昨日は私の誕生日でした。
今年も、こうして心もからだも健康で
誕生日を迎えられたことに、何に対してかわからないけど感謝する。
2年前、突然網膜剥離で失明したけど
誕生日に手術をして光を取り戻したこと。
毎日、平和で食べものがあること。
快適な家があること。
穏やかな気持ちで床につけること。
優しい夫がいつもそばにいること。
子ども達がそれぞれ独立して元気で働いていること。
ホメオパシーや自然療法の勉強がいつもできること。
クライアントさんが「良くなったよ」と言ってくれること。
などなど数え上げればきりがないくらい
この1年平凡だけど、とても幸せに過ごせた。
ありがたや、ありがたや。
ひとつ歳を重ねるごとに、誕生日に対する思い入れが深くなる。
私が生まれたその日、今は亡き両親はどれほど深い愛情で
私の誕生を喜んでくれただろう。
私はこの生き生きとした芽吹きの、輝く春に
あの両親のもとに生まれ、ほんとうに感謝している。
私は3人のこどもを産んだとき、それぞれどのような思いだっただろう。
長男が生まれたとき、私は感動のあまり泣いてしまったっけ。
下の二人の時は、嬉しくもあったけど
無事に生まれ、安堵でふっと脱力したなあ。
ほとんど抜けがら状態だったような。。
去年の秋に初孫が生まれ、今年はさらにいろんな思いがあふれてくる。
孫娘が生れたとき、娘夫婦はどれほど嬉しく感動しただろうなあ。
それを思うと胸があつくなる。
そして私はこの先のこと、自分のことではなく
孫の生きていく時代を思う。
どうかどうか、平和で暮らしやすい世の中でありますように。
そのために、私はなにができるだろう。
このさき年長者は、若い世代になにをしてあげられるだろうか。
誕生日なのに、深ーく考え込んでしまう1日でした。