goo blog サービス終了のお知らせ 

あつきの自然な生活

自然療法のホメオパシーや、日々の生活の中で感じたことをつづっています。

誕生日に想うこと

2021-04-03 21:40:36 | 日記

昨日は私の誕生日でした。

 

今年も、こうして心もからだも健康で

誕生日を迎えられたことに、何に対してかわからないけど感謝する。

 

2年前、突然網膜剥離で失明したけど

誕生日に手術をして光を取り戻したこと。

毎日、平和で食べものがあること。

快適な家があること。

穏やかな気持ちで床につけること。

優しい夫がいつもそばにいること。

子ども達がそれぞれ独立して元気で働いていること。

ホメオパシーや自然療法の勉強がいつもできること。

クライアントさんが「良くなったよ」と言ってくれること。

 

などなど数え上げればきりがないくらい

この1年平凡だけど、とても幸せに過ごせた。

ありがたや、ありがたや。

 

ひとつ歳を重ねるごとに、誕生日に対する思い入れが深くなる。

 

私が生まれたその日、今は亡き両親はどれほど深い愛情で

私の誕生を喜んでくれただろう。

私はこの生き生きとした芽吹きの、輝く春に

あの両親のもとに生まれ、ほんとうに感謝している。

 

私は3人のこどもを産んだとき、それぞれどのような思いだっただろう。

長男が生まれたとき、私は感動のあまり泣いてしまったっけ。

下の二人の時は、嬉しくもあったけど

無事に生まれ、安堵でふっと脱力したなあ。

ほとんど抜けがら状態だったような。。

 

去年の秋に初孫が生まれ、今年はさらにいろんな思いがあふれてくる。

孫娘が生れたとき、娘夫婦はどれほど嬉しく感動しただろうなあ。

それを思うと胸があつくなる。

 

そして私はこの先のこと、自分のことではなく

孫の生きていく時代を思う。

どうかどうか、平和で暮らしやすい世の中でありますように。

そのために、私はなにができるだろう。

このさき年長者は、若い世代になにをしてあげられるだろうか。

 

誕生日なのに、深ーく考え込んでしまう1日でした。

 

 


zoomおしゃべりで感じたこと

2021-03-12 09:24:51 | 日記

きのう、高校時代の友達ふたりとzoomで1時間おしゃべりした。

そのときに感じたことを書いてみる。

 

zoomで以前、高校の同級生10人以上と同窓会をしたことがある。

そのときは、呼びかけた人が進行役となり、会話は進んでいた。

だけど、話はじめたら延々はなすひと、興味のない話題に疲れるひと

話したくてもなかなか会話に入っていけないひと。。

私は最後のこれ。

なので、みょーにモヤモヤ感がわいてきて途中退出した。

 

同じように感じていたひと2人と、あらためてzoomでおしゃべりすることにした。

きのうはその2回目だった。

1時間だけだったけど、やはりモヤモヤ感は残ってしまった。

 

自分がそのとき感じたことを分析してみた。

 

私が話しているときに、ひとりの友達が口を差し挟んでくる。

そして、話し終わると同じ人から

「そうじゃなくて、聞いたことに答えて」と催促される。

それに対して、私はストレスを感じていたのだった。

 

私はふだん、ひとの話は最後まで聞くようにしている。

ホメオパシーのセッションで培ってきた経験でもあるが

それは相手を尊重するということだとも思っている。

ひとは誰でも、自分の思うようにものごとをコントロールしたいと思う。

だけど、相手がいてそれを強くやってしまうと

相手を苦しめたり、反感を買ってしまったりすることになる。

 

zoomが終わって自分の感情を振り返ってみたら

私は、相手にコントロールされたくない

もっと私を尊重して欲しいと思っていることに気づいた。

 

次回のzoomおしゃべりでは、はっきりと言おう。

「最後まで話させて。途中さえぎられるのは、不愉快だ」と。

 

ふだんから心がけている「バウンダリー」

ひととの間に境界線をひくということ。

つまり、自分を守り、相手の境界線もふみこえない

ということでもあると思っている。

これは他人はもちろんのこと、家族つまり親兄弟や夫婦のあいだでも

大切なことだと思う。

 

それを意識するだけで、相当摩擦が減るんじゃなかろうか。

ひとのエネルギーは8メートルにも及ぶとの情報もあり

意識して境界線を引くと、相手のエネルギーも受けづらくなると思うのだが

どうだろうか。

 

境界線がゆるくて、相手のエネルギーを受けやすいひとに合う

ホメオパシーのレメディもいくつかある。

またフラワーエッセンスにも、そのような効果のあるものがある。

 

今回は、いま流行りのzoomというツールを通して

感じたことを書いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ひとの車を傷つけてしまって気づいたこと。

2021-01-10 21:19:21 | 日記

去年の暮れに、人生ではじめて自分の車を買いました。

 

