が引き戻そうとする鞭を、尖った十手の先で真っ二つに切り裂いた。
奥平は引き戻そうとする力の反動で、大きく後ろに蹌踉めき倒れそうになるのを、どうにか踏ん張り堪えた。
和幸は、切り裂いた鞭の先を投げ捨てると、足元の十手を拾い、ゆっくりと立ち上がった。
しかし、まだ、構えを取ろうとはしない。
『青い巨星、三人目にして最強…ブルー・スリー…
僕は、一度だって、自分を最強だとも、ブルー・スリーだとも思った事ありません…
ただ、貴方に憧れ、貴方を慕う一心で、この拳を学んだのです。どんな小さな事でも、貴方と同じ事がしたかった。ほんの一歩でも、貴方と同じ道を歩みたかった。それだけでした。』
体制を立て直した奥平は、和幸の言葉を聞いているのかいないのか…
『ハイヤーーーーーッ!』
奇声を発すると同時に、右手に握る長太刀を右に左にクルクル回し、自身もコマの如く回転飛びをしながら、凄まじい勢いで和幸に向かって行き…
『アチョーーーーーーーッ!!!!!!』
和幸の正面間近に迫るや奇声を発して、長太刀を下から突き上げて行きながら飛び上がった。
和幸は、全く構えを取らないまま、羽毛の如く軽やかに下がって躱した。
奥平は、そのまま回転飛びをしながら、長太刀を突き上げる攻撃を連打し続けた。
『平次達も同じでした。僕と同じ気持ちで貴方を慕っていました。ただ、貴方について行きたかった…貴方と同じ道を歩みたかった!』
和幸は、羽毛の如き動きで躱しながら、言葉を続けた。
『平次達も、貴方の仲間…同心でいられる事が、ただただ、嬉しかった!貴方の先鋒隊、目明組である事が、何よりも誇らしかった!』
『仲間?同心?』
奥平は、一瞬立ち止まり、攻撃の手を緩めると…
『グフッ、グフッ、グフフフフ…』
また、不気味な声を上げた。
『おまえ達が同心だと?連日、女のように男に抱かれ、尻の穴を抉られ、男のモノをしゃぶり舐め回すおまえ達が、この俺の仲間だと?気色悪い事を吐かすな!俺は、薄汚い男娼のおまえ達を、仲間だなどと思った事はないぞ。』
言いながら、奥平は再び長太刀を構えると…
『おまえ達、紅兎など…目明組など…俺からすれば、使い捨ての手先にすぎぬわ!』
上段より思い切り振り被らせた。
鈍い金属音が闇夜に響き渡った。
『平次が…使い捨ての手先…』
交差する二刀十手で長太刀を受け止めた和幸は、ハラハラと涙を溢れさせた。
『あんなに…あんなに貴方を慕っていた平次が、使い捨ての手先…』
『だから、慕っていたとか言うな。連日、男のモノをしゃぶり舐め回すその口で言われると、吐き気を催してくるわ。』
『良いでしょう…僕も二度と言いますまい…いや、二度と言いたくない…
平次が使い捨ての手先だと仰るなら、僕にとって貴方はただの仇…』
和幸は、一層涙を溢れさせながら…
『スーーーーーッ…ハァーーーーーーーッ…』
大きく深呼吸を一つすると、長太刀を受け止める二刀の十手を、鴎が飛び行くように、脇に払った。
奥平は、自らの力の勢いで、数間先に飛ばされ蹌踉めいた。
和幸は、両手の十手で滑らかな曲線を描き、鴎が空を飛び交うような構えをとると…
『無二の友…銭形平次の仇、覚悟!』
叫び様、奥平に向かって駆け出して行った。
絲史郎の猛攻の前に、貴之、秀行、政樹は、三人がかりで、ただ避ける事しか出来ずにいた。
貴之の投げ放つ釣り糸は、悉く瞬時にして微塵に切り裂かれ….
