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岸惠子さん コロナ下の覚悟「孤独を自分に取り込め」

2021-05-07 13:30:00 | 日記

下記の記事は日本経済新聞on-lineからの借用(コピー)です

「家族の形や死への覚悟が試されている」「孤独を自分に取り込め」――。女優でエッセイストとしても活躍する岸惠子さんがコロナ禍における新たな生き方を提唱している。日本経済新聞に連載した「私の履歴書」に加筆した自伝も5月1日に刊行。国際結婚や離婚などを経験してきた岸さんに生きがいや死生観について聞いた。
――新型コロナウイルスの感染拡大で人同士が接する機会が大幅に減りました。
「パリに何度か渡航する予定でしたが、コロナ禍が重なり、キャンセルせざるを得ませんでした。だから、2018年秋以来、パリに住む娘夫婦や2人の孫たちにもずっと会えていません。かなりのストレスですが、仕方ありません」
――「孤独に取り込まれるな」「孤独を自分に取り込め」と主張していますね。
「孤独に取り込まれるから寂しくなるんです。むしろ孤独を自分から積極的に取り込んでしまったらどうでしょう? 孤独の裏にある自由を楽しんだ方がいい。人間は生まれるのも死ぬのも所詮は独り。何事にも必ず終わりが来るものです」
「私の場合、家族は娘夫婦と孫たちの4人。私が祖母になったとき、娘の家族とはある意味で決別しないといけないと悟り、生活の拠点をフランスから日本に移しました。孤独を道連れにすることにしたんです。人の移動が難しいコロナ禍の今、家族の形も含めて、そんな覚悟がこれまで以上に試されている気がします」
――人生に後悔はありませんか。
「生きたいように生きてきたから、後悔はありません。後悔するなんて傲慢だとさえ思う。今、家族で集まっても、会話はフランス語か英語で、日本語を話す機会もない。でも自分が生きてきた結果だから、現実を受け入れるしかない。それでいいと思っています」
――どんな死生観をお持ちですか。岸さんにとって理想的な死に方とは。
「医療が進歩して人生100年時代と言うけど、家族や介護してくれる人がいなければ、独りだけで100歳まで生きるのはやはり簡単ではない。本当にやりたいことがないなら、さっさとあの世に旅立った方が幸せかもしれない」
「でも私は突然、ポックリ死ぬのも嫌。どうせ死ぬなら、自分がどう死んでゆくのか、その感覚も分かって死にたい。1週間程度かけて、死という風景を眺めながら最期を迎えるのが理想です」
――いかにも好奇心旺盛な岸さんらしい考え方ですね。「私の履歴書」や自伝で描いたお母さんの最期も印象的でした。
「母は父に先立たれ、闘病しながら『惠子が独りになるから長生きしなければ』と言い続けていました。だから『お母さん、いつ死んでも私は独りで大丈夫。自分のために生きて』と伝えたんです。他人が聞けばギョッとするような言葉だったけど、母は不思議にすがすがしい顔をしていた。そして国連の仕事でアフリカに旅立つ私を『あなたは私の誇りよ』と笑顔で見送ってくれた。それが母の最後の姿。仕事で死に目には会えなかったけれど、心はしっかりつながっていたと思います」
――自伝の装丁は一人娘デルフィーヌさんが手がけたとか。「岸惠子自伝」。装丁は一人娘デルフィーヌさんが担当した
「私が結婚を決めた際、元夫に言われた言葉『卵を割らなければ、オムレツは食べられない』を副題にしたので、娘は『分かったわ』と言って、私の顔が割れたデザインを考えてくれました。面白い発想でしょう。『顔を切り刻むなんて、実の娘でなければできない』と周囲から言われています」
――でも娘さんは、岸さんが出演した映画作品をまったく見ようとはしないそうですね。
「私の仕事が離婚の一因になったので、娘は映画のことを疫病神だと思っているかもしれない。『絶対に女優にはならない』とも言っています。でも私の映画は見なくても、私の本は読んでほしい。だから自伝を娘が装丁してくれたことはすごくうれしかった」
――結婚、離婚についてどう考えますか。
「世間は離婚を『バツイチ』と言うけど、私は『マルイチ』と言いたい。結婚も離婚も私にとっては完結したもの。大切な歴史ですから」
――不倫にはどんなご意見ですか。
「不倫? 世間やメディアが騒ぎすぎじゃないかしら。男女が出会い、引かれ合ったら、仕方がないこと。基本的に当事者同士が解決すべき問題。社会的制裁を科すなんて滑稽に思います」
――今の日本にメッセージを。
「日本は悪癖より美質が多い国だけど、日本人は平穏に浸って『鈍』になりすぎている。特に若い人は大切なものを破ってでも未知の世界に足を踏み出す勇気を持ってほしい。そう願っています」
(聞き手は編集委員 小林明)
きし・けいこ 1932年横浜生まれ。高校在学中に松竹にスカウトされて映画デビュー。「君の名は」「亡命記」「雪国」などに出演。57年フランスの映画監督イヴ・シァンピさんと結婚するために渡仏。63年一人娘デルフィーヌさんが誕生。76年離婚。



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