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政治と宗教の大切さを思い出して下さい

2013年03月06日 18時43分53秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

政治と宗教の大切さを思い出して下さい

    秀行 与国氏 ブログ転載

 

今、この国に必要なのは、日本国民が政治と宗教の大切さを
思い出していくことです。

そ­の先に、必ず私たち日本国民の本当の幸せと、真の繁栄があります。

 

(ノ_・。)…宗教のお話しあたりで、とくに感動しました

 

政治と宗教は大切な存在である

 
2013-03-04 10:14:41

悪に対しては、
戦い続けよう。

ウソ、イツワリ、ゴマカシ、
そして捏造には、
きちんと正しい批判を加えよう。

正しい歴史認識のもと、
周辺諸国が、
もしも間違った言動をするならば、
主権国家として、
毅然とした態度をしめそう。

そしてもし、
今の憲法が原因で、
この国が、
そうした毅然とした態度を取れないのならば、
そうした態度を取れるよう、
国を変えるべく、
勇気をもって立ち上がろう。

そしてもしも、
立ち上がる人少なく、
日本が情けないままであるならば、
他の周りの人々にも、
声をかけ、
言葉をかけて、
奮起を促していこう。

しかしこの時、
自らの心を
阿修羅に支配されてはならない。

心を怒りや憎しみに支配されてはならない。

心を闘争と破壊の、
地獄的なものに支配されてはならない。

それでは、
国家を正しく愛しているとは言えず、
国家に執着しているだけではないだろうか。

“愛”と“執着”は違う。

人間を愛し、
平和を愛するがゆえの
“愛国心”というものもあれば、
ただ、ただ、
自分が生まれ育った国に対する執着ゆえに、
人間を愛さず、平和を愛さず、
むしろ“暴力的な愛国心”
というものもある気がする。

“愛国心”と“執国心”は違うと思う。

ちなみに、
この“執国心(しゅうこくしん)”という言葉は、
私の造語であって、
そんな言葉はこれまでないが、
何か上手い言葉はないかと考えて、
作ってみた。

もっとセンスの良い人がいたら、
ぜひとも作って欲しい。



私は仏を信じる者である。

そして天下万人に、
仏と同じ性質、
“仏性”があるという
仏教の教えを信じている者である。

さらには、
「人間が、
 心だけを唯一の持ち物に、
 ある時は黒く生まれたり、
 黄色く生まれたり、白く生まれて、
 “転生輪廻”という
 生まれ変わり、
 魂修行をしながら、
 心を磨き上げて、
 仏に近づいている存在である」
という仏教思想を、
私は“真実のものである”と、
確信している者である。

ゆえにこそ私は、
日本人も、
韓国人も、
中国人も、
白人も、黒人も、
これまでの転生、
そして現世で受けた教育、
あるいは育った環境や文化によって、
その心の磨かれ方や、
考え方、生き方に、
何らかの違いはあろうとも、
その根源には、
同質のものを持っていると、
信じる者である。

私は仏を信じるがゆえに、
人間を信じる者であり、
これは、
性善説でもなければ、
ましてや性悪説でもない。

性善説とは孟子(もうし)という方が説いた説だ。

すなわち、
「人間の本性は善である」
と考える説だ。

人は誰もが皆、
幼子が
井戸に落ちそうになっている姿を見れば、
可哀想に思い、助け出そうと走り出すもの。

そうしたことを踏まえて、
孟子は
「人には、
 他人の不幸を見過ごすことのできない心、
 自分の悪を恥じる心などがあり、
 教育と自分の努力によって、
 その善き心を
 養い育てることが大切である」
と考えた。

一方、荀子(じゅんし)という方は、
性悪説を説いた。

性悪説とは、
「人間の本性は悪である」
と考える説である。

曲がりくねったヨモギも、
まっすぐに伸びる麻の中に生えれば、
自然とまっすぐに育つもの。

そうしたことを踏まえて荀子は、
「人は生まれつき自分の利益を好み、
 他人を妬み、憎む性質を持っている。
 だからそのままほうっておけば、
 人は争いをおこすが、
 しかしきちんと教わり学ぶことで、
 人は善き人間と成り、
 聖人と呼ばれる方でさえも、
 教育と自分の努力によって、
 そうした人格に到達した」
と考えた。

つまり性善説も、性悪説も、
人間を生まれながらの善い生き物と見るか、
生まれながらの悪い生き物とみるか、
その違いはあるが、
「共にきちんとした教育こそが大切である」
と、そう考えているわけだ。

私は人間を信じるが、
それは、
仏教のような、
魂の教育、心の教育を受けることによって、
人は皆、
向上していく存在である、
ということを信じるのである。

すなわち私は、
日本人であろうが、
韓国人であろうが、
中国人であろうが、
白人や黒人であろうが、
人類は皆、
“向上の可能性”を持つ者であると、
そう信じる者である。

過去の転生によって、
それぞれの業(ごう)、
カルマはあるだろう。

過去の人生において、
悪人として生きた者もいるだろう。

過去の人生において、
聖人君子として生きた者いるだろう。

無差別に人を殺めた殺人鬼として、
生命を終え、
一度(ひとたび)、地獄に落ちて、
そして何百年と深い反省をし、
ようやく天上世界に還り、
その後、この地上に生まれ変わって、
再び魂修行をしている者あれば、
マザー・テレサのごとく、
無差別に人を愛する奉仕者として、
生命を終え、
天上世界で地上を眺めながら、
この荒んだ物質世界に、
悲しみと憤りを感じて、
愛に生きんがために、
再び魂修行をしている者もあるだろう。

