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おニャン子クラブ新田恵利 92歳の母と「明るい介護生活」送る秘訣

2021-04-09 15:30:00 | 日記

下記の記事は日経ARIAからの借用(コピー)です

「おニャン子クラブ・会員番号4番」でデビューした新田恵利さんも早やARIA世代。アイドル時代と変わらない笑顔で、92歳のお母さんの介護を続けています。7年目になる介護生活から得た、日々明るく過ごす秘訣を聞きました。
 新田恵利さん(以下、恵利さん)は現在、TV・ラジオ出演や講演などタレント活動をしながら、神奈川・湘南の二世帯住宅の1階に暮らす92歳の実母を介護している。介護生活は7年目に入った。
 「私は母が39歳のときに生まれたので、同世代より少しだけ早く介護が始まりました。最近ようやく周囲でも本格的に介護に直面する人が増えてきましたね」。当初は戸惑いや悲しみ、つらい気持ちもあったが、ここ数年で意識は変わってきたという。「『これって自分のためにもやっているんだなぁ』と思えるようになってからすごく楽になりました」
母が骨折で入院、突然介護生活が始まった
 介護が始まったのは2014年の秋のこと。
 「母が腰の圧迫骨折で入院しました。85歳でしたからそれなりの年齢でしたが、それまでは自宅の階段を上り下りして、割烹(かっぽう)着で動き回り、私が仕事のときは2匹の愛犬の面倒を見てくれていました」。ところがその入院をきっかけに、急に認知症状が出るようになってしまったという。
 「約30年前に亡くなった父のことを『今何しているかしら』なんて言い出して……。たった20日間の入院でこんなに母が弱ってしまうなんてと、ショックと悲しみにくれました」
 いきなり始まった介護生活。介護仕様の住まいにするために家の中の衣類などを片付け中、(母のトレードマークの)割烹着をたたみながら涙があふれたこともあったそう。だが「私は、大丈夫」「たくさんの人が介護を頑張っているんだもん。私も頑張るしかない」と前を向いた。
長い時間を過ごす場所を明るくする工夫
 「同居する兄と交代で母を見て、普段はヘルパーさんはお願いせず、入浴はデイサービスを利用しています」。車いすを使う生活だが、要介護度は4から3に改善した。
 ところが20年の夏に、転倒したのをきっかけに2週間入院。「一時は、終末期となるかもしれないと覚悟をしました」というほどだったが、本人の強い精神力と家族の支えでみごとに回復した。「現在はベッドの上での生活が中心となってしまいましたが、母は食欲も旺盛で、ユーモアもたっぷりです。11月の誕生日には、私が作ったアップルパイを笑顔で完食してくれました」
 「たまには、母にも我慢してもらうこともあります」と恵利さんは言う。「みんなの手が追いつかなくて母が一人になってしまうときもありますが、母にはちゃんと言葉で伝えて、自分がそのことで罪悪感を覚えないようにします」
 ベッドの上で長い時間を過ごす生活を、明るくする工夫もよく考えるという。
 「例えば枕カバーを明るいピンクの花柄模様のものに替えたり、かわいいイラストのトレーナーを着てもらったり、取っ手が持ちやすくておしゃれな食器を買ったり……。日々のささやかなセンスで、圧倒的に楽しい1日が作れると思います」
 そんな恵利さんが7年にわたる介護生活で、身にしみて分かったのは「上手に手を抜いて、思いつめないことが本当に大事だということです」。
新田恵利 1968年、埼玉県生まれ。1985年、おニャン子クラブの会員番号4番としてデビュー。86年に「冬のオペラグラス」でソロ・デビュー。現在、実母の介護をしながら夫とチワワ2匹と暮らしている。
 「報われないこともいっぱいあるので、自分でできないことや解決しないことを考えつめない。愚痴を言いたいとき、苦しくなったときは親しい友人やパートナーにどんどん発散するようにします」
 このときのポイントはアドバイスを求めないことだそうだ。
 「私は主人に前もって『アドバイスは要らないからね。聞いてほしいだけだから』と言っておきます(笑)。特に男性って、いろいろ理性的に考えて解決策を探ろうとするんですが、基本的には愚痴を聞いてもらうだけで十分で、分析は要らない(笑)。『そうだね、大変だね、頑張っているね』という言葉で介護している人は救われるから」
 介護仲間との「介護トーク」も恵利さんにとっては貴重な時間という。「お互いの話から有益な情報が得られたり、介護の仕方を見直せたり、力をもらえたり。本当にありがたいものです。介護をしている人にしか分からない『介護あるあるトーク』は盛り上がりますよ。例えば『年寄りはなぜ“否定形”から会話が始まるのか』。ご飯まだ食べていない、とかですね……(笑)」
夢はあきらめず、「ついのすみか」をリフォーム中
 介護をしている中で何かをあきらめたり、自分が犠牲になっていると感じたりしないように努めているという。夫婦そろって旅行好きの恵利さん。新型コロナウイルスが広がる前は、車いすの母と一緒に温泉旅行にも多く出掛けた。
 数年前には、築50年ほどの民家を熱海に購入した。「『ついのすみか』だと思っています。高台にあって海を見下ろすことができ、温泉にも入れます。ときどき通いながら主人と一緒に少しずつリフォームを続けているのがとても楽しく、将来の生活を考えると夢が広がります。私が自分の人生を明るい気持ちで設計し、日々楽しく生きることは母にとっても幸せだと思います」
 そして忘れてはならないのが自分の健康。恵利さんは以前、テレビ番組の企画で受けた脳ドックで脳動脈瘤(りゅう)が見つかった。「早い段階だったので事なきを得ました。今は年に1回の定期健診で健康状態を必ずチェックしています」。最近、大腸ポリープが検査で見つかり、手術を受けた。「早期発見することは本当に大事。検査を受けられたことに感謝です」
介護の情報は自分から集めにいく必要がある
 介護生活が7年目に入っても、いまだに知らなかった介護サービスの盲点に気づくことがあると恵利さんは言う。
 「例えば要介護度が上がると、介護保険サービスの利用限度額である単位数が増えますが、同時に個別のサービスの単位数(料金)も変わります。そのため、これまでのサービスを使い続けると有利なのか不利なのかすぐには分かりづらい。そうしたことは現実になってみて初めて気づきました」
 介護に関するさまざまな知識は、すぐ使えるものもあれば、体験しないと得られないものもある。「本当に難しいですね。TVの健康番組のように介護の番組もしょっちゅうあればいいのにと思います。情報を自分から集める努力をしないと情報弱者になってしまうんです」。積極的に行政に足を運んだり、専門家に質問をしたりすることが大事だという。まだ介護が始まっていない人でも、これからのことが不安であれば「お住まいの地域を管轄する地域包括支援センターなどを訪れると、親身になって相談に乗ってくれると思います」。
 日常生活には大変なこともあるが「介護によって得るものは多くて、いい体験をさせてもらっていると思います」という恵利さん。「『悔いのない見送り方』というのはなかなか難しいと思うのですが、これだけ母のそばにいて、母とコロコロ笑いながら楽しい会話をいっぱいできていたら、別れた後もこの体験がきっと私の残りの人生の糧になると思うんです。母はとても人間ができていて、『私は幸せ者だ~』が口癖。そんな母に接する私の方こそ幸せ者だなと思いながら過ごしています」



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