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岸惠子さんの名言は自分流に生きる勇気がもらえる!

2021-07-07 13:30:00 | 日記

下記はハルメクWebからの借用(コピー)です

日本を代表する名女優、岸惠子さん。ジャーナリスト、作家としての顔も持つ岸さんは、88歳の今も、精力的に表現・発信し続けています。岸さんの軸にあるのは「自分らしく」を貫く生き方。岸さんの折々の言葉には、50歳からの生き方のヒントがあります。

「私の人生負け続き。だからこそ」
「私は2020年8月に88歳になりました。本当に長いこと生きてしまって、今さら“生きる”ということを語るのも照れくさいのですが、私はいつも一生懸命生きてきたつもりです。ごまかしのない自分の生き方をしてきたと思うし、それはコロナがあろうとなかろうと同じことです。
何年も何年も負けを重ねて、苦労を重ねていくうちに、私は負けてもめげない力、そして負けた中から何かを学び取る力をつかみとっていたんです。つまり、負けても負けたままではいない、“負けて勝ちをとる”技をどこかで拾っていたんですね。それで気が付いたら、したたかに強い女になっていました」
これは、2020年8月に雑誌「ハルメク」でインタビューをしたときの岸惠子さんの言葉です。スポットライトを浴びて輝かしく歩んできた岸惠子さんの「負け」という意外なひと言に驚きます。
 フランスで結婚・出産・離婚…岸惠子さんの人生
写真=『岸惠子自伝――卵を割らなければ,オムレツは食べられない』(岩波書店刊)より
岸惠子さんは1932年8月横浜に生まれ、19歳で女優デビューしました。21歳のときに主演した映画「君の名は」が大ヒット。一世を風靡した「真知子巻き」をご存じの方も多いのではないでしょうか。
スター女優となった岸さんは24歳のとき、フランス人監督で医師でもある11歳年上のイヴ・シァンピさんと結婚します。日本人の外国への個人旅行がまだ禁止されていた当時、岸さんは一人、プロペラ機で50時間かけてフランスに渡りました。のちに41歳で離婚しますが、それ以降も40年以上にわたり、異国の地パリで一人娘と共に暮らしました。
写真=『岸惠子自伝――卵を割らなければ,オムレツは食べられない』(岩波書店刊)より
フランスで過ごした日々のことを、岸さんは次のように語っています。
「日本とはまったく歴史も文化も精神も違う、とにかく成熟した大人の国だったわけです。私は、カルチャーショックなんて簡単な言葉では言い尽くせないほどの非常に強いショックを受けました。
そして、長いこと鎖国をしていた東海の島国で育った女は、ヨーロッパで国境をせめぎ合って生きてきた、したたかに強い人たちの中では、やはり負けてしまうんですね。負けの中には、無防備だったための「失敗」もあります。
パリで結婚、出産、離婚を経験する中で、こんなことがあった、あんなことがあったというのは、とてもしゃべり切れませんけど、とにかく私は負け続きでした」(雑誌「ハルメク」2020年11月号より)
フランスで暮らした40年余りの間にさまざまな国を訪ね、キャスターとしてジャーナリストとして作家として、世界に発信する仕事をしたことも、岸さんにこう言わしめているように思います。
そしてまた、、自然体でまっすぐな心が言葉に表れていて、はっとさせられます。
私たちは50歳を過ぎて人生後半を意識するとき、さまざまな不安を抱き始めます。岸惠子さんの言葉には、時に共感でき、時に励まされるものが数多くあります。それは不安を認めながら前に進むための「人生を自分流で生きる心得」です。雑誌「ハルメク(旧いきいき)」のインタビューで登場した岸さんの数々の言葉を通して、人生のヒントを探っていきましょう。「苦労話として思い出すより、蓄積されて今日の自分になったと思う方がいい」
最初は、困難や苦労をどう乗り越えるかに対する、岸惠子さんの言葉です。
「夫と別れてから約30年もの間、一人で生きてきましたが、いろいろなことがありながらも少しずつそれらが自分の中に蓄積されていき、今日の自分になったのだと思う方が、苦労話として思い出すよりもずっと精神的にいいのではないかと思っています。だから、過去のことをぐちぐち言わない」(2005年4月号「いきいき<現ハルメク>」より)
1999年、日本に帰国して一人暮らしとなった岸惠子さんが、フランスで離婚後にシングルマザーとして暮らした頃を振り返って語った言葉です。さらに、こうも重ねます。
