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サスケの日曜日

小さな発見を楽しみに!

繋がり

2012-12-26 09:36:47 | 東日本大震災

12月を前に
ボランティアを統括するスタッフは、今回の仮設住宅で大掃除を企画していました。
「掃除を手伝って何になるの?」企画に疑問を投げかけた人もいたようです。

仮設住宅での活動も一年が過ぎ、
これからは、支援の形にも変化があるのではないかと感じていた時、
未だに1月の募集が出ない不安も重なり、
今回は、内心複雑な気持ちでの参加になりました。

12月21日、何時ものように夜9時に横浜を発ったボラバスは、
予定通り翌22日、午前4時過ぎに石巻市河北の「上品の郷」に到着した。

石巻市門脇町です。
ここは、6メートルの津波が左右から押し寄せ甚大な被害が出たところです。
(写真は、「がんばろう石巻」の横に立つ津波到達の標。)

門脇町を経て、仮設住宅に到着。
今回は、仮設便には珍しく、圧倒的に男性が多い。
総勢25人のメンバーは、
初めて参加された方もいれば、
ずっと瓦礫撤去などのハード系をされてきた方も。
横須賀、川崎、二宮、開成町、伊勢原から、そして
真鶴から参加された70代のご夫婦は、
先に参加した奥様がご主人様を説得していらしたとのこと。
そしてボランティアを統括するスタッフと、
何時も協力してくださるバスの運転手さん2名。

まずは、集会所に荷物を持ち込み、
班編成、作業の打ち合わせ、作業に必要な物資の箱詰め。

いよいよ活動開始。
今までのような集会所での活動と違い、今回は個宅への訪問と言うことで皆、緊張ぎみ。
自治会長さんが先にお宅へあいさつに。
希望したお宅の半数以上が会長さんとは面識がない、
「住人と言葉を交わす機会が出来た。」と会長さん。

一方、集会所では、クリスマス会に続いて午後の部の自治会忘年会のお手伝い。
今回も音楽ユニットの*Arearea*さんがミニコンサートを開いてくれるので、
その準備を進めていきます。

お掃除隊は3人1組。
男性2名に混じって私も作業。
とは言っても
高い所、重いものは全て男性にお任せし、専らお宅の方とのやりとりや、
はずした換気扇の部品を外へ持ち出し、洗浄などの作業を受け持つ。
作業も進み、次第に会話も進み、
思いの他お話がたくさん出て、
仮設住宅に住む方のお話をていねいに受け止めたい、
作業の手を止め、しばしお話を伺う。

自治会が発足したものの、まだまだ住民同士の交流が進まず、
この仮設住宅は一人住まいの方が多く、
一日ほとんど人と会話をすることなく過ごす日も少なくないと言う。

他愛無いお話から始まり、時々ポツリと辛い胸の内を打ち明けられる。
1時間足らずの訪問時間は、あっと言う間に過ぎ、
「忘年会でまたお会いしましょう」と伝えて失礼をする。

次のお宅は、一人住まいのおばあちゃん。
3人でゴシゴシこすっていると、「手サ汚れてっから口開けろ」って、
キャラメルの包みを開いて3人の口に放り込んでくれました。
遠い昔の日、おばあちゃんからおやつをもらったことを思い出します。
「嫁に何でもやってもらったらたちまちボケちゃうから、こうして一人で頑張ってるのヨ」
独立独歩の精神は見習いたい。

次は男性の一人住まい宅。
先に終わった個宅のご主人が、隣の青年に、
汚れ防止にフィルターを貼るようアドバイスをすると、、
青年は、「早速、買ってくるっちゃ」
アドバイス先輩は、「午後から買い物に行くから買ってきてやるよ」
普段は、住民の方同士の会話もほとんどないそうです。

午前の作業が終わり、集会所に戻るとクリスマス会が間もなく始まるところだ。
夏の理科実験教室に来ていた元気な男の子達も顔を揃え、
にぎやかにクリスマス会が始まりました。
*Arearea*さんのピアノ伴奏に合わせて全員でクリスマスソングを歌い、
会長はじめ、自治会役員3名のサンタクロースがおもむろに登場し、
プレゼントを配り始めると、子どもたちは大喜び。
満面の笑みを浮かべながら一言、
「おんちゃん、サンタの髭が裏返しだっちゃ!」
会場内は、爆笑の渦。

