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受診1年半待ち、慢性痛トップドクターの「1丁目1番地」

2021-07-20 15:30:00 | 日記

下記の記事はダイヤモンドオンラインからの借用(コピー)です

ケガをしていなくても痛がる
世界初「痛がり動物」の実験

 今からおよそ25年前、当時29歳だった牛田享宏医師は、留学先のテキサス大学(米国)で「従来の痛みの概念」を覆す発見をした。
 その発見は、CRPS(複合性局所疼痛症候群)のメカニズムを解明するための実験によってもたらされた。CRPSは、1994年に国際疼痛学会によって「骨折などの外傷や神経損傷の後に疼痛が遷延する症候群」と定義された疾患だ。
 遷延(せんえん)とは長引くこと。つまりCRPSは、ケガやなんらかの原因により神経が傷ついた後に、痛みが慢性的に続く症状を指す。その「痛み」は、きっかけとなったケガや神経損傷と不釣り合いなほど重度であったり長期間続いたり、あるいは無関係の部位が痛んだりすることもある。
痛みが発生・持続するメカニズムは、いまだに解明されていない。近年では子宮頸がんワクチンの副作用として取り上げられ、注目された。
 牛田医師らはA=「骨折させた片手をギブス固定したラット」とB=「骨折なしの片手をギブス固定したラット」の2種類のグループを飼育し、調べることにした。CRPSの病態が一番よく起こるのが、骨折後にギブスをしていた人たちだからだ。
 結果は、AB両者ともに、ギプスをはずした後も全く片手を使わないラットが出現した。調べてみると、使う方の手は筋骨隆々だが、使わない方の手は当然ながら筋肉が痩せており、骨も弱くなっていた。
「予想では、(痛がって)片手を使わなくなるのはAグループのラットだけだと考えていたのですが外れました。しかもBラットも痛がっているように見えたのです。そこで、Bラットの脊髄細胞の様子をモニタリングしながら手に刺激を与えて調べたところ、それまでは反応しなかったようなささいな刺激でも神経が反応してしまう『痛がり動物』に変化していました。つまり、ケガをしていなくても、動物(ヒト)は痛くなる場合があることを発見したわけです」
 帰国した牛田医師は、およそ5年がかりで論文をまとめ、発表。国際的に広く評価されて世界の痛み研究に影響を与え、やがて日本を代表する「痛みの研究者」へと成長する。
 主任教授としてけん引する愛知医科大学医学部の学際的痛みセンターは、日本における「痛み医療の中枢機関」として2002年に開設された。
「痛みは、実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する、あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験」(2020年に改訂)という定義に基づき、整形外科、精神科、麻酔科、歯科などの専門家で編成されたチームで治療にあたり、痛みのコントロールだけでなく、痛みがあっても困らない緻密なサポートを施すほか、「臨床に即した研究の推進」と「全人的観点からの痛み教育」にも取り組む。
 さらには、同大に日本の医学部で唯一、痛みについて単位にカウントされる正規の講座を設置。2020年7月には、41年ぶりに痛みの定義を改訂した国際疼痛学会に日本代表として参画した。
慢性痛(慢性疼痛)の謎解明に挑む
スタートは電気生理学だった
 牛田医師のベースは、生体に発生する電気現象や生体に対する電気作用について研究する医学の一分野「電気生理学」だ。
脳波・心電図など、臨床診断に広く応用されていることからも分かるように、生命とは電気≒イオンの流れ≒電磁波形成そのもの。かのフランケンシュタイン博士が死体を繋ぎ合わせ、電気ショックを与えることで怪物に生命を吹き込んだように、電気の流れこそが生命の謎を解明するカギになると考えられている。
