能登半島地震が起きてから、10日が経った。
毎日、亡くなられた方や被災された方の情報がテレビで流れている。
被災された方に心からお見舞い申し上げます。
どうかこれ以上被害が出ませんよう
そして1日も早く、ご自宅で安心と安全の中での
暮らしを取り戻されますようにお祈りしています。
日本人として、いてもたってもいられなく
今すぐにでも被災地に駆けつけたいと思う。
東日本大震災の時は、そう思いつつも受験期のこどもたちを置いて
駆けつけることはできなかった。
その後悔があったため、6年前の西日本豪雨では
2週間ではあったが、岡山県倉敷市の真備町に
ピースボート主催のボランティアに参加した。
体力もなく若くもなかったので、炊き出し担当だったが
本当に行って良かったと今でも思う。
報道されてないことや、現場でなければわからないことなどがたくさんあった。
被災者のニーズや、行政と支援団体との連携の悪さ
被災された方の当時の心境などなど。。
ある被災者の方は、同居の家族にも言えなかった当時の苦しい気持ちを
ボランティアの私達にうちあけてくださった。
それは、家族に話すと心配をかけてしまうとの心遣いからだったようだ。
ボランティアは、家の片付けや炊き出しだけではなく
被災者のこころに寄り添うということが求められていると、そのとき知った。
もし自分が被災者の立場だったら
心身ともに弱っているときに、ボランティアの人たちが来てくれたら
どれほど心強く思うだろう。それを思うと泣けてくる。
今はまだボランティアとして、現地に行くことはできない。
なので少額ではあるけど、支援をさせていただこうと思う。
東日本大震災の時、当時の私には結構な高額の支援金を
日本赤十字社あてに送ったが
あとで何人かの人に、日本赤十字社は中抜きをすると知らされ
大変ショックだった事を思い出す。
なので今回は、支援金がどのように使われているかを
活動レポートとして報告している団体に送ろうと思う。
悲しいかな、いろいろ疑い深くなっている自分。。
1カ所に多額ではなく、少額でも長期的に何カ所かに送り続けたいと思う。
自分は、毎日温かい部屋で温かい食事をし、温かい布団で寝られる。
安心安全なところにいるからこそ、そのことに感謝を忘れないでいたい。
同じ日本人が辛い思いをしているのに
無力だけど、せめて毎日祈り
微々たる寄付をすることだけは続けていこうと思っている。