堺 街角 ミュージアム ブログ(BLog)

堺の風景写真、堺の観光地、堺 面白い興味深い写真を掲載。日常生活の中の写真ギャラリー。

堺 街角 ミュージアム/公園探険/なつかしの通学路の横/土居川公園 泉陽高校横

2005-05-31 | 堺 街角 ミュージアム/堺の公園探検
茶室?をイメージした建物が建つ ここは休憩所
土曜の昼下がり 泉陽高校の学生がクラブ活動のためか 文化際の準備のためか作業をしている
ここは 学生が通学する前の公園 いろんな 学生時代の思い出を綴った公園
土居川公園 泉陽高校横

堺 街角 ミュージアム/お地蔵さんの住む町/堺市 北花田口2-1

2005-05-31 | お地蔵様の住む町 堺
お地蔵さんが住む町
一方通行の人の割と通る道沿いにある。
写真をとった後におばあさんが お地蔵さんのお世話をしていた。
人のすまない町には お地蔵さんはいなくなるのか 
ほっと安心 おばあさん がんばってお世話してください
堺市南花田口町2-1

堺 街角 ミュージアム/お地蔵さんの住む町/堺市 南花田口町1-1

2005-05-31 | お地蔵様の住む町 堺
お地蔵さんの住む町
堺の中心街から少し離れたところに路地裏ではないがなんとなく見過ごしがちになる
隣のタイ料理の人のお供えなのだろうか お皿に料理が盛られている。
違う文化でも 地域のお地蔵さんを大切にする気持ちは 大事にしていきたいものである。
堺市南花田口町1-1

堺 街角 ミュージアム/歴史探訪/堺奉行所跡 堺市役所跡/堺市櫛屋町東

2005-05-29 | 堺 歴史探訪/堺の寺院・仏閣・史跡
ここは 昔は 堺奉行所があったところ その後 堺市役所がおかれた
今は もうその面影は 全くない
ただ 石碑のみ 残すのみ
第二次世界大戦で 堺の旧市街は 焼け野原になった本当に もう少し終戦が早ければ
堺は 何度となく 戦災にあっている 真田雪村が活躍した時代等など

その度に 復活している

昔のこの地を偲ぶものは この石碑の向かいにある中学校である
その名は 殿馬場中学校である
昔 奉行所の馬の厩舎?があったところからきていると言われる

堺市櫛屋町東 堺市立殿馬場中学校向

堺市奉行所跡

堺 街角 ミュージアム/緑のある街/緑ある通/堺市 櫛屋町東

2005-05-28 | 堺 街角 ミュージアム/緑のある街 堺
綺麗に季節の花が植えられた 通 この道は 俗称 大和高田線 奈良の大和高田まで向う古くからの街道沿いの道 
左手は 殿馬場中学校(殿様の 馬場があったところにできた中学校 由緒ある名前 ただ 俗称はババ中) 向かいは 与謝野晶子の出身校 泉陽高校  
その通沿いに アドプトロードがある。
沿道の住民や団体が前の道の清掃 緑の管理を行う制度だ。
泉北でも盛んに行われている。
アドプトロードのあるところは、町並みが綺麗で清潔である。
草木の植栽は住民との協議で希望が言える。管轄は大阪府の鳳土木 
けれども 合併で管理は堺に移る予定。 堺のアドプトロードは清掃のみ 自分たちの植栽に関する意見は通らない。 清掃の下請けのみ行う変な制度。

合併で後退するだろうか。 この綺麗なアドプトロードが なくなる日は近いかも?

アドプトロード 殿馬場


堺 街角 ミュージアム/歴史探訪/糸割符会所跡/堺市 櫛屋町東3-1

2005-05-28 | 堺 歴史探訪/堺の寺院・仏閣・史跡
糸割符会所跡
江戸時代 生糸は 貴重な輸入品であった。
その取り扱いを許されたのは、江戸・長崎・京、大阪、そして堺の商人であった。
しかもその取扱量は堺商人が最も多かった時代がある。
ちなみに 大阪で 堺筋は 豊臣秀吉によって堺商人が住まわされたことによって、生まれた地名である。
地方都市においても 堺 という名の地名があれば、この堺商人がかかわっているといってもいいだろう。
堺市櫛屋町東3-1
糸割符会所跡

堺 街角 ミュージアム/歴史探訪 /晴明辻/堺市熊野町東1

2005-05-28 | 堺 歴史探訪/堺の寺院・仏閣・史跡
堺のメインロード 大小路シンボルロードと阪堺線が走る大道筋が交わるところ
そこに晴明辻がある。 この名前の由来は 平安時代 安部晴明 が占い書きを埋めた場所とされ占い辻 晴明辻と呼ばれ ここで占いをすれば必ず当たったといわれる。

大道筋は 紀州街道となっており、昔の紀州に向う幹線であった。
紀州に向う途中に あの有名な 葉稲荷神社(くずのはいなり)がある。
・・・清少納言が「枕草子」で「もりはしのたのもり。」と称えた信太の森の鎮守。
 竹田出雲作江戸時代中期の浄瑠璃「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」に取り上げられた「葛の葉」伝説所縁の地。安倍保名と狐の化身、葛の葉姫との悲恋の舞台である。

(平安時代の実在の陰陽師安倍晴明(おんみょうしあべのせいめい)は安倍保名(あべのやすな)と葛の葉姫との間に出来た子と作り話になっているが、実際は晴明が号で保名は名前の同一人物である。) そんなわけで あの陰陽師 安部晴明は この地を通って信太の森の葛の葉稲荷に向ったのだろう。

その折 、安部晴明は、どんな想いでこの地に立ち寄ったのだろう。
この石碑の前しばし立ち止まり 古のロマンに思いは駆け巡る。
晴明辻