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舅・姑からの虐待、毒母の認知症…モンスター親に泣かされ続けた66歳バツイチ女性の半生

2021-05-01 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

26歳で見合い結婚し、夫とその両親と2世帯住宅で暮らしていた女性は22年間の結婚生活に終止符を打った。舅・姑から数々の虐待を受けていたが夫は見て見ぬフリ。実家に戻り平穏な生活が訪れるかと思いきや、今度は母親が認知症に。現在66歳となった女性が激動の半生を振り返る——。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、未婚者や、配偶者と離婚や死別した人、また兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
26歳で結婚し、舅・姑に数々の虐待を受けてきた66歳の激動半生
「ゴミ袋がたくさんあるがどうするつもりや? ゴミだけ置いていくつもりか?」
関西在住の66歳の白石玲子さん(仮名・既婚)。今から18年前の2003年1月、22年間の結婚生活に終止符を打つ決意をして実家に戻っていたある夜、義父から電話がかかってきた。
「いいえ。昼間そちらを出るときにお義父さんに説明したとおり、明日引っ越し荷物と一緒に処分します。ゴミを置いていくようなことはしません」
当時48歳の白石さんは、そばにいた母親がびっくりするくらい冷淡な口調で言った。
母親が勧める見合いで26歳のときに結婚し、やがて義両親と同居した。義父と夫がお金を出し合い、2世帯住宅を建てたのがそのきっかけだが、この義両親がひどかった。
「この家の家長は俺だ!」と家の中でも外でも威張り散らす義父と、「私も姑にひどく虐められた」と言いながら白石さんをひどく虐める義母。そして22年間、一度も白石さんを庇おうとしなかった夫。
白石さんが初めて義両親の愚痴を夫にこぼしたとき、「俺の親の悪口を言うことは許さない」と言って夫は1カ月も口を聞かなかった。そればかりか、白石さんが作った料理をゴミ箱に捨て、自分で作って食べていた。
それでも白石さんは、「自分の都合で息子から父親を奪ってはいけない」と我慢し続けた。
しかし、2000年4月に息子が大学に進学し、下宿を始めると、家の中は義両親と夫だけ。夫も義両親も、これまで一度たりとも白石さんが外で働くことを許さなかったが、息子のいない空間では息が詰まる。白石さんは、何度も必死に頼み込み、やっとパートに出ることを許された。
外で働き始めた白石さんは、“生きている実感”を取り戻す。そしてもう二度と“籠の鳥”には戻れなくなった。2002年11月、白石さんは思い切って、夫と義両親に離婚を切り出した。
すると義父はこう言った。
「俺たちのせいでお前たちの仲が悪くなるのなら、もう2世帯同居はやめよう。家を建てる時にお前が出した金は返すから出て行け。これ以上迷惑をかけられたくない」
すると夫は言った。
「俺に金を返すために親父に借金させるわけにはいかない」。
夫は一度も自分をかばわず、義両親の側に立った
夫は白石さんと離婚する道を選んだのだ。
2003年1月、白石さんは義父から電話を受けた翌早朝に起き、残りの私物を取りに向かう。年末年始に帰省していた息子が下宿先に戻った翌日に引越しを決めたため、息子はいない。味方のいない家に向かうのはひどく気が重かった。
1時間ほどして到着すると、2台分の駐車スペースがあるカーポートの真ん中に、義父の車が停められていた。仕方なく白石さんは家の前に路駐する。
荷造りやゴミ出しが終わると、義父に呼ばれた。義父は紙とペンを出し、「婚姻時の姓を名乗りません」「子どもの親権は放棄します」「結婚時に持ってきた荷物は余さずに引き取りました」と書けと言うので、白石さんは言われた通りに書く。
最後に白石さんは、義父に離婚届への記名押印を頼むと、義父は渋々応じた。
白石さんはその足で市役所に行き、離婚届と転出届を提出。清々した気持ちで友だちとお茶をし、実家へ向かった。
実家に戻り平穏な人生を望んだが、元毒親の母は認知症に……
夫と義両親との関係を清算し人生をやり直そうとした白石さんだが、新たな障壁が現われた。母親だ。
父親は1991年、白石さんが36歳のときに65歳で亡くなった。
当時61歳だった母親は喫茶店で働いていたが、1995年に喫茶店が閉店。以降、母親はシルバー人材センターの事務を始めた。
2000年、親戚の法事に出るため、白石さんは母親とともに車で向かったが、途中、高速にのる前にトイレを済ませたにも関わらず、母親は車の中で漏らしてしまう。その頃から母親は、シルバー人材センターの仕事を「難しい」と言って断るように。同じ話を何度もするようになり、白石さんが指摘しても、意に介さない。
2003年1月に白石さんが離婚して戻ってくると、母親はそれまで一人でできていたことも、全くやらなくなっていく。