中古ではなく新車で、前からずーーっと欲しかったハスラー。

新型(jスタイル)の、標準装備でたくさんの機能がついてる、カーキと白のツートンです。うぅ、カッコイイ。。。

神社でお祓いをしてもらい、大切に乗っています。

 

その車で、先週まさかの事故を起こしました。

その日は、低気圧で非常に風の強い日でした。

 

スーパーの駐車場に止めて、運転席から降りようとドアを開けた瞬間

強風にあおられて、右に止めてあった車の助手席のドアに、ぶつけてしまいました。

 

一瞬何が起こったのか、わかりませんでした。

 

車から降りて見てみると、縦に傷がついていました。

大きく凹んではいないものの、確かにはっきりわかる傷です。

 

その車には誰も乗っておらず、一瞬「相手には何も言わずにおこう」という

よからぬ考えが頭をかすめましたが

「ひとさまの大切なものを傷つけておいて、それは許されないことだ」と

なんとか良心が引きずり戻してくれました。

 

運転手の方が戻ってこられるのを待って、丁重にお詫びをし修理を申し出ると

その女性は「いいです、いいです。子どもがあちこち傷つけているので」と言って下さいました。

実際、相手の方の車は結構あちこちに傷がついていました。

だけど、私は「それでは申し訳ないので、修理させてください」と食い下がり

そうしたやりとりを2、3度くりかえしたのちに

結局私が保険会社に連絡して、修理をすることになりました。

 

相手の方は、私が待っていて正直に申告したことに感心されていましたが

せっかくの申し出も断り、謝罪するだけでは足りないと思った私は、どれだけバカ正直なの!?

 

そこには、自分が大切にしている車を傷つけられたら、悔しく悲しいという思いがあります。

だから、ほかの人もきっとそうに違いないと思ったのです。。

 

保険会社によると、事故を起こして保険を使った場合

翌年から掛け金が相当高くなるそうです。

 

今回、相手の方のありがたいご厚意に甘えられず

自分の「正義」を押し通したために、高い授業料を払うことになりました。

 

 

まあ、そんなわけで今回は

ひとのご厚意には、1回目は断っても2回目はありがたく頂戴するということを学びました。

 

私は、ひとに甘えるということが苦手です。おごってもらうときもそう。

これは多分、相手に負担をかけたくないという気持ちからですが

相手の方は、喜んでとか、したいからするわけで

それを断ると、相手の方もちょっとガッカリしてしまう。

流れを止めてしまう。循環が滞るということかな。大げさに言えば。

 

だから、今年はもっと受け取ることに積極的になろうと思います。

 

ほかにも今回のことで思ったことがいくつか。

・人身事故でなかったのは、ほんとうに幸いだったこと。

・自分がいくら気をつけていても、不可抗力はあるということ。

・今回の事故は、次に大きな事故を起こさせないためのサインだったのかも。

・なにかあれば茶化す夫が、落ち込んでいる私を慰めてくれたこと。

・これを教訓として、より慎重に運転しようと思ったこと。

 

こうしてポジティブに考えることで、起こってしまったことに固執することなく

前向きになれました。ありがたいことです。

 

ちょっとした事故から、たくさんの気づきをもらった新年早々の出来事でした。

 

 

 

 

 

 


白鳥哲監督の無料公開映画のお知らせ。

2021-01-02 11:12:32 | 日記

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

今日は、持続可能な社会への提言として

メッセージを送り続ける、映画監督の白鳥哲さんの映画のご紹介です。

 

昨日から明日までの3日間

「恩送り」ということで、映画が無料公開されています。

 

映画館でもなかなか見ることができない、素晴らしい映画の数々。

このブログに訪れてくださったみなさまの、心に響く映画がきっとあると思います。

 

明日までの限られた時間ですので、ぜひご覧になってみてください。

 

https://officetetsushiratori.com/information/onokurikoukai/

ご自分の見たい映画をクリックして、パスワードを入力します。


ブログを再開しました。

2020-09-14 22:06:41 | 日記

こんにちは、あつきです。

前回の投稿から3年も経ってしまいました。

 

その間、何故か書く気にならなかった。

ほったらかしにしていたブログなのに、ポツリポツリと訪れてくれる人がいた。

何でだろう?  大したことも書いてないのに....

こんな拙い文章でも読んでくれる人がいるなんて、嬉しかったなあ。

 

3年経って思うのは、読まれることを期待して書くのではなく

読まれようが読まれまいが、自分を表現したくなったってこと。

これまでインプットばかりで飽きたから、ちょこっとアウトプットしたくなった。

 

以前は、読んでもらいたいために媚びてたからね。

これからは、肩の力を抜いて備忘録のつもりで書こうと思う。

 

もしよろしければ、おつきあいください。

これから備忘録始めまーす。