午後も同様に個宅へ伺うと、、
「かながわさん待ってたよ、いつもありがとね。」と
一人住まいのご婦人が嬉しそうに出迎えてくれました。

「なんだかこの扉が閉まりにくくてね」
建具に詳しいWくんがちょちょいのちょいと調整。

そして作業の要領を覚えた頃が終わる時。
私たちお掃除班のノルマは全て終了した。 

夕刻からは、自治会主催の忘年会に一緒に参加させて頂いた。
十三浜甚句、そして遠島甚句とご当地の歌を聞かせて頂き、
旦那様の歌に合わせて踊る奥様の姿がとても素敵で…

次の部の*Arearea*さんのミニコンサーは、なんと
歌の大好きな方々にマイクを占領されてしまい、
その内大合唱に。

楽しかった時間もあっと言う間に過ぎ、仮設住宅を失礼する時間が来た。
昼間伺ったご婦人が「待ってっからね、また来てね」と駆け寄って来られました。
ハグしたら肩があまりにきゃしゃで驚いた。

さまざまな地域から集まるこの仮設住宅への支援の柱は、
「住民同士の繋がりをお手伝い」
手芸を楽しみながら、お茶っこサロンでおしゃべりしながら
仮設住宅に住む方々が互いに顔見知りになり、次第に繋がりを作っていく。

今回の企画もその目的は十分に果たせたのではないかと思います。

来月以降のプランは、今のところ立っていない。

自治会が軸になり、少しづつ人と人との繋がりが出来るよう、
不定期ではあっても、
また「かながわ」からお手伝いが出来る日を待ちます。











ボラバス94便

2012-05-26 20:46:46 | 東日本大震災

今日の石巻は、快晴で半袖で過ごせる陽気でした。

今回は、栄区から個人参加で炊き出しに参加されたSさんと共に仮説住宅にお邪魔しました。

集会所では、住民の方が前回よりも参加者が多く、
私の担当した手芸コーナーも午前中で材料が無くなってしまう盛況ぶりでした。
手の平に入る可愛らしいカエルさんを作って、皆さん大変喜んで帰られました。

 詳しくは⇒ http://ksvn.jp/blog/vol-bus33746.html

只今横浜まで弾丸で帰る途中、
終電に間に合うかな?
間に合わなければ、皆でスカイスパにお泊まりします。


仮設支援

2012-04-29 14:48:27 | 東日本大震災

 
                                                        <桜満開の石巻>

 月に一度を目標に細く長く、自分の出来ることを。
 ボランティアを始めて何時の頃からかそう思い、仕事と家事の合間に続けています。

 4月27日~28日、先月に引き続きKSVN・かながわボランティアネットワークの運営するボラバスに参加させていただきました。
 今回は、仮設住宅での支援活動と言うことで、これまでに経験をしたことにない支援内容に、事前研修は受けたもののちょっぴり不安を持ちながらの参加です。

 出発当日、仕事を終え(と言うか無理やり終了させ)、神奈川県民活動サポートセンターへ滑り込みで着く。
 受付、ネームプレートの準備、機材の運び込みなどを済ませ、定刻より早く出発。
 バスは、一路目的地の石巻をめざします。

 車内では、スタッフさん(この方達ももちろんボランティア)から日程の確認。そして参加者の自己紹介。
 遠くは千葉県松戸市や、足柄下郡山北町から参加された5人娘さん(間違い無く私よりかなり年上?)など、様々なところから そして、ガテン系活動班と違い年齢層にも幅がありますが、仮設支援と言うことで、女性が圧倒的に多い構成です。 偶然にも今日がお誕生日の62歳と40歳の二人の方へ、ハッピーバースデーを大合唱、バス車内はとっても和やかです。

 出発後約2時間、佐野SA着。かなり遅めの夕飯ではありますが、この際カロリーには目をつぶります。
 最近は、夜行での行き来にもすっかり慣れて、再びバスに乗り込むと即効睡魔が。

 午前4時、目が覚めると、石巻市北部にある道の駅、上品の郷(じょうぼんのさと)でした。暫し仮眠続行。
 午前7時半洗面、朝食を済ませバスは次の地へ。因みに上品の郷は入浴施設もあります。石巻を視察する政府のお偉いさんはここで休憩をしていくらしい。





