理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

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世界と日本の危機を伝える・・

少なくとも、卑弥呼の時代から、朝鮮問題はあったはずです。 2018-03-20 00

2018年03月20日 12時30分33秒 | お友達ブログ.SNS.なかまのぶろぐ ばくちゃん他

https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/f75fbadbed6babc5d5a3e6eb80a66503 幸福の科学高知 なかまのぶろぐ ばくちゃんより

幸福の科学の映画「君のまなざし」のワンシーン(2017年)

少なくとも、卑弥呼の時代から、朝鮮問題はあったはずです。

2018-03-20 00

今国会では、森友公文書改ざん問題ばかりが注目されています。

今日本は、コップの中での争いをしている暇があるのでしょうか?

まるで日本に、国難であるとか、国亡の危機などないが如き、政治における時間の使い方ですね。

もしもとある人が、お医者さまの言うことを聞かず、花粉アレルギーが不愉快だから、

免疫抑制剤を大量に飲んで、肺炎になったとしたら、どういう対応をしますでしょうか?

それが今の日本の姿なのです。

日本は、常に朝鮮半島からの、永続的な侵攻を恐れていたというのが、歴史を振り返って見える真実です。

不思議なことに、そういう視点があれば、日本の歴史のほとんどが理解できるのです。

歴史というのは、「過去」という亜空間の物語ではなく、「その時折に起きた日常」なのです。

そして、過去の人が、今の人たちと比べて、特別に劣っていたわけでもなく、

その時折において、精一杯の判断こそが「歴史」なのです。

そういう視点でもって、有名な卑弥呼の物語を、中国の魏の時代の外交資料、

「魏志倭人伝」から読み取ってみたいと思います。



さて古代日本の邪馬台国の卑弥呼外交は、一般的な説としては、「大国魏(ぎ)の後ろ盾を得て、

邪馬台国国内をまとめるために使ったのではないか?」と言われることが多いですが、

しかし私は、対朝鮮半島国家群向けの外交だと思います。

これは、「遠交近攻」と言って、外交戦略の鉄則中の鉄則で、とてもよい見本と呼べるものです。

そう思うのは、当時の邪馬台国(ヤマトの国の音読み)にとって、遠国「魏」との同盟は、

日本国内向けの演出としてはほとんど効果はないのですが、眼を転ずるに、

朝鮮半島国家群に対しての効果は絶大だからです。

一般説はあまりにも、「当時の日本は、占いで政治をしていたくらいだから、

レベルが低いに決まっている。」という先入観を元に、日本の歴史を見過ぎていると思います。

魏志倭人伝を読むと、邪馬台国の北の国境は、狗邪韓国(くやかんこく)とあります。
ということはつまり・・・、邪馬台国は、その時既に、朝鮮半島に領土を持つ大国だった”可能性”があります。

”可能性”と言うのは、相当弱気な発言ですね。(笑)
字面をそのまま読むと、そういうことになります。(爆笑)