人それぞれ、
過去の転生輪廻によって、
心の磨かれ方は異なることだろう。

だから
性善説と性悪説は、
どちらも共に、
正しい側面があるのかもしれないが、
しかし私は、
人間とうものは、
心の教育によって、
必ず向上していく存在であると、
信じて疑わない者である。

だからこそ、
私は、
民族や人種を差別することなど、
とうてい出来ず、
政治権利上の“区別”は、
当然のことながら肯定しても、
“民族差別”や“人種差別”
という醜いものには、
断固、認めることはできず、
むしろ戦っていくべきであると、
そう考える者である。

そしてこの
「民族差別や人種差別を憎む」
という私の考え方こそ、
本当は“日本の心”であることを、
どうか知って頂きたい。

この“心”を、
「八紘一宇(はっこういちう)」
と言う。

「八紘一宇」の「八紘」とは、
“四方八方の世界のこと”
「一宇」とは、
“一つに家”という意味である。

つまり「八紘一宇」とは、
簡単に言えば、
「世界は一家、人類は皆、兄弟」
という意味であり、
『日本書紀』に記される言葉である。

大和朝廷を築かれた初代天皇、
すなわち神武天皇の言葉であり、
天皇陛下をはじめとする日本国民に、
長年、深く深く根付いてきた言葉であり、
そして“日本の心”である。

戦時中の日本は、
ナチス・ドイツと同盟を結んでいたために、
ナチス・ドイツから、
ユダヤ人迫害に協力するように、
要請を受けた。

しかし
首相、外務大臣、
陸軍大臣、海軍大臣、
大蔵大臣の五閣僚による
内閣の重要な会議において、
その席上、
時の陸軍大臣・板垣征四郎(いたがきせいしろう)が、
「神武天皇がこの国を開かれたとき、
 天皇は
 “八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん”
 と仰せられた。
 ユダヤ人を迫害するのは
 神武天皇のお言葉に反する」
と発言し、
これによって、
日本はドイツの協力要請を退けたのである。

日本の心、
それは『神道』という、
天皇陛下を頂点に置く、
日本独自の宗教において、
これまで二千年近く使い続けられてきた、
この「八紘一宇」という言葉に秘められており、
それは、
民族差別、人種差別とは、
明らかに異なる心である。

「天皇!!」と叫びながらも、
民族差別をするその行為は、
実は神武天皇の八紘一宇の考えと、
矛盾するものであり、
「“日本の心”をお忘れである」
ということを、
日本人であるならばどうか知って頂きたい。

世界人類を家族と考え、
他人種や他民族をも兄弟と考える、
そんな調和的な心、
“和の心”
これぞ日本精神の基本である。

そして、
「義を見てせざるは勇無き也」
と云うように、
正義のために勇気を持って立ち上がり、
天下国家に仁を尽くす心、
これが中華大陸から日本列島に渡り、
受けつがれてきた儒教の心である。

偽の仁義ではなく、
真実の仁義の心こそ、
儒教の心である。

すなわちこの日本という国は、
仏教思想、
神道思想、
儒教思想、
これら三つの宗教から多大な影響を受けて、
築かれてきた国ではあるが、
それはつまり、
人間の可能性を信じ、
世界人類を兄弟と考え、
仁義に生きんとする心、
この心がこの国には、
深く深く根付いてきたのである。

神武天皇は初代天皇であるが、
さらに日本の歴史を遡ると、
ニニギノミコトとか、
アマテラスオオミカミといった、
神代(かみよ)の時代、
神話の時代となっていくものであり、
この日本という国は、
まぎれもなく、
神話から生まれた
宗教国家なのである。

この日本は、
仏教でいうところの仏陀を崇めつつも、
八百万の神々をも祀る、
神仏を尊ぶ国家であったのである。


しかし戦後の日本国民は、
宗教国家に生きながらも、
左翼教育に洗脳されて、
「天照大神」や「神武天皇」
の名前さえ教わらず、
そして忘れてしまい、
いつしか
無宗教国民となってしまったのである。

かつてはどの家庭にも、
神棚や仏壇があって、
神仏を敬い、宗教を大切にしていたが、
多くの日本人が、
宗教の大切さを忘れ、
神仏への信仰を忘れ、
日本精神・大和魂を忘れている。

そして国家に無関心として生きるか、
あるいは
たとえ国家に関心を持ったところで、
民族や人種を差別するような、
そんな間違った暴力的な愛国心、
“執国心”を持つに至っているのである。

ならば我ら日本国民は、
今こそ、
“政治と宗教の大切さ”を
思い出すべきではないだろうか。

政治は国家をつくり、
宗教は精神をつくり、
素晴らしき精神と素晴らしき国家を、
今一度、我ら思い出すべきである。

まぁ私がブログをやっている
その最大の理由の一つは、
日本が今、
最大の国難の中にあることを、
一人でも多くの方に
知ってもらいたいからであり、
多少、読みにくいかもしれないが、
どうか今後ともよろしくお願い申し上げる。
 
 
 
 
 
 


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2 コメント

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Unknown (泣き虫ウンモ)
2013-03-06 19:57:21
与国さんのブログ久しぶりにみました。
3年ぶりかな。前みたとき、恐怖心と闘うということを自分でも意識させられるものだったと思いましたけれども、今でも
そうかな。う~ん、多少違うかな?
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Unknown (泣き虫ウンモ)
2013-03-06 23:09:37
そういえば、高校生のころ作文の中に荀子の名前をだして
書き上げたことがあったな。
荀子は、性悪説ではなく人間は環境に影響される存在であり、そういうことを言いたいのではないかということで書いたことがありました。
いま考えると、韓非子にも影響を与えていたということで、
少し悪そうかな?
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