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私の福祉の原体験 女優:秋吉久美子さんと鎌田實さん会談

2021-09-02 15:30:00 | 日記

下記はヨミドクターオンラインからの借用(コピー)です

長野県諏訪中央病院名誉院長:鎌田實さん
東京医科歯科大学卒業。35年間、長野県の諏訪中央病院で地域医療に携わる。

女優:秋吉久美子さん
静岡県生まれ。1974年に、映画「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」に出演し、一躍、時代を担う女優として注目された。  

社会福祉委員長として活動
 ――秋吉さんは、中学生のころから、福祉に興味をお持ちだったんですよね。
 秋吉 なぜか社会福祉委員長というポジションを与えられたんです。
 鎌田 すごいまじめそうな名前ですね。

 秋吉 子供のころから、通信簿に正義感が強い子だって書かれていたんです。張り切ってベルマークを集めて、十何万円もためて、お菓子を買って、老人ホームに慰問に出かけました。ほんとうに単純で、『小公子』とか、『小公女』とか、『家なき子』とか、『フランダースの犬』とか、そんな本で頭がいっぱいなんですね。その先にあるものが社会福祉。老人ホームの慰問では、肩をもんで、話し相手になれば、おじいちゃん、おばあちゃんに喜んでもらえると思っていたんです。
 ある日、社会福祉委員たちと一緒に、張り切って出かけていきました。そうしたら、おじいちゃん、おばあちゃんたちに囲まれ、手を握られて、おじいちゃんが決してはなしてくれないんです。どうやって動いていいかもわからないし。とても恐怖で、ほんとうになすすべがありませんでした。
 鎌田 うん。わかる、わかる。
 秋吉 先生のご本を読ませていただきましたら、若い時に、ヨシばあさんに、いきなりおチンチンをさわられるお話が出てきて、ユーモアを交えて書いていらっしゃるんですけれども、当時の私にしたら……。 私の頭の中にいっぱい広がっていた、おじいちゃん、おばあちゃんを助けてあげたり、話し相手になったりして、満足いっぱいで帰ってくるという、子供の夢のようなものが一挙に崩れ去ってしまいました。それが私の福祉の原体験なんです。
 鎌田 指導役が十分ではなかったですね。 
 秋吉 そういうときには、先生方が手取り足取り、もう少し指導してくれていたらと、今、思うんです。
 鎌田 指導してくれていたら、看護の世界とか、医療の世界に行っていたかもしれない。
 秋吉 それとは違ったと思います。(笑)
人肌が恋しかったおばあちゃん
 鎌田 おチンチンの話は、『がんばらない』という本の中に出ていますが、僕がまだ青年医師だったころに、狭心症のおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんは家族の中でちょっとぎくしゃくしていることがあって、うまくいっていなかったんです。その寂しい思いもあって、何となく人肌が恋しかったのかもしれないんですけれども、初め、僕のひざ頭ぐらいをさわり出して、徐々に、徐々に奥へ入ってくるわけです。初めは何かおかしいな、もちろん嫌だなと思った。
 あるとき、僕が出張か何かでいなかったんです。おばあちゃんは、ちょっと触れることで精神の均衡を保っていたと思うんですけれども、僕がいないときに代診が出て、そのドクターは絶対にそんなことはさせません。そうしたら、おばあちゃん、その夜、狭心症の発作が起きてしまったんです。ああ、そうか、まあ、変な言い方ですけれども、注射よりも僕のおチンチンのほうがいいのかなと思って、少しだけならいいかと思っているうちに、看護師さんがクスクス、クスクス、どうも鎌田先生はさわられるのが嫌いじゃないんじゃないかしらと。それは、僕が何となく体を張って治療をしていたと、ちょっとおもしろおかしく書いたんです。
 ある時期、おばあちゃんの問題が解決するんです。家の中の風が変わると、そんな必要がなくなるわけです。よくお話を聞いてあげれば、ニコニコして帰っていくようになるんです。人間、ちょっと肌と肌が触れ合うことが大事なときがあるのではないかと、僕は青年医師、26、7歳になっているから、まだ耐えられたと思うんですけれども、秋吉さんはまだ中学生で、しかも女の子だものね。
 秋吉 中学生で、女の子で、思春期ですからね。
 鎌田 とてもショックでしょうね。
 秋吉 とてもショックでした。
 鎌田 おじいちゃんにとってみると、家庭とうまくいかなくて施設に入っていて、だれも来てくれなくて、寂しくて寂しくてというときに、将来のセクシー派女優の卵が来たわけですから。
