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堺 街角 ミュージアム ブログ(BLog)

堺の風景写真、堺の観光地、堺 面白い興味深い写真を掲載。日常生活の中の写真ギャラリー。

堺の史蹟 開口神社の鳥居の秘密

2006-09-23 | 堺の祭り/八朔祭  熱き血潮
開口神社の西鳥居
今は 山之口商店街に面してアーケードもあるが
昔は 軒を並べた山之口筋であった

そして この山之口筋から 昔は八朔祭のふとん太鼓が入っていったいわれる

その縁であろうか 開口神社の西鳥居に《画面鳥居の左下部分》 大甲濱の名が刻まれている

堺の史蹟 慈眼院之阯

2006-09-23 | 堺 歴史探訪/堺の寺院・仏閣・史跡
ザビエル公園内にひっそりと石碑が建っている

周囲から見捨てられたように
時代から 捨て置かれたように

寛文4年《1664》えびす島が出現したときが、元禄6年《1693》11月にこの戒島の先に洲島ができ 亀があらわれた

このため恵美須神社の神宮寺として 霊亀山慈眼院を建てた

慶応4年3月に神仏判然の令が出されたので 恵美須神社の慈眼院も 仏像 仏具等が取り除かれ 寺号を廃して 社僧も神主となったため 自然と廃寺になった
その仏像 仏具 絵巻などは 宝珠院に預けられた

時代に翻弄され石碑のみが語る慈眼院の歴史

場所も史実と異なり 彷徨うように このザビエル公園に預けられた

慈眼院の名の存在を後世に伝えるために

いつしか この慈眼院の名も由来も語り継ぐものがなくなった時には 何時しかただの石になるのであろうか?

移ろう時代の 時の流れにうら寂しく建つ石碑

ザビエル公園にて

堺の文化の薫 晶子と弟の歌碑

2006-09-20 | 堺 街角 ミュージアム/堺の文化の薫
 『をとうとはをかしおどけし紅き頬に
涙流して笛ならうさま』 晶子

〈自分の弟ほど可愛いひとはない。 あの滑稽なほど不容赦な赤くふくれた顔に、熱心に余りに流すなみだをつたわせながら吹いている。 ひょっとすると弟は上手な笛吹きになるかもしれない。今 立てている音も快い。〉

堺市立少林寺小学校にある与謝野晶子の石碑である

平成5年 創立120周年記念に晶子の母校として 「をとうと」を歌碑として建立した

校門正面にあります
かならず 声をかけてくださいね

堺の文化の薫 晶子と少林寺小

2006-09-20 | 堺 街角 ミュージアム/堺の文化の薫
堺市立少林寺小学校にある与謝野晶子の歌

堺市立少林寺小学校創立120周年記念に 六年生が
  《君死にたまふことなかれ》
の五連を小板に刻んだ額の製作を卒業記念として取り組んだ

与謝野晶子は 少林寺小学校の前身である宿院小学校の卒業であった

晶子の歌を 彼らはどんな思いで作ったのであろうか?

今では計り知れないが ただ力強い丁寧な字 
晶子の歌とともに 彼らの字に感動を覚える

少林寺小学校の先生に許可を貰い 写しました

かならず 許可をもらってくださいね

堺街角オブジェ ほほえみ返し

2006-09-19 | 街角オブジェin堺
南海本線旧堺駅前ロータリー付近にあるオブジェ

子供が 魚を持ち上げて 笑顔で笑う

生き生きとした姿が印象的
フェニックス通りに面して手を挙げている

この銅像は 松本鐵太郎作
戦災復興事業の完成を祝して建てられた 子供のモニュメント

戦災復興事業が終わり 一つの節目に 新しい時代を喜ぶように思える

ふと こんな笑顔見たこと久しぶり  思わず 微笑み返し

芳兵衛稲荷

2006-09-19 | 堺 歴史探訪/堺の寺院・仏閣・史跡
大浜公園の北西の小高い丘を目指すとたくさんの赤い鳥居が立っている

その鳥居を抜けていくと芳兵衛稲荷がある

ひっそりと建っている為
あまり知られていないと思う

この稲荷ができたのは さほど古くない
と言うのは 明治はじめに国内博覧会があったときには たぶん 想像であるが水族館があったであろうからである

この由緒については 神明神社の関係者からの伝承によれば
大浜が栄えその後様々な災害に遇い 徐々に寂れていった頃  地元の有志で 繁栄を願い建立したといわれている

その後 湾岸線等の建築等で 立ち退いた人々も 堺大魚夜市の日に ここに集まり 在りし日の思い出を語り 堺の繁栄を願っていると伝えられている