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 「好きな人がいた」死期を悟る夫が告白した。夫亡き後、古ぼけた写真が見つかって

2021-07-18 13:30:00 | 日記

下記の記事は婦人公論オンラインからの借用(コピー)です

死によって明らかになる故人の遺志。その本音に残された者は戸惑うばかり。上林さん(仮名)は、愛する夫が残した写真に心が揺さぶられてーー
本当に俺の理想に近い人だったんだよ
夫が旅立って1年が経つ。
たった数時間の入院であっさりと逝ってしまった。慢性好中球性という極めて珍しい型の白血病で、4年あまりの闘病の末のことである。
夫は、社員30人ほどの会社の会長をつとめていた。ひとりで立ち上げて、育てた会社だ。目をかけていた社員に社長の座を譲ったが、経営権を渡したあたりから、会長室を取り上げられ、明らかに冷遇される屈辱も味わった。
葬儀は、私たち家族にはほとんど縁のない仕事関係者ばかりが目立つものになった。そのうえ会社と家との合同葬儀と言いながら、葬儀費用の1円たりとも会社は出さずじまいである。
私は夫が好きだった。最後の最後まで、男としての夫に恋をしていたのだ。
夫が同じ気持ちだったとは思わない。家族としての情はあったろうが、夫にとって私はもう女ではなかったと思う。夫の人生では、女とか、子供を含めて家族の存在は、決して優先順位の上位ではなかったのだ。
何事にも行動が早くて、結婚前、彼の友人に「あいつは考える前にもう走り出してるやつだから」と忠告されたのを覚えている。
一方の私は、口だけの人間だったから、夫の行動力が好ましく、うらやましかった。長い結婚生活の間、その思いは少しも変わらなかったように思う。
あれは、死の2ヵ月ほど前のこと。通院から帰る車の中で突然夫が、「好きな人がいた」と言い出した。何ということのない普段のおしゃべりの中での、唐突とも思える切り出し方で。
「本当に俺の理想に近い人だったんだよ。明るくて、何事にも前向きで、強くて、でも穏やかで」
楽しそうに、ほんとうに楽しそうに夫は話した。その時どう感じたかを今は思い出せない。あまりにショックで、考えること、感じることを、私自身が拒否したのだと思う。
聞けば、30年も昔、私と結婚して十数年経った30代後半のことで、おまけに片思い。告白することもないままだったという。それが真実かどうかはわからない。そもそも、夫とその人の間に何かあったとしても、そうでなかったとしても、大した違いはない。私の内に生まれた複雑な思いに変わりがあるとは思えないからだ。
今さら、どうやって30年もの年月を遡ればいいのか、誰を相手に泣き喚けばいいのかわからないではないか。明るくて、前向きで、強くて、穏やかで──。私とはまるで正反対。何やらせつなくて、幾晩かひとり泣いた。
夫が亡くなってすぐに、いつも持ち歩いていた財布の中に、かなり長い年月入れておいたことを窺わせる、ふちがボロボロになっている写真を2枚見つけた。写真の中では同じ若い女性が古ぼけた時間の色をまとって笑っている。
──この人だ──
ありきたりな、それこそ安いドラマのような展開だ。馬鹿なんだからパパ、死ぬ前にちゃんと処分しとくんだよ。
2枚とも棺におさめた。私の写真を胸元に、その人の写真を足元に。意趣返しをしたつもりはないが、少しばかりしゃくだったから。でも後悔している。その人の写真こそ胸元に入れてあげればよかった。
自分の死期をある程度知っていた夫が、人生の最後近くになぜあんなことをあえて言い出したのかは想像するしかないが、少なくとも、夫はその人がほんとうに好きだったのだと思う。好きであり続けたのか、若い頃の思い出としてただ胸に抱き続けていたのかはわからないが。
それを責める権利は私にはない。さびしいし、嫉妬もあるが、仕方のないことだ。何十年共に暮らしても、気持ちがぴったり同じに重なることは不可能だろう。互いの思いの丈はわからない。時に抱き合い、時に背を向け合ったりして長い人生を歩むのだから。
大切な人のために何もできなかった
夫の気持ちが、私のそれとは違っていたとしてもそれが何だというのか。42年間2人で暮らし、まがりなりにも最後まで共に歩いてきたことだけが重要で、なおかつ私にとっての真実だ。図々しくて押しの強い、俗物で助平な田舎じじいだけれど、懸命に自分を生きた夫が好きだった。だからこそ、その大切な人のために何もできなかった自分が情けなく、半ば失意のうちに逝かせてしまったことが悔しくてならぬ。
これが老いて死ぬということか。
夫の最期の日がもう少し優しく、温かく、穏やかなものであったら、もしかして1日命がのびたかもしれない、2日のびたかもしれない。
あったかもしれない一日一日が、夫にとってはもちろん、私にとってもどれほど大事な時間だったかを思う時、たまらない悲しみが湧いてくる。夫がいたはずの未来の、ほの明るい光景を想像し、その幻にとらわれて、一歩も踏み出せずに1年が過ぎてしまった。
夫の死を受け入れられないまま、つい先日、子供たちと私だけで一周忌を済ませた。広い本堂に住職と家族3人だけの静かな法要。本来なら、ゆかりの人たちを大勢招いた派手な席を設けてあげたかった。何しろ夫は目立ちたがりの出たがりで、華やかなことが大好きだったから。
けれど、この1年の来し方を思うとそんな気になれなかったのだ。家族のほかに一体誰が夫を偲んでくれるだろう……。広い世界とたくさんの友人を持っている夫がとても誇らしかったものだが、そうではなかった。友人と思っていたのは単なる知人にすぎなかった。
何もかもが色褪せるという表現があるが、まさしく私の目の前もその通りだった。今まで信じ切っていた世界がゆらゆらと不安定にゆれている。



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