 秋吉 あの時から道は開かれていたんですね。(笑)
肌と肌が触れあうことは大切だが…… 
 鎌田 僕たち、医療とか福祉をしていると、やっぱり肌と肌が触れ合うというのはすごく大事だと思いますけど、どこまでの線が許されるのかって結構微妙なところですよね。ベテランの看護師さんたちは、手を握るぐらいのところで、ほんとうに上手に患者さんの満足を得てもらうわけです。やはり人間と人間が、肌と肌が触れ合うことって、すごく大事なことですよね。老人保健施設などでは、このごろ男性の介護士が多くなってきて、イケメンの男性介護士がいると、おばあちゃんがちょっと元気になったりしますよね。
 だから、幾つになっても人間にとって異性とかに対する何となくの気持ち、ほんわかした気持ちは大事で、そのほんわかした気持ちを、上手に背中を押してあげれば、生きる力にもなっていくわけです。人の役に立ちたいと思って、ボランティア精神を持っている若い子たちが、そこでつまずいてしまわないように、周りの大人たちは考えないといけないということですよね。
 秋吉 そうですね。看護師さんも難しいと思うんです。どこまで患者さんを受け入れるかって、プロの心得みたいなものはあるんですか。
 鎌田 あまりはっきりしたものはないですね。やはりちょっと困った行為が病棟で出る場合があって、そういうときは看護部長が出ていって、少しやんわりと注意をさせてもらうと。
 秋吉 やんわりと。
 鎌田 やんわりと。それでおさまることが多いですね。でも、ベテランの看護師さんたちは、ほんとうに上手です。肌に触れたい、手を握っていたいという気持ちを、病気を治していく一つの武器に使っていることは多いですよね。おばあちゃんとお話しするときに、手を握ってあげながら話を聞いてあげると、気持ちがふんわかしてくることってよくありますよね。僕は61歳で、80歳のおばあちゃんにとってみればちょっと若い人で、手を握ってもらうことで喜んでもらえる。意思が通じ合っていくと、病気をよくしていく同じ仲間みたいになっていくことができますよね。
病室の空気が大事
 鎌田 病室の中の空気というかな、温かな空気があるかどうか、そこに行き交う言葉が、お互いを大事にし合うような優しい言葉かどうかとか、言葉とか空気ってすごく大事だと思います。朝、病室へ入っていくときに、「おはようございます!」という元気な明るい声があるだけでホッとするけれども、難病とかがんになって、すごく不安に思っているときには、あまり明るい声で話しかけない。ふだんは目線を合わせて話すように心がけるんだけれども、何か大事な話をするときは、目線をわざと外してあげて、2人で病室の窓の外の景色を見ながら話していると、ポツポツと自分のことを、気になっている病気のこととかを話し出してくれて、それはこうだよと話してあげる。
 僕なんかは、病室のベッドで横に座らせてもらって、患者さんと肌が触れ合うか触れ合わないか、体温を感じるか感じないかぐらいのポジションで、景色を見ながら話していると、結構いい話ができる。それで、患者さんの不安感を、大丈夫だよ、一緒に治そうねという話に持っていくと、一気に翌日から元気が出てきたり、笑顔が出てきたりするということがありますよね。ですから、言葉とか空気ってすごく大事なことだと思いますね。
 秋吉 今の先生のご意見を聞いても、ご本を読ませていただいても、結局、先生が一貫しておっしゃっていることは、儒教で言う「仁」、「愛」ということですよね。先生は、「医は仁術」ということをずっとおっしゃり続けているんだなと感じます。
 ほんとうにお医者様というのは、修理する人ではなくて、心というか、愛とか、そういうものがあってこそではないかと思います。
 鎌田 人間が生きていく上で、医療とか福祉とか介護は大事で、特に医療は治すことが95%ぐらいでものすごく大事なんだけれども、人間は年をとるし、いつか死んでいくというのが定めですから、だとしたら全部の人を治し続けられないですよね。治せないときに温かな医療がないというのはとてもつらいことじゃないか。それから、命は救ってくれたんだけど、手足が不自由というか、右手足の麻痺(まひ)が残って生きざるを得ない人の悲しみを、今の医療はきちんと聞いてあげてないですよね。障害を持ちながら生きる人たちが、それでも生きていてよかったと思うためには、何か、ほんのちょっと温かさが必要なんじゃないかと、いつも思っているんです。  



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