「苦しいことにめげて倒れそうになっていると、もっと大きな苦しみが怒涛のように押し寄せてくるもので、そうすると昨日までの苦しみが『なんだ、あれぐらいのこと』と思えるようになります。人生の困難とは、きっとそんなふうに乗り越えるものなのだと思います」
今の自分を肯定しながら、悪い時も後で振り返れば大したことはないから……と、背中をたたかれるような言葉です。
 「人生の終盤に虹が立つような華やぎがあってもいいんじゃない?」
撮影=中西裕人
続いては、「シニア世代」と世間が決めつける概念やイメージとの向き合い方。
岸惠子さんは2013年に、小説『わりなき恋』を発表しました。60代の女性主人公が50代の男性と恋に落ちる大人の恋の物語は話題となり、28万部のベストセラーに。『わりなき恋』で描きたかったことについて、こう語りました。
『高齢者の問題となると一気に孤独死や人間の残骸かと思われるような映像ばかりが出てくる。そういう現実はあるにしても、それではあまりにも暗すぎる。人生の終盤に虹が立つような華やぎがあってもいいんじゃない? 男も女も年齢とともに体も精神も変わっていくものです。そうした中で、若さから遠ざかった人たちにもそれなりの情熱があるはずだ。それを書いてみようと、思いました』(2013年7月号「いきいき<現ハルメク>」より)
岸さんは、続けて「50だからといって何かを諦めるなんてもったいないことです」、「平凡な日常の中にも、ふっと非日常なことが起こることがある。それをパッとつかんでしまえばいい。もしかしてそれが災いをもたらすかもしれないけれど、それもありでしょう」とも語ります。
「もう〇歳だから」などを理由にして、つい諦めていたことはないだろうか……。日々の小さなことが、これからも人生の新しい扉を開く可能性がある、そう思うと一日一日がいとおしく思えてきます。
>>岸惠子さんの激励!「50代、60代これからが華という時代」インタビューの続きを読む「私は若く見えているんじゃなくて、気持ちが若く老いて見えないだけ」
撮影=中西裕人
岸惠子さんは、よく「若く見える」と声を掛けられるそうですが、それを好意的には受け取れないと話します。見た目を「若い」と言われて喜ばない理由とは何なのでしょうか?
「私にだってしわは売りたいほどあるし、年を経て失ったもの、衰えたものもちゃんと認識しています。ただ、めげないように、へこたれないように生きてきたんです。今までの私の人生、というか現在進行形でも、艱難辛苦(かんなんしんく)は並大抵のものではなく、でも必ず、どこかから湧き出てくる力があって自分で処理してきました。(中略)だから、私は若く見えているんじゃなくて、気持ちが若く、老いて見えないだけなんです。
それを『いつも若く見えますね! 秘訣は何ですか?』なんて言われると、“そんな簡単なものじゃないよ”と、ついたんかを切りたくなります」(2020年5月号「ハルメク」より)
見た目の若さに執着するのではなく、ひたむきに生きることが、輝くエネルギーの根源なのだというメッセージが胸に響きます。「湧き出てくる力」は岸さんに限ったことではなくて、私たちも持っているはず、と思えてきます。
>>岸惠子さん「若く見えると言われても簡単に喜ばない」インタビューの続きを読む「友達は女が一人、男が一人居れば十分ということです」
撮影=中西裕人
岸惠子さんの一日は、書斎で過ごす執筆時間がほとんどなのだそうです。朝食も自分で用意し、夕食もたいてい一人で食べています。いろいろなことを考えたり、何かを読んだりしながら自由に一人で食べるのが好きだから、と話します。「一人」を上手に楽しんでいる様子が伝わってきます。
「友達は、女に一人、男に一人、そして離れて暮らす家族がいればいい。そう思っていれば気が楽ですよ。
人間は、生まれてくるときも、死ぬ時も一人でしょう。だから“結局は一人”という自分と向き合って暮らしていく方が私はいいと思うし、それが心地いいんです。
孤独をネガティブにとらえてしまったらおしまいです。人に頼らず、自分の生活をきちっと営んでいけること、それが孤独ということです」(2019年4月号「ハルメク」より)
人生後半は、ある意味「孤独」とどう付き合っていくかが課題になるもの。岸さんは、孤独の先にある「自由」を、自分らしくすがすがしく生きていきたい、と話します。捉え方一つで、孤独は、自由で自分らしい、あたたかな時間になり得ます。



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