秀行の簪は、構えた途端に真っ二つに斬られた。
『こいつ!とんでもねえバケモンだ!』
胸の皮一枚切られ、辛うじて交わした政樹は、悲鳴をあげるにも等しい声で叫ぶと…
『おまえ達は、下がれ!』
琵琶の仕込み連弩を射ち放ちながら、勇介が駆けつけてきた。
『御師匠様!』
貴之が、思わぬ助太刀に声を上げると…
『こいつは、中村組を壊滅させた上、あの主水をあっさり殺した男だ!おまえ達が束でかかっても叶う相手ではない!』
勇介は、三人を背中にやりながら、更に連弩を射ち放った。
絲史郎は、正面左右交互に回転させる湾曲刀で、悉く交わした。
『何…あの主水さんを…』
政樹が蒼白になって言うと…
『そうだ!主水が一合も合わせず、バッサリだ!』
『主水だけじゃない!平蔵も、顔を合わせた瞬間に、太刀を構える暇もなくバッサリだった!未だに死んだ事を理解してまい!』
長煙管をクルクル回しながら、義隆も駆けつけ、勇介と並んで、三人を背にして言葉を続けた。
絲史郎の凄まじいばかりの突きが襲う。
『うわーーーっ!』
思わず声を上げながら、一同は、間一髪で避けた。
『主水だけじゃねえぞ!息吹もご自慢の鉄傘ごと、バッサリだ!』
更なる猛攻を躱しながら、勇介が言葉を続けた。
『そんな!それじゃあ、あの見事な箪笥も…』
『滑らかな肌触りの食卓も…』
『戸や障子、襖も…』
『何も作ってもらえねーのかーーーっ!!!!』
貴之と政樹は、この世の終わりが来てしまったような声を上げて叫んだ。
しかし、次の言葉は、更に二人を絶望の淵に落とした。
『里一の奴もだ。あいつも、瞬く間もなく、会った瞬間に、バッサリやられた。』
義隆が鎮痛な面持ちで言うと…
『何てこったーーーー!!!』
『もう、あの新鮮な魚を捌いた刺身も、煮魚、焼き魚、吸い物、散らし…二度と食えない!!!』
『里一さんは、炊き込みご飯に丼物を作らせても天下一品だったのにーーーーーっ!』
『あーーー…俺達、明日から一生、ユカ姉の素麺責めで生きて行かなきゃならねえのかーーーっ!また、顔が長くなるーーーーーっ!!!嫌だーーーーっ!!!』
二人は、最早生きる気力も無くしたような声を上げた。
すると…
唸りを上げる絲史郎の湾曲刀が、横薙ぎに五人に襲い掛かってきた。
『うわっーーーーっ!』
五人同時に、声をあげて最後の時を覚悟した、その時….
『チッ!全滅とは失敬な!』
舌打ち声と同時に、弾くような金属音が、辛うじて湾曲刀を跳ね返した。
『あんな、やわな刀で死ぬ俺ではない。俺の部下達も全員健在だ。』
『あ…主水…』
主水は、あんぐり口を開ける勇介を横目に…
『チッ!覚えとけよ…』
舌打ち混じりに一言だけ言って、胡乱な眼差しで絲史郎の太刀さばきを見やりながら正眼に構えた。
またもや繰り出される突きを、主水が受け流すと…
『だーれが、顔を合わせた途端にバッサリだと!』
嗄れた声と同時に、切り上げる太刀に、絲史郎の突きが弾かれた。
『主水が一合も合わせずは本当だが、俺はかなり良い勝負をしたんだぜー。』
平蔵もまた、切り込む隙を伺いながら、主水の前に立ち…
『主水、悪いな。こいつは、俺がいただくぜ。』
更に斬りつけてくる絲史郎の湾曲刀を躱して、また一歩踏み出そうとした。
『チッ!怪我人は寝てろ。』
主水もまた、舌打ち混じりに言うと、平蔵より前に踏み込もうとした。
『誰が怪我人だ?おめえさんこそ、ミイラ男…』
と…