「母は、私をこき使うようになりました。整形外科の受付の順番を取るために、朝早くから診察券を入れてこい。時間がきたら整形外科まで連れて行け。習い事に送って行け、早退するから迎えに来い。食事の準備をしろ、台所の排水が詰まったから直せ、エアコンや換気扇の掃除をしろ……。私は子どもの頃からずっと、母から支配されていて、母の顔色を窺いながら母の機嫌を先読みして動くのが常になっていました。それでも母のことが大好きで、母に気に入られるような良い子でないといけないと思い、何度か母が反対する恋人とは別れ、母が勧める人と26歳で結婚。すべては、私の幸せを願ってのことだと信じていました……」
49歳になった白石さんは73歳の母親の世話のため営業の仕事を辞めた
2003年12月。白石さんが仕事に出ていると、突然母親から電話がかかってきた。
「私なあ、昨日から病院に泊まっているんやわ。ごぼうが喉に詰まって、お隣さんに電話して救急車で運んできてもろてなあ。医師に家族を呼べと言われたのですぐに来て欲しいんやけど」
当時、営業の仕事をしていた白石さんはその日、隣の県まで出張していた。急いで家へ帰り、入院の準備をして病院へ向かう。
医師には、「年末年始にまた食べ物を喉に詰めたら困るので、年明けまで入院してもらいます」と言われ、看護師には、「お母さん認知症でしょうか? 昨晩暴れて、ここがどこかわからないみたいなことを言っていました」と聞かされた。
「当時私は、何となく母の異変に気付いていました。でも現実を直視したくなくて、家にいるとこき使われるのが煩わしくて、仕事に打ち込み、出張を口実に、週に2~3日しか家に帰っていませんでした」
2004年1月。母親がごぼうを喉に詰まらせた原因はわからなかったが、退院が決まる。
母親は73歳。49歳になった白石さんは、「もう母を1人にしておくことはできない」と思い、母親の世話をするため営業の仕事を辞めた。
娘(玲子)に向かって「レイコはどこへ?」と聞いた母親
退院した母親はある日、白石さんを目の前にして、「レイコはどこ行ったんやろ? 2階で寝てるんかな? ちょっと見てくるわ」と言い出した。びっくりした白石さんは「レイコって誰?」と聞き返す。
すると母親は怒ったように、「レイコは私の娘です!」ときっぱり。
白石さんは自分を指差して、「私(玲子)は誰?」と聞くと、「あんたは姉のほうのレイコや。もう1人、妹のほうのレイコのことを言うてるんや」と真顔で言い返す。白石さんには兄が一人いるだけだ。母親は2階を見に行き、「レイコはいてなかったわ。どこにいったんやろね」と独り言のようにつぶやいた。
白石さんはひどく動揺した。
半年ほど前に母親が可愛がっていた犬が亡くなり、しばらく母親が悲しんでいたことを気にしていた白石さんは、「母には犬が必要だ!」と思い、何度か母親をホームセンターのペットコーナーに連れて行った。
すると以前から目をつけていた子犬は、「商談中」の札がかけられている。
「(先約がいるなら)仕方がないね」と帰りかけたとき、「僕のことを見て!」とでも言わんばかりに、白石さん母娘を見てぴょんぴょん跳ねているポメラニアンの子犬が2人の目に止まった。2人はその子犬に釘付けになっていると、店員が鍵を開け、その子犬を抱いて連れてきてくれた。
白石さんが受け取ると、子犬は顔やら耳やらを舐めまくり大興奮。母親に渡すと、子犬を受け取るなり母親は、「この子を連れて帰るわ」と言った。
そのまま白石さんは手続きを済ませて、子犬を連れて帰った。とても元気な子だったため、母親は「げんき」と名付ける。「げんき」が来てから、家の中が明るくなった。
愛犬「げんき」を飼い始めたものの、母の言動はい日に日におかしく
しかし、母親の言動は、日に日におかしくなる。
げんきに夕飯をあげたのを忘れて、もう一度あげている。家にいない兄の分までご飯を用意する。そうかと思うと、白石さんの存在を忘れて、一人で黙々とご飯を食べていることもあった。
そんな中、白石さんがげんきを散歩につれていくと、犬の散歩仲間ができた。毎日顔を合わせていると、つい、母親の介護の愚痴を話すこともあった。すると散歩仲間の一人のAさんが、介護認定を受けることを勧める。Aさんは、介護施設でヘルパーをしていたのだ。
介護認定を受けると、母親は要介護2。ケアマネージャーも決定し、デイサービスや訪問介護利用などのケアプランが立てられていった。そしてAさんの「ずっとお母さんのそばにいるのも良くないよ」とのアドバイスで、白石さんはパートに出ることを決めた。
訪問介護が始まると母親は、「あの人は好きやけど、あの人は嫌い」とヘルパーの悪口を言い始める。初めは、嫌いな人が作った食事を食べないだけだったが、だんだんヘルパーが作ったものは全く食べなくなってしまう。
仕方がないので白石さんが作るが、それも食べない。困った白石さんが「何で食べへんの?」と訊ねると、母親は「冷蔵庫が開けられへん」とうそぶく。
母親は、50キロ近くあった体重が35キロを下回った。
「私が母に相談もなしにヘルパーさんを頼んだり、デイサービスに行かせたりすることへのあてつけだと思いました。どんどん痩せていく母を目の前に、私はどうしたらいいのかわからなくなりました……」



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