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「跡取りを産め」攻撃を拒否! 夫の実家との「縁切り」を決意した日

2021-09-05 15:30:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jpからの借用(コピー)です。

私が結婚したのは夫ではなく、夫の「家」だったの……!?  その衝撃に惑わされながら、なじもうと努力もしたけれど、もう限界。妻たちは姑の理不尽に猛然と立ち向かった――(取材・文=山田真理)
はじめは仲良くできると思った。「いい嫁」になろうと努力もした。好きになった人の家族だもの、多少のことには目をつぶって――でもやっぱり、無理なものは無理。このままでは、「あの人たち」の血を引く、夫のことまで嫌いになってしまいそう。
価値観の違いや無理難題、身内だからという甘え等々に耐えかねて、夫の実家と距離を置くようになった妻たちがいる。「ひどい嫁」の汚名覚悟で挑んだ、縁切りまでの経緯、現在の心境を聞いてみた。

「跡取りを産め!」の電話攻勢に…
「20年前、婚約の報告に、“ご本家“へあいさつに行ったときから、なんとなく嫌な予感はしていたんですよね」と語る伊藤里香さん(仮名・49歳)。
姑は転勤族の舅について各地を転々としていたが、代々続く旧家の一人娘。その長男である夫と結婚するからには、生まれてくる子は大事な跡取り。当時は本家に健在だった夫の祖父母を前に、「『この庭にも久しぶりに鯉のぼりが泳ぐのね』などと姑に言われ、背筋がゾーッとしたものです」。
その発言が本気だと気づいたのは、新婚わずか10日目にかかってきた「妊娠した気配はない?」の電話。
「毎日必ず、ひどいときは朝昼晩とかけてくる。姑は友人も少なく趣味もないので、最初のうちはこれも親孝行と我慢していたのですが、だんだん重荷に感じて。夫の口から『新婚なのだから、毎日かけてこないで』と言ってもらったんです」
しかしマザコン気味な夫の言葉は姑には響かず、「いいじゃない、ヒマなのよ」とあっさり。その後も電話攻勢は止まず、ストレスをためながらも半年ほどつきあっていた。
誠意を込めて書いた手紙は便箋5枚分
「でも、『もう許せない!』と思うことが起こって。私が最初の子どもを流産してしまったときです。姑は仰々しく墨文字で”流産お見舞い“と書いた包みを送りつけ、中には現金が5万円。怒りと悲しみを抑えながらお礼を伝えると、姑は『これに懲りず、ぜひ立派な跡取りを産んでちょうだいね』と懇願してきて」
さらには、同時期に義妹が妊娠したことを無邪気に報告してくる始末。あまりのデリカシーのなさに、里香さんの怒りも沸点に達し、「手紙で、『電話の回数を減らしてほしい』『子づくりの話をされるのがつらい』『義妹と比べられている気がする』といったことを伝えたのです」。
誠意を込めて書いた手紙は便箋5枚分。しかし激怒した姑は倍の10枚にびっしりと、「好意をすべて悪意にとる生意気な嫁」と悪口を書き連ねて里香さんの実家へ送りつけた。
「姑の無神経さには、もう怒りを通り越して呆れました。でも、それから何ヵ月間かぴたりと電話が止んだのは、実に快適でしたね(笑)」
姑の意外な一面を見た夫は、やがて里香さんの味方に立つように。そのおかげかはわからないが、しばらくして無事に妊娠。生まれたのは男の子だった。
「産院にやって来た姑が、『里香さん、お手柄でした』とのたまったときは、心の中で『江戸時代かよ!』と突っ込む余裕ができていました」
第2子が女の子で「もう1人男の子を」と言われたときもぴしゃりと断り、中学受験に口を挟んでくれば「時代が違います」とばっさり。言いたいことは我慢しないことにした。
義父のリタイアにともない、本家に帰った姑。久々の田舎暮らしと、煩雑な人間関係を味わったせいか、最近では「必ず帰って家を継げ」という発言も減ってきたそうだ。
「姑が時代遅れな『跡取り信仰』を捨ててくれたら、少しは仲良くなれるかなと期待しているところです」
呪いの言葉攻めで家族崩壊!?
介護施設で働く同僚との結婚にともない、山梨へ嫁いだ林純子さん(32歳・仮名)。
「私の故郷が沖縄だったので、『知り合いもいない遠い所へ、よく嫁に来てくれた』と姑からも大事にしてもらい、本当に幸せでした」
実家の敷地内に新居を建て、子どもが生まれ、穏やかに流れる日々。そこに奇妙な波風が立ち始めたのは、単身赴任していた義父が退職して帰郷してからだという。
「義父には、結婚式の話を蒸し返され、私の祖父母が林家の親戚へお酌して回らなかったことを『非常識だ』と激怒されました。祖父母は高齢で足腰が悪く、そんな風習があることも私たちは知らなかったのに」
純子さんの両親が遊びに来た際に、庭の池に孫が落ちては大変だと気づかって、わざわざ材料をそろえてフェンスを張ってくれたときも、「『両家の間に垣根を作って断絶させるつもりか』と難癖をつけ、その場でフェンスを外させ、父が土下座して謝るまで許しませんでした」。
義父は姑の再婚相手で、夫とは血のつながりがない。そもそも家の敷地は夫の実父が購入した土地であり、「義父は私が実家と結託して、自分を追い出すのではという疑心暗鬼に囚われていたのかもしれません」。
夫は義父に遠慮がちで、妻への仕打ちを咎めることもできない。耐えられなくなった純子さんは別居を提案し、親子3人で市内のアパートヘ。
夫まで「自分もそんな気がしてきた」と言い始め…
「すると今度は、義父と2人だけの生活がストレスになったのか、姑の様子がおかしくなってきました」
最初はアパートヘ来て義父のグチを言うだけだったのが、だんだんと病死した前夫の話になり、夫のことを「『あの子もきっと同じ病気で死ぬ』と被害妄想的に口走るようになったのです。そんな話、妻としては聞きたくないですよね。訪間を断ると電話で同じ話をする。おかしなことに、そのうち夫まで『自分もそんな気がしてきた』と言い始めて……」。
子どもも小さいのに、気弱な発言をする夫。根拠のない呪いの言葉を吐き続ける姑。その元凶である義父。すべてに対して猛烈に腹が立った純子さんは、離婚届にサインを入れて子どもと一緒に沖縄へ帰ることに。
妻の強い決意にうながされたのか、半年後には、夫も車や家を売り払って沖縄まで追いかけて来てくれた。
「それから7年、私は一度も山梨の実家に顔を出していません。沖縄へは夫の実父の位牌だけ持ってきて、『じいちゃんはここにいるよ』と子どもに話しています。ばあちゃんのことは、話題にもしないですね(笑)」
沖縄へ戻ってすぐ、子どもと2人で生きていけるようにと、看護学校に通い始めた純子さん。介護職の夫と看護師という共働きカップルで、仲良く元気に暮らしているという。
「山梨では、あんな義父母に子どもは預けられないし、勉強したいといっても許してもらえなかったでしょう。私自身、20代という若さだから挑戦できたと思う。夫の実家が悩みの種なら、エネルギーのあるうちに決断するのがおすすめです」と明るく微笑む純子さんだった。 



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