平蔵がいい終わらぬうちに、またもや凄まじい切り込みが二人を同時に襲った。
次の瞬間…
絲史郎の湾曲刀にやられたのではなく、耳元で巨大なの鐘をつかれたような金属音に、一同吹き飛ばされそうになった。
息吹の拡げた鉄傘が、絲史郎の湾曲刀を跳ね返したのである。
『息吹さーーーーん!!!』
息吹を気遣ってなのか、社(やしろ)の家具を気遣ってなのかわからぬ政樹が涙声を上げると…
『会った瞬間に、バッサリとは、あんまりじゃごさんせんか!』
息吹の巨体の横から、対照的に瘦せぎすな里一が、見えぬ目を一同に向けて、ブンむくれに言った。
『あっしは、コイツとやりあうのは、今が初めてでござんすよ!』
『里一さーーーん!!!』
またもや、里一を心配していたのか、今晩のおかずを心配していたのかわからない政樹が、涙声を上げた。
『そうそう…さっきの、由香里さんの素麺ばかりがどうとか、顔が長くなるとか…あれ、しっかり由香里さんに報告しときやすからね。』
里一が、まだむくれ顔でいうと…
『うわっ!そいつは勘弁してくれ!』
思わず蒼白になる政樹の上に振り被ろうとする湾曲刀を、主水と平蔵が辛うじて弾き返した。
『貸し一つだぜ!俺がいなかったら、やばかったな!』
平蔵がニッと笑って言うと…
『チッ!躱したのは俺だ。』
主水が、舌打ち声で言った。
更に横薙ぎの一撃…
今度は、全員間一髪の差で交わした。
『良いか、おまえ達!あの回転する太刀筋に惑わされるなよ!』
平蔵は、相変わらず皆の前面に立とうとして、声を張り上げた。
『一見、完全防御の構えに見えるがな、あれは誘い太刀だ!早い話が、どっからでもかかってきやがれと挑発し、相手から向かってくるのを誘ってやがる!
それでな、まんまと乗せられ、数に任せて寄ってたかって斬りかかろうとする、どっかの馬鹿みてえに…』
『喧しいぞ…』
主水は、平蔵の講釈を遮ると、一同の目を一巡して見回し、手にする太刀で頭上にグルっと円を描いて見せた。
逸早く意図を察した秀行と息吹は、絲史郎の後ろと横に回った。
二人の動きで、他の一同も意図を知り、円形に絲史郎を取り囲んだ。
主水は、皆に向かって、太刀を右に向けグルッと返して見せながら、ゆっくり絲史郎の周りを回るように歩き出した。
一同もそれに習う。
全員、一周し終えたのを見るや、今度は太刀を逆方向に向けて同じ事をした。
一同、今度は逆方向に向けて、絲史郎の周りを回り始めた。
やがて…
気づけば、全員、主水が振るう太刀の動くままに、動くようになっていた。
『朧流人動術…相変わらずの腕前だな。』
平蔵は、相変わらず隙あらば主水の前に出ようとしながら言った。
『最も…その結果、哀れな御前の配下達同様、全員あの世行きでは洒落にならんがな。』
『チッ!だから、俺の部下は誰も死んでおらん。』
主水が、また舌打ちしながら太刀を動かすと、一同は蛇行しながら絲史郎の周りを回り出し…
一人ずつ斬り込んでは下がり、また一人斬り込んでは下がりを繰り返した。
絲史郎の湾曲刀を回す速度は変わらず、疲労も焦りも全く感じられなかった。
ただ…
主水は眼差しから、里一は受ける太刀の感触から、微かに絲史郎の苛立ちを感じ始めた。
今だ…
主水が一斉攻撃の合図を送ろうとした時…
『テヤーーーーーーーーッ!!!!』
遥か後方より、一人の女が凄まじい奇声と共に駆けつけるや、一同の遥か頭上を舞い上がり、絲史郎に飛びかかって行った。
『チッ!』
舌打ちする主水の前…