 石巻市内、ひより山公園麓、海岸線に近いところです。
 この辺りは、震災当日津波が幾つも違う方向から襲来し、大きな渦が巻き甚大な被害が出た所だそうです。
 ここで営業していた方が何も無くなってしまったこの場所に、この大きな看板を立てたことは、地元たけでなくマスコミにより全国に知らされました。
 この場所に立たせていただき、犠牲になられた方へ黙とうをさせていただきました。


 
 きょうの石巻は、天候も上々、山沿いに建つ仮設住宅の周りは桜が咲き、春らしい長閑な田園地帯です。

 何処の被災地も仮設住宅は、かなり内陸部に入った所に立ち、市街地で生活をしていた方々にとっては、環境の激変は、新たはストレスを生んでいます。
 仮設住宅によっては、様々な地区から被災者が集まっているため、もともとコミュニティーが無い。仮設住宅によっては集会所すら無いところもあるそうで。やっと自治会組織ができても、意思の疎通が上手く出来ず、運営上の問題が起きたり“繋がりを作る”ことの難しさを感じ、自治会をまとめる方の疲労感も溜まりつつあるとのことです。
  
 

 私たちがおじゃました仮設住宅には、100畳ほどの広間と和室にキッチン・トイレの着いた集会所がありました。2か所の住宅に分かれ、オープンの時間までに手分けして荷物の搬入、セッティングを急ぎます。  

これって、チャンバラごっこをしている訳ではないんです。 ボランティアの中にバルーンアートが出来る方がいて、急遽講習会を開いているところです。<作って判ったこと>長さの配分が難しい!私は何度作っても胴長のダックスちゃんになってしまいました。(>_<)
で、右が講師の作ったプードルちゃん。可愛い!

 いよいよ「お茶っこサロン」開店時間。
 「楽しみにしていたんでがす」 と言いながらおばあちゃん達が笑顔で入って来てくれました。
 その一言に、緊張していた私たちの気持ちが一気にほぐされて~♪♪

 きょうは、お茶っこしながら手芸を楽しんだり、若手の歌手さんの歌を聴いたり歌ったり、山北町のお母さん、あ、いや5人娘さんのスティック体操を楽しんでいただきます。

 
 手芸は、スタッフさんのアイディアで用意された材料で、鯉のぼりの飾りづくり。
 完成品を見せると、創作への意欲を見せてくださり、さっそく生地選びに。
 みなさん、それぞれ創意工夫されて、リボンで吹き流しまで付けられ、なかなかの出来栄えです。

<鯉のぼり完成>

 若手歌手さんとの歌を楽しむコーナーでは、自治会長さんの目にも光るものが。
 そして参加された方々も、気持ち良さそうに歌われて♪
 歌声に誘われて途中から参加されるかたも♪

 午後からは、山北町の5人娘さんのスティック体操です。
 スティック体操とは、介護支援に携わる山北町のみなさんが考案した体操です。今日、この日の為に持ち込まれた体操用の紙製のバトンは、地元の平均年齢85歳の方が丹精込めて作って下さったものだそうです。
 私も、輪の中に入れて頂き体操に参加させて頂きました。
 椅子に座ったまま無理なく身体をほぐして~
 和やかに、歓声飛び交い~
 時間はあっと言う間に過ぎ終わりの時間に。

 「かながわさん、また来月も来るの?待ってっからね~」
 
 みなさんそう言ってくださり、帰って行かれました。

 
 バタバタと後片付け、原状復帰。
 石巻に着いて12時間後、ボラバスは横浜へと戻ります。

 今、被災地に入るボランティアの活動内容も多様化する中、果たしてそれが被災者の為に約に立っているのだろうかと疑問視することもしばしば耳にします。実際、地元の方から非難される様な団体さえあると聞きます。
 
 今回の仮設住宅への支援は、そこに住む方々に楽しんで、ゆっくりして頂くことが最終目的ではなく、その様な時間を過ごして頂きながら、仮設住宅に暮らす住民同士の繋がりを作るお手伝いをさせていただく、と言う目的が、この1日、いやほんの数時間の活動ではありましたが自分なりに理解できました。