 父親は国立大学の工学部教授、祖父は医師という家庭で育ったことも影響しているのだろうか。麻酔科出身者が多い慢性痛(慢性疼痛)医療の現場にあって、牛田医師の工学的なアプローチは異彩を放っているように思う。
 電気生理の研究に取り組むようになったきっかけは、高知医科大学(現高知大学医学部)の学生時代に2度、バイク事故で大怪我を負い、神経を痛めたことだった。「電気で神経の麻痺を治すことができないだろうか」と思い立ち、卒業後は同大学整形外科(山本博司教授:当時)に入局。脊椎・脊髄疾患に特化した診療・研究・教育を推進する脊椎外科/電気生理グループに所属した。
「側弯症(脊柱が変形する病気)に対して特殊なスクリューを背骨に入れて矯正すると、見た目は治っても、神経が引っ張られて足が動かなくなったりする。あるいは脊椎の中に骨ができてしまう病気を治すために顕微鏡手術でその骨を削ると、麻痺が起きてしまう可能性がある。なんとかリスクをなくし、安全に手術できるようにするための方法を研究していました。
 グループでは脳や腰から脊髄に電気刺激を行い、記録して、コンピューターでシミュレーションをしたり、波形をモニターしながら脊髄の障害部位にアプローチする手術法を谷俊一助教授(当時)の指導の下で開拓していたのですが、大きな問題は『脊椎内の圧迫をなくすだけでいいのか?』ということでした。実際、圧迫をなくせば症状が全部改善するかというと、そんなことはないんですね。
 例えば、手は動くようになったけど、痛みが出たという患者さんが結構いたのです。そうした痛みをなんとかモニターできないか、原因をもっと調べてみたいと思うようになり、当時『痛みを電気生理学的に評価する』研究が進んでいた米国テキサス大学のWillis教授の研究室に留学しました」
痛みを取り去るのではなく
「痛くても動けるカラダ」に
 2007年には、愛知医科大学学際的痛みセンターを設立した熊澤孝朗教授の要請を受け、2代目痛みセンター部長に就任した。背中を押してくれたのは、かねてより「これからは整形外科医が疼痛の分野を担わなければならなくなる」と示唆した山本博司前教授と高知大学における麻酔科、精神科、整形外科を横断した「集学的慢性疼痛外来」の設立をサポートした谷俊一教授(当時)だった。
 学際的痛みセンターの3本柱は臨床・研究・教育だ。活動を通じて牛田医師は揺るぎない信念にたどり着く。
「かつて僕は『痛みさえとってあげれば患者さんは相当幸せなはずだ』と思っていました。しかし、そもそも痛みは全部とれるのかといったら、とれないんです。なぜならネガティブな記憶として脳に刻まれているし身体も全てが元に戻れるわけでないから、とりきれるわけがない。でも、痛いからといって、動かないでじっといたら、身体も神経も状態が悪化して、大変なことになる。
 だから、動かしながら治療して、痛くてもなんとか活動できるように持っていくことを治療のゴールにするのが、現実的な落としどころだろうと思うようになりました」
 そのために欠かせないのが精神的なサポートと身体の治療の両立だ。
 牛田医師らは、患者をいくつかのパターンに分類し、それぞれに適した治療法を提供することにした。臨床研究によって、患者を困らせているのは「痛み」よりも「つらさ」であるということも見いだした。
 その研究は「同じように痛みはあっても、不満で居つづける人と、患者を『卒業』できる人がいるのはなぜか」をテーマに、2人の対照的な患者を比較するというものだった。
【比較研究】
「不満が消えないAさん」vs「痛み治療を卒業したBさん」
◎2人の症状
Aさんは、ある病院で椎間板ヘルニアの手術を受けたが、「よくなる」と言われたのに痺れと痛みが残った。次に受診した病院で「つらい症状は神経が傷ついたから」と、暗に手術の失敗をほのめかす説明をされたことから、「自分は医療ミスの被害者」と思い込んでいるが、身体を動かすことに支障はない。
Bさんは、高飛び込みの国体選手だったが、練習中に脊髄損傷のケガをして下半身が動かなくなってしまった。下半身は氷水につけられているように冷たく、24時間痛む。