両手に握る二刀の太刀をグルグル回しながら、軽信が絲史郎と激しい打ち合いを始めた。
平蔵は、思い切り眉をしかめる主水を見て、思わず吹き出すと…
『でかしたぞ、女!よくやってくれた!』
叫ぶや否や、腹を抱えて笑い出した。
そして…
『主水、悪いな、此処からは俺が貰っておくぞ!』
平蔵は、ニッと悪戯っ子のような笑みを浮かべ…
『今だ、行くぞ!全員で搦め捕ってやれ!』
大きく太刀を振り下ろして叫ぶと…
『オーーーーッ!!!!』
一同、一斉に声を上げて、絲史郎に向かって行った。
『アチョーーーーーーッ!!!!!』
奥平は、奇声を発しながら、猛烈な長太刀の突きを連打し続けた。
和幸は、敢えて自ら踏み出す事なく、両手二刀の十手を構えたまま、羽毛のような動きで左右上下に身を翻して躱し続けた。
時折打ち鳴らされる金属音…
十手で長太刀を躱す時も、まともに打ち合う愚はおかさない。平地に軽く添えて、受け流すように躱していた。
『テヤーッ!』
奥平は、気合いの声と共に回し蹴り…
『ターーーーッ!!!!』
返す足で後ろ回し蹴り…
『ハーーーーーァーーーーッ…』
大きく息を吐きながら、右足を空高く上げると…
『アタタタタターーーーッ!!!』
上下左右正面と、縦横自在に猛烈な蹴りの連打を放った。
和幸は、やはり敢えて踏み出し打って出る事をせず、羽毛の如き軽やかな身のこなしで、ひたすら躱し続けた。
この時も、まともに蹴りを受け止める愚は犯さない。
一撃で百貫の岩石を軽く砕く奥平の蹴りをもろに受ければ、鍛え抜かれた和幸であっても、腕を折られる危険がある。
左右上下縦横に身をこなしながら、ひたすら受け流し続けた。
『ハイヤーーーッ!!!!』
ひときわ甲高い奇声を発して、奥平は回転回し蹴りを放ってきた。
和幸は、待っていたものが訪れと言うように、大きく目を見開くと、受け流すように躱し様、二刀の十手を蹴り先と同じ方角に向けて振り翳した。
軽い金属音…
奥平は、自らの蹴る力と膝当てに振り下ろされた十手の力が加わり、そのまま吹き飛ばされた。
和幸が駆け出し…
クルクルと、右に左に回転しながら、奥平に起き上がる間を与えず、十手を薙ぎ、振り上げ、振り下ろし、突きつけた。
連続する金属音…
守勢に回った奥平は、ひたすら左腕の盾で躱しながら、機を見て長太刀を一薙ぎ…
和幸が、軽やかに飛び上がり、後ろ一回転して躱す間に、奥平は立ち上がると…
『アチョーーーーーーッ!!!!』
凄まじい奇声を発し、長太刀を右に左にクルクル回し、自らも回転しながら、切り下げ、突き、切り上げ、突き、蹴りと、猛攻を繰り広げた。
和幸もまた、それまでの守勢から攻勢に転じ、鴎が空を舞うような身のこなしで、奥平の猛攻を受け流しなごら、十手を薙ぎ、突き、振り下げ、振り上げ、足蹴り、後ろ回し蹴りを展開した。
双方共に、相手の攻撃をまともに受ける愚は犯さない。
一見、羽毛の如く軽やかで柔らかく見える和幸の動き…
しかし…
百貫の岩を砕く奥平の拳と蹴りに対し、和幸の手刀と足刀は百貫の岩を紙の如く切り裂く事を、奥平は知っている。
ひたすら躱され続ける双方の猛攻…
カマイタチの如く風を切り裂く音が、延々と響き続けた。
逆袈裟に切り上げる、奥平の長太刀…
和幸は、羽毛の如く軽やかに舞い上がり、数回転後転して躱すと、再び二刀の十手で曲線を描きながら、鴎が空を飛び交うような構えを取り始めた。
刹那…