 キャンセル待ち7番目、ラッキーにも繰り上げ採用で活動に参加させて頂き、貴重な体験をさせて頂きくことができました。スタッフのみなさんを初め、一緒に活動し、お世話になったボラ仲間のみなさんに心から感謝です。 

 
 また、来月 ボラバス乗れますように。 
 
 
 
  


 
   


 

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漁業支援

2012-03-25 22:28:39 | 東日本大震災

先日、かながわ東日本大震災ボランティアステーションの募集する災害支援活動に初めて参加しました。
この活動は、昨年の暮れにTwitterで知り合った方から情報をいただき知ったものです。

これまでの瓦礫撤去や床下の泥だし、掃除、引っ越しなどの作業が一段落し、
何れの地域でも、生活支援へと活動の内容が変わりつつあります。

事前研修で今回の作業は、漁業支援だとスタッフから告げられました。
私たちに漁業の手伝いが出来るのか?
果たしてそれが被災地の方々への支援になるのか?
素朴に疑問が浮かんだものの、兎に角参加して、体験してみようと思い当日を迎えました。
雨の中、県政センターの会議室には大勢の中に、同年代の参加者もかなりいてほっと安心。

私の参加したグループは、気仙沼行きのコース。
他には、石巻、そして山元町へと向かうグループが。山元町グループは、いちご農家への農業支援と
グループによって作業内容もさまざまの様です。

 気仙沼市は、唐桑半島。
 この写真は、猟師Sさんの自宅跡からの海の眺めです。
 湾内には昨年7月に広島から支援を受けて設置された竹の筏が整然と並んでいます。

 Sさんの番屋で詳しい説明を受け、さっそく活動開始。
 私達の作業は、牡蠣の養殖に使う縄の準備。牡蠣の「耳釣り」の作業。

 初めに縄の束から一定の縄を2人一組で切り、
 その縄の両端に結び目を作り、
 片方の結び目に、違う種類の縄を括りつけ、
 着け終わったら撓まない様にきれいに輪にして端を結ぶ。

 そうそう、後から思えばそれだけのことなのに・・・
 結び方が幾ら聞いても理解できず、 その内、教える方も「あれ、なんか変だな?」
 本当に、覚えの悪い私たち、かえってご苦労をお掛けしてしまい本当に恐縮で・・・

 次は、一定の長さの所に太いテグスを結びつける作業。
 「三日月の形のところに通して」
 「どれどれ?どこに三日月があるの???」
 「これじゃない?」
 「違いますよこっちでしょ?」
 もう理解して手が動くまでにどれだけ時間がかかったのか?

 そして次は、「牡蠣の耳釣り」作業。
 途中まで育った牡蠣は一旦離されて、
 もう一度筏につながれます。
 この繋ぎ方も、個数も、漁師によって皆違う。それぞれのこだわりがあるようで。
 
 「手を掛ければ掛けただけ牡蠣はよく育ってくれるのしゃ」


 そして、牡蠣がどれだけ育っているか、
 実際に船で筏の所まで行って見せていただくことができました。
 筏には、ずしりと思い縄が豊かな海に何本も着いていました。
 船のクレーンで引き上げられた縄には、牡蠣の殻が花が咲いたようにびっりしと着いていました。
 「これからもっと大きくなって、秋には食べてもらえるよ」
 漁師Sさんの笑顔がとっても素敵でした。

 やっと仕事を覚えた頃にはもう帰らなければなりません。

 私たちボランティアを受け入れる為の下準備に相当労力を使ったことだろうに。
 本当に申し訳ない気持ちでいっぱいの私たちに、
 ずっとずっと手を振って見送って下さったSさんご一家やHさん。

 「一日も早く生産活動を開始することこそが復興への近道なのっしゃ」
 「家内作業で細々と進めるゆとりはない。時間は待ってくれない。
 ボラっぺ(地元の方はボランティアをそう呼ぶそうで)さんが来てくれたおかげで捗った。」
 そう言って頂きましたが、
 本当の作業をするために、この活動を継続させていきたいと思いました。
 
 かなボラのスタッフの方、
 そして、現地でずっと活動している栄区の 通称ほっしゃん
 いろいろな方の支えがあって初めて
 自分たちの活動が成り立っている。 
 そのことに心から感謝です。

 

