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沖縄三線宮里道場☆

美ら島沖縄大使(沖縄県観光大使)ハイサイ!ウチナータイム!編集長
「書いて、話して、歌って」沖縄の魅力を発信してます😊

宮里青年物語*アジア編47

2010年03月28日 00時12分06秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 47 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

8時に旅行社に行き、宮里青年ら5人はランクルに乗り込みました。

パイナップルとケンと、簡単な別れのあいさつ。

縁があれば、2人とはカトマンズで会えるでしょう。

朝日を背に浴び、車は走り出しました。

ラサを離れると、きれいに舗装された道路が延々と続いています。

川が道路に添うように流れ、朝日でキラキラ輝いています。

その景色はとても美しいもので、楽しい気持ちで外を眺めていました。

カーステレオからディープフォレストの曲。

ただ、一台の車に運転手を含め6人が乗り込んでいるので、後部座席は窮屈です。

なので、ときどき助手席と交代して、それぞれがのびのびと座るようにしました。

ヤムドク湖までの道はスリリングでした。
どんどんのぼっていきます。

ヤムドク湖を一望できる峠は5000mほど。

いまや宮里青年は、この高度でも平気です。

車はヤムドク湖の湖畔を走ります。

とても青く美しい湖です。

聖湖ヤムドク湖。

車は神々が住む、チベットという土地を走っています。

宮里青年は、いま自分が地球の上を旅していることを実感するのでした。


つづく



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【 沖縄三線宮里道場/三線教室 】
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宮里青年物語*アジア編46

2010年03月27日 09時01分31秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 46 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

宮里青年もいよいよラサを離れることにしました。

ランクル(トヨタのランドクルーザー)を運転手付きでチャーターします。

ツアーオフィースで申込みます。

日程は4泊5日。900元。

メンバーは
・キャサリン(英国)
・パスカル(オランダ)
・デニー(香港)
・ジョージ(大阪)
・宮里青年(沖縄)

の5人。多国籍チームです。

宮里青年、英語はたいしてできないのに、この仲間とは気があったのでした。

この日は必要な荷物の用意にあてました。

夜のランチのときに、流しのチベタンギター弾きがやってきました。

ラサでの最後の晩がふけていきます。

いよいよ明日ネパールに向けて旅立ちます。


つづく



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宮里青年物語*アジア編45

2010年03月26日 09時55分45秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 45 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

朝、ヤクホテルの前にランクル(トヨタのランドクルーザー)がとまっていました。

ヒロゾウとエージ、トンガリがチャーターした車です。

ネパールに行くには、列車はもちろん、バスもないので、クルマをチャーターするしかありません。

3人を乗せたランクルは、ゆっくりと走っていき、とうとう見えなくなりました。

一緒にいたのは1週間ほどでしたが、
昔からの知り合いのように感じます。

またどこかで会えるといいなぁと、宮里青年は思うのでした。

見送ったあと、ケンと八廊珈琲に。

ここはネットカフェでした。

約11年前のこのころ、まだ日本でもインターネットはさかんではありません。

通信費も高かったですからね。

しかし世界中から旅行者が集まるチベットには、
ネットカフェがありました。

一時間使用して40元。

hotmailでメールアドレスを初めて取得。

日本語入力ができないので、ローマ字で文章をつくっていきます。

便利な世の中になったなぁと、天空の街で思うのでした。

宿に戻ると、西安で会った田口くんがいました。

その夜は、再開を喜び乾杯をしました。


つづく



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宮里青年物語*アジア編44

2010年03月25日 00時54分19秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 44 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

宮里青年、ラサの街を楽しんでいます。

昼はヤク丼を食べにタシレストランへ。
10元。

ちょっと高いですがけっこう美味しくて満足です。

お土産屋さんがたくさんあり、歩くたびに身につけるアクセサリーが増えていきます。

パイナップル(日本人の旅行者)が、退院してきました。

退院を祝い、みんなでパーティーです。

香港人のデニーが注文してくれるので、
どんどん美味しそうなご馳走が出てきます。

チャン(チベットのお酒)もボトルで出てきました。

ボトルといっても灯油が入っていそうな一斗缶ですが。

気を利かしたひとりがパイナップルを買ってきて、
パイナップルびらきをしてまた笑いが。

いつまでも続く楽しい宴会。

健康と旅の安全を願い、乾杯を繰り返すのでした。


つづく



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宮里青年物語*アジア編43

2010年03月24日 00時20分27秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 43 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

宮里青年、ラサでのんびりしています。

東大生のケンとコーヒーを飲んだ後、朝食を食べに出かけました。

食べたのはお粥と包子。

3月で気温は低いのに暖かく感じるのは、紫外線のせいでしょうか?