奥平は、コマのようにクルクル旋回しながら迫って来るや、長太刀を下から突き上げながら飛び上がり…
辛うじて長太刀の切っ先を躱す和幸の鳩尾に、膝蹴りを入れた。
思わず蹲る和幸に、横蹴り…
両腕を交差して躱す和幸に、回し蹴り…
両腕を揃えて躱す和幸に、長太刀を真上から斬りおろし…
二刀の十手を交差して躱す和幸の胸を目掛けて、横蹴りを入れた。
数間先まで吹き飛ばされた和幸は、背中を激しく地面に叩きつけられた。
全身に激痛が走り、呼吸困難に陥る和幸は、暫し立ち上がる事が出来なくなった。
奥平は長太刀を左右に回しながら真っ直ぐ駆け向かって空高く舞い上がり、逆手に持ち替えた長太刀の切っ先を、和幸に突き立てようとした。
鋭い刃物が、何かを貫く鈍い音が、不気味に鳴り響いた。
軽信の猛攻の前に、絲史郎の剣舞の盾は崩れ去った。
しかし、それで、絲史郎の動きそのものが鈍ったわけでも、攻撃か弱まったわけでもなかった。
『テヤーッ!!!』
『タァーーーッ!!!』
『デヤーーーッ!!!』
気合いとも奇声ともつかぬ声をあげ、両手に握る二刀の湾曲刀をクルクル回しながら、両脇から交互に斬り下げる軽信の猛攻…
左右後方、自在に飛び回りながら斬りつける主水の太刀…
今度こそ主導権を握ったと意気軒昂な平蔵は、軽信と並ぶように真正面から斬りつけ…
息吹は、軽く七十貫はある棍棒のような鉄傘を棒切れのように振り翳し…
里一は、一同一斉に切り結ぶ内側に入り込み、絲史郎を懐から杖の仕込みで切り上げようとした。
しかし…
強烈な金属音と共に、悉く弾き返された。
攻勢に回った絲史郎の湾曲刀を、辛うじて受け止めた勇介の鋼鉄製の琵琶に、微かな切り込みが入り…
義隆は、長煙管を真っ二つに斬り裂かれ、代わりに二刀の小太刀を抜いて身構えた。
『奴の刀とまともに打ち合うな!』
平蔵の怒号が飛んだ。
『奴は、相手を斬りつけると見せて、まず、武器を狙っている!相手の武器を斬り、丸腰になったところをバッサリ…』
『だから、喧しいと言っておろう!』
今度は、その平蔵の頭上に切り下げられる湾曲刀の平地を、超鋼鉄製の鞘で打ち払いながら主水が怒鳴りつけた。
『おまえが一々能書き垂れる度に、こちらの手の内読まれるわ!』
平蔵に斬りつけた湾曲刀を主水に交わされ一瞬の隙をつき、貴之が正面から鞭のような釣竿を振り翳し、秀行の簪と政樹の手槍が、絲史郎の首筋を狙った。
絲史郎が一振りに薙ぐ湾曲刀が、三人の武器を一度に真っ二つに切り裂いた。
『貴之君、貴方はこれを!』
軽信は自分が握っていた二刀のうち一刀を貴之に投げ渡し…
『秀行君は拳術、政樹君は空手を使うのよ!』
秀行と政樹に向かって叫んだ。
貴之は、軽信の言葉も終わらぬうちに、左足を大きく前に、右八相高らかに掲げた構えを取るや…
『チェストーーーッ!!!!』
甲高い奇声と共に、左肘を動かす事なく、身体の外側に向けた刃を連打して捻り斬りつけていった。
同時に、政樹が凄まじい勢いで駆け出して放つ飛び蹴りを交わされるや、拳、拳、肘打ち、手刀、蹴りと、直線的な攻撃を連打した。
ここに来て、漸く絲史郎がやや守勢に転じると、その傍で…
『ハァーーーーーーーーッ!』
秀行は、大きく息を一つ吐き、大鷲が翼を広げるような構えを取るや一直線に駆け出し…
突如空高く飛び上がると同時に、手足を縮めて身を小さく丸めるや、嘴のように曲げた右手二本指で突きを入れた。
間一髪交わした絲史郎の胸当てに、煙をたてた斜め一文字の切り傷ができていた。