   
 
  
 

 
  

 


吉浜小学校

2012-03-21 00:12:27 | 東日本大震災

 先日、宮城県石巻市へ行って参りました。

 昨年定年退職し、翌月から一年近く被災地でボランティアをされているOさん。そして地元の方お二人の案内で、北上川の周辺を見せて頂きました。


 きょうは、その中で、河口近くに立つ吉浜小学校の状況を少しご紹介したいと思います。

 


 
 あの日、東北沿岸部に大きな被害をもたらした津波は、北上川にも溯上し、両岸の町を次々に襲って行きました。
 
 

 

        吉浜小学校の校舎は鉄筋の三階建てです。 はじめ、津波は6メートルと予想されました。
       けれども、実際の津波は、3階の天井まで達したそうです。

        幸い、校内にいた児童と教職員は、屋上に避難し全員無事でした。

       みるみる間に津波が階下から迫る中、屋上に出ようとしましたが、屋上出口は、
       施錠され扉が開きません。鍵は水没した一階職員室に・・・。
       若い事務職員がガラスを蹴破り屋上へと脱出に成功しました。

          教室の黒板には、あの日の日付がそのまま残され・・・・。

 

 

 

   窓枠がスッポリ抜け、天井もはがれ、
   床には教材や教具の残骸、そして砂が分厚く積り、建物の中のように思えません。

   音楽室にあったはずのピアノは流されて、
   何処にも見当たりません。
   

         ステンレス製の流しは、飴のように折れ曲がり、津波の威力が想像できます。



        

          屋上に避難し難を逃れたものの、水が引くまでは身動きできません。

          結局、雪が降りしきり凍てつく中を、救助を待ちながら屋上で一晩を過ごすことに。



         職員の中でたまたま一人の方がライターを持ち合わせ、
         そして、たまたま屋上に古い机の倉庫があったので、

                     
  
            ここで火を焚いて暖を取ることができたそうです。
                 

          

          

         
         
        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ここからできる支援

2012-02-25 21:05:20 | 東日本大震災

久しぶりの投稿です。

立春を過ぎても春まだ遠く ですが、

厳しい状況の中
被災地では、少しずつ生活が戻り、
ささやかな仕事も始まっています。

仮設のお母さん達は、集会所にミシンを持ち込み、毎日毎日せっせと筏につける砂袋を作っています。

隣の集落では、エコタワシや帽子・手袋などが次々に作られ、ネット販売も開始されました。

モノづくりを通じてお母さん達に笑顔が出ると、漁師のお父さん達にも元気が戻りつつあると聞いています。

今、全国の家庭に眠る毛糸・編み棒・ミシン・生地などが被災地を支援する「ふんばろう東日本支援プロジェクト」などの団体によって集められ、それらの物資は、ワークショップや生産活動に使われています。

その中で、地元の方々に暖かく過ごしてもらおうと「あったかsmile projekuto」が立ち上がり、ネックウオーマーや帽子・手袋の募集もありました。

冬季に入り、自己完結で参加するボランティアは、今の自分にとっては難しい状況にあります。

そのような中、手作りの作業は、仕事の合間に自宅で出来ること。 
短期間でしたが、同僚と二人でせっせと夜鍋仕事に励み、送り届けることができました。

そして先日、次なるお仕事の依頼が届きました。  嬉しいばかりです。


花を咲かせて

2011-11-20 06:41:22 | 東日本大震災
東松島市大曲浜。市内でも津波の被害が大きかった地区の一つです。
このお宅は、直せば住めるかもしれませんが、津波危険地域と言うことで再び住むことは叶いません。
家族の思い出の詰まったこの家を止むなく解体することになり…
間もなく壊されてしまうこの家に、家主の方の希望で地元の有志の手で花を咲かせたそうです。

支援物資

2011-11-05 07:23:27 | 東日本大震災

Twitterで出会った方に紹介していただき、先日南三陸町へ支援物資を送りました。
中に入っている物は、南三陸町のお母さん達が手仕事に使う毛糸です。
この他にセーターや手袋、コートなどの防寒用品の箱が3つ。
これらは、職場やお稽古仲間と一緒に集めたものです。
今週向かうボラ仲間に荷物を託しました。
被災地は、間もなく厳しい冬を迎えます。