つまり少なくとも、朝鮮半島情勢に合わせて外交をするという、高度な外交価値判断が必要な状況に、

当時の邪馬台国は十分に達していたということです。

魏国の公式外交文書である「魏志倭人伝」を、素直な心で読む限りは・・・。



ただ、当時の日本には、”国家”という概念が十分でなかったかも知れませんし、

もしくは、機能としての国家が、存在しなかったかも知れません。

当時大陸では、既に”国家”が形成されていました。

ですから日本でも、きちんと国家を形成しない限り、時の流れにおいては危うかったのだと考えます。

パパママストアーが、長い眼で見れば、大手スーパーやショッピングモールにかなわないみたいな感じと、

表現すればいいでしょうかね。

ただ、文化圏とすれば、当時の日本は、十分なものはあったはずです。

また恐らく、海洋文明である縄文時代に、既に日本人は、朝鮮半島諸国と交易などの人的交流を、

既に相当行っていたからだろうと思われます。

そして、領土かもしれないし、はたまた文化圏なのかも知れませんが、任那(みなま)という

日本人居留地も朝鮮半島内あり、朝鮮半島国家群とは、実際には相当密接な関係にあったはずです。

その証拠に、縄文土器や古墳など、日本古来の製品や文化を思わせるものは、古代朝鮮の地層から、結構たくさん出土します。

しかし教科書的には、飛鳥時代にあったと言われる朝鮮半島南部の任那は、

今や「日本人の妄想説によるもの」とまで言われ始めています。

しかし縄文時代遺跡を素直な心で見る限り、当時の日本は、沈まぬ舟による高度な海洋文明でしたので、

朝鮮半島南部くらいは、当時の日本人にとっては、”向こう岸感覚”だったと思います。

現実的に朝鮮半島南部からは、古墳が発掘されます。
古墳は、”墓”です。

つまり、「古墳」という、死後の遺体を埋葬する機能を持ったものが発掘されるということは、

それがたとえその発祥が、いずれの地域であったとしても、

その古墳が発見される地域の当時の人々というのは、少なくとも、「古墳の広がっている地域においては、

そこで暮らす人々は、死生観を共有していた。」という、明らかな証拠です。

どちらが主要国で・・・とか、古墳の発祥が、どこの国で・・・というのは、古墳が見つかることではわかりません。
しかし、「共通の死生観を共有する地域であった。」ということは確実なのです。

つまり、古墳から導き出される歴史的真実として、古代日本と朝鮮半島南部は既に、

同じ宗教を持つ間柄であったことには間違いがないのです。

これらを総合するに、卑弥呼外交は、朝鮮半島内における邪馬台国の、影響力強化や地位確立に、

多大なる影響力を、それも相当長きに渡って持ち続けたはずなのです。

「漢の倭の奴の国王」という称号は、魏が存続する限り有効だからです。

見事です。

倭国(日本)の、一人勝ち外交なんですね。

その影響力が、保てなくなったので、その後の時代に、聖徳太子の遣隋使が始まったのかも知れませんよ。

中国では、王朝がコロコロ変わりますからね。(笑)

魏などの漢民族は、本来、海の外には全く興味を持たない、完全な大陸系民族です。
ですから、当時の超大国魏が、九州邪馬台国に攻めて来る危険性はありません。

しかし漢民族は、陸続きならば進入して来ます。
ですから、朝鮮半島諸国はビビリます。

朝鮮半島国家群が日本列島に、いや半島南部の任那にも攻め入ることができなくなるのです。

さて、「漢の倭の奴の国王」という称号の影響は、それだけにとどまりません。
ここからが本題です。(笑)


「魏や、朝鮮半島諸国から見た”倭=邪馬台国”は、九州にある。」対外的には、そう見えます。

中国(魏)や朝鮮国家群からは、そうとしか見えないのですが、そこがミソなんです。(笑)

卑弥呼外交が成功すれば、朝鮮半島国家群は日本や韓半島南部の任那にも入れないばかりか、

ヤマトの国の正規軍を、九州地方に温存しての、奈良への遷都」という、歴史の離れ業が可能だからです。

つまり、卑弥呼の邪馬台国が、九州にあると中国や朝鮮半島国家群に思わせることが重要で、

それが、卑弥呼の邪馬台国の正体だと思います。

つまり、初代神武天皇による、奈良に都を移したヤマトの国の囮(おとり)です。

それができれば、平和裏に、ほとんど軍事的行動を起こさずに、奈良盆地へ遷都することができるからです。

というように、日本には「歴史の重み」があります。

それは誇るべきであるし、それは、「他国への配慮」という観点でゆがめるものでもないです。

本日は経典『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、

憲法への考え方に言及した一節をご紹介いたします。

             (ばく)

続き https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/f75fbadbed6babc5d5a3e6eb80a66503






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1 コメント

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Unknown (デーグー)
2018-03-20 20:14:45
財務省が消えれば良いかもね
勝って亡霊、
更に、「学園、学園」って騒いでる
マスコミ、文部科学省の記事
1行もない、、
幸福の科学大学認可しなかった
のはおかしいって言って居たでしょ?
「学園天国あきえさん」
ならば、、、
文部科学省も証人喚問特に下村
当たりも喚問しなければ
不公平でしょ??
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