秀行は、そのまま振り行きもせず、後ろ蹴りを入れ、交わされると同時に振り向き、今度は嘴のように曲げた左手二本指で突きを入れた。
今度も間一髪躱す絲史郎の胸当てに、煙を立てた縦横一文字の新しい切り傷ができていた。
『鬼道流鬼南派(きどうりゅうおなみは)、南聖鷲嘴(なんせいしゅうし)拳…』
軽信はニッと笑うと…
『和幸君に憧れ、鬼南(おなみ)派を学んだ彼も、今や鬼道拳士の紅い彗星と呼ばれる使い手…しかも、追い込まれた時こそ本領発揮するところから、逆襲の王者(シャー)とも呼ばれてる…さすがだわ。』
そう言って、再び、湾曲刀をクルクル回しながら、絲史郎に向かって行った。
一度は弾き返された里一と息吹が、再び長い剃刀のような仕込刀と棍棒のような鉄傘を、左右から振り翳した。
鋼鉄製の琵琶を捨てた勇介は、大きな鉄扇を広げると、和幸に伝授した、神楽舞のように可憐優雅な身のこなしで斬りつけ…
義隆は、二刀に構えた小太刀を斬りつけていった。
平蔵は、相変わらず正面から斬りかかり、真っ向勝負を狙う。
一時は守勢に回りかけていた絲史郎は、再び攻めに転じると、休みなく右に左に猛烈な切り込みを続け、軽信の湾曲刀を弾き飛ばした。
軽信は、両指先で滑らかな曲線を描いて、空を飛び交う鴎のような構えをとり、絲史郎の湾曲刀を躱すと言うよりは受け流しながら、突き入れ切りつけた。
それまで、敢えて自分から踏み出す事なく、絲史郎の周りを縦横に飛び回っていた主水は、不意に目を見開くと、懐の万力鎖を投げ放った。
『師匠!』
『今だ!』
貴之と勇介は、一瞬、絲史郎が首に巻き付く万力鎖に動きを封じられた隙を見るや、釣り糸と弦糸を投げ放った。
他の一同も、絲史郎が両腕を釣り糸と弦糸に捕らわれた隙を逃さず…
『みんな!行くぞ!』
平蔵の掛け声と同時に、一斉に向かって行った。
ところが…
『むんっ!』
絲史郎は、唸り声を一つあげて思い切り両腕を動かすと、逆に糸を持つ貴之と勇介を振り回し、向かってきた一同に叩きつけて吹き飛ばした。
『チッ!』
振り向き様、絲史郎の逆袈裟に切り上げる湾曲刀に万力鎖をばっさり切られた主水は、舌打ちしながら、更に切り下げられる湾曲刀を、間一髪後ろに下がって躱した。
皮一枚、掠め切られた主水の眉間から、鮮血が滴り落ちてくる。
絲史郎は、再び、正面左右交互に、風車の如く湾曲刀を回転し始めた。
逸早く立ち上がりかけた平蔵は、横薙ぎに迫る湾曲刀に吹き飛ばされ、次に立ち上がりかけた秀行は、皮一枚掠められた両腕から血を流した。
そして、矢のように連打される突きと、雨の如く斬りつけてくる湾曲刀の切っ先に、一同全員、何とか躱したながらも、確実に全身の切り傷を増やしていった。
『こいつは、やはり化け物だ…
おい、ミイラ男。俺が何とか引き受ける、おめえは皆を安全な場所に移してくれ…』
平蔵が、腰を低く脇に構えて、次の攻撃に備えると…
『何を言う怪我人。お前こそ、この足手纏いを連れて逃げろ…』
前の傷に合わせ、新たな傷を全身に負いながら、主水は下段に構え、ジッと絲史郎を見据えながら言った。
と、その時…
『お前達、下がれ!』
私は、皆の苦戦を遠目に苛立つ思いを募らせ、何とか群がりくる神漏兵(みもろのつわもの)達の間を掻い潜って辿り着くと、更に向かい来る黒の三連星を斬り伏せながら叫んだ。
『下がって、私の援護してくれ!』
振り向く一同、数多の神漏兵(みもろのつわもの)達と切り結ぶ私を見て、漸く倒すべき敵は絲史郎一人でない事を思い出したようである。
『アイヤーーーーッ!!!!』
逸早く奇声の声を上げる軽信は、両手を地につけ逆立つと、両足を風車の如く回転させながら、私に群がる神漏兵(みもろのつわもの)達に蹴りを連打していった。
『カズはどうした!』
続けて、八相に構えた貴之が、身体(からだ)から刃を離した湾曲刀を袈裟懸けに捻り切り下げ、一撃一殺切り倒して行きながら、私に近寄り尋ねた。
『安心しろ。今、奥平と対戦中だ。』
『そんな事聞いてねえ!俺は、どうして奴と一緒に戦ってねえのか聞いてるんだ!』
『タカ君。君がカズ君なら、そうして欲しいのか?』
私が言うと…
『言えてらあ。』
貴之は、ニッと笑い…
『もし、カズ君がやられたら、責任もって君を奥平のところまで送ってやる。』
私が言うと…
『そんときゃ、間違っても俺の助太刀なんかするんじゃねえぞ。』
貴之は、そう言い残して、再び左足を大きく前に出し、右八相高々に身構え、新たな敵に向かって行った。
他の皆も、最早絲史郎より私を守る方に関心を移して、神漏兵(みもろのつわもの)達に向かって行った。
『怪我人、行けっ!此処は俺に任せろ!』
『ミイラ男、お前こそ行け!若君をお守りせよ!』
主水と平蔵だけが、まだ、一騎打ちの座を奪いあいながら、絲史郎と睨み合っていた。
『邪魔だ、退け!』
駆けつけ叫ぶなり、私は、平蔵と主水を両脇へ突き飛ばし、絲史郎と向き合った。
『チッ!』
舌打ちする主水は、尻餅をついたのを好機とばかりに殺到する神漏兵(みもろのつわもの)達を腹癒せ混じりに斬りまくり…
『若君!危のうござる!お退がりなされい!』
平蔵は、早くも周囲を取り囲む神漏兵(みもろのつわもの)達と切り結びなぎら、私に向かって叫んだ。
絲史郎は、私一点に狙いを定めると、以前にも増して速度をあげ、正面左右交互に湾曲刀を回転させた。
私は、胴狸を鞘に収め、片膝を着くと右手を八相に掲げて目を瞑った。
湾曲刀を回転させ続ける合間に、絲史郎は時折隙を見せては、足を前に踏み出し或いは後ろに退がって見せる。
天伏流駒多凪網(てんぷくりゅうこまたなもう)は、完全防御の剣ではなく、誘いをかけた攻撃の剣である。
寸分の隙なく回転させる合間に、微かに見せる隙と動きこそが、誘い水であった。
私は一切動かず瞑目し続けた。
絲史郎が、僅かずつ間合いを詰めてくる。
私は、その間合いを図りながら、掲げた腕を腰の胴狸に向けて下げて行く。
脳裏には、一つの光景のみを思い浮かべる。
雨上がりの梢から滴る一滴の雫…
雫は、実にゆっくりと落ちて行くように映し出されている。
やがて、私の手が胴狸の柄に近付いて行く。
絲史郎は微かにこめかみを動かし、目を見開かせると…
私は握ると見せた手の甲を柄に乗せ、鞘に収めたままの太刀先を微かに動かした。
好機!
絲史郎は、素早く攻勢に転じて、湾曲刀を袈裟懸けに斬り下げできた。
脳裏の中で、雫は梢と地面の中央に止まった。
私は、小さな雫に向かって、滑るように胴狸を抜き放ち…
雫は、弾ける事なく真ん中で真っ二つに切り裂かれた。
刹那…
湾曲刀を私の首筋ぎりぎりまで振り下ろしていた絲史郎は、首筋真一文字に血飛沫を上げると、呻きもあげず前のめりに倒れ込んで絶命した。


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