そういえばチベットの人たちには、白内障が多いのだとか。

大気がやはり薄いのです。

Tシャツすがたの宮里青年、のんびり洗濯をしました。

空気が乾燥しているので早く乾きそうです。

ポストカードを書いたので、郵便局まで。

この道を歩くと、いつも闇両替屋に声をかけられます。

途中お昼ご飯に入ったお店で、宮里青年が撮った写真を漢民族のおばさんに見せ
ると、イヤな顔をされました。

そこに写っていたのはチベットの子ども達。

よくお店に物乞いに来るのだそうです。

悪い人ではないのですが・・・。

ホテルに戻ると掲示板にメッセージがあります。

近々ダライ・ラマ14世が亡命して40周年の日が近づいているので、
デモがあっても参加をするなといった内容です。

やはりここはチベットです。

病院にパイナップルの見舞いに行くと、
どうやら明日には退院できそうです。


つづく



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宮里青年物語*アジア編42

2010年03月23日 12時33分37秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 42 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

宮里青年はポタラ宮のツアーに参加しました。

40元。ちょっと高いですが、それだけの価値があります。

標高が高く、空気も薄い天空の宮殿です。

急な坂と階段は、ぜぇぜぇと呼吸を乱しながら歩いていきます。

ポタラ宮から街並みが一望できます。

同行のエイジが、これは天下をとった気になるなぁと言っていましたが、
たしかにそうだなぁと宮里青年も思うのでした。

英語の解説なので宮里青年にはほとんど理解できていないのですが、
なんとなくわかる気がします。

本物を目の前にしているからこそ感じられるものがあります。

しかし主のいないポタラ宮は、まるで博物館のようでした。

人が住まない家は家ではないように思います。

それでも五体投地を繰り返すチベットの人たちに、
信仰というものを考えさせられるのでした。

夜はみんなで部屋で酒盛りです。

チベットのお酒 チャンはアルコールが低いらしく、ガバガバ飲めました。

宮里青年は三線を弾いて盛り上げました。

飲めば飲むほど上手くなると言われて、調子に乗っちゃってる宮里青年なのでした。



つづく



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宮里青年物語*アジア編41

2010年03月22日 00時13分18秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 41 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

ラサに着いた翌日、宮里青年はCITSのツアーに参加しました。

午前中はデプン寺へ。

デプン寺はラサから少し離れたところにありました。

ツアー客は少なく、チベットの人たちがたくさんいます。

空は紺碧、大気の薄さを感じさせ、
ヤクバターの香りがし、たくさんの仏画がありました。

ツアーに参加したのは9人。

ゴルムドからの宮里青年をあわせた5人と、
キャサリン(埼玉で英会話の先生をしていた英国人)、パスカル(オランダ人)、デニー(香港人のDJ)、と名前は知らないがスロバキアのひと。

お昼に初めてバター茶(プージャ)を飲みました。

バターとお茶に塩で味がととのえられています。

甘くはなく宮里青年好みです。

ツアーから帰ると、みんなでパイナップルが入院している病院へ。

パイナップルは意識を取り戻していました。ひと安心です。

お見舞いの品は、バナナとリンゴとクッキーと・・・

しばらくラサに滞在します。


つづく



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宮里青年物語*アジア編40

2010年03月21日 00時17分34秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 40 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

バスはラサに着きました。

高山病の症状で意識が朦朧としているパイナップル(日本人の旅行者)を、
急いで病院へ連れて行きました。

入院させましたが、朦朧としているのに体力があるので(大学のラグビー部でした)、
聞き分けが悪くおとなしくベッドに寝てくれません。

とうとうヒモでしばられて、拘束されてしまいました。

また見舞いに来るからと、宮里青年らは病院をあとにしました。

ガイドブックに出ていたヤクホテルに泊まることにし、
荷物をおろしてようやくひと息つきました。

一泊20元。

チェックアウト時に支払います。

シャワーを浴びて洗濯をすませ、すっきりしたところで外出。

行き着いたのはポタラ宮です。

日が傾き始めたラサの街に、白くそびえる巨大な宮殿が宮里青年の目の前にあります。

いま自分はチベットにいることを実感するのでした。


つづく



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宮里青年物語*アジア編39

2010年03月20日 08時27分50秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 39 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

バスは遅れを取り戻すように走りつづけ、激しく上下に揺れています。

同乗のパイナップル(旅先で会った日本人の旅行者)の具合が本格的に悪いらしく、
座席からすべり落ちそうになっています。

しばらくすると彼は立ち上がり、フラフラとバスの扉まで歩いていきました。

バスは停まり、彼は降りていきました。

心配になった宮里青年らが追いかけると、
彼は失禁していて意識がモウロウとしています。

嫌がる彼を連れ戻し、バスは再び走り始めます。

宮里青年らは早くラサに着いてくれ、
なんとか無事でいてくれと祈るような気持ちです。

昼の11時にラサに着きました。
とても長い時間に感じました。


つづく



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宮里青年物語*アジア編38

2010年03月19日 12時59分32秒 | 宮里青年物語*アジア編
【 宮里青年物語*アジア編 38 】

三線を持った宮里青年の、アジアの旅のお話です。

1999年3月の旅の記録。

夜があけました。

しかしバスはいつまでたっても出発する気配がありません。

乗り合わせた中国の人に聞くと、どうやらバスは故障してしまい、
かわりのバスが到着するのを待っている状態なのでした。

仕方がないので、バスから降りてあたりを散歩。

宮里青年は高山病の症状はないようでした。
それでも息苦しさは感じます。

このあたりは高度が4000m近くあります。
富士山より高いのです。

同乗しているヒロゾウとパイナップルがつらそうです。

心配した中国の人が高山病に効くからと、ブドウ糖をくれました。

新しいバスが到着したのが夕方6時。

悪路を行くバスは、船のように大きく揺れます。かなりの苦行です。

バスの中で二日目の夜を迎えました。


つづく



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