◎治療の結果
Aさんは、「椎間板ヘルニアの手術で痺れや痛みが残るのは普通で、手術が失敗したせいではない」と説明しても納得しない。手術を受ける前より、明らかに改善しているにもかかわらず、「もっと良くなっている人はいる」と、執刀医に対する不満を抱き続けている。
(Aさんのような人は、痛みセンターを受診する人の典型的なパターンの一つでもある)
Bさんは、脊髄損傷の患者会から、県の車椅子バスケットボールチームに勧誘されて参加。すぐにリーダーとなり、世界選手権にも出場。「痛みはあるけど困りません」と語り、患者を卒業した。
◎考察
慢性痛の治療には、患者をいかに、Bさんの方向に持っていけるかが重要。それには、患者は「痛み」ではなく、「つらい」ことに困っているのだという、痛みの定義を理解しなければならない。
Bさんは、痛みはあるが、つらくない。対してAさんは、痛みについてはBさんよりましかもしれないのにつらい。そのつらさで、困っており、患者であることから卒業できないでいる。
このことを理解するには、「痛みの定義」がわからなければいけない。
 牛田医師は次のように解説する。
「例えば、手をつねられると、シグナルは脳に上がって行き、手が痛いと感じると同時に情動系の方にも伝わって、つらいと感じます。これは並行して起こるのです。痛いからつらいのではなく、そもそもわれわれは、最初につねられた瞬間に『つらい』んです。
皆さん誤解していますがね。
つまり、痛みの定義は、『頭で経験する感覚上の不快な体験』であり、われわれは痛みを、『情動』で感じています。だから、赤の他人に殴られたのと、かわいい孫に叩かれたのとでは、全然感じ方が違う。同じ行為でも、喜びになったり、苦しみになったりするのです」
だからこそAさんのようにどうしても痛みにこだわる状況ができてしまうと、いつまでも苦しく、つらい。
「痛みで苦しむことが続く感情や状況を変化させることが出来て、ニュートラルに受け入れることができるようになるだけでも、だいぶ痛みから解放されるだろう患者さんは大勢います。治療においては、そうした患者さんに対する教育も大事ですし、そのための精神分析も、していかなくてはなりません」
自分の大学は「一丁目一番地」
痛み教育をする大学を増やしたい
 現在、痛みセンターは、医師・歯科医師だけでも10人体制。初診患者に対しては、タブレット端末を渡し、膨大な量の質問に答えてもらう。それだけでもゆうに30分はかかりそうだ。
 質問は痛みについてだけでも複数の方向から行い、家族背景や職場・学校の人間関係などにも及ぶ。また治療には、整形外科の各領域の専門医に加え、歯科医師、精神科専門医、臨床心理士、理学療法士も参加し、チームであたる。
 集学的治療と呼ばれるこの体制を見ただけでも、痛み医療の難しさが納得できるのではないだろうか。
 慢性痛に対する国民の理解度が広まってきた昨今は、同センターの受診者も増え続けており、遠くは北海道からも日本随一の治療を求めて患者が訪れる。
 センター長である牛田医師の診察は、もっか1年半待ちだ。しかし、牛田医師にとってこうした状況はあまり喜ばしいことではない。他大学の医学部でも慢性痛をちゃんと教える講座が開講され、治療できる医師が増え、わざわざ愛知に来なくとも日本中どこでも痛みの集学的治療が受けられるようになることを望んでいるからだ。
「僕自身は、まずは自分の大学の足場を固めることが『一丁目一番地』と心得ています。その上で、うちのような教育をする大学を、1カ所でも2カ所でも増やしていきたい」
 医療にしても教育にしても、仕組みを変えるには国民の声による後押しが必要だ。「もっとちゃんとした慢性疼痛医療を受けたい!」と、私たちも声をあげるべきだ。
(監修/愛知医科大学医学部学際的痛みセンター・教授(センター長)、愛知医科大学病院痛みセンター 部長、運動療育センター センター長 